全国各地の100年フード

 文化庁では、我が国の多様な食文化の継承・振興への機運を醸成するため、地域で世代を超えて受け継がれてきた食文化を、100年続く食文化「100年フード」と名付け、文化庁とともに継承していくことを目指す取組を推進しています。

 これまでに250件の食文化が認定され、認定後は、各種メディアで認定団体の活動が数多く取り上げられたり、ロゴマーク入りの商品が販売されるなど、100年フードの取組は全国に広がりを見せています。

 「100年フード」都道府県別一覧
(令和3年度から5年度)
 「100年フード」有識者特別賞一覧
(令和3年度から5年度)

 このページでは、全国各地の100年フードを紹介します。
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※令和3年度・4年度の100年フードを紹介しています。

北海道・東北

近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

ジンギスカン

大正時代から綿羊の飼育が盛んになり、羊肉の様々な活用方策が研究され、このころから羊肉が食べられるようになったものと考えられています。第二次世界大戦後、北海道では綿羊飼育から羊肉用の飼育へと変わり、ジンギスカンが北海道内の一般家庭に普及したと考えられています。ジンギスカンは、中央が山のように盛り上がった専用の鍋で、羊肉と野菜と一緒に焼いて味わう北海道の郷土料理です。北海道民は専門店で味わうだけでなく、自宅用にジンギスカン鍋を持っている家庭もあります。外で大勢が集まるバーベキューなどの食事としても定着しています。ジンギスカンには、味付け肉と後から味を付ける食べ方があり、地域によって食べ方が異なるのも特徴です。例えば、道央の内陸部にあたる滝川では、味を漬け込んでから食べる「味付けジンギスカン」、道央でも沿岸部や都市部にあたる札幌や月寒では、味を後付けする「後付けジンギスカン」が主流です。

【北海道】

公益社団法人北海道観光振興機構

https://www.visit-hokkaido.jp/
ジンギスカン
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

新子焼き

新子焼きは、若鶏の手羽を含む半身を焼いて味付けをした北海道旭川市のご当地焼き鳥で、戦後に誕生しました。当時肉は高価な食材で、頻繁に食べられるものではありませんでしたが新子焼きに元気をもらい旭川は復興へと力強く歩き続けました。旭川市では30店舗以上の焼き鳥屋、居酒屋等で食べる事が出来ます。提供している各店、使う鶏肉も違えば焼き方、味付けも様々です。今でも新子焼きは庶民のごちそうとして愛され続けている世代を超えた旭川のソウルフードです。ラーメンの様に、自分の好みの新子焼きを見つけていただけると幸いです。

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【北海道】

旭川名物“新子焼き”の会

https://shinkoyaki.com/index.html
新子焼き
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

小樽あんかけ焼そば

戦後の復興期に誕生した「小樽あんかけ焼そば」は、昭和30年代に普及し、デパートでの買い物の帰りにあんかけ焼そばを食べるというのが市民の楽しみの一つでした。「小樽あんかけ焼そば」は、よく焼いた麺と多めの“あん”を特徴とするものの、明確な定義はありません。ないからこそ、約70年の歴史の中で各店の創意工夫により、独自の進化を遂げてきたと言えます。近年は、B-1グランプリをはじめとするイベント等への出展や、食品製造メーカーとのタイアップによる商品化などにより、全国的にも知名度も上がり、現在も、市内100店舗以上で提供される市民のソウルフードとして幅広い世代に愛されています。そして、その“小樽の味”を求めて、市民はもとより、観光都市となった本市には多くの観光客が訪れています。地域に根差し、これからも発展し続ける「小樽あんかけ焼そば」は、この先も受け継がれていくべき、小樽市民の味なのです。

【北海道】

小樽あんかけ焼そば親衛隊

http://otaru-ankake.sakura.ne.jp/
小樽あんかけ焼そば
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

なよろ煮込みジンギスカン

北海道を代表する食文化「ジンギスカン」のうち羊肉をタレに漬け込んで食する地域のなかでも、名寄地方で販売されているジンギスカンは肉とタレの割合が6:4で、道内他地域の7:3と比較してタレの割合が多くなっています。戦前は焼肉としての食べ方が普及しておらず、鍋料理として食べられていたため、汁(タレ)が多く必要であり、その名残りとしてタレの多い文化が現在まで受け継がれたと考えられています。智恵文地区では北海道の中での昭和の初期段階から羊肉が生産者を中心に食べられていたことがわかりました。名寄では、この味付きジンギスカンをタレごと鍋に入れて、お好みの野菜やうどん等の具材とともに豪快に煮込みます。北海道ではお花見に七輪でジンギスカンを食する文化もあり、春から秋にかけての消費が圧倒的に多い料理ですが、名寄では鍋料理としても位置付けられており、冬の消費量が多いのも特徴のひとつです。

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【北海道】

第746なよろ煮込みジンギス艦隊

https://ja-jp.facebook.com/nayoro.nikojin/
なよろ煮込みジンギスカン
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

とまこまいカレーラーメン

「カレーラーメン」は麺に絡みつく濃厚なスープとカレースパイスの香りが脳を刺激!北海道の寒さの中で、記憶に焼き付くような味わいです。製紙工場や自動車製造工場、製油所など世界企業を有するわが街において、多くの働く人々が、日常のご褒美に食べたくなるラーメンと言えます。子どもたちは郷土食として、学校給食でも味わいます。昭和に生まれた「カレーラーメン」は、土地と人が生活の中で育てた故郷の味。その時代の舌に対応するよう変化も受け入れ、大事に育て、次の世代にも引き継ぐことが願いです。この先の未来にも残る、私たちの郷土食として100年フードに名を連ねます。

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【北海道】

とまこまいカレーラーメン振興局

http://tcrs.jp/
とまこまいカレーラーメン
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

清水森ナンバ一升漬

津軽地方の在来種のトウガラシで風味豊かな「清水森ナンバ」を米麹と醤油で漬け込んでつくる伝承料理です。約400年前に、津軽の藩祖津軽為信が京都から持ち帰って広めたと伝えられています。清水森ナンバを一升と米麹一升、醤油一升を混ぜ合わせて作ります。すべての材料を一升ずつ使って仕込んだことからこの名前になりました。炊きたてのご飯のおかずや酒のさかなとして食されます。また、刺身、豆腐、納豆、卵かけご飯などに醤油代わりにも使われます。清水森ナンバはよく洗い小口切りにし、きれいに洗った樽に材料を全部入れて、まんべんなく混ぜ合わせ、そのまま樽に蓋をして3ヶ月以上おくと味がなじみ、美味しく食べられます。

【青森県】

在来津軽「清水森ナンバ」ブランド確立研究会

http://www.aomori-shop.com/tougarashihakase.html
清水森ナンバ一升漬
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

一関・平泉の伝統的なもち食文化

一関・平泉には、全国的にも特徴あるもち食文化が今なお受け継がれています。今から約400年前の江戸時代に、当時この地方を治めていた伊達藩の慶弔儀礼式が庶民へと普及したといわれ、冠婚葬祭などの改まった席では最高のおもてなし料理として「もち本膳」が振る舞われます。年中行事や人生の節目などには餅をついて食べる習わしがあり、かつては一年に60日以上も餅をつく日があったとされています。多彩なもち料理の数々も魅力です。農産物や山菜、沿岸地域から運ばれる海産物など豊かな食材を活かしたもち料理が伝わっています。また、戦中、戦後にはくず米に雑穀を混ぜた「しいなもち」を美味しく食べるため、生活の知恵で味の工夫を加えてきました。食べ方のバリエーションは300種類以上とも言われています。

【岩手県】

一関もち食推進会議

https://hiraizumi-dmo.jp/mochi/
一関・平泉の伝統的なもち食文化
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

わんこそば

わんこそばとは、お椀に一杯ずつ給仕された一口分のそばを次々に食べ、何杯食べられたか競い合うものです。花巻のわんこそばの歴史は400年程昔にさかのぼり、南部家第27世利直公が江戸に上られる途中、花巻にお立ち寄りになられたおり、旅のつれづれをなぐさめようと郷土名産のそばを差し上げたところ、利直公はその風味をたいへんお気に召され何度もおかわりをされたと伝えられ、その際、そばを上品に椀に盛って差し上げたところから「わんこそば」と称されるようになったといわれています。わんこそばというと、大食いのイメージがありますが、元々はお客様にたくさん召し上がっていただきたいという、おもてなしの食文化です。現在では花巻市内の複数の店舗で提供されており、毎年全国から5,000人以上来場する今年で64年目となる「わんこそば全日本大会」も行われています。

わんこそば
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

まめぶ

「まめぶ」は江戸時代から伝わる郷土食です。岩手県久慈市山形町(旧山形村)にて受け継がれ、ここまで伝承範囲が限られた郷土食も珍しいといわれています。 地域の冠婚葬祭などに欠かせない行事食で、特に年末に行われる煤掃いや大晦日で食べられ、「まめぶを食べないと年が越せない」と言われるほど人々が心待ちにしている行事食です。「まめぶ」を家族皆で、役割分担して作ることも地域の伝統です。「まめぶ」は昆布と煮干しで取った出汁に、醤油で味を調え、クルミと黒砂糖を包み親指大に丸めた小麦団子と地元で取れたゴボウやニンジン、焼きどうふ、油あげ、かんぴょう、しめじなどを入れて煮た具だくさんの料理で、汁はしょっぱく、団子は甘い、癖になる不思議な汁物です。「まめぶ」は地域の宝として、地域ぐるみで保存継承活動を進めています。山形町内の小中学校では「まめぶ」給食があり、保存継承の教育のため未来継承講座が行われています。

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【岩手県】

岩手県久慈市

https://www.city.kuji.iwate.jp
まめぶ
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

じゅうね餅

エゴマの中には健康長寿の源となる成分が沢山含まれています。この地方では古くからえごまを食べると健康で元気になると体験的に語られ、寿命が十年長生きできるということから「じゅうねん、またはじゅうね」と呼ばれました。貧しかった農村で農家の副食として食べられていたエゴマは、今や胆沢地域にある温泉保養施設ひめかゆ温泉の「じゅうね餅」としてでしか食べることができなくなりました。ほろ苦い中に甘みが溶け出すえごま独特の味わいで親しまれ十年長生きすると伝えられた健康長寿の「じゅうね餅」。江戸時代以後は稲作も進みこの地域が伊達藩の領内であったことからこの「じゅうね」を餅に絡めて食べるじゅうね餅が定着していました。今こそ地域の伝統食として100年先へ伝えたい食文化です。

【岩手県】

奥州市観光物産協会胆沢支部

https://www.oshu-kankou.jp/marugoto
じゅうね餅
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

盛岡三大麵(わんこそば、盛岡じゃじゃ麺、盛岡冷麺)

盛岡市は、総務省統計局が実施した家計調査報告(平成21年~23年平均)において、中華麺の購入が全国の県庁所在地で第一位となるなど、麺が市民にとても好まれている町です。特に、「わんこそば」「盛岡じゃじゃ麺」「盛岡冷麺」は盛岡三大麺として様々なメディアに取り上げられる機会が多く全国的にも有名な地域ブランドに成長しました。盛岡にいらした思い出にぜひ盛岡三大麺をお召し上がりいただき地域が育んだ独特の食文化をご堪能いただければ幸いです。

【岩手県】

盛岡三大麵普及協議会

www.facebook.com/盛岡三大麺普及協議会-1259566614058149/
盛岡三大麵(わんこそば、盛岡じゃじゃ麺、盛岡冷麺)
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

はらこめし

宮城県を代表する秋の味覚「はらこめし」は、炊き込まれたご飯の上に脂ののった鮭の身と大粒のはらこ(卵)を贅沢にのせた亘理町発祥の郷土料理です。主な調理法として、まず醤油や酒、砂糖などを合わせ、一口大の鮭の切り身を煮て、次に煮汁にはらこを軽く通し、その煮汁を使ってご飯を炊き、身とはらこをのせて完成となります。古くは、荒浜の漁民が、貞山堀の工事臨検で訪れた初代仙台藩主伊達政宗公(安土桃山時代から江戸時代前期)に、鮭のはらこをご飯に炊き献上したところ大変喜ばれ、側近に吹聴したことが世に珍重された始まりと伝えられています。また、阿武隈川河口にある川口神社の秋祭りにおいて、五穀豊穣と豊漁を感謝するため新米と遡上した鮭を合わせ調理し、神饌として捧げ食べられたものが始まりであるとも言われています。近年では町内のいたるところで「はらこめし」ののぼりが立ち、多くの観光客がその味を求めて訪れています。

【宮城県】

亘理町

http://www.town.watari.miyagi.jp
はらこめし
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

けの汁

「けの汁」は豊里町の二ツ屋地区に伝わる郷土料理です。毎年1月中旬になると、大根やジャガイモ、タケノコ、焼き豆腐、油揚げ、ワラビ、ささげ(豊里特産のインゲン豆のような赤い豆)など十数種類の材料を使い、みそやしょうゆなどで味付けをした「けの汁」が家庭の食卓に上がります。江戸時代後期に、二ツ屋地区に移り住んだ盛岡藩の領民が始めたとされる固有の食習慣で、小正月の習慣として今も受け継がれています。似た材料を使う同名の汁物が青森県の郷土料理として知られていますが、二ツ屋地区では「カユの汁」とも呼ばれ、昔あった飢餓を思い出し、当時の辛苦を忘れないよう米飯をやめ、正月16日だけカユと汁を食べ昔の苦を偲ぶ習慣が今に残ったことが語源ともいわれています。野菜の旨みと調味料で出る味わい深い美味しさ、豊里町のしかも二ツ屋地区だけで作られている幻の郷土料理「けの汁」を今後も世代を越えて受け継いでいきたいです。

【宮城県】

豊里コミュニティ推進協議会

https://miyagi-toyosato.jp/
けの汁
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

きりたんぽ

「きりたんぽ」は、江戸時代からあり、日本三大美味鶏として有名な大館産比内地鶏のガラで出汁をとり、比内地鶏の肉や地元の具材を入れて作る鍋料理として、大館ではごく普通の家庭料理です。各家庭で、母から子へと代々受け継がれてきたいわば「おふくろの味」です。また、客をもてなすために欠かせない料理でもあり、冠婚葬祭の際は、必ずといっていいほどだされるごちそうでもあります。秋も深まり新米の出回る時期になると、新米のきりたんぽと脂の乗った比内地鶏を味わう「たんぽ会」が市内の至るところで頻繁に催され、街はたんぽ一色になります。大館の人々にとってきりたんぽは生活から切り離せないものなのです。このような大館の風土が、昔のままのきりたんぽを現在に至るまで守り続けてきました。

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【秋田県】

秋田名物本場大館きりたんぽ協会

https://www.city.odate.lg.jp/city/kankou/bussan/kitiranpo/p9187
きりたんぽ
有識者特別賞
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

白餅

秋田県にかほ市釜ヶ台地区に伝わる餅菓子で江戸時代に発祥しました。毎年12月12日の山神社の祭りの際に食べ、法要膳に藁を敷き、焼く前のこの餅を十二支に見立て箸でちぎりお供えしました。餅米とうるち米を混ぜ浸水させたものを、臼に入れ、杵で叩いて砕き、篩にかけながら細かくし、水、砂糖と少量の塩を加え練ったのち形成、両面をこんがりと焼きます。米本来の甘味に香ばしい焼き目がアクセントとなった、非常に素朴なお菓子です。

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白餅
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

ジャンボうさぎ料理

ジャンボうさぎは、明治時代に端を発し現在まで100年以上にわたり飼育されてきた秋田県仙北地域の伝統的な家畜であり、大仙市中仙地域では「全国ジャンボうさぎフェスティバル」が開催され品評会や試食会が行われるなど、貴重な地域資源であるとともに代表的な特産品のひとつです。兎肉は、他と比べ高タンパク、低カロリーと言われており健康指向の方にお勧めで、独特の食感や旨味を味わうことができます。地元では一般的に鍋料理の具材として利用されることが多いですが、煮込み料理や、素材を活かした串焼きも非常に美味です。現在は飼育される方が少なくなり、一般の家庭ではなかなか手に入れることができない稀少な食材ですが、地域の飲食店では地元食材の特徴を引き出す料理人が腕を振るい、お店ならではの味を楽しむことができます。

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ジャンボうさぎ料理
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

秋田かやき

「かやき」は、日本海側東北地方で食べられるひとり鍋料理の一種で、浜の漁師たちが大きなホタテの貝殻を鍋代わりに使用した「貝焼き」が訛ったものと言われています。古くは、江戸料理集にあり、徳川将軍が関わる重要な饗応食にアワビの貝殻を鍋にした「貝焼き」が登場しています。秋田県で昔から家庭で親しまれてきたものとして、味噌、醤油味、秋田名物ハタハタから作られた魚醤のしょっつる味が定番の味付けで、クジラの脂身を食べる「クジラかやき」、夏は「ナスかやき」、豚肉の「肉かやき」がポピュラーです。「秋田かやき」は、郷土の歴史に育まれてきた「かやき」を進化させ現代に合わせて創造されました。各飲食店の特徴を生かし、和・洋・中の様々な味付けで、旬の魚介や野菜、山菜などを煮込み、各店自慢の一人鍋として提供しています。また、「鳥海なめこ汁」は、「ニッポン全国鍋グランプリ2020」でも準グランプリを獲得しました。

