全国各地の100年フード

         

 文化庁では、我が国の多様な食文化の継承・振興への機運を醸成するため、地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化を、100年続く食文化「100年フード」と名付け、文化庁とともに継承していくことを目指す取組を推進しています。

 初年度となる令和3年度は、応募のあった212件について、有識者委員会による審査を行った結果、認定基準を満たした131件を認定しました。また、有識者からの評価が特に高かった15件を有識者特別賞としました。

 2回目となる令和4年度は、応募のあった90件について審査を行い、認定基準を満たした70件を認定、そのうち評価が高かった4件を有識者特別賞としました。

「100年フード」都道府県別一覧
(令和3年度)
「100年フード」有識者特別賞一覧
(令和3年度)
「100年フード」都道府県別一覧
(令和4年度)
「100年フード」有識者特別賞一覧
(令和4年度)
         

 このページでは、全国各地の100年フードを紹介します。

関東

伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年4度認定

妻沼のいなり寿司

熊谷市妻沼地域の名物「いなり寿司」は、しょうゆと砂糖で煮込んだ油揚げに酢飯を詰めた細長い俵の形で、他の地域より長いという特徴がある。通常、いなりずし3本に巻きずしを加え、一人前として売り出している。江戸時代、利根川の水運により、江戸で流行した「稲荷寿司(いなりずし)」が妻沼へ伝わり、河岸で働く人々や、妻沼聖天山の参拝者などに喜びと満腹感を与えた。現代の妻沼には「いなり寿司」の名店が並ぶ。江戸時代中期、国宝「歓喜院聖天堂」建立と同時期に創業した茶屋「毛里川(もりかわ)」が前身の「森川寿司」、明治時代の門前茶屋を発祥とする「小林寿司」、戦後、聖天山四脚門近くに店を構えた「聖天寿し」などが郷土の味を作り続けている。戦後、全国のいなり寿司の大きさが縮小される中で、妻沼地域では製法を変えず、江戸時代に流行した長い形状が引き継がれたと考えられる。現在では国宝建造物を前にした名物として人気を集めている。

【埼玉県】

熊谷市文化遺産研究会

http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/index.htm
妻沼のいなり寿司