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全国各地の100年フード

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福井県

伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定
有識者特別賞

敦賀のおぼろ昆布

かつて北前船を通じて敦賀には北海道から昆布を中心とした多くの品が荷揚げされ、上方(大阪)へ運ばれました。そして昆布の一大集荷地となった敦賀には多くの手すきおぼろ昆布職人が良質な昆布を求めて集うようになり、おぼろ昆布の一大産地となっていきました。おぼろ昆布とは、醸造酢に漬けて柔らかくした昆布の表面を専用の包丁で職人が1枚1枚丁寧に薄く削りだして作る食品です。すきたての昆布は空気のように軽く、食べた感触も空気をほおばったような感覚に始まり、後から昆布の旨味・甘味が口の中に湧き出してきます。また和食には欠かせない昆布の旨味を手軽に料理に沿えることができる魅力的な食品です。日持ちも良く(冷暗所で半年)、常備していろいろな料理に使うことができます。「おにぎりに巻く」「うどんやお吸い物に入れる」のが定番ですが、刺身に巻いて「簡易昆布締め」にしたり、冷奴やサラダの風味付けなどに使うのもおすすめです。
敦賀のおぼろ昆布
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

勝山北谷の鯖の熟れ鮨し

勝山市北谷町の「勝山北谷の鯖の熟れ鮨し」は、脂ののった塩鯖を塩抜きし、麹とご飯を混ぜて詰め、じっくり時間をかけて熟成し、乳酸発酵させた伝統食です。その起源は明らかではありませんが、江戸~明治時代に、九頭竜川をさかのぼって勝山地域まで運ばれてきた塩鯖を地域の伝統的な発酵技法で保存食にしたなどと伝えられています。 勝山市北谷町は、加越山地の山あいにあり、冬場は寒く県内有数の豪雪地帯です。このような自然環境によって、発酵はじっくりと進み、くせのない甘みとクリーミーなチーズのような香りがある熟れ鮨しとなります。加工は11月下旬ごろに行い、およそ1か月後の正月から食べることができます。食べ方は、1~2㎝の厚さに切って、そのまま食べるほか、カルパッチョなどの新しいレシピも考えられています。現在、北谷町に加工場が整備されています。勝山市の冬期間に開催されるお祭りなどでも販売され、人気商品となっています。
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

越前北前料理

越前北前料理は、福井県内で独自に発展・発達した食文化であり、代表的なものとしては「舟盛り」が挙げられます。その歴史は古く、誕生は江戸時代後期から明治初期まで遡ります。1859年に起きた安政の大獄で隠居を命ぜられた越前福井藩16代藩主松平春嶽。跡取りが居なかった為、新潟県の糸魚川藩からの茂昭公を養子で招き入れ、その初の越前の国入りの際に、村人総出のおもてなしの中で、メインの料理として振舞われたと伝わっています。華やかな見た目が話題を生み、北前船の船頭から近江商人に伝わり全国に広まったとされています。現在地元では、北前船で運ばれた食材や地元の海の幸を味わえる料理を祭りや祝いの席、沿岸部の宿泊施設などで現代風にオマージュし提供されています。このような北前船で運ばれた物資や歴史、地域の食材、郷土料理などの文化の継承に努めています。
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

はまなみそ

「はまなみそ」は、秋・冬限定の福井独自のおかず味噌です。由来は、諸説ありますが、江戸時代に徳川家康が好んでいた「浜なっとう」を、家康の次男である結城秀康が越前(福井県北部)に赴任した際に、静岡県の浜名湖周辺で作られていた「浜なっとう」を持ち帰り、家臣や村人などにも広め、福井県の風土に合った越冬食へ変化したものと言われています。「はまなみそ」は県内のいろんな醤油屋・味噌屋で製造しており、甘めな味付けのものからやや辛口のものなど、メーカーによって味違いがあります。食べ方としては、温かいご飯と一緒に食べるのが一般的で、酒の肴や大根やきゅうりなどともよく合います。時期は10月から3月頃で、福井県内ではお土産物屋さんだけでなく、スーパーなどでも販売されています。
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

半夏生さばの食文化

夏至から数えて11日目、春の農繁期が終わり、夏を迎える半夏生の日に、串刺しの丸焼きさばを食べる風習があります。夏バテ防止策として、藩主が焼さばを食べることを奨励した、あるいは、焼さばを配ったことにより始まったと言われています。風習の始まりは定かでないですが、江戸時代後期には定着していたことが古文書からわかります。内陸に位置する大野ですが、江戸時代には、越前海岸に接する飛び地「西方領」(現在の丹生郡越前町の一部)を持っており、このことが風習の成立に繋がったと思われます。冷蔵できない時代は行商が運んでくる半夏生さばは御馳走でした。近年においては、市内の鮮魚店やスーパーで販売されており、店頭で焼き上げる鮮魚店には、煙と香ばしい匂いが立ち込め、半夏生さばを買い求める多くの人で賑わいます。その様子は、季節を感じさせる一つの風景となっています。
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