【秋田県】

秋田かやき協議会

http://akitakayaki.com/
秋田かやき
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

いもずいも

「いもずいも」とは、里芋の吸物のことで芋吸物(いもすいもの)がなまった言葉です。相馬ふるさと行事のひとつである「涼ヶ岡八幡神社例大祭」で、2日間にわたり振る舞われます。江戸時代の終わりのころ、「いもこじ会」という常会で、村人が意見を出し合って議論をしました。「いもこじ」とは、水桶に芋を入れて「×形」に縛った2本の棒でこじまわして芋の皮を取ることをいい、芋と同じように意見を出し合ってこじ回されるうちに、良い知恵が出ることからそう呼ばれました。そのため、「いもずいも」を食べると一皮むけて良い知恵が出る、つまり野暮が抜けて頭が良くなる、と言い伝えられています。

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いもずいも
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

こづゆ

こづゆは、主に江戸期に北前船がもたらした海産物と会津古来の地場産品の組合せによりできあがった料理です。当時貴重な海産物を保存加工し独自につくりあげた、いわば会津を代表する郷土料理といえるもので、まさに会津の先人が風土に根差した当地固有の料理として創作したものです。その歴史は、江戸後期会津藩八代藩主松平容敬公の参勤交代の折、食べられた『重』という料理がルーツとされます。元々冬期間のお祝い膳に出されていましたが、現在は冠婚葬祭やお正月など特別な日に欠かせないおもてなし料理となっています。伝統工芸会津塗の「大平」という椀に盛られ、「手塩皿」という朱塗りの小皿に分けて食べます。

【福島県】

一般財団法人会津若松観光ビューロー(DMO)

https://www.aizukanko.com/
こづゆ
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

ベンケイ

「ベンケイ」は福島県南相馬市原町区の沿岸部に位置する萱浜地区に伝わる郷土料理です。江戸時代後期、天明の飢饉で荒廃した中村藩の農村復興政策のひとつとして実施された移民政策により、おもに北陸地方から入植した浄土真宗移民が持ち込んだと伝わります。大根や芋がら、赤唐辛子を酢、醤油、砂糖で炒め煮した料理で、かつては正月用の保存食や浄土真宗のお講など、ハレの日の食べ物とされました。現代では、晩秋から冬の“季節の味”として受け継がれています。その名称は、移民の出身地のひとつである富山県砺波地方の方言の「ベンケ=大根おろし」「ベンケオロシ=唐辛子を入れた大根おろし」が由来であると考えられます。萱浜地区は、東日本大震災による甚大な津波被害のため地区のほとんどが災害危険区域となり、居住が制限されました。今後どのように「ベンケイ」を継承していくか検討を進めています。

【福島県】

福島県立相馬農業高等学校

https://soma-ah.fcs.ed.jp/
ベンケイ
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

いかにんじん

【味付けも材料もシンプルな元祖スローフード】福島県北部に江戸時代末期※1から伝わる「いかにんじん」は、するめいかと人参の千切りを酒・醤油・みりん等で味付けしただけのシンプルな和え物です。大量に作れて保存がきくため、正月料理の箸休めとして、祝祭時の酒のつまみとして地域で長く愛されてきました。最低限の調味料でつくる郷土料理で、水分が抜けてするめいかの旨みが染みたパリパリした人参の食味食感は癖になる味です。現在では福島県全域で一年中食べられており、各家庭でこだわりや工夫のある「おふくろの味」の象徴として親から子へ引き継がれています。近年ではポテトチップスなどの加工食品や、レシピサイトでのアレンジ料理、特に炊飯器に入れて炊くだけの「いかにんじん炊き込みご飯」はSNSで口コミが広まるなど、汎用性の高い味付き食材としても注目を集めています。※1「食」ふくしま新ふーど記(福島民友新聞社発行)を参照

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【福島県】

一般社団法人福島市観光コンベンション協会 DMO

https://www.f-kankou.jp/
いかにんじん
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

喜多方ラーメン

喜多方ラーメンは、大正末期に中国から渡ってきた一青年がチャルメラを吹きながら屋台を引いてラーメン(支那そば)を売り歩いていたのが発祥と言われており、その手作り支那そばこそが九十余年の歴史を持つ喜多方ラーメンの元祖と言われています。喜多方ラーメンの麺は、一般的には麺の幅が約4mmの太麺で、水分を多く含ませじっくり寝かせて作る「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、コシと独特の縮れがあるのが特徴です。また、喜多方ラーメンを構成するスープは、醤油味がベースですが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別で、様々な味を楽しむことができます。これらの喜多方ラーメンを構成するスープと麺には、飯豊連峰からの豊富な伏流水や「平成の名水百選」にも選ばれている「栂峰渓流水」を多く含んでいるため、美味しい水を使用して作られる良質な醤油・味噌と共に味の決め手となっています。

【福島県】

喜多方市

https://www.city.kitakata.fukushima.jp/
喜多方ラーメン
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

円盤餃子

戦後、満州で学んだこだわりの餃子を屋台で出したのが始まりの「円盤餃子」です。市内には50~60年の歴史を持つ餃子店も多く、行列ができる店もあります。昔から、サラリーマンが仕事帰りに利用していたため、現在もランチタイムは営業せず、夕方から営業している店が多いです。一皿20~30個と数が多いため、たくさん食べられるように野菜をたっぷり使用しており、ボリューム満点なのに軽い食感です。味は、あっさりしたものからニンニクたっぷりのものまで多種多様で、ビールとの相性も抜群です!「ふくしま餃子の会」に加盟する各店舗では、バラエティーに富んだ様々な餃子を味わえます。

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【福島県】

ふくしま餃子の会

https://fukushima-gyoza.com/
円盤餃子
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

クリームボックス

クリームボックスは、手のひらサイズのパンに白いミルク風味のクリームをたっぷり塗った郡山市発祥の菓子パンで、郡山市民のだれもが知っているご当地パンです。1974年(昭和49年)に誕生し、その後、市内のパン屋に広がり、子どもから大人までみんなに愛されるソウルフードに成長しました。高校の売店でも売られていた為、いわゆる団塊ジュニア世代の多くの人たちにとって、青春時代にたくさん食べた甘い思い出となっています。誕生から40年以上経過し、今では市内20店舗以上のパン屋で定番商品として販売されています。お店によって味や形に違いがあり、地元産品や季節のフルーツなどとコラボするなど、時代と共に様々なバリエーションが生まれ進化してきました。多くの人々に愛され続けてきたクリームボックスは、これからもふるさとの味として未来に受け継がれていきます。

【福島県】

郡山クリームボックス楽団

https://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail3-1-487.html
クリームボックス
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

あんこうのどぶ汁

「あんこうのどぶ汁」は、福島県いわき市に伝わる郷土料理です。漁師が船の上で貴重な真水を使わずに調理して食べたことが始まりと言われており、あんこうの肝を炒った鍋に味噌を加え、あんこうの身と野菜から出る水分のみで調理します。こってりとしたコクと濃厚な汁で淡泊な白身の上品な旨みが絶品です。名前の由来は諸説あり、「全て」という意味の「どぶ」との説や、あん肝から出る汁でスープが濁り、酒のどぶろくに見えることが由来との説があります。

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【福島県】

一般社団法人いわき観光まちづくりビューロー

https://kankou-iwaki.or.jp/
あんこうのどぶ汁
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令和年3度認定

サンマのポーポー焼き・サンマのみりん干し

「サンマのポーポー焼き」は、新鮮なサンマのすり身に味噌、ネギ、生姜などをまぜてハンバーグ状にして焼いたいわき発祥の郷土料理です。太平洋戦争前、漁師が船上で料理をする際に、サンマの脂が炭火に落ちてポーポーと炎が立ったことに由来するという説もあります。いわき市では作り方を教える料理教室を開催しているほか、小学校の給食の献立としても提供するなど、継承の取り組みを積極的に行っています。お子様にもおいしいと評判です。「サンマのみりん干し」も、いわき発祥の郷土料理です。イワシのみりん干し製造が盛んでしたが、昭和23年に小名浜在住の安川市郎氏が、みりん干しに不適とされてきたサンマを使い始めたのが起源です。その製法を公開すると、「小名浜のみりん干し」の名が一躍高まるとともに、いわきの水産業に最大の活力を与えました。地元では「みりん干し」と言えば、サンマのみりん干しをイメージするほどに認識されています。

【福島県】

小名浜さんま郷土料理再生プロジェクト・小名浜水産加工業協同組合

http://joban-mono.jp/
サンマのポーポー焼き・サンマのみりん干し
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

メヒカリの唐揚げ

メヒカリは古くから食べられていましたが、昭和30年ごろまでは、水揚げされても市場では相手にされず、山積みにされたままで、やっと買い手がつくという状態でありました。しかし、その味が広く知れ渡るようになると、誰もが好んで食べるほどの人気となりました。食べ方としては、他の魚より脂肪分が多く柔らかい身で刺身や干物も好まれていますが、手軽に火が通せて食感も良い唐揚げで食べることが定番です。平成13年10月に市の魚に制定されると、メヒカリの唐揚げが全国的に広まるようになりましたが、福島県産のメヒカリは他地域産のメヒカリと比べ皮が薄く、脂がのっていると好まれ、地元産ならではの自慢の料理です。いわき市では、小・中学校の給食の献立としても提供されており、お子様にもおいしいと評判です。

【福島県】

いわき市

http://www.city.iwaki.lg.jp/www/index.html
メヒカリの唐揚げ

関東

近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

ほしいも

明治時代後半に茨城県に伝わり、老若男女に親しまれているのがほしいもです。茨城県は全国のほしいも生産量トップを誇り、その大部分を生産しているのが、ひたちなか市、東海村、那珂市です。ほしいも作りに適した、水はけの良い砂地を含んだ土壌、ミネラルを含んだ潮風により、ほしいもの製造が発展していきました。当地域では、伝統的な品種のたまゆたか、いずみ、強い甘みが特徴の紅はるか等100年続く産地ならではの多くの品種が製造されています。生産者等から構成されるひたちなか・東海・那珂ほしいも協議会では、日本一の産地の維持・発展を目指し、ほしいも三ツ星生産運動とほしいも品評会の事業を展開しています。ほしいも三ツ星運動は、衛生加工の実施などにより、安全で安心なほしいもの生産を推進する取り組みです。ほしいも品評会は、生産者の技術を高めることや、ほしいもを多くの方に味わっていただくことを目的として、毎年開催しています。

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【茨城県】

ひたちなか・東海・那珂ほしいも協議会

http://hoshiimo.org/
ほしいも
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

笠間の栗菓子文化

日本一の栗の産地である茨城県。その中でも有数の産地である笠間市は、寒暖差や火山灰土壌など栗の栽培に適した環境を背景に、お茶うけやおやつなど、日常的な当たり前の生活の中に「栗菓子」があります。栗畑や栗剥き、お裾分けなどの生活に溶け込む風景と栗ごはんや渋皮煮など、家庭や地域でそれぞれの味の栗菓子があります。そして、店舗のジャンルを超えた「笠間の栗」を使ったモンブラン、栗羊羹、焼き栗、ソフトクリーム、栗おこわ、クッキー、栗甘納豆などの栗菓子があり、市内には住んでいる方、訪れる方の双方が楽しむ「笠間の栗菓子」があふれています。この笠間市の日常生活から生まれてきた多様な「笠間の栗菓子文化」を、未来100年続く食文化として継承していきます。

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【茨城県】

茨城県笠間市

https://www.city.kasama.lg.jp/
笠間の栗菓子文化
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

しもつかれ

「しもつかれ」は、大根、人参を「鬼おろし」で粗めにすりおろし、鮭の頭、大豆、油揚げなどと柔らかくなるまで煮て、酒粕を入れてさらに煮込む滋味深い郷土料理です。諸説ありますが、平安、鎌倉時代に都で食べられていた炒った大豆に酢をかけただけの「酢むつかり」という料理が起源で、江戸時代中期、天明の飢饉の頃(1781-1789)、稲荷神社に供えた時に今の形になったとも言われています。主に親から子へ継承され、お正月で残った鮭の頭と節分で残った大豆を有効活用した料理であり、初午の日に無病息災、疫病退散などを祈願し、赤飯と共に稲荷神社に供える行事食です。お正月で残った鮭の頭と節分で残った大豆など食材を余すことなく活用する「MOTTAINAI」精神、ご近所七軒にお裾分けする「シェアする文化」、互いの家の味を認め合う「ダイバーシティ」など現代のSDGsにつながる精神性も継承してきた料理とも言えます。

【栃木県】

しもつかれブランド会議

http://shimotsukare.jpn.com
しもつかれ
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

宇都宮餃子

「宇都宮餃子」は、戦後、満州から帰還した陸軍第14師団の将兵たちが本場中国の餃子の製法を持ち帰ったと言われており、学校帰りや仕事帰りなど食事以外の時間にもこよなく愛されてきたソウルフードです。焼餃子が基本ですが、揚餃子や水餃子も人気です。特に水餃子はお湯の中に調味料を直接入れてスープのように食べるのも宇都宮流です。注文方法も独特で焼餃子一人前を「シングル」、二人前を「ダブル」、三人前を「トリプル」と呼び、焼餃子二人前とライスを注文する時は「ダブル・ライス」と言います。「宇都宮餃子」はメニュー名ではなく、宇都宮餃子会に正組合員として加盟しない限り掲げることが出来ないご当地ブランド名です。宇都宮市に本社・本店があり、栃木県内で製造していることなどが主な加盟条件です。味や作り方、原材料などについて縛りをつけてはおりません。店主の数だけ味があり、食べ比べていただく楽しみがあります。

【栃木県】

協同組合宇都宮餃子会

www.gyozakai.com
宇都宮餃子
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

焼きまんじゅう

小麦を麴菌で発酵させた「饅頭」に味噌をつけ、火であぶって仕上げた「焼きまんじゅう」は群馬のソウルフードです。「饅頭」といっても、餡が入っていないのがスタンダード。店により「小豆餡」や「黒ごま餡」が入っているものもあり、味も様々です。伝承によれば、江戸時代末期、原嶋屋総本家初代の原嶋類蔵が、試行錯誤して現在の「焼きまんじゅう」を生み、生糸や繭の取引でにぎわっていた前橋の市に売りに出したことが始まりと言われています。今で言う移動販売のように各地で販売したことから、群馬県全土にその味が広まり、庶民の味として親しまれるようになりました。現在では、焼きまんじゅうから派生したスナックや、マフィン、ジェラート、せんべいなど、味噌の香ばしい味わいを再現した土産品なども登場しています。群馬に来たら是非味わってほしい前橋の100年フードです。

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【群馬県】

公益財団法人前橋観光コンベンション協会

https://www.maebashi-cvb.com/
焼きまんじゅう
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

桐生うどん

1300年もの昔より桐生織の伝統を紡いできた織都桐生。明治から昭和初期の最盛期には、日夜問わず織機が動き、職人や女工は食事をとる時間さえ惜しまれるなか、手早く食べることができたうどんが重宝されたといいます。桐生うどんは織物産業とともに育まれ、地域の日常食として今日まで定着しています。元々桐生は浅間・榛名・赤城の火山灰を含む肥沃な土壌をベースに、日照時間の長さ、乾燥したからっ風、そして桐生川の名水と、良質な小麦が育つ環境に恵まれています。そんな小麦粉から、舌触りが良く、強いコシ、表面の光沢が特徴の桐生うどんは生まれます。通常のうどんに加え、幅広の「ひもかわ」も秋から冬にかけて、昔からこの地域で食されてきた郷土食で、最近では10cm以上の超幅広ひもかわが度々メディアで紹介されるなど注目が集まっています。織物の技術と共にこの地に伝わり産業と共に歩んできた日常食は、この土地独自の地域資源です。

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【群馬県】

桐生麺類商組合

http://www.kiryu-udon.com/
桐生うどん
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

群馬のソースカツ丼

トンカツ、豚丼、焼肉など、様々な豚肉料理が堪能できる前橋市です。そんなグルメなまち前橋で知る人ぞ知る名物グルメが「ソースカツ丼」です。昔ながらの食堂はもちろん、洋食屋、そば屋など様々なジャンルのお店で、「ソースカツ丼」を提供しています。「ソースカツ丼」の歴史は大正にまでさかのぼります。特徴は、他のカツ丼のように卵でとじるのではなく、自慢のたれを絡めたスタイルにあります。とある店舗では創業時からの教えとして、「ソースカツ丼はソースが要である。だから、ソースをよく味わってもらえるよう、カツをできるだけ薄く揚げなさい」とのこだわりもあります。お店によって個性の違うソースカツの味を食べ歩いてみるのもおすすめです。

