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全国各地の100年フード

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大分県

伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

戸次のほうちょう

「ほうちょう(鮑腸)」は、江戸時代の古文書にもみられる大分市の中戸次に伝わる郷土料理です。かつては大分市内だけでなく周辺地域でも、お盆やお祭りで客をもてなす料理として作られてきました。手間がかかるうえに、適度な柔らかさにした生地を長くのばす熟練した技が必要になることから、家庭では次第に作られなくなりました。指先でもむように麺をひねりながら両手いっぱいにのばしていき、一本の長さは3m近くになります。茹で上げた麺を丼に盛り、つけ汁に麺をくぐらせて食する姿は古来の食べ方が今に伝わるものです。出汁は干椎茸、昆布、煎子、鰹節を用いて風味豊かにとり、薄口醤油でつけ汁に仕上げます。薬味に胡麻など、生姜、小ネギ、カボスを添え、麺をすすると、饂飩とは異なる舌触りやコシのある食感、こだわりの醤油とカボスの香りが口に広がります。今ではイベント等でしか食べられない、地元で愛される郷土の味です。
戸次のほうちょう
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

黄飯(おうはん)

黄飯(おうはん)は、くちなしの実を水に浸し、その黄色に染まった水で炊いたご飯です。「かやく」と呼ばれる白身魚や野菜、豆腐などを炒め、煮こんだ「けんちん汁」のようなものと一対でいただきます。 黄色く炊いたご飯は、江戸時代の質素倹約な生活の中、贅沢な赤飯の代わりの祝いの飯として作られたのが起