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全国各地の100年フード

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埼玉県

未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

こしがや鴨ネギ鍋

地元特産である越谷ねぎと越谷市に宮内庁鴨場があることから「越谷ねぎ」と「鴨」を使用した料理「こしがや鴨ネギ鍋」が誕生しました。「鴨が葱を背負って来る」のことわざの意味は、鴨の肉に葱まで添えてあって、すぐ鴨鍋ができる意から、うまいことが重なり、ますます好都合であることのたとえ。だから、「こしがや鴨ネギ鍋」は縁起がいい!鍋なんです。~こしがや鴨ネギ鍋の特長と条件~元祖「こしがや鴨ネギ鍋」はしょう油ベースの鍋つゆに鴨つくねと具だくさんの野菜入り。越谷ねぎは煮込みの他に、焼いたものを最後にスライスした鴨肉と一緒にトッピングするのが特長です。 「こしがや鴨ネギ鍋」は、1.しょう油ベース、2.店主厳選の安全安心の鴨(合鴨)肉使用、3.越谷ねぎは煮込みと焼きのダブル使いの3条件のみ。その他のかくし味やアイディアは各店舗におまかせとなっていますが、元祖も各店も、煮ても焼いても甘い越谷ねぎの特長を活かしたお鍋となっています。
こしがや鴨ネギ鍋
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

狭山茶

狭山茶は主に埼玉県内や埼玉県に隣接する東京都西部地域で生産をされたお茶のことをいいます。江戸時代後期、狭山丘陵の北麓(現・埼玉県入間市と東京都瑞穂町)の住民が、「蒸し製煎茶」の製造技術を京都から導入し、関東以北で初めてその製造に成功しました。 茶産地としては北方に位置するため、摘採回数が少なく、茶葉がじっくり育つことから、味が濃いとされます。また、「狭山火入れ」と呼ばれる強い火入れを行うことで、独特の香ばしさが生まれます。現在はオートメーション化された機械製茶で生産されますが、手揉み製茶の継承にも力を入れています。 狭山茶は栽培から販売までを一貫して行う「自園・自製・自販」の茶業者が多いことが特色で、味や風味に違いやこだわりがあります。お客さんの声を聞き、茶栽培から製茶に活かしています。
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

煮ぼうとう

煮ぼうとうとは、比較的容易に小麦粉を手に入れることができた土地ならではの工夫と知恵がたっぷり入った、深谷の郷土料理です。 特徴は、幅広の麺(およそ2.5センチ、厚さ1.5ミリ程度)と、特産である深谷ねぎ、地元で収穫される根菜類をたっぷり使い、生麺の状態から煮込んでいるところです。生麺から煮込むことで、適度なとろみが生まれ、しょうゆで味をつける、深谷の定番メニューです。 深谷出身の明治の実業家・渋沢栄一翁も好んで食べたそうで、今でも栄一翁の命日には、煮ぼうとうの会が催され、煮ぼうとうを食べて遺徳をしのんでいます。
煮ぼうとう
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

妻沼のいなり寿司

熊谷市妻沼地域の名物「いなり寿司」は、しょうゆと砂糖で煮込んだ油揚げに酢飯を詰めた細長い俵の形で、他の地域より長いという特徴がある。通常、いなりずし3本に巻きずしを加え、一人前として売り出している。江戸時代、利根川の水運により、江戸で流行した「稲荷寿司(いなりずし)」が妻沼へ伝わり、河岸で働く人々や、妻沼聖天山の参拝者などに喜びと満腹感を与えた。現代の妻沼には「いなり寿司」の名店が並ぶ。江戸時代中期、国宝「歓喜院聖天堂」建立と同時期に創業した茶屋「毛里川(もりかわ)」が前身の「森川寿司」、明治時代の門前茶屋を発祥とする「小林寿司」、戦後、聖天山四脚門近くに店を構えた「聖天寿し」などが郷土の味を作り続けている。戦後、全国のいなり寿司の大きさが縮小される中で、妻沼地域では製法を変えず、江戸時代に流行した長い形状が引き継がれたと考えられる。現在では国宝建造物を前にした名物として人気を集めている。
妻沼のいなり寿司
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