【群馬県】

ようこそまえばしを進める会

http://www.coroton.jp/tonton/
群馬のソースカツ丼
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

草加せんべい

草加宿で生まれたから、草加せんべい。地元で収穫した米で作る米せんべいは、日光街道(奥州街道も宇都宮まで重なる)の宿場町として栄えた草加宿(草加市)で名物となり「草加せんべい」と呼ばれたことが名称の起こりでした。日本各地にはいろいろなせんべいがありますが、草加せんべいは米と醤油を使った堅焼きせんべいの代表。小麦と砂糖を原料にした甘口のものとは風味が全く異なります。草加せんべいが作られるのは、平地と水に恵まれ、江戸時代からの水田地帯であった草加を含む中川流域。現在の「草加せんべい」は、せんべいに最適のうるち米を厳選使用して、熟練の技をもつ職人として認められた草加伝統産業技士によって、ていねいに焼き上げられる(または管理される)ため、品質とおいしさが確保されています。バリバリっと砕ける食感と共に、醤油の香りが広がる素朴で懐かしいおいしさが魅力です。

【埼玉県】

①草加せんべい振興協議会 ②一般社団法人埼玉県物産観光協会

https://sokasenbei.com/ https://chocotabi-saitama.jp/
草加せんべい
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

五家宝

江戸時代後期から熊谷の地で作り続けられてきた五家宝は、伝統的な食文化として現代の熊谷人に愛され続けています。もち米を一旦もちについてから薄くのばし、細かく砕いて煎り、あられ状にしたものを円筒状にして、その外側に黄な粉をまぶします。より板(のし板)で長くのばしてから適当な長さに切ります。今もなお昔から継承されてきた独特の手作り技法によって、熟練した職人の腕や勘に頼りながら、家内工業的に作られており日持ちも良いことから、熊谷名物として人気を集め全国に知られるようになりました。五家宝の発祥には諸説ありますが、中山道の宿場町として栄え市も開かれていた熊谷では、荒川の恵みを受け、五家宝の原料となる良質の米がとれました。そして、大豆が豊富に作られており、水飴の原料となる大麦も多く収穫され、生産に適していたことから、「五穀は家の宝である」という祈りを込めて現在の「五家宝」が確立されたと考えられています。

【埼玉県】

熊谷市文化遺産保存事業実行委員会

http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/
五家宝
有識者特別賞
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

武蔵野地域のうどん文化(武蔵野肉汁うどん)

水と栄養に乏しい大地の武蔵野では、江戸から明治時代にかけて開拓とともに落葉樹を植えて平地林を作り、冬に落葉を集め堆肥にしました。この落ち葉堆肥農法で育てた麦とさつまいもが畑作の中心であり、小麦食文化が発達。今では日常的に食べられるうどんですが、近代以前の農家では正月や盆の振る舞いとして、手打ちうどんが親しまれてきました。コシとキレのある食感の讃岐うどんと違い、武蔵野うどんはごわごわとした噛み応えある食感とコシの強さが特徴です。温かいつゆにつけて食べる「つけうどん」の食べ方が一般的で、つゆはかつお出汁や醤油を主とした濃い味で、糧(かて)と呼ばれる季節の茹で野菜がたっぷり入っています。かつては栄養のためだけでなく、貴重な小麦を節約するために糧を入れてかさを増やしたと言われています。近年は地域名を付したうどんも多く、食べ方や調理法は同じ武蔵野でも多様性があります。昔の糧は野菜中心でしたが、現在、所沢では肉を使った肉汁うどんが進化し定着しつつあり、「肉汁うどん」マップも発行されています。

【埼玉県】

所沢ローカルファースト事業団

https://tokorozawa-local.com/local-fiast
武蔵野地域のうどん文化(武蔵野肉汁うどん)
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

フライ・ゼリーフライ

「フライ」と言えば一般的に揚げ物というイメージですが、行田市の位置する北埼玉地方は古くから小麦の産地であり、「フライ」は揚げ物ではなく小麦を使った焼き物を意味します。小麦粉を水で溶き、鉄板の上で薄く焼き、ねぎ、肉、卵などを入れ、ソースまたは醤油だれをつけて食べるふわりとしたお好み焼きのようなものです。安くて持ち運びが便利なうえに腹持ちがよく、昭和初期には足袋工場で働く女工さんに大ヒットし、販売する店が増えて定着したと言われています。一方、「ゼリーフライ」は、モチモチとした食感が大人にも子どもにも大人気で、ジャガイモにねぎやにんじん、おからが入った、衣のついていないコロッケのようなものです。そのルーツは明治時代の日露戦争の時に中国から伝わった「野菜まんじゅう」と言われ、名前の由来は、小判形であることから「銭フライ」といわれていたものの「銭」がなまって「ゼリーフライ」となったと言われています。

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【埼玉県】

①行田市 ②一般社団法人行田おもてなし観光局

https://www.city.gyoda.lg.jp https://www.gyoda-kankoukyoukai.jp/
フライ・ゼリーフライ
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

太巻き祭りずし

太巻きずしは切り口に花や動物や文字など様々な文様が表れることが特徴で、上総地方を中心に米を作っている農民たちにより、巻かれていた太い海苔巻きです。東京湾で豊富に採れる「海苔」、保存のきく「干瓢」、手近に売られている「赤でんぶ」の三品が基本となって、冠婚葬祭の主役として、様々な文様が生まれました。まさに農民の手から生まれた農民の芸術作品が、千葉県の太巻きずしです。素材が簡単に得られ、工夫次第で数々の切り口の造形が作れることが特徴です。すき海苔を農家が買えるようになった時代が検証できていないため、いつごろから作られてきたかは分かっておりませんが、戦前の昭和の時代に作られていたことは確実です。江戸時代の終わりごろから作られてきたという説もあります。

【千葉県】

千葉伝統郷土料理研究会

http://fmsushi.jp/index.html
太巻き祭りずし
有識者特別賞
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

武蔵野地域のうどん文化(小平糧うどん)

小麦は地元で採れた小麦粉(地粉)を使用し、塩水で捏ねて、三度足で踏んで固めて玉にしたものを、寝かせます。寝かせた玉は、表面が艶やかになり、生地の中の空気を抜くために菊揉みをします。最後にもう一度足で踏んで丸生地にしたものを、麺棒で伸ばし、麺にします。地粉で打った武蔵野うどんはやや黄みがかかってます。切り落とした生地の端(うどんの耳)を載せるのが手打ちの証。小皿は「糧」と呼ばれる添えの野菜。大根や小松菜などの旬の野菜を茹でたものを糧と呼び、貴重なうどんを多く食べないように、小皿で添えられ出されたのが「糧うどん」の名の由来です。栄養価と満腹感を補う役割を担っています。 冷たい盛りうどんは、温かい汁で食べます。昔は煮干しなどで出汁をとっていましたが、現在は昆布とかつお節の出汁に、キノコや油揚げを入れます。

【東京都】

武蔵野手打ちうどん保存普及会

https://www.musashinoudon.com/
武蔵野地域のうどん文化(小平糧うどん)
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

武蔵野地域のうどん文化(村山かてうどん)

武蔵村山市の名物「村山かてうどん」は古くは農家の日常食でしたが、近年はうどん店が増え、武蔵村山を訪れた人たちが地元の郷土料理として楽しむこともできます。赤小麦の表皮が入った茶色または灰色の麺で、温かい醤油味のつけ汁に冷水で締めたうどんを浸け、茹でた地野菜(かて)とともに食べます。近年ではこのつけ汁に豚バラ肉を加えた「肉汁うどん」が定番となっています。村山かてうどんの「かて」とは、主にうどんに添える地元の野菜を茹でたもののことで、「糧(かて)」という言葉から来ています。都内でも生産量の高い小松菜をはじめ、季節に応じてほうれん草やナスなども使われます。最近ではうどんと相性のよい揚げ物が添えられることもあります。村山かてうどんを提供するお店は、それぞれ麺やつけ汁に工夫が凝らされており、村山かてうどんのファンは武蔵村山市内のすべての店をコンプリートし、味の違いを楽しんでいます。

【東京都】

村山うどんの会

http://m-udon.com
武蔵野地域のうどん文化(村山かてうどん)
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

小田原蒲鉾

小田原と言えば蒲鉾、蒲鉾と言えば小田原です。日本伝統の食文化である蒲鉾の中で、高品質なものとして今もなお称賛されています。相模湾で獲れる豊富な魚、箱根丹沢山系の豊かな水から創られる蒲鉾は口伝えに全国に知られるようになりました。現在は、漁獲量も減り、他地域からの原料調達に依存をしていますが、高品質な蒲鉾作りの為に、伝統・技術の継承、普及に努めています。200年続く「小田原蒲鉾」の歴史をさらなる100年に向け邁進していきます。

【神奈川県】

小田原蒲鉾協同組合

http://www.kamaboko.or.jp/
小田原蒲鉾
有識者特別賞
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

サンマーメン

サンマーメンと言うと「サンマが乗っているラーメン?」と思っている人もいますが、サンマーメンは漢字で「生馬麺」と書きます。「生(サン)」「馬(マー)」は広東語の読み方で、調理法もやや甘めの広東料理に属しております。生(サン)は”新鮮でシャキシャキした”と言う意味。馬(マー)は”上に乗せる”という意味があります。つまり新鮮な野菜や肉をサッと炒めてシャキシャキ感のある具を麺の上に乗せることから名付けられたと伝われているのです。中区には中華街があり、サンマーメンは中国人と日本人の交流から生まれたものです。今では中区にだけでなく、神奈川全域はもちろん関東地区でもサンマーメンを提供するお店が増えております。この地より巣立った料理人により広がったのです。港町らしくマーの字が、馬ではなく嗎と書くお店もありますが埠頭で働く人がいたからこの字が使われていると言う説もありますが、交流から生まれた証拠です。

【神奈川県】

神奈川県中華料理業生活衛生同業組合

sannma-men.com
サンマーメン

甲信越・東海

伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

えご

「えご」は紅藻のエゴノリを煮溶かし、よく練ってから寒天のように固めて作る海藻料理です。独特のモチモチとした食感があり、一口サイズに切って皿に盛り、からし酢味噌やわさび醤油で食べます。新潟県では「えご」や「いご」と呼ばれ、お盆の時期や冠婚葬祭などのハレの日に欠かせない料理として親しまれてきました。佐渡島ではこれを「いごねり」と呼び、板状に薄く延ばしたものをくるくると巻いて細切りにし、薬味をのせて醤油をかけていただきます。梅雨が明けて7月の土用を過ぎると、日本海の夏の味覚であるえご漁が解禁され、お盆前までが漁期です。乾物にしたえご草は、海から遠く離れた山間の村々へ運ばれ、貴重な海産物として食されてきました。江戸時代から海と山を結ぶ食文化として育まれてきた「えご」は、次世代に伝えたい新潟県民の大切な食文化です。

【新潟県】

越後えご保存会

http://www.inokai.net/ego/hozonkai/
えご
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

村上の鮭の食文化

村上市内を流れる三面川には毎年多くの鮭が遡上します。鮭は古くから流域の人々の貴重な恵みとなり、鮭漁がもたらす収益は江戸時代の村上藩や城下町の財政を支え、明治時代以降も町の発展に大きな役割を果たしてきました。鮭を大切にする住民の思いは強く、鮭は「魚の中の魚」という意味の方言で「イヨボヤ」と呼ばれ親しまれています。鮭は「捨てるところが無い」と言われるほど殆どの部位が使用され、百種類以上の多様な鮭料理があります。また伝統漁法の「居繰り網漁(いぐりあみりょう)」など江戸時代から受け継がれてきた技術が今も残り、地域の貴重な文化遺産となっています。三面川と鮭に関わる文化は、自然の恵みに感謝し限られた資源を大切にしてきた日本人の精神を現在に伝えるものであり、城下町の歴史的な環境とともに未来に残すべき文化です。村上にとって大切な鮭の食文化をこれからも広く紹介し、未来へと受け継いでいきます。

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【新潟県】

村上市

https://www.city.murakami.lg.jp/
村上の鮭の食文化
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年4度認定 令和年3度認定

へぎそば

抜群ののど越しと、ツルツルシコシコとした食感に思わず顔がほころぶのが「へぎそば」です。 一年の約半分を雪に覆われる日本屈指の豪雪地で、雪と闘いながらも、時にはそれを恵みとして生かした物語からうまれた食文化です。織物の産地において、きものの糸の糊付けに使われている布海苔という海藻をそばのつなぎに代用したのがへぎそばの誕生と言われています。 長い冬を乗り切るための保存食であった「ソバ(実)」と、冬仕事であった「きもの産業」が出会い、へぎそばが誕生しました。そばは貴重品で祝い事に出すご馳走でもありました。 へぎそばの独特の食感は、布海苔をつなぎに使用することで生まれたものであり、名前は「へぎ(片木)」という木の箱に盛り付けるところが由来です。 大正時代から続くへぎそば店では、盛り付けについて一口サイズに束ねたそばは、絹糸の束、その並べ方はきものの織り目を意識したものと伝えられています。

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【新潟県】

①一般財団法人十日町地域地場産業振興センター ②小千谷伝 麺有志の會

https://cross10.or.jp/ https://www.instagram.com/ojiyanoodlesfes/
へぎそば
有識者特別賞
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

背脂ラーメン

燕の背脂ラーメンは、極太麺を使用しており、スープは煮干しなどの魚介類の出汁が効いた、やや濃い醤油味となっています。そして、丼から湯気が上がらないほどにかけられている大量の豚の背脂が特徴です。これは、産業文化が育んだ食文化の一つで、当時の金属産業の発展にあわせ、その形を変えてきました。昭和初期、輸出用の金属洋食器の製造が盛んで、夜遅くまで残業が続いた職工たちの要望から、細麺・薄味で提供されていたラーメンを腹もちがよく、伸びにくい極太麺に変更し、汗をかく職工たちのため、しょっぱめのやや濃い醤油味に改良されました。さらに、スープを背脂で覆うことでスープが冷めにくくなり、忙しさのあまり出前直後に食べられない職工たちを喜ばせました。燕の背脂ラーメンは、金属産業が盛んなまち「燕」だからこそ生まれた食文化の一つです。現在は新潟五大ラーメンの一つに位置づけられ、地元燕だけでなく、全国各地で愛されています。

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【新潟県】

一般社団法人 燕市観光協会

https://tsubame-kankou.jp
背脂ラーメン
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

ます寿し

ます寿しの歴史は古く、平安初期の「延喜式」に越中からます寿しを朝廷に献上した記録があります。春祭りや婚礼など目でたいときに作られ、一般家庭でも「おふくろの味」として伝承されてきましたが、現在は家庭で作られることはありません。各家庭におふくろの味があるように、ます寿しにも各家庭でひいきの味があります。甘味、酢の感じ、塩と押しの加減、また味付けだけでなくますの厚みや並べ方、ご飯の炊き方にご飯とますの置き方など、各店素材と伝統の味付けに最も合う方法で一つ一つ職人が作り上げ、誇りをもって秘伝の味を今に伝えております。

【富山県】

富山ます寿し協同組合

http://www.toyama-masuzushi.or.jp
ます寿し
有識者特別賞
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

大門素麺

大門素麺は、江戸時代後期の嘉永元年(1848年)に砺波郡大門村の売薬商人が、能登・蛸島より加賀前田藩の御用素麺を村人に伝えたのが始まりです。全国的にも珍しい丸髷の形が特徴で、一年で最も寒くなる10月~3月を中心に作られており厳選した小麦粉を清流庄川の伏流水で捏ね合わせ、一晩寝かせてから「太より」「中より」「細より」と何度もよりをかけながら、細く長く伸ばしていくのでコシが強く歯触りの良い素麺に仕上がります。また、丸髷状にするため半生時に形を整え、約10日前後かけて本乾燥を行うため、素麺本来の深い味わいとなります。

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【富山県】

となみ野農業協同組合

https://www.ja-tonamino.jp/
大門素麺
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

氷見のぶり食文化

氷見の象徴といえば、「氷見の寒ブリ」です。冬になると、ブリは産卵前に丸々と脂肪を蓄えて北海道沿岸から日本海沿いに南下し、ちょうどよい脂がのった状態で富山湾にやってきます。地理、定置網漁法、漁業者の技術などが積み重なって、氷見のブリは格上の存在感です。ブリは頭からしっぽまで余すことなく食べられ、脂ののり、極上の旨味を堪能できる「刺身」はもちろん、ブリカマや切身を塩焼きとして、近年では大きく切った刺身をさっと湯にくぐらせてポン酢などにつけて味わう「ぶりしゃぶ」が県外の方々に好まれています。ほかにも胃(氷見ではフトという)をきれい洗って細かく刻んで「なます」や「味噌あえ」に、そして「ぶり大根」は、大根とともに頭や骨などのアラをじっくり煮込み、ブリのエキスを染みこませた代表格で冬の定番です。しょうゆ味が基本ですが、氷見では味噌味で作る場合もあります。