福井のソースカツ丼

福井県は「カツ丼」と言うと、まずソースカツ丼が頭に浮かびます。これは大正2年に高畠増太郎さんがドイツで料理の修行から帰ってきて、当時日本にはなかった“ソース”を使ってカツ丼にしたのが始まりでした。大正6年頃には東京に店を構えていたそうですが、関東大震災で実家の福井に疎開し、福井でソースカツ丼を提供し始めます。福井県ではそば屋も多く、その多くが丼ものも提供しており、越前おろしそばとソースカツ丼という組み合わせは、福井の外食における鉄板メニューでもあります。玉子とじカツ丼との決定的な違いは肉の厚さです。ソースカツ丼のカツは薄く、カリカリに揚がったカツを2~4枚、ソースにくぐらせて丼の上に乗せるだけです。ごはんとカツの間にはキャベツも敷きません。いたってシンプルなソウルフードです。ソースカツ丼のソース、という商品も登場しているほど、福井の食文化として根付いています。
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

へしこ

へしこは魚のぬか漬けのことで、若狭地方の伝統料理です。歴史は古く、江戸時代の中頃にはすでにつくられはじめていたといわれています。春にさばがとれた時につくり、秋の終わり頃に取り出して食べます。この地域は、魚を食べないとご飯を食べた気のしない人が多いので、冬で漁がない時などに焼いて食べます。焼くとぬかの焦げるにおいが香ばしく、ご飯がすすみます。田烏、矢代などの浜のひとたちが、魚のとれた時に大八車等に積んで持ってきて漬込んでくれます。
へしこ
福井県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

ボルガライス

福井県越前市の武生地区を中心に40年以上前からあるボルガライスです。ライスとたまごとトンカツ、そしてお店のオリジナルソースが重なり合ったグルメでボリューム満点です。越前市の三大グルメの一つにも数えられ、市内20店舗以上あるボルガライス提供店では、それぞれまったく異なる味のボルガライスが食べられます。ぜひともお腹を空かせてボリュームあるボルガライスを食べ歩き、あなた好みのボルガライスを見つけてください。
ボルガライス
福井県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

若狭おばま醤油干し

福井県南西部の若狭地方は、栄養分豊富なリアス式海岸に抱かれ、かつ暖流と寒流の合間にある地理的特性から、多種多様な美味しい魚を生み出す地域です。若狭の魚が集まる小浜市では、古くから魚を醤油干しとして加工する技術が受け継がれています。全国で一般的な塩干しやみりん干しではなく、しょうゆベースの調味液に漬け、一晩干したシンプルな加工品ですが、魚の風味や素材のうまみを損なうことなく、ふっくらと仕上げます。京都で珍重されるサバや小鯛の他、ハタハタやアジ、アナゴなど、さまざまな魚種で加工され、地域でもっとも愛されています。大量に漁獲された魚を、自分たちで食するために短期保存と旨み醸成を両立させたもので、一説では江戸時代から続くといわれています。醤油が一般普及した戦後からは、地域の魚屋の主な加工食品となりました。御食国の歴史を引継ぎ、魚の加工技術の到達点として、歴史の積み重ねが感じ取れる一品です。
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

若狭地方のニシンのすし

江戸時代中期から、北海道と大坂をつなぐ日本海航路で活躍した北前船により、北海道から出汁の素となる昆布とともに、大量に漁獲されたニシンが伝わりました。敦賀・小浜という北前船の一大寄港地を抱える若狭地域は、古くは御食国(みけつくに)として、各種海産物を「なれずし」として都に供給してきた地域であり、その文化と加工技術がニシンと融合することにより、「ニシンのすし」が生み出されました。北前船が活躍した江戸時代以来、大根と身欠きニシンを麹漬にした伝統的な保存食として、特にお正月などの冬場のハレの食として珍重されています。現在も各家庭でつくられる他、地域団体が保存継承に取り組む若狭で愛されるソウルフードです。伝統的な発酵食文化と北前船による流通往来によりもたらされた食材が融合した、海の国「若狭」の100年フードです。
若狭地方のニシンのすし
福井県