五家宝

江戸時代後期から熊谷の地で作り続けられてきた五家宝は、伝統的な食文化として現代の熊谷人に愛され続けています。もち米を一旦もちについてから薄くのばし、細かく砕いて煎り、あられ状にしたものを円筒状にして、その外側に黄な粉をまぶします。より板(のし板)で長くのばしてから適当な長さに切ります。今もなお昔から継承されてきた独特の手作り技法によって、熟練した職人の腕や勘に頼りながら、家内工業的に作られており日持ちも良いことから、熊谷名物として人気を集め全国に知られるようになりました。五家宝の発祥には諸説ありますが、中山道の宿場町として栄え市も開かれていた熊谷では、荒川の恵みを受け、五家宝の原料となる良質の米がとれました。そして、大豆が豊富に作られており、水飴の原料となる大麦も多く収穫され、生産に適していたことから、「五穀は家の宝である」という祈りを込めて現在の「五家宝」が確立されたと考えられています。
五家宝
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

草加せんべい

草加宿で生まれたから、草加せんべい。地元で収穫した米で作る米せんべいは、日光街道(奥州街道も宇都宮まで重なる)の宿場町として栄えた草加宿(草加市)で名物となり「草加せんべい」と呼ばれたことが名称の起こりでした。日本各地にはいろいろなせんべいがありますが、草加せんべいは米と醤油を使った堅焼きせんべいの代表。小麦と砂糖を原料にした甘口のものとは風味が全く異なります。草加せんべいが作られるのは、平地と水に恵まれ、江戸時代からの水田地帯であった草加を含む中川流域。現在の「草加せんべい」は、せんべいに最適のうるち米を厳選使用して、熟練の技をもつ職人として認められた草加伝統産業技士によって、ていねいに焼き上げられる(または管理される)ため、品質とおいしさが確保されています。バリバリっと砕ける食感と共に、醤油の香りが広がる素朴で懐かしいおいしさが魅力です。
草加せんべい
埼玉県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

フライ・ゼリーフライ

「フライ」と言えば一般的に揚げ物というイメージですが、行田市の位置する北埼玉地方は古くから小麦の産地であり、「フライ」は揚げ物ではなく小麦を使った焼き物を意味します。小麦粉を水で溶き、鉄板の上で薄く焼き、ねぎ、肉、卵などを入れ、ソースまたは醤油だれをつけて食べるふわりとしたお好み焼きのようなものです。安くて持ち運びが便利なうえに腹持ちがよく、昭和初期には足袋工場で働く女工さんに大ヒットし、販売する店が増えて定着したと言われています。一方、「ゼリーフライ」は、モチモチとした食感が大人にも子どもにも大人気で、ジャガイモにねぎやにんじん、おからが入った、衣のついていないコロッケのようなものです。そのルーツは明治時代の日露戦争の時に中国から伝わった「野菜まんじゅう」と言われ、名前の由来は、小判形であることから「銭フライ」といわれていたものの「銭」がなまって「ゼリーフライ」となったと言われています。
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

武蔵野地域のうどん文化(武蔵野肉汁うどん)

水と栄養に乏しい大地の武蔵野では、江戸から明治時代にかけて開拓とともに落葉樹を植えて平地林を作り、冬に落葉を集め堆肥にしました。この落ち葉堆肥農法で育てた麦とさつまいもが畑作の中心であり、小麦食文化が発達。今では日常的に食べられるうどんですが、近代以前の農家では正月や盆の振る舞いとして、手打ちうどんが親しまれてきました。コシとキレのある食感の讃岐うどんと違い、武蔵野うどんはごわごわとした噛み応えある食感とコシの強さが特徴です。温かいつゆにつけて食べる「つけうどん」の食べ方が一般的で、つゆはかつお出汁や醤油を主とした濃い味で、糧(かて)と呼ばれる季節の茹で野菜がたっぷり入っています。かつては栄養のためだけでなく、貴重な小麦を節約するために糧を入れてかさを増やしたと言われています。近年は地域名を付したうどんも多く、食べ方や調理法は同じ武蔵野でも多様性があります。昔の糧は野菜中心でしたが、現在、所沢では肉を使った肉汁うどんが進化し定着しつつあり、「肉汁うどん」マップも発行されています。
武蔵野地域のうどん文化(武蔵野肉汁うどん)
埼玉県