【富山県】

一般社団法人氷見市観光協会

https://www.kitokitohimi.com/
氷見のぶり食文化
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

五箇山かぶら甘酢漬

五箇山かぶらは古くから伝わる在来種で、連作を嫌うためなぎ畑(山の斜面での焼畑農法)で作る赤かぶらです。五箇山での一部地域でのみ栽培を続けています。10月から11月にかけて収穫し、甘酢漬は日常的にはもちろん浄土真宗の行事の各家庭の報恩講料理にも出てきます。今でも少しですがしっかりと受け継がれている伝統作物であり伝統料理です。

【富山県】

特定非営利活動法人雪峯俱楽部

http://www.gokayama.org
五箇山かぶら甘酢漬
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

美川のふぐの子糠漬

「美川のふぐの子糠漬」は、白山市美川地区で古くから作られてきた発酵食品です。北前船で栄えた港町に伝わる「美川のふぐの子糠漬」は、危険な食材であるふぐの卵巣を、発酵の力により無毒化し、珍味に昇華させた食品です。源は定かではありませんが、幕末には他国から「ふぐの子」を多く輸入している記録があることから、この頃には製法が確立していたものと考えられます。糠の風味とともに、濃い塩味の奥から来るチーズにも似た芳醇なうまみは、ひと口食べれば病みつきになること請け合いです。ご飯のおかずやおにぎりの具、お茶漬けにして食されるほか、日本酒のアテとしても愛されてきました。先人の知恵と創意工夫で生まれた「奇跡の発酵食品」をぜひご賞味ください。

【石川県】

一般社団法人 白山市観光連盟

http://www.urara-hakusanbito.com
美川のふぐの子糠漬
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

若狭地方のニシンのすし

江戸時代中期から、北海道と大坂をつなぐ日本海航路で活躍した北前船により、北海道から出汁の素となる昆布とともに、大量に漁獲されたニシンが伝わりました。敦賀・小浜という北前船の一大寄港地を抱える若狭地域は、古くは御食国(みけつくに)として、各種海産物を「なれずし」として都に供給してきた地域であり、その文化と加工技術がニシンと融合することにより、「ニシンのすし」が生み出されました。北前船が活躍した江戸時代以来、大根と身欠きニシンを麹漬にした伝統的な保存食として、特にお正月などの冬場のハレの食として珍重されています。現在も各家庭でつくられる他、地域団体が保存継承に取り組む若狭で愛されるソウルフードです。伝統的な発酵食文化と北前船による流通往来によりもたらされた食材が融合した、海の国「若狭」の100年フードです。

【福井県】

御食国若狭倶楽部

http://www1.city.obama.fukui.jp/japan_heritage/
若狭地方のニシンのすし
有識者特別賞
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

はまなみそ

「はまなみそ」は、秋・冬限定の福井独自のおかず味噌です。由来は、諸説ありますが、江戸時代に徳川家康が好んでいた「浜なっとう」を、家康の次男である結城秀康が越前(福井県北部)に赴任した際に、静岡県の浜名湖周辺で作られていた「浜なっとう」を持ち帰り、家臣や村人などにも広め、福井県の風土に合った越冬食へ変化したものと言われています。「はまなみそ」は県内のいろんな醤油屋・味噌屋で製造しており、甘めな味付けのものからやや辛口のものなど、メーカーによって味違いがあります。食べ方としては、温かいご飯と一緒に食べるのが一般的で、酒の肴や大根やきゅうりなどともよく合います。時期は10月から3月頃で、福井県内ではお土産物屋さんだけでなく、スーパーなどでも販売されています。

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【福井県】

福井県醤油味噌工業協同組合

https://www.fukui-syoyumiso.jp
はまなみそ
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

越前北前料理

越前北前料理は、福井県内で独自に発展・発達した食文化であり、代表的なものとしては「舟盛り」が挙げられます。その歴史は古く、誕生は江戸時代後期から明治初期まで遡ります。1859年に起きた安政の大獄で隠居を命ぜられた越前福井藩16代藩主松平春嶽。跡取りが居なかった為、新潟県の糸魚川藩からの茂昭公を養子で招き入れ、その初の越前の国入りの際に、村人総出のおもてなしの中で、メインの料理として振舞われたと伝わっています。華やかな見た目が話題を生み、北前船の船頭から近江商人に伝わり全国に広まったとされています。現在地元では、北前船で運ばれた食材や地元の海の幸を味わえる料理を祭りや祝いの席、沿岸部の宿泊施設などで現代風にオマージュし提供されています。このような北前船で運ばれた物資や歴史、地域の食材、郷土料理などの文化の継承に努めています。

【福井県】

一般社団法人Compath

https://compath-fukui.jp/
越前北前料理
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

半夏生さばの食文化

夏至から数えて11日目、春の農繁期が終わり、夏を迎える半夏生の日に、串刺しの丸焼きさばを食べる風習があります。夏バテ防止策として、藩主が焼さばを食べることを奨励した、あるいは、焼さばを配ったことにより始まったと言われています。風習の始まりは定かでないですが、江戸時代後期には定着していたことが古文書からわかります。内陸に位置する大野ですが、江戸時代には、越前海岸に接する飛び地「西方領」(現在の丹生郡越前町の一部)を持っており、このことが風習の成立に繋がったと思われます。冷蔵できない時代は行商が運んでくる半夏生さばは御馳走でした。近年においては、市内の鮮魚店やスーパーで販売されており、店頭で焼き上げる鮮魚店には、煙と香ばしい匂いが立ち込め、半夏生さばを買い求める多くの人で賑わいます。その様子は、季節を感じさせる一つの風景となっています。

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【福井県】

大野市

https://www.city.ono.fukui.jp/
半夏生さばの食文化
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

へしこ

へしこは魚のぬか漬けのことで、若狭地方の伝統料理です。歴史は古く、江戸時代の中頃にはすでにつくられはじめていたといわれています。春にさばがとれた時につくり、秋の終わり頃に取り出して食べます。この地域は、魚を食べないとご飯を食べた気のしない人が多いので、冬で漁がない時などに焼いて食べます。焼くとぬかの焦げるにおいが香ばしく、ご飯がすすみます。田烏、矢代などの浜のひとたちが、魚のとれた時に大八車等に積んで持ってきて漬込んでくれます。

【福井県】

公益社団法人 福井県観光連盟

https://www.fuku-e.com
へしこ
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

福井のソースカツ丼

福井県は「カツ丼」と言うと、まずソースカツ丼が頭に浮かびます。これは大正2年に高畠増太郎さんがドイツで料理の修行から帰ってきて、当時日本にはなかった“ソース”を使ってカツ丼にしたのが始まりでした。大正6年頃には東京に店を構えていたそうですが、関東大震災で実家の福井に疎開し、福井でソースカツ丼を提供し始めます。福井県ではそば屋も多く、その多くが丼ものも提供しており、越前おろしそばとソースカツ丼という組み合わせは、福井の外食における鉄板メニューでもあります。玉子とじカツ丼との決定的な違いは肉の厚さです。ソースカツ丼のカツは薄く、カリカリに揚がったカツを2~4枚、ソースにくぐらせて丼の上に乗せるだけです。ごはんとカツの間にはキャベツも敷きません。いたってシンプルなソウルフードです。ソースカツ丼のソース、という商品も登場しているほど、福井の食文化として根付いています。

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【福井県】

NPO法人きちづくり福井

https://www.facebook.com/npokichidukuri/
福井のソースカツ丼
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

若狭おばま醤油干し

福井県南西部の若狭地方は、栄養分豊富なリアス式海岸に抱かれ、かつ暖流と寒流の合間にある地理的特性から、多種多様な美味しい魚を生み出す地域です。若狭の魚が集まる小浜市では、古くから魚を醤油干しとして加工する技術が受け継がれています。全国で一般的な塩干しやみりん干しではなく、しょうゆベースの調味液に漬け、一晩干したシンプルな加工品ですが、魚の風味や素材のうまみを損なうことなく、ふっくらと仕上げます。京都で珍重されるサバや小鯛の他、ハタハタやアジ、アナゴなど、さまざまな魚種で加工され、地域でもっとも愛されています。大量に漁獲された魚を、自分たちで食するために短期保存と旨み醸成を両立させたもので、一説では江戸時代から続くといわれています。醤油が一般普及した戦後からは、地域の魚屋の主な加工食品となりました。御食国の歴史を引継ぎ、魚の加工技術の到達点として、歴史の積み重ねが感じ取れる一品です。

【福井県】

NPO法人杉田玄白・小浜プロジェクト

https://sugita-genpaku.com/
若狭おばま醤油干し
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

ボルガライス

福井県越前市の武生地区を中心に40年以上前からあるボルガライスです。ライスとたまごとトンカツ、そしてお店のオリジナルソースが重なり合ったグルメでボリューム満点です。越前市の三大グルメの一つにも数えられ、市内20店舗以上あるボルガライス提供店では、それぞれまったく異なる味のボルガライスが食べられます。ぜひともお腹を空かせてボリュームあるボルガライスを食べ歩き、あなた好みのボルガライスを見つけてください。

【福井県】

日本ボルガラー協会

https://volga-rice.jimdofree.com/
ボルガライス
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

あけぼの大豆納豆

あけぼの大豆は主に身延町曙地区で生産されている甘みと深みがある在来種の大豆です。普通の大豆の2倍の大きさで甘みと深みがあり大変栄養価の高い大豆です。このあけぼの大豆を通年で多くの方々に提供したいと考え、20年前から作り始めたのが「あけぼの大豆納豆」で、精進料理をお寺で気楽に食べてもらいたいと「おてらんち」という気さくなネーミングで始めたランチの一品に加えました。国内はもとより海外からの特にビーガン・ハラール等の観光客にも安心して食べられる和食・精進料理体験として人気となりました。このように昔は修行僧に、そして今は身延町の特産として世界へ継承していきたいと考えています。

【山梨県】

宗教法人覚林坊

https://kakurinbo.jp/
あけぼの大豆納豆
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

謙信ずし(笹ずし)

飯山市富倉地域の里人が上杉謙信に献上したと伝えられる謙信ずし(笹ずし)は、雪国の古人の知恵とロマンをかきたてる郷土食です。ぜんまいやこごみ、わらびといった山菜やくるみなど、山の幸を具材とするところは、海のない信州ならではであり、特有の食文化が発達してきたことが窺えます。飯山市では、祝い事や祭りなどの行事があると、笹ずしを「晴れの食」としてもてなす習慣があり、喜ばれています。また、酢をきかせた飯を抗菌作用のある笹の葉にのせるため、高い防腐作用があり、直接笹の葉から食べるのが本来の食べ方とされるなど、保存食、携帯食に適しています。1553年から12年間にわたって争われた川中島の合戦に向う謙信の兵が食べたとされる言い伝えも納得です。平成12年に「長野県選択無形民俗文化財」、平成19年に「飯山市選択無形民俗文化財」に指定されており、地域の誇りとして今後も継承していきたい大切な食文化のひとつです。

【長野県】

飯山市・いいやま食文化の会

https://www.city.iiyama.nagano.jp/
謙信ずし(笹ずし)
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年4度認定 令和年3度認定

朴葉寿司

初夏、朴の葉が若葉色になると、各家庭で作り始め、昔は田植えの忙しい時期の手軽な弁当として親しまれてきました。朴葉には殺菌効果があるといわれており、持ち運びしやすく日持ちもすることから古くより田植えなど共同作業の時の携帯食に用いられてきました。 朴葉寿司の具材や調理方法は各地域、各家庭で異なっています。すし飯の上に鮭や鯖、鱒、キャラブキ、椎茸などの具をのせて朴葉で包んだタイプと、鮭や鯖、鱒をほぐしてすし飯に混ぜ、その上に具をのせ朴葉で包むタイプがあります。具はヘボ(蜂の子)など、地域特有の食材が入ることもあります。 各地域や家庭における具材、包み方はそれぞれです。葉の包みを開いて頬張ると朴の葉の香りがふんわりと漂い懐かしい味に癒されます。

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【岐阜県】

①白川町観光協会 ②一般社団法人 下呂温泉観光協会 ③恵那の朴葉寿司プロジェクト

http://kankou.town.shirakawa.gifu.jp/ https://www.city.gero.lg.jp/site/kanko/1239.html https://tabetoru.com/blog/4478/
朴葉寿司
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

朴葉の食文化

朴葉を使った料理は、民俗学者柳田國男氏の著書「木曽から五箇山への旅秋風帖」に朴葉すしを食した文章があることから、明治42年(1909年)以前より伝えられてきました。朴葉に包まれ食事の際に手が汚れにくく、朴葉の殺菌効果により日持ちが良いのが特徴です。携行食として持ち歩き、農作業や木こり仕事の合間などにも食され重宝されています。朴葉すしは、各家庭の味があり、当会では、春に地元で採れたフキを煮たキャラブキや煮シイタケ、卵、塩鮭、シソの実、紅ショウガが入ります。朴葉もちは、米粉を蒸して丸くのばし、つぶ餡を挟んで朴葉で包み、二度蒸しします。田植えの時期が、旧暦の端午の節句頃から、半夏生頃であり、朴葉を使うにはちょうど良い季節で、端午の節句のお祝いや田植えのねぎらいに、「ハレの日」のごちそうとして、朴葉寿司、朴葉もちが作られてきました。この土地ならではの食文化として、郷土の味を、守り続けていきます。

【岐阜県】

農事組合法人なかのほう不動滝やさいの会

https://sakaori-tanada.com/souvenir/2032/
朴葉の食文化
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

岐阜の鵜匠家に伝わる鮎鮨

古くから美濃の名物として知られていた“鮎鮨(あゆずし)”です。伝承では、元和元年(1615年)、大坂夏の陣に勝利した徳川家康・秀忠父子は、岐阜に招かれ鵜飼でもてなされたといわれています。その時に食した鮎鮨を気に入ったのか、同年に鮎鮨を将軍家に献上する制度が始まりました。ぎふ長良川の鵜飼の鵜匠家に伝わる鮎鮨は、江戸時代の献上鮎鮨の伝統を引き継ぐもので、飯と塩で鮎を発酵させた、酢を使用しない「なれずし」の一種です。毎年冬になると、年末年始の贈答品として鮎鮨がつくられています。①塩漬け、②塩抜き、③鮨漬け、④口開けを経て完成した鮎鮨は、独特の風味がして何度でも食べたくなります。岐阜市内の旅館では、鵜匠家に伝わる鮎鮨を参考に独自に開発した鮎鮨を提供しています。新たな鮎鮨の商品開発に向けた企画検討も進められています。「家康公ご賞玩の味」として守り継がれてきた岐阜の誇る伝統の味をぜひご堪能あれ!

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【岐阜県】

岐阜市

https://www.city.gifu.lg.jp
岐阜の鵜匠家に伝わる鮎鮨
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

寝寿司(ねずし)

寝寿司は馴れ寿司の一種で、岐阜県の飛騨地方を中心に冬の保存食品として作られ、飛騨地方では正月の御馳走として大切に伝えられてきました。起源は明治以降と考えられ、100年以上の歴史があると推定されています。作り方は人参、大根を短冊に切り、少し塩を振り、塩鱒は水で塩抜きをし細かく刻みます。これらに米麹をまぶして冷やした白ご飯に混ぜ樽などに入れ、重しをして約20日間ほど熟成するため寝寿司といわれています。寒さが厳しくなる12月中旬頃から漬け込み、20日ほど熟成して正月に間に合わせます。作り方にマニュアルは無く、昔から各家庭に代々伝わってきた郷土料理です。冬の気温変化などにより味が変わりやすく熟成まで手間がかかります。発酵食品特有の滋味に地方ごとの冬の気候の微妙な差、材料による味の差なども加わって生まれる味はとても奥深い味です。地域の重要な食文化として家庭や地域が連携して後世に残したい食べ物です。

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【岐阜県】

一般社団法人 馬瀬地方自然公園づくり協議会

https://maze-park.or.jp
寝寿司(ねずし)
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

大井川のお茶請け食文化

お茶の名産地である川根と牧之原台地を擁する大井川地域には、古くから東海道を旅する人々に愛されてきた「大井川のお茶請け食」があります。朝比奈ちまき、ほととぎす漬、瀬戸の染飯(そめいい)、らっか煮がその代表です。椿の灰汁(あく)に浸したもち米で作る「朝比奈ちまき」は食べれば気力体力を充実させ、戦国時代から必勝の縁起物でした。紫蘇の香りと白瓜の歯触りの後にツンと効く和辛子に思わず涙こぼるる「ほととぎす漬」です。くちなしの実で染めた黄色いおこわ「瀬戸の染飯」は、旅人の足腰の疲れを取るとされ、東海道中膝栗毛でも紹介された旅の名物です。生落花生をにんじん・ごぼう・れんこん・こんにゃく・しいたけと煮含めた甘じょっぱい「らっか煮」は、お茶にぴったりの川根路のおかあさんの味です。皆さんもぜひ、美しい茶畑風景が広がる大井川地域を訪れて、お茶と共に味わってください。

【静岡県】

大井川農泊推進協議会

https://ooigawa-experience.jp/
大井川のお茶請け食文化
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

静岡おでん(しぞーかおでん)

静岡おでんは大正時代から静岡県中部地域で提供される独特の食文化です。現静岡市の周辺には焼津や由比など新鮮な水産物を水揚げする漁港があり、「黒はんぺん」に代表される練り製品の製造が盛んだったことから静岡おでんが独自の発展をとげました。静岡おでん(しぞーかおでん)は、戦後の混乱期、牛スジや豚モツなどの安価な材料を煮込んだことで広まり、真っ黒なスープが特徴で、醤油ベースのスープは見た目と違って優しい味です。おでんの具材はお店により様々ですが、黒はんぺん、牛スジやモツ、コンニャクや大根、卵などが定番です。お好みで青海苔と魚のだし粉をかけるのが一般的な食べ方です。黒はんぺんはイワシやサバなどの青魚を丸ごとすり身にして茹で上げた静岡の郷土料理です。具材を串に刺すのも静岡おでんの特徴で、子供の頃に駄菓子屋さんで串の本数でお会計した経験は多くの市民にとって懐かしい思い出です。

【静岡県】

静岡おでんの会

http://shizuokaoden.sakura.ne.jp/
静岡おでん(しぞーかおでん)
有識者特別賞
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

富士宮やきそば

戦後、アメリカからの支援物資である小麦粉を活用して製法や焼き方が考案され、富士宮市民にとって当たり前の日常食であった「やきそば」が「富士宮やきそば」として一躍日本を代表する「ご当地グルメ」となったのは、「富士宮やきそば学会」が設立された2000年の秋でした。その「富士宮やきそば」の特徴をご紹介いたします。①製造工程で蒸したのちに麺を急速に冷やし表面を油でコーティングして極力水分のないコシのある蒸し麺の使用。②地元産キャベツの使用。③麺になじみ易く、少し辛めで薄味のウスターソースの使用。④豚肉の背脂を溶かしてラードを作るときに残った副産物「肉かす」を使用。⑤「だし粉」の使用。イワシの削り節を作る工程でできる粉末のことです。風味が醸し出されます。⑥紅しょうがを使用、「ミカチャン」の名称で親しまれています。

【静岡県】

富士宮やきそば学会

http://www.umya-yakisoba.com/
富士宮やきそば
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

きしめん

きしめんは江戸時代より様々な書物にも登場する平打ちのうどんです。平打ちなので茹で上がりが早く、温かいままでも冷たくしてもおいしく召し上がっていただけます。消化もよく夜食をはじめ軽食にぴったりです。うどんが喉ごしならきしめんは口先で平らな感触を楽しめます。愛知県内の麺類飲食店ではおよそどこでもうどんと並びきしめんがあります。どんな調理法でも合うのでサラダと一緒に召し上がってもソースで和えてパスタ風にしても良く、和洋中どんなアレンジも楽しめます。

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【愛知県】

①愛知県麺類食堂生活衛生同業組合 ②きしめん普及委員会

http://www.aichi-udonsoba.com/ http://kishimen.jp/
きしめん
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

高浜とりめし

今から約110年前、明治37年の日露戦争の時に従軍した加藤弥七さんが、にわとりの孵化技術を持帰りました。その後、高浜市の地場産業として、卵の生産が盛んになり、同時に、卵を産まなくなった廃鶏(成鶏)を食べる文化が始まりました。その代表的なものが「とりめし」です。廃鶏は硬い肉なので、薄くスライスすること、たまりと砂糖で水を使わないで具を炊くこと、炊き込みではなく混ぜご飯にする、具材をとり脂で炒めることなどの特徴を持っています。養鶏業が盛んであった高浜市の吉浜地域。「上地区」では、米と鶏肉を中心としたシンプルな内容に対して、「下地区」では、これに椎茸や人参、油揚げなどを入れる内容となっています。このように「とりめし」は、それぞれに地域特性があり、歴史を感じさせる食文化となっています。高浜とりめしをご家庭で作りたい方は、高浜とりめし学会ホームページでレシピ動画をご覧になれます。

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【愛知県】

高浜とりめし学会

https://www.torimesi.com/
高浜とりめし
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

ひきずり(名古屋コーチンのすき焼き)

「ひきずり」は、尾張地方で古くから食べられている鶏肉のすき焼きのことです。岩倉は戦前より名古屋コーチンの産地として知られており、昭和30年頃までは、一般家庭でも、鶏小屋を設けるくらいの広さの土地さえあれば、名古屋コーチンを飼っていました。その頃には、日常的にその卵が食べられ、祭りや大切なお客様を迎える日には、ひきずりを楽しんだそうです。ひきずりは特別な日を彩るちょっと贅沢な郷土料理として親しまれてきました。現在は、岩倉市名古屋コーチン振興組合加盟の2店で提供されており、いつでも新鮮な名古屋コーチンを使用した郷土の味を楽しんでいただくことができます。岩倉産の名古屋コーチンは、歯ごたえと噛みしめたときの口中に広がる肉汁のコクや香りが、他の鶏肉とひと味もふた味も違うと評判です。ひきずりの語源は、色々な説がありますが、鶏肉を食べるときに鍋の底を引きずることからその名が付いたなどと言われています。

【愛知県】

岩倉市

https://www.city.iwakura.aichi.jp/
ひきずり(名古屋コーチンのすき焼き)
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

お平(おひら)

「年とり膳」の中の一品、「お平」は北設楽郡豊根村をはじめ山里に伝わる具沢山の汁物です。糸昆布、椎茸、油揚げ、豆腐、*はんぺん、と冬の野菜である里芋、大根、人参、ごぼうなどの具材を沢山、また出来るだけ大きく切り出し、煮干しと醤油、少しの砂糖で大きな鍋でゆっくり煮たものです。この汁物は正月中に食べます。日に日に野菜のだしが出て美味しい汁物となり、寒い山里の暮れから正月を代表する食べ物と言えます。この汁物を作るために里芋、ごぼう、大根、人参、椎茸や豆腐を作ります。これからもずっと守り続けたい料理です。*はんぺん(ちくわなど練り物)

【愛知県】

茶臼の里合同会社

http://www.toyonemura-kanko.jp/greenport/
お平(おひら)
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

へきなん焼きそば

へきなん焼きそばとは、味付けに「白しょうゆ」を使用し、碧南市の特産物である人参、玉ねぎをふんだんに使用したご当地グルメです。江戸時代後期に碧南新川が発祥とされる白しょうゆは、通常の醤油とは異なり主原料は小麦を使用しています。碧南市が誇る人参「へきなん美人」は、味が良いため評価がとても高く、地元の人も手に入りにくい人気の野菜です。玉ねぎは、海沿いの砂地で栽培され、みずみずしく辛みも少なく、ドロドロ血液・中性脂肪・コレステロールの解消にも最適です。また、イベント出店時では、環境保護に少しでも貢献できるよう食べれる器を開発し、SDGsへの取り組みも行っています。イベントだけではなく、市内の飲食店に協力をしていただき、その店独自のへきなん焼きそばを楽しむことができます。100年先も碧南のご当地グルメとして愛される事を目指し、活動を続けています。

【愛知県】

へきなん焼きそばまちおこし隊

https://www.hekisoba.com/
へきなん焼きそば

関西

伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

石榑茶(いしぐれちゃ)

江戸時代から続く「石榑茶(いしぐれちゃ)」は、鈴鹿山麓の恵まれた自然環境を活かして育てる地域のお茶です。二重棚の玉露やかぶせ茶など良質茶作りに専念しています。専業のお茶農家だけではなく、各家庭の垣根にある茶の木の風景と各家庭に引き継がれるお茶の味。決して大きな産地ではありませんが、古くから地域に根差し、親しまれるお茶。地元石榑小学校の校舎は茶畑をイメージしたデザインになるほど地元住民の誇りです。近年では、急須で飲むお茶以外にも、美味しいスイーツやお菓子に変身して市内外の人にも親しまれています。石榑茶を通して人とのつながりが広がることを期待します。これまでの100年から、また新たな100年となるよう当「大安町茶生産組合」も地元の方のご協力を得ながら邁進していきます。是非一度、石榑茶をご堪能ください。

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【三重県】

大安町茶生産組合

https://ssl.kanko-inabe.jp/tourism/4744/
石榑茶(いしぐれちゃ)
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

よびしの食

「よびし」とは、冠婚葬祭などに、親戚や近所の人を招き(よび)おもてなしをする寄り合いのことで、多賀町近隣地区の方言です。町の中心にある多賀大社の古例大祭は鎌倉時代より続き、どんな食を準備したか江戸の文書にも記録されています。また、各集落に神社、寺院があり年中行事が受け継がれています。その際にふるまわれる「よびしの食(寄り合い時のおもてなし料理)」には、「うどんぬた・イタドリ煮・ゼンマイの白和え・くるみごんぼ・ぼんがら餅」などが各集落に伝わっています。「正月よび」「おんなよび」など行事や人によって呼び名も少しずつ異なります。食の準備をする人やレシピは、各集落で少しずつ異なり、リーダーの味が継承されて独自の文化が形成されています。また、食品や調理にまつわる動作、道具の名称も、多賀町を流れる2本の川、3つの谷筋で少し異なる方言があるのも特徴です。

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【滋賀県】

YOBISHIプロジェクト

https://www.instagram.com/yobishitaga/
よびしの食
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

茶汁

「日本緑茶発祥の地」宇治田原町の郷土料理である「茶汁」です。緑茶を生み出した永谷宗円が生まれ育ち、緑茶を生み出した地である湯屋谷(やんたん)にて、その食文化は生まれました。インスタント味噌汁の先駆けとも言われる茶汁の歴史は古く、江戸時代にまで遡るのではないかと地元で言われています。昔から農作業の時の昼食として家庭からみそ玉を入れたお椀を持っていき、焚き火でなすやニシンを焼き、自生しているみつばやセリを加え、番茶を注いで食してきたもので、湯屋谷の方々に長く愛される素朴な料理です。そんな茶汁を今風にアレンジしたのが、湯屋谷にある交流拠点施設、宗円交遊庵やんたんの「彩りの茶汁」です。地元のお母さん方で形成された、あばんずキッチン(“あばん”は方言でおばちゃんという意味)が提供する茶汁はまさに湯屋谷の家庭の味です。そんな温かみと味わい溢れる茶汁を、ぜひ味わいにやんたんまでお越しください!

【京都府】

1738やんたん里づくり会

https://www.sk-yantan.com/
茶汁
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

松花堂弁当

松花堂弁当の始まりは、料亭「𠮷兆」の創業者の湯木貞一氏が京都府八幡市を訪れた際、部屋の隅に積み上げられた四つ切箱を見て「料理の器に使えないか」と思いついたことが始まりです。十字に仕切りがあるその器を見て、異なる料理を入れるという利点に着目し、年月を掛け創意工夫を重ね、食材同士の味や香りが移らず、舌で味わっても、目で味わっても美味しい、機能と美しさを併せ持つ松花堂弁当を生み出しました。湯木氏は、昭乗へ敬意を払って松花堂弁当と名付け、日本料理を代表する弁当スタイルとして、全国に広めました。平成の世になり、京都𠮷兆松花堂店が松花堂美術館に隣接して開業し、ゆかりの地で「松花堂弁当」を味わうことができるようになりました。松花堂弁当の誕生から88年、創業者の𠮷兆によりその伝統と技術を守りながらも創意工夫と進化を積み重ねる松花堂弁当は、100年を越えて継承していくべき食文化となっています。

【京都府】

公益財団法人やわた市民文化事業団

https://shokado-garden-art-museum.jp/
松花堂弁当
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

大阪ワイン

大阪では1580年頃から葡萄栽培が行われていたとされ、大正時代中頃から昭和初期には全国一位の栽培面積を誇っていた時期があります。この葡萄と共に100年以上にわたって醸造技術を研鑽し、世界に誇れるワインを醸造しながら大阪の葡萄畑とワイン醸造のある暮らしと文化をつないでいます。大阪は100年以上前からデラウェア葡萄の産地であり、現在も全国第三位の生産量を背景に個性的なワインが多く造られています。2019年G20大阪サミットではたくさんの大阪のワインやブランデーが採用され、好評を博しました。世界各所で行われているワインコンテストでの受賞歴も多く、日本のワインとして有名になりつつあります。2021年には国税庁のGI指定も受け、「GI大阪」の認知度向上に勤しんでいます。最近はシンガポールと上海でワイン会も開催しました。過去から続く大阪のワインを大阪の食と世界をつなぐ架け橋へと育てて行きます。

【大阪府】

大阪ワイナリー協会

https://www.osaka-winery.com/
大阪ワイン
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

大阪の鉄板粉モン文化(お好み焼・たこ焼)

【昭和初期~戦後にかけて定着した大阪の鉄板粉モン文化(お好み焼・たこ焼)の特徴】(1)お好み焼:小麦粉をだしで溶いた生地に短い千切りや粗みじんのキャベツを混ぜ、豚バラ肉をのせて焼く「豚玉」が代表格ですが、生地をひいて具材を重ねて焼く「洋食焼」も健在です。濃厚ソース、青のり、削り節などをトッピングし、鉄板からテコで食べる人も多いです。(2)たこ焼:小麦粉をだしや卵で溶いたゆるい生地を鋳物や銅の鍋に流し込み、ゆで蛸を入れて丸く焼きあげます。濃厚ソース、青のり、削り粉など、トッピングもいろいろありますが、何もつけず、独特の食感とだしを味わう人も多いです。さまざまな調査によると、関西人の8割り近くが家庭用のたこ焼き器を所持し、「タコパ」として自家製たこ焼を楽しむ文化が昭和30年代から続いています。

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【大阪府】

上方お好み焼たこ焼協同組合・道頓堀たこ焼連合会

https://www.okotako.com/ https://konamon.jp/archives/category/takoyaki-teppan-conference
大阪の鉄板粉モン文化(お好み焼・たこ焼)
有識者特別賞
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

明石焼(玉子焼)

明石焼(玉子焼)は、小麦粉とじん粉、卵、だし汁を混ぜ合わせて作った生地の中にタコを入れて焼き、だし汁につけて食べる明石を代表する食文化の一つであり郷土料理です。明石焼を商売として始めたのは、大正8年頃からと言われています。たこ焼きのルーツともいわれ、見た目は似ていますが、卵の分量がたこ焼きに比べて多く、じん粉は加熱しても硬くならないため、小麦粉だけで作るたこ焼よりも、柔らかでふんわりと仕上げられます。たこ焼きはソースをかけて食べるのに対し、明石焼は、鰹や昆布のだし汁につけて食べる点が大きな違いとなります。また、明石焼を焼く鍋は、たこ焼などに使われる鉄板鍋ではなく、銅鍋を使用します。銅鍋は、熱伝導がよく、生地のふんわり感をより引き出し、絶妙な焼き加減を生み出します。あげ板の上に並んだ卵色の丸い明石焼を一口食べると、ふわふわ、トロトロの生地の中に、コリコリのタコの歯ごたえが広がります。

【兵庫県】

一般社団法人 明石観光協会

https://www.yokoso-akashi.jp/
明石焼(玉子焼)
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

ぼたん鍋

丹波篠山の猪は、丹波栗、丹波松茸、丹波篠山黒豆、山の芋、コシヒカリなどをたらふく食べる美食家です。猪肉には木の実の香りと味が染み込み、クセや臭みは全くありません。丹波篠山市は猪肉の本場で、その代表的な料理が「ぼたん鍋」です。ぼたん鍋は丹波篠山が発祥で、明治時代からおもてなし料理として食されています。猪肉を薄切りにして牡丹の花のように盛り付けた姿は、宴会の卓上をぐっと華やかにしてくれます。白菜、人参、ネギ、ごぼう、キノコなどたくさんの地野菜と一緒に煮込む猪肉は、煮込めば煮込むほど柔らかくなり、栄養的にも優れています。ぼたん鍋の旬は12月~3月ですが、現在は冷凍技術も発達し、年中美味しい猪肉が食べられます。丹波篠山市内では、約40店舗の飲食店でぼたん鍋が提供されており、各お店こだわりの出汁や味噌を味わっていただけます。

【兵庫県】

一般社団法人 丹波篠山市観光協会

https://tourism.sasayama.jp
ぼたん鍋
有識者特別賞
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

金山寺味噌・径山寺味噌

鎌倉時代建長元年(1249年)に宋(中国)に渡った法燈国師(覚心)が、径(金)山寺で修行の際、習得した製法を日本に持ち帰り伝えました。そして、西方寺(現興国寺)の開山となり、お寺では、保存食(常備菜)として造られていましたが、美味で滋養があることから周辺にその醸造方法が伝えられました。また熟成の際、にじみ出る上澄み液が、美味なことから醤油へと発展しました。江戸時代になり徳川御三家紀州藩主、家康の子である、頼宣の産業奨励以来、工業的に広く和歌山県内で醸造されるようになり民衆に広がりました。調味料としての味噌とは違い、米・麦・大豆を全て糀にし、瓜・茄子・生姜・紫蘇などの野菜をふんだんに入れ醸造した味噌で、そのまま召し上がる“おかず味噌”です。現在も尚、その醸造方法が、受け継がれ和歌山県を代表する発酵食品であり郷土食として温かいご飯やお粥、焼き魚や生野菜の付け合わせとして親しまれています。

【和歌山県】

紀州味噌工業協同組合

http://www.kinzanjimiso.jp/
金山寺味噌・径山寺味噌
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

湯浅の醤油

醤油の起源は、はるか中世の時代、中国に渡り修行を積んだ禅僧が伝えた特別な味噌から始まります。この味噌を作る過程で桶に溜まって捨てていた汁に紀州湯浅の人々が価値を見出し、工夫を重ね、生まれたのが現在の醤油であると言われています。醤油は、日本人の味覚に深く根差し、もはや欠かすことが出来ない調味料です。湯浅の醤油は伝統的な製法に基づいて作っているため、早く大量に醸造できませんが、醤油の真髄、本来の醤油のすばらしさを味わっていただけるように古くから伝えられている方法を受け継ぎ、作られています。

【和歌山県】

紀州湯浅日本遺産協議会

https://japanheritage-yuasa.jp/
湯浅の醤油

中国・四国

伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

大山おこわ

大山おこわは大山山麓地域の伝統食の一つとして親しまれています。醤油をベースに砂糖の甘さをほんのりと加えた優しい味は、お祝い事などのハレの日に食べられています。具材は干しシイタケや人参・ごぼうに加え大山山麓で採れるキノコや栗、山菜、鶏肉、ちくわなど、季節や地域によっても様々です。起源については諸説ありますが、中世動乱の時期に大山寺の参拝者の方々に振舞われ、また携帯食として利用されるようになり、周辺地域に広まっていったと考えられています。現在「大山おこわ」は大山寺周辺の宿坊や旅館、主要駅、道の駅で食べることができ、イベントなどでも振舞われます。地域の団体が「大山おこわ」継承のための活動を行い、中学生向けの地域教読本にレシピが掲載されるなど、次世代にこの食文化を伝える活動を行っています。

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【鳥取県】

大山町

https://www.daisen.jp
大山おこわ
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

いただき

明治中期頃、地元の人たちが油あげに米や野菜を詰めて炊いたのが始まりだと言われており、刻んだゴボウや人参、干ししいたけなどを生米と混ぜ油揚げに詰め、醤油などをベースにしただし汁で煮込んで作りますが、境港市では塩辛、米子市では甘辛といった特徴がみられるように、地域や家庭によって味付けや具財が少しずつ異なっており、地域特有の味、家庭の味を生み出し、それぞれに受け継がれています。未来の100年に向けて県外、国外にさらなる認知度の向上を図ろうという狙いで、米子市を中心とした弓ヶ浜地域の伝統食である「いただき」を後世に継承していこうという取組や、米子城にまつわるイベントなどで「城山の頂でいただきをいただきます」といったキャッチコピーを掲げながら地域の自治体とも連携した取組を進めています。

【鳥取県】

米子いただきがいな隊

https://www.facebook.com/yonagoitadaki.gainatai/
いただき
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

清水羊羹

清水羊羹は安来市清水町にある名刹・瑞光山清水寺周辺で提供される代表的な和菓子です。起源は古く、平安時代に天台第三祖慈覚大師円仁が遣唐の帰路に清水寺に立ち寄られた際に、羊の肝料理を食べた話をされましたが、瑞光山清水寺は天台宗のため肉食を禁じられていました。そこで、肉や魚などを使わない精進料理として羊の肝を使った料理を再現したのが清水羊羹の始まりとされています(諸説あり)。その後、鎌倉時代末期に瑞光山清水寺より清水羊羹の製造方法が人々に伝授され、現在は清水寺周辺で4つの製造所が日々研究改善を重ねながら生産されており、清水寺に訪れる参拝客や地域の人々に愛されています。小豆・砂糖・寒天等(製造所によっては、左記の3つのみ)を主な原料として、「無添加」「手作り」の伝統的製法を今日まで伝承しており、製造所によって微妙に違う配分・製造過程により、独自の味や食感を表現しています。

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【島根県】

安来市

https://www.city.yasugi.shimane.jp/
清水羊羹
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

津和野の芋煮

日本三大芋煮の一つ、津和野町の芋煮は笹山地区の豊かな火山灰土質で育った他にない粘りときめの細かさをもつ里芋を使います。小鯛をあぶって手で一つ一つ身をほぐし、昆布とともに取った出汁で里芋をじっくりと煮つけ、味付けは塩と薄口しょうゆを少し、刻んだ柚子の皮を添えて上品な味を楽しみます。見た目は至極シンプルですが、上品な奥行きのある味に魅了されること間違いありません。津和野百景図第71図に描かれる松林山天満宮には嘉永2年(1849年)に芋煮を囲み、酒を酌み交わす様子が描かれた額が奉納されており、既に芋煮が身近であったことがわかります。現在では毎年10月に「芋煮と地酒の会」として受け継がれ、地元料理人が大鍋を前に腕を振るいます。来る人来る人に芋煮や地酒をふるまい、訪れた人は存分に秋の味覚を堪能します。

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【島根県】

津和野町役場

https://www.town.tsuwano.lg.jp/www/index.html
津和野の芋煮
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

東出雲の畑ほし柿

さかのぼること約450年前、毛利軍によってもたらされたと言われる自然を利用した天日(自然)乾燥による加工技術を今に伝え守り続けています。原材料は、全て生産者が育てた柿(西条柿)だけを使用し、一つ一つ丁寧に皮むきを行い、風通しの良い木造三階建てのガラス張りの専用小屋(柿小屋)で、約1ヶ月かけて干し上げて完成です。加工に伴う添加物などは、一切使わず、常に安心・安全な「ほし柿づくり」に努めています。平成19年からは、生産者全ての農家が「エコファーマー」認定を受け、土づくりから栽培を行っています。「人と風土と伝統」をお届け致します。是非一度ご賞味してみて下さい。

【島根県】

畑ほし柿生産組合

http://www.hatahoshigaki.jp
東出雲の畑ほし柿
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

松江の茶の湯文化

松江は、京都、金沢と並んで茶処、菓子処として有名です。その要因に、江戸時代の松江藩松平家七代藩主・松平治郷公の存在があります。松平治郷公は不昧と称し茶の湯文化を極めた大名茶人です。松江には不昧公が育んだ茶の湯文化が今も生活の中に息づいています。まちでは多くの茶舗や和菓子の老舗が暖簾を守り続けています。不昧公が目指した茶道は不昧流として伝えられ、茶会で使われた「若草」「山川」「菜種の里」の松江三大銘菓をはじめとした和菓子の数々は、現在にも受け継がれています。また、松江の茶の湯文化は、松江の歴史、風土等を反映しながら継承され、日常的な生活の中で培われてきた特有の文化です。市民のみならず松江を訪れる観光客もこの茶の湯や菓子を目当てに訪れ、お土産としても喜ばれております。

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【島根県】

松江菓子協会

https://peraichi.com/landing_pages/view/matsue-kashi/
松江の茶の湯文化
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

出雲そば

「出雲そば」は、日本三大そばの一つとして、島根県東部の出雲地方で古くから親しまれている郷土料理の一つです。寛永15年に、信濃国松本藩から出雲国松江藩主として松平直政公が着任し、信濃のそば職人を出雲へ連れてきたことが、出雲にそばが広まった始まりとも言われています。他所とは違い、出雲そばはそばの実を皮ごと挽くため、色は黒っぽく香りも強いものとなります。食べ方も「割子そば」や「釜揚げそば」という珍しい食べ方をします。また、そばをそばつゆに「つけて」食べるのではなく上から「かけて」食べ、薬味ももみじおろしが一般的であるなど、ほかとはちょっと違った食べ方をします。年末の仕事納めの日には、多くの会社や事業所が地元のそば店からお昼の出前をとり、年越しそばを食べる風景が見られます。各地域には、そば打ちの愛好会や同好会も数多く存在し、そば打ちの文化を現在に引き継いでいます。

【島根県】

出雲食戦略会議

https://www.instagram.com/izumosyokusen/
出雲そば
有識者特別賞
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

大田の箱ずし

箱ずしは、島根県の中心部に位置する大田市の代表的な郷土料理です。はっきりとした記録は残っていませんが、江戸時代からお祝い事やお祭りなどの行事には欠くことのできない料理でした。具材は、ごぼう・人参・しいたけ・切り干し大根(昔は、かんぴょうを使っていた)・油揚げなどを細かく刻んだもの。それを煮込み、味が馴染むまで一晩おく。大きな木枠の中に酢飯・具・酢飯・錦糸卵・板の順に何段も重ね、十分に押しをしてから切り分けます。箱ずしは、最後に重石をのせて作ることから「作る」ではなく「漬ける」といいます。具材やすし酢はその家々の味がありますが、作り方は姑から嫁に、また母から子に、子から孫にと継承されてきた郷土料理です。木枠の中に、何段も重ねて作られた箱ずしの断面はとても美しく、木枠を外した時は感動ものです。

【島根県】

特定非営利活動法人 石見銀山資料館

https://igmuseum.jp/
大田の箱ずし
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

魚飯

現在の竹原市街地は、江戸時代に入ると干拓がすすめられ、これを塩田としたところ良質の塩を産出しました。竹原は1650年から300年以上もの間「塩の町」として大いに栄え、塩田の持ち主は「浜旦那(はまだんな)」と呼ばれ、塩田が生み出す富を背景に豊かな商人文化を竹原に根付かせました。「魚飯」はその「浜旦那」が来客時のおもてなしや祭事の料理として提供していたものといわれています。魚飯の定義は、白身魚を焼き、その身を取りほぐしたものと、彩りを美しくする旬の具材をご飯の上に盛り付けます。最後に白身魚からとっただし汁をかけて食べる料理です。魚飯は新鮮な材料と旬の食材を使い、料理人が竹原の歴史に思いを馳せ、心を込め、手間をかけてつくる料理です。魚飯の具材は、錦糸卵、三つ葉、しいたけ、えび、海苔やたけのこ、白身魚(鯛、ひらめ等)です。

【広島県】

竹原市

https://www.city.takehara.lg.jp/index.html
魚飯
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

府中味噌

江戸時代、山陰や中国山地の産物が石州街道を使って全国に運ばれ、その集散地として賑わった広島県府中市。米や大豆、塩など良質な原料がそろう環境に恵まれ、みそ醸造が盛んでした。かつては備後国の国府が置かれ諸国人の出入りが多く、福山藩主水野公が参勤交代道中の諸大名に白みそを贈呈したことがきっかけで、府中味噌の名は全国に知られるようになったと言われています。府中の白味噌はきめ細かで、透き通るような白色、風味豊かな低塩の甘口が特徴で、料理調味料として高級品扱いされてきました。昨今の料理離れ・和食離れの流れを受け、府中味噌も消費量が大きく落ち込み、蔵の廃業も進み、現在は3社を残すのみとなりました。400年以上の歴史をもつ「府中味噌」を継承していくため、海外への販路拡大や味噌を使った加工品を開発するなど、味噌の可能性を広げる新しい取り組みを行っているほか、味噌づくり体験の受け入れなども行っています。

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【広島県】

府中味噌協同組合(任意団体)

https://www.fuchu-miso.jp/cooperative/
府中味噌
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

海軍ゆかりの食文化 ~海軍カレー・ビーフシチュー・肉じゃが~

明治期の日本は、天然の良港を持つ横須賀、呉、佐世保、舞鶴に軍港を築き、海軍の拠点である鎮守府を置きました。それまでは静かな農漁村であった地域に、最先端技術を集積し、海軍諸機関と共にインフラが急速に整備され、日本の近代化を推し進めました。海軍が地域にもたらしたものは、「食」にも見ることができます。海軍が栄養不足解消のために、西洋式の食事を取り入れたことが、日本における洋食の始まりと言われています。明治41年に海軍が発行した料理教科書『海軍割烹術参考書』には、100種類を超える西洋料理やお菓子のメニューが載っています。4市では、記されたレシピを元にした「海軍カレー」や「海軍さんのビーフシチュ―」、「海軍発祥と伝わる肉じゃが」などがご当地グルメとして愛され、世代や市の垣根を超えた継承と情報発信が行われています。海軍ゆかりの食文化は、4市特有の食文化として受け継がれ、人々に愛され続けています。

【広島県】

旧軍港市振興協議会

http://www.kyugun.jp/
海軍ゆかりの食文化 ~海軍カレー・ビーフシチュー・肉じゃが~
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

備後府中焼き

戦後の高度経済成長期、共働きの家庭が増えた頃、おやつやごはん代わりに食べられていた備後府中焼きは、子どもの頃から親しまれている府中市民のソウルフードです。備後府中焼きの特徴は、牛や豚のミンチ肉を使ったそば入りのお好み焼きで、モヤシは入れず、ミンチの旨みとキャベツが一緒になることで、中はフワッと、外はミンチの脂でカリッとした焼き上がりになります。市内には備後府中焼きの店が点在し、B-1グランプリ出場やミシュランガイドに掲載されたこともあり、市民だけでなく観光客からも人気のご当地グルメです。より多くの方に備後府中焼きを知っていただくため、東京の神田小川町に府中市アンテナショップ「NEKI」でのPRや、備後府中焼きのマスコットキャラクター「ミンチュー」のイベント等での出演、府中市出身の元広島東洋カープの選手、片岡光宏氏を「備後府中焼き広報大使」として任命し、幅広い広報活動を行っています。

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【広島県】

備後府中焼きを広める会

https://fuchuyaki.com/about/about-us/
備後府中焼き
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

岩国寿司

岩国寿司は、祭りやお祝い事に作られるお寿司です。一度に4~5升のご飯を炊き上げ、大きな木枠に、寿司飯・具を交互に何層にも重ね、上から均等な力で押して、つけ込んだ彩り鮮やかなお寿司です。具材に使うれんこんの断面が吉川家の九曜紋に似ていることから、岩国藩初代藩主の吉川広家公が、登城する際の保存食として用いられたそうで、当時は、殿様寿司と呼ばれていました。また、岩国市は江戸時代かられんこんが栽培される県内一の産地です。昭和63年から、岩国市岩国生活改善実行グループ連絡協議会が、岩国を代表する郷土料理に育てるために「岩国寿司」と名付けて継承するとともに、岩国寿司の味付け統一や、イベントでのPR、学校での食育活動等で普及に努めています。近年、家庭でも作りやすい岩国寿司として、牛乳パックを使って作る方法を考案し、食育活動等で活用しています。

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【山口県】

岩国市岩国生活改善実行グループ連絡協議会

岩国寿司
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

あんこ寿司

あんこ寿司は、山口県岩国市山代地域で伝わる郷土料理です。西暦1400年頃、領主が土地神の祟りを鎮めるために、農民が奉納した角寿司がこの地域の由来となっています。江戸時代には、年貢の負担が大きい農民が祭りや婚礼等にお寿司で、もてなしたいという思いで作り続けられ、伝わってきました。昔は、角寿司といわれていましたが具が餅のアンコのように入っているため、当時の岩国市錦生活改善実行グループ連絡協議会(以下「錦生改連」という)の会員が、あんこ寿司と名付けました。あんこ寿司は、みじん切りにした切り干し大根やごぼう、にんじん、椎茸を甘辛く煮含めた具を入れた寿司飯を軽く握って木型にいれ、その上に薄焼き卵と椎茸をのせて作ります。錦生改連や岩国市本郷生活改善実行グループ連絡協議会では、食育活動や体験交流等で継承活動に努めています。特に、本郷では、企業組合山代の里と連携して山代地域の特産品として販売しています。

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【山口県】

岩国市錦生活改善実行グループ連絡協議会/岩国市本郷生活改善実行グループ連絡協議会

あんこ寿司
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

鯨肉郷土料理

山口県の北浦(山口県の日本海沿岸)地区では原始時代から鯨を食用に供していました。江戸初期には仙崎、通、川尻地区で「鯨組」という組織ができましたが、幕末から明治にかけて鯨組は衰退し、明治32年、全国初のノルウェー式砲殺捕鯨会社が長門市仙崎に設立され、近代捕鯨が始まりました。以上の捕鯨状況から、原始時代から鯨肉が食されていました。長門市では、昔から「南蛮煮」「くじらなます」「くじら汁」等が大晦日や節分に食されていた風習がありました。「南蛮煮」は、鯨肉(赤肉、皮、畝須)と季節の野菜(ごぼう、大根、人参等)を煮込んで味噌で味付けをしたもので、保存食としてよく作られたものです。「くじらなます」は、鯨の皮を薄切りにしてゆでてなますに入れたものです。「くじら汁」は、薄切りにした鯨の皮と季節の野菜をたっぷり入れた味噌味の汁ものです。いずれも伝統料理です。

【山口県】

長門大津くじら食文化を継承する会

https://m.facebook.com/Nagatokujirashokubunka/
鯨肉郷土料理
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

阿波ういろ

阿波・徳島の「ういろう」とは意外に思うかもしれませんが、その歴史は古く、江戸時代、徳島藩にサトウキビが伝わり、和三盆糖が作られたことを祝って、旧暦3月3日の節句に藩主や領民がういろうを食べたことが始まりと言われています。その後、徳島では節句にういろうを食べる風習が継承され、庶民のおやつとして、多くの家庭で作られてきました。「阿波ういろ」は、もち粉が織り成すもっちりとした食感と、和三盆糖の風味が醸し出す上品な味わいが特徴のヘルシーなスイーツです。また、阿波ういろは、もう一つの徳島の特徴的な節句の風習とも深く関わっています。徳島の子ども達の多くは、三段重ねのお弁当箱「遊山箱」を下げて、節句に野山や海岸へと出かけましたが、中に詰めたごちそうの代表格がういろうでした。徳島の様々な文化を継承している「阿波ういろ」は、現在、多くの菓子店で様々な種類が作られており、県を代表する銘菓となっています。

【徳島県】

公益社団法人 徳島県物産協会

https://tokushima-bussan.com/
阿波ういろ
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

鳴門わかめ料理

徳島県のわかめは、古くは奈良・平安時代から特産品として全国的に有名であったようです(927年「延喜式」に阿波の貢物としての記録)。1960年代から鳴門海峡を中心に養殖業が本格化し、徳島県は全国3位の養殖わかめ生産量を誇り、2010年代では年間6千トン前後を生産しています。産地ならではの料理として、新鮮な生わかめを湯通しすると美しい緑色になり、ポン酢で「しゃぶしゃぶ」が楽しめます。湯通し塩蔵わかめは、水戻しして汁物や酢の物、刺身の添えなどに使い、乾燥糸わかめやカットわかめは、そのまま温かい汁物などに入れるだけで歯ごたえの良い食感が楽しめます。また、乾燥糸わかめは「わかめ針」で葉を一本ずつ糸状に割いて乾燥させたもので、昔ながらの手間暇かけて作る伝統の技が受け継がれており、贈答品や土産物などとして活用されます。このような「鳴門わかめ」料理を郷土の伝統として、未来にしっかりと伝えていきたいです。

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【徳島県】

徳島県漁業協同組合連合会

http://www.tokushimagyoren.or.jp/
鳴門わかめ料理
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

島そうめん

徳島県南部に位置する牟岐町出羽島は、漁業を生業の柱として栄えた伝統的な漁家の主屋が建ち並ぶ歴史的な漁村集落として、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。島そうめんはこの出羽島において戦前の頃から日常的・婚礼や船下ろしなどの祝いの席で提供される、地域の郷土料理です。そうめんを皿に盛り付け、長ネギ、かまぼこ、錦糸卵を添えて飾り付ける。甘辛く煮付けた魚の煮汁を使用したつゆを入れた容器をそうめんの皿の中心に置きます。魚は延縄漁などで獲られたレンコダイ(キダイ)を使用するのが主であり、そうめん、煮汁、煮魚が別容器で提供されます。水揚げされた魚を無駄にせず地域の限りある資源をとりこぼさず利用し、いただくという島民の姿勢から工夫された、米不足によりそうめんが配給された戦後の食糧難の時代を乗り越えてきた素朴ですが味わいのある料理です。島民のたくましさを表象するものとして次世代へ伝え残したいです。

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島そうめん
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

「木頭ゆず」を使った郷土料理「かきまぜ」

【歴史・風土・特徴】徳島県那賀町では、古くから料理の風味付けに「ゆず」が使われてきました。「木頭ゆず」の特徴は、果実が大きく玉揃いがよく、外観が綺麗なこと、そして類をみない香りの高さと酸味が強いことです。この「木頭ゆず」の特徴を活かし、ゆずを中心とした独自の食文化が形成されてきました。我が子や孫に伝えたい食文化ゆずを栽培する農家の母たちが、「かきまぜ」「にぎり寿司」「ゆずみそ」などの地域に伝わる料理を作っています。それらは、我が子や孫に「木頭ゆず」を通して故郷を思い出してもらえる心温まる郷土色溢れた料理です。100年先まで届けたい郷土料理「かきまぜ」:那賀町では、五目寿司のことを「かきまぜ」と呼びます。このお寿司は、通常の米酢などの醸造酢は使わず、ゆず酢100%の果汁を贅沢に使用するのが大きな魅力です。地域では、お祭りや帰省等人々が集う際の定番メニューとされています。

【徳島県】

木頭ゆずクラスター協議会

https://www.town.tokushima-naka.lg.jp/
「木頭ゆず」を使った郷土料理「かきまぜ」
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

小豆島そうめん

小豆島の歴史と文化に育まれた小豆島そうめん。瀬戸内・小豆島に手延素麺づくりの技が伝えられたのは、約400年前、お伊勢参りの際、三輪そうめんの作り方を学んで帰ったことが始まりと言われており、以来、小豆島の職人は頑(かたく)ななまでに、素材と製法を守り続けています。手延べで作られた麵は、コシがあり、味も一品!ごま油の香りも高く、風味豊かな一品です。昔から瀬戸内海沿岸の産業であった製塩業から得られた瀬戸内の良質な塩を使っています。ぜひ、小豆島の風を感じながらご賞味ください。

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【香川県】

公益社団法人香川県観光協会

https://www.my-kagawa.jp/
小豆島そうめん
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

いぎす豆腐

愛媛県今治市沿岸部に広く分布する「いぎす」という海藻を使って、古くから庶民に親しまれている「いぎす豆腐」です。生大豆粉と一緒に煮溶かすことにより、冷やしたら固まる性質を持ち、豆腐のような食感になります。地元で取れたエビや野菜を一緒に入れて固め、酢味噌を添えて食べるのが一般的です。昔は一般家庭でも親しまれていましたが、近年ではいぎすの収穫量の減少や、下処理に手間がかかる等の理由で、家庭ではあまり作られなくなりました。現在では郷土料理を提供するお店や、惣菜店などで購入する事ができます。

【愛媛県】

今治郷土料理普及協議会

http://www.imabari-cooking.jp/
いぎす豆腐
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

北条鯛めし

古くから北条地域で親しまれてきた「北条鯛めし」は、鯛一匹を丸ごと、ご飯と一緒に炊き込む北条地域が誇る郷土料理です。「北条鯛めし」の特徴は、ごぼうや人参などの野菜や揚げなどが入っておらず、鯛とだしコブで作られています。「北条鯛めし」の起源は古く、高縄半島の西、風早(かざはや)平野の沖合に浮かぶ小さな島「北条鹿島」名物「鯛めし」は、「神功皇后が、朝鮮出陣の道すがら、北条鹿島に船を寄せ、鹿島明神に勝ち戦を祈願されたおり、風早(かざはや)浦の漁師たちは、近海で漁獲した新鮮な鯛を献上した。皇后は吉兆として快く受け入れられ、その時さらに鯛をのせて飯を炊き差し上げたところ、大いによろこばれ、その美味を賞された。」と言い伝えられています。

【愛媛県】

風早まちづくりネットワーク

http://www.hojo-kazahaya.jp/
北条鯛めし
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

宇和島鯛めし

宇和島鯛めしは、宇和海の日振島(ひぶりじま)を根拠地にしていた伊予水軍が仲間たちと舟の上で魚の刺身と茶碗酒で酒盛りをした後、その酒の残った茶碗にご飯をつぎ、たっぷり醤油を含ませた刺身をのせ混ぜ合わせて食べたのが始まりとされ、その食べ方が、漁師たちに脈々と受け継がれてきました。新鮮な真鯛の身を三枚におろしうすくそぎ切りしたものと、醤油、みりん、生卵、ごま、だし汁等で調味したタレと混ぜ合わせ、そのタレごとそのまま熱いご飯にかけて食べる愛媛県宇和島市の郷土料理です。生の鯛を使った、全国でも宇和島にしかない独持な食べ方の鯛めしです。

【愛媛県】

宇和島鯛めし協同組合

https://www.taimeshi.jp/
宇和島鯛めし
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

津島の六宝

「六宝(ろっぽう)」は愛媛県南部にある津島町で食べられている伝統ある郷土料理で明治時代から食べられています。また「宇和島鯛めしの元祖」とも言われております。六宝の特徴は旬の魚を使用して六種の宝(①酒②醤油③みりん④砂糖⑤ごま⑥生卵)に漬け込むことです。魚の種類は決まっておらず、「赤身、白身、青魚」など各々好きな魚で食べることができます。六種の宝に漬けられた魚を、タレと一緒に炊き立ての白ご飯にかけると、見た目と香りで食欲がそそられ、口に運ぶと魚、タレ、ご飯の豊潤な香り、うま味、魚の触感が感じることができ、お箸が止まりません。この美味しい郷土料理を後世に残すとともに、より多くの人々に食べていただければ幸いです。

津島の六宝
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

三津浜焼き

歴史は大正時代の一銭洋食までさかのぼり、常に三津浜の人々の生活と共にあったお好み焼きです。紅白のちくわなど独特の具材を用い半月型という独特な形で提供する三津浜のソウルフードです。薄力粉ベースに味を付けた生地を薄くクレープ状に伸ばし、ソース味をしっかり付けた麺(うどんかそば)をのせ、さらに千切りのキャベツ、天かす、ねぎ、紅白のちくわ、豚肉をのせ、目玉焼きをつぶした状態のものに挟み、ソース、削り節、青のりをのせたら出来上がりです。

【愛媛県】

三津浜地区にぎわい創出実行委員会

http://mitsuhama.net/funate-gumi/mitsuhamayaki/index2.html
三津浜焼き
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

カツオのたたき

江戸っ子たちは初カツオに熱狂し、競って高値で入手していました。好んで川柳の題材としていました。江戸後期の土佐(現高知県)でも、人々は新鮮なカツオを求め、高知城下から約20km離れた宇佐の港で、水揚げ直後のカツオを男たちがにない、休まず走り続けて城下へ届けていました。冷蔵手段がない時代、顧客の要望に応え鮮度を保つための「人力高速輸送システム」です。このこだわりは100年を優に超えて今に継承されています。「高知県の魚はカツオ」と、昭和63年(1988年)に定められました。一世帯当たり消費量は群を抜いて日本一です。同じ高知県内であっても、地域・家庭によって食べ方のバリエーションは豊富です。一口に「たたき」といっても「たれはしょうゆベース」、「たれを使わず塩を振る」、「切る時は思い切り厚めに」、「ニンニクはたっぷり」など、まさに多様性の宝庫です。カツオが高知県民の「ソウルフード」たるゆえんです。

【高知県】

高知カツオ県民会議

kochi-katsuo.com
カツオのたたき
有識者特別賞
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

皿鉢料理

「皿鉢料理」は、江戸時代より続く土佐伝統の宴会料理です。皿鉢料理は、「刺身」「鰹のタタキ」「寿司」、そして煮物や焼き物、揚げ物や果物等を盛りつけた「組みもの」などがあります。基本的には山川海の季節の旬を盛り込んだ料理になりますが、最近では洋風の料理を取り入れることもあります。また毎年3月には「食の祭典南国土佐皿鉢祭」が高知市内で開催され、県内で活躍する料理人たちが熟練した匠の技で作り上げた豪快かつ新感覚な皿鉢料理を展示しています。高知県では客を招いて宴会することを「おきゃく」と呼んでおり、その「おきゃく」で振る舞われる料理の一つが「皿鉢料理」です。皿鉢料理を大勢で囲み、食べたいものを好きなだけ、自分の小皿にとって食べる、堅苦しいルールに縛られない、何よりも自由を尊重する土佐ならではの料理です。

【高知県】

公益財団法人高知県観光コンベンション協会

https://www.attaka.or.jp/
皿鉢料理
有識者特別賞
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

ゆず料理

高知県東部の中芸5町村(奈半利町・田野町・安田町・北川村・馬路村)は、「森林鉄道から日本一のゆずロードへ―ゆずが香り彩る南国土佐中芸地域の景観と食文化―」が日本遺産に認定されている地域です。現在も300年を超えると言われる古木があり、江戸末期の庄屋であった志士中岡慎太郎が、農家の副業として栽培を奨励したという伝承も残っています。「ゆず果汁」は柚酢(ゆのす)と呼ばれ、酸度の高さから酢の代用として使われてきました。防腐効果や食欲増進の効能があり、一升瓶で流通している程です。その柚酢を使い酢飯にした「ゆず寿司」、酢の物、刺身やにんにく葉をつかったヌタにしてかけたり、ゆず味噌、ゆず胡椒、佃煮、漬物、またお酒にも柚酒があります。各家庭や地区で伝承されるだけでなく、現在は、中芸の代表的食文化として、商品化もされ受け継がれています。

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【高知県】

中芸のゆずと森林鉄道日本遺産協議会

http://yuzuroad.jp/
ゆず料理
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

へらずし

大堂海岸に定置網を敷く古満目は、江戸時代後期から続くブリの産地です。特に明治40年代前半までは豊漁で、新鮮なブリを刺身や塩焼きなどいろいろな料理で楽しむなかで生まれたのが『へらずし』であり、今も地域食として地元で愛されています。名前の由来は、エビの建網の目合いの幅を測る竹のへらや、曳網漁の疑似餌へらに形が似ていることだと言われています。一番脂ののった部位を酢みかんを混ぜた酢で締めて風味豊かに仕上げ、ゴマの香りとともに上品に味わうことができる一品です。

【高知県】

一般社団法人大月町観光協会

https://otsuki-kanko.jp/
へらずし
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

中日そば

香南市で約70年前から簡易食として愛されているのが「中日そば」です。中日そばの概要は、うどんの出汁に中華麺といった意外性があり独特の風味が楽しめる麺食で、あっさりとしたうどんだしに中華麺が入っている、和と中のコラボレーションです。昔から親しまれてきたローカルフードは、香南市内の飲食店などで味わうことができます。各お店の味もさまざまなので、ぜひぐるりと食べ歩いてみてください。顧客の大半は香南市外或いは県外、まれには国外の方々も含まれ、地域観光の重要なファクターである飲食の一翼を担っています。

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【高知県】

一般社団法人 香南市観光協会

http://www.kounan-navi.com/
中日そば
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

ゆのすの恵み料理

私たちの地域では、あらゆる料理に柚子が使われています。メイン料理はもちろん、箸休めや、最近よく聞く「味変(あじへん・味をかえる)」にも。「何にでも合う」のです。そのため、果汁を絞って保存しつつ、「ゆのす(柚子酢)」と呼び、大切に使います。料理の中でも特に同じ物部(ものべ)の里山で収穫された野菜や山菜はもちろん、鹿や猪、あめご(アマゴ・サツキマス)など、里山の恵みであるジビエや川魚と合わせると絶品です。田舎寿司のすし飯に、お鍋の出汁に、デザートに、様々な使い方をします。何十年も昔から地域の味として親しまれている田舎寿司は酢の物はもちろん、今年開催した「ゆのすレシピコンテスト」で最優秀賞を獲得した「鹿ハムのゆのすジュレ」は絶品。新たなゆのすの活用法が生まれました。「100年フード」として伝えてゆくものにふさわしい、地域の食となると考えています。

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【高知県】

一般社団法人 物部川DMO協議会

https://monobegawa.com
ゆのすの恵み料理
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

なすのたたき

高知県安芸市では古くから冬から春にかけて栽培される「冬春ナス」の生産が盛んな地域で、一時は日本一を誇っていたほど、日本有数の産地です。そんな地域でナスを消費するために家庭料理として生まれたのが「なすのたたき」です。素揚げしたナスの上に細かくほぐした焼きアジの身を乗せ、さらにその上からショウガ、ミョウガ、大葉などの薬味を散らし、ゆずポン酢をかけて食べます。油との相性が非常に良いナスに魚の旨味や薬味の爽快感も合わさってお箸が止まりません。

【高知県】

安芸市土居郷土料理研究会

https://www.city.aki.kochi.jp/life/dtl.php?hdnKey=68
なすのたたき

九州・沖縄

伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

北九州の糠の食文化

糠炊きは江戸時代から旧豊前国に伝わる郷土料理です。糠床を調味料として炊き込む料理は珍しく、小倉城下に伝わる独自の食文化と言えます。糠炊きを作るには、熟成糠床が必要です。毎日かき混ぜ野菜を漬けることで発酵熟成が進みます。小倉の糠床は唐辛子や山椒が入っているのが特徴です。糠漬けは季節の野菜を糠床に漬けたもので、米糠に含まれるビタミンB1も摂取出来ます。糠炊きは青魚の煮付けに糠床を入れて炊き込んだもので、魚の生臭みもなく、ごはんのおかずや酒の肴にぴったりです。砂糖、醤油、みりんなどの調味料を使用した「現代式」と、糠床のみを調味料とする「伝統式」があります。糠床の植物性乳酸菌が腸まで届き免疫力向上や、食物繊維による便秘改善作用もあります。最近では青魚以外にも、鶏肉、卵、こんにゃくなど、様々な食材を活用した糠炊きが販売されています。また炒飯やコロッケといった、様々なアレンジレシピも考案されています。

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【福岡県】

北九州小倉・糠床糠炊き研究会

www.nukaken.jp
北九州の糠の食文化
有識者特別賞
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

うなぎのせいろ蒸し

柳川の名物郷土料理「うなぎのせいろ蒸し」です。水郷・柳川は、古くから天然うなぎの名産地として広く知られ、1681年に名物「うなぎのせいろ蒸し」が誕生しました。うなぎ料理といえばうな重やうな丼が一般的ですが、柳川ではせいろ蒸しという調理方法でタレを絡めて味付けしたご飯の上に、蒲焼きにしたうなぎ、錦糸玉子を乗せ、せいろで蒸したものを提供します。『せいろ蒸し』にすることで、うなぎは、外はパリッと香ばしく、中はふわっと仕上がり、そのうま味がご飯にも染み、最後まであつあつのままお召し上がりいただけます。市民はもちろんのこと、川下りで観光地となった柳川のグルメとして大人気となり、年間150万匹ものうなぎが食べられています。現在は柳川でうなぎが獲れなくなり、鹿児島・宮崎産の養殖ウナギを使用し提供。市内には約30店舗のうなぎ屋が点在し、各店舗で焼き具合、受け継がれたタレでそれぞれの味を提供しています。

【福岡県】

一般社団法人 柳川市観光協会

https://www.yanagawa-net.com/
うなぎのせいろ蒸し
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

小郡の鴨を取り巻く食文化

江戸時代から知られた狩場である小郡の鴨は、くず米をたっぷり食べたことでずっしりと重みを増し、「其味の美なること、諸州の産に優れり」と記されるほど旨みをその赤身いっぱいに溜めこんでいます。現在人々の口に入る天然鴨は、そのほとんどが猟銃によって捕らえられていますが、伝統的な猟法である「無双網」を使って捕らえられた鴨は、また一段と美味しいといわれています。今や高級食材の一つである鴨ですが、地元の古老によると、力武をはじめとした市北西部では冬になるとよく食べられており、子どもですら食べていたそうです。市内の鴨料理屋「さとう別荘」では、鴨猟が解禁される秋の彼岸(11月中旬)を迎えると、鴨鍋、鴨ご飯、鴨の刺身、御狩場焼をいただくことができます。毎年、鴨を楽しむために都市部から訪れるファンも多いようです。ぜひ一度、小郡市の鴨料理をご堪能ください。

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【福岡県】

一般社団法人小郡市観光協会

https://kanko-ogori.net/
小郡の鴨を取り巻く食文化
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

あごだし

あご(トビウオ)は、その美味しさだけではなく、海面上を長距離に渡って飛ぶという特異な生態や、生息地域ごとに異なる多様な食文化が注目されてきました。脂肪分が少なく、青臭さがあまりないことから、刺身、すり身、塩焼き、唐揚げなどさまざまな調理方法で食されますが、中でも「あごだし」は、深いうま味がありながら、すっきりとした上品な口当たりが特徴で、古来より九州では祝いの席やお正月、祭事など大切な場面で縁起のよい高級食材として振舞われ、愛され続けています。九州あご文化推進委員会は2018年10月、あごの日本有数の漁獲地である長崎県平戸市、同県新上五島町、鹿児島県屋久島町と、あごだし商品を多く手掛ける久原本家グループ(福岡県久山町)の4団体が立ち上げました。「九州のあごだし」に関わる人々や、各地域に根付いた色濃い食文化などを紹介する活動を推し進めています。

【福岡県】

九州あご文化推進委員会

https://kyushuago.jp/
あごだし
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和年3度認定

小倉焼うどん

北九州・小倉で誕生した焼うどんです。その歴史は終戦直後の昭和20年に遡ります。焼そばを作ろうにも、時代は食糧難のピークであり、当時の小倉では肝心のそば玉が手に入りにくい状態でした。やむなく干しうどんを代用して試作されたのが焼うどんであり、小倉発祥の起源となっています。現在は、小倉焼うどん研究所にて運営されているその店こそが小倉北区魚町にある「だるま堂」とされています。現在ではごく一般的な家内食となっている焼うどんですが、“元祖の味”が一線を画す所以は干しうどん、つまり乾麺を使用する点にあります。茹で置きが出来ない分、調理に手間暇がかかってしまうものの、焼き目がしっかりと付いた、もっちりとした食感を通常の茹で麺で実現することは不可能なのです。その秘められた“素材力”に着目し、様々なイベントを手掛けているのが「小倉焼うどん研究所」であり、小倉発祥説が一般レベルで認知される礎を築いてきました。

【福岡県】

小倉焼うどん研究所(管理法人:株式会社風土)

https://www.kokurayakiudon.com/
小倉焼うどん
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

島原名物かんざらし

島原市は街中のいたるところで湧水が出る水の都です。島原名物かんざらしは、「島原の湧水」を使って練り上げた弾力のあるしっとりとした食感の小さなしらたま団子に、蜂蜜や砂糖等で作った特製のシロップをかけた上品な甘さのスイーツです。原料となるもち米を、大寒の日に水にさらすことから「寒(かん)ざらし」と呼ばれています。その歴史は古く、かつて江戸時代に庶民が年貢として納めることができないくず米を使って客人に振舞ったのが始まりと言われています。島原市内には現在30軒ほどのかんざらし提供店があり、それぞれのお店のオリジナルの味が楽しめます。

【長崎県】

株式会社 島原観光ビューロー

https://shimabaraonsen.com
島原名物かんざらし
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

壱岐の麦焼酎

壱岐島は歴史や自然に恵まれた島で麦焼酎発祥の地です。最古の記述は、1791年の『町方仕置帳』ですが、『朝鮮王朝(李朝)実録』によると1477年に琉球に蒸留酒があった旨の記述があり、朝鮮半島と琉球の交易路の拠点であった壱岐島でも蒸留酒があったと考えられています。壱岐の麦焼酎の特徴は、大麦(3分の2)と米麹(3分の1)を原料とし、壱岐のミネラル豊かな水を使って蒸留し、瓶詰まで一貫して島内生産を行っていることです。麦の香ばしさとほのかな甘みを味わうことができ、口当たりも良いため、焼酎初心者にもおすすめで、日本を代表する焼酎ブランドとして愛飲されています。現在壱岐島で焼酎を製造している蔵元は7つあり、どの蔵元も伝統を守りながら独自の味わいを追求しております。平成7年に熊本県の球磨焼酎、沖縄県の琉球泡盛と並び、日本初国税庁による地理的表示の産地指定を受けた世界的ブランドとして発信を続けてまいります。

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【長崎県】

壱岐市

https://www.city.iki.nagasaki.jp/
壱岐の麦焼酎
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

対馬ろくべえ

対馬の郷土料理「ろくべえ」の原料である甘藷は、1715年、島の郷士「原田三郎右衛門」が薩摩より種芋を持ち帰り、島の飢餓を救いました。山が険しく平地の少ない対馬では、昔からやせた土地でも育つさつまいもやそばがたくさん作られていました。食べ物がないときは、さつまいもを食べて命をつないだことから、今でも孝行いもと呼ばれています。春の田植え、秋の稲刈り、いもほり、麦植えと農家の人は厳しい仕事に体力が必要でした。そういう時に力をつけようと考えられたのがさつまいもから作られるせん団子を使ったろくべえでした。せん団子は出来上がるのに千回も手がかかるところから「せん」という名前がついたと言われています。

【長崎県】

一般社団法人 対馬観光物産協会

https://www.tsushima-net.org/
対馬ろくべえ
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

平戸寿司(押し寿司)

江戸時代から継承されている、「平戸寿司(押し寿司)」は地域のお祝い事や催し事でつくられてきたお料理です。その時代からの調理法を忠実に守り、今に至ります。砂糖文化が花開いた長崎平戸ならではの、甘目の酢飯と具材が地域の方々に愛されています。作り方は、もろぶたの底に酢飯を広げ、その上から寿司具をのせ、更に酢飯を広げ蓋をして上から押さえます。酢飯は、もろぶた一箱につき米2升を使います。寿司具は、煮付けた牛蒡や椎茸、かんぴょうなど使います。

【長崎県】

株式会社ひらど新鮮市場

http://www.hirado-shinsenichiba.com/
平戸寿司(押し寿司)
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

川内かまぼこ

川内かまぼこは、幕末の頃、平戸で貿易のあったオランダ人の食材である挽肉にヒントを得た地元の漁民が、近海で獲れる魚を握り潰し丸めて水茹でにしてハンペンを作ったのが始まりと言われ、麦藁のスボで包み蒸籠で蒸すようになったのは大正初期からです。以来、百有余年に渡り川内かまぼこは先祖代々引き継がれ、かまぼこ作りが脈々と息づいています。川内かまぼこは、長崎県内はもとより広く認知され、川内町沿岸沿いに立ち並ぶかまぼこの直売店では個性ある味が楽しめます。川内かまぼこの特徴は、ストロー型のスボにかまぼこを巻いているところで、以前は麦藁のスボを使用していたが、手に入りにくくなり、今ではほとんどプラスチック製に替わっています。川内かまぼこは、近海で獲れたエソ、アジやトビ等の生の原料をスボで包み蒸しあげる、昔ながらの独自の製法で新鮮な風味とほど好い歯触りの良さが特徴です。

【長崎県】

中野漁業協同組合

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川内かまぼこ
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和年3度認定

かんころ餅

約200年前大村藩から五島列島へ開拓農民の移住がありました。移住したのは当時禁教令で信仰を禁止されていたキリスト教を信仰するキリシタンと呼ばれた人たちが中心でした。五島に移住したキリシタンたちは元から島に住んでいた人たちから少しはなれた土地に集落を作りました。その集落は急な山の斜面や不便な入り江の奥などがほとんどでした。やせた段々畑ではさつまいもが良くできて、さつまいもが主食になりました。さつまいもは水分が多いので暑くても寒くてもすぐに腐ってしまいます。そこで、いもを一年中食べるために乾燥させました。さつまいもを薄切りにして、茹で、干しだなで乾燥させます。これを「(ゆで)かんころ」といいます。かんころと餅をあわせてついたもちが「かんころ餅」になります。もともとは貴重品であった餅の「かさ増し」に考えられたようです。【出典】長崎県2018年3月かんころ餅冊子

【長崎県】

一般社団法人 新上五島町観光物産協会

https://shinkamigoto.nagasaki-tabinet.com/
かんころ餅
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

球磨焼酎

人吉球磨地方では、約500年前から米焼酎造りが行なわれています。米のみを原料とし、人吉球磨の水で仕込んだもろみを人吉球磨で蒸留し、人吉球磨で瓶詰めした「球磨焼酎」は、地名を冠することのできる世界的に認められたブランドです。人吉球磨の豊かな大地、良質な米と水へのこだわり、500年近く続く伝統と製法を守りながら丹精込めて造り続ける蔵人です。「球磨焼酎」は、地域と密接に結び付いた文化そのものであり、どこにもまねできない特別な米焼酎です。

【熊本県】

球磨焼酎酒造組合

https://kumashochu.or.jp
球磨焼酎
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

頭料理

大分県南西部に位置し海から遠く新鮮な海魚を食べる機会が少ない竹田市で、貴重な魚を余すところなく食べるための工夫として「頭料理」が生み出されました。「頭料理」にはニベ、アラ、クエ、ハタなどの大型の白身魚が使用され、普段なら捨ててしまうようなえら、あご、内臓、皮なども材料とされています。それぞれ湯引きし、大皿に盛り付け、紅葉おろしや刻みネギと、カボスの三杯酢でいただきます。江戸時代初期の藩主中川久清の頃から作られるようになったといわれ、幕末期の記録(元治2年(1865年)、慶応2年(1866年)「恵比寿講帳」)にも、城下町で正月に開催された恵比寿講の献立に「頭料理」が記されています。祝い事などハレの場で家族や客人と楽しむとともに、年末にまな板を縁側に持ち出し、大きな魚をさばく風景が風物詩になっていました。現代でも竹田市内の取り扱い店舗への予約により「頭料理」を食べることができます。

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【大分県】

竹田市歴史文化館(竹田市教育委員会)

https://www.city.taketa.oita.jp/bunka_rekishi_kanko/yugakukan/index.html
頭料理
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

佐伯ごまだし

佐伯ごまだしは漁師の家庭で生まれ、長年家庭で愛され食べられてきた万能調味料です。市内の食堂でも食べられるようになったのは100年以上前のことで、お土産用の瓶詰めが販売され始めたのは昭和42年頃です。主に白身魚を焼きほぐし、ゴマや醤油等を加えて、よく混ぜ合わせ、ペースト状にして作ります。茹でたうどんにのせてお湯を注ぐだけで食べられ、まさに先人達が残してくれた優れもので、作る時は”スローフード”、食べる時は”ファストフードです。平成19年に農林水産省「農山漁村の郷土料理百選」に選定されました。味の伝承のため、地元の小中学生には授業の研究材料として、高校生には卒業間近の3年生に地元から離れても郷土の味を思い出してもらおうと校内で振る舞いを行っています。日本記念日協会から「佐伯ごまだしの日(11月10日)」を制定し、毎月10日を販売促進日として地元スーパーや道の駅等でご協力をいただいています。

佐伯ごまだし
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

鹿児島の壺造り黒酢

江戸時代から鹿児島県霧島市福山町において、米を原料にした食酢が屋外で壺を使用して醸造されています。この食酢は熟成期間を経るにつれ、琥珀色に色が付いてくるので、「鹿児島の壺造り黒酢」と呼ばれています。黒酢は、一説では江戸時代の文化2年(1805年)、もう一説では文政3年(1820年)福山の地で初めて造られ、現在に至るまでその生産が継続されており、約200年の歴史があります。第二次世界大戦前後に原料米が統制経済で途絶えましたが、頑固な業者が原料を米の代わりにさつまいもを使い、細々ながらその技術を守り続けてきました。1965年頃から自然食品希求の声の高まりとともに黒酢が見直されてきて、徐々に業者の数も増え、今日では日本全国で親しまれるような存在になりました。

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【鹿児島県】

鹿児島県天然つぼづくり米酢協議会

http://www.kurozu.co.jp/
鹿児島の壺造り黒酢
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

あくまき

鹿児島が誇る、端午の節句(5月5日)の定番の餅菓子です。とろけるような舌触りと独特の風味が魅力であり、鹿児島のソウルフードとして親しまれています。一説では、薩摩藩が1600年の関ヶ原の戦いの際、または1592年の朝鮮出兵の際に日持ちする兵糧として作ったと伝承されています。灰汁(あくじる:木などを燃やしてできる灰に熱湯をかけ濾したもの)に浸したもち米を、竹の皮に包み、たっぷりのお湯で煮て作られます。灰汁の持つ、でんぷんの糊化促進作用や糊化したでんぷんが固くならない働きにより、モチモチとした食感を長く保つことができます。また長時間煮ることやアルカリ性の灰汁による細菌増殖抑制効果によって優れた保存食になります。灰汁は、樫(かし)、椎、くぬぎ、ミカンの木などの木灰、竹灰、大豆・そば・ゴマのさやなどの灰が使用され、出来上がりの色・風味に違いがあるが一般的には木灰が好まれ使用されます。

【鹿児島県】

NPO法人霧島食育研究会

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あくまき
伝統の100年フード部門〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和年3度認定

ラフテー

沖縄料理には、豚肉が欠かせません。数ある豚料理の中で、「ラフテー」を100年フードとして紹介します。シンプルでありながら、手間暇かけて作られる一品です。沖縄の慶事・弔事で出される重箱料理(三枚肉として)にも入っていますが、近年では市販品が主流となり、元々は保存食として各家庭で作られていた味が途絶えつつあります。明治生まれの祖母(おばぁー)より受け継いだ味を、琉球王朝時代の宮廷料理から一般家庭へと広がっていった沖縄料理の歴史と共に継承していきたいと考えています。

【沖縄県】

一般社団法人 本部町観光協会

https://www.motobu-ka.com
ラフテー
有識者特別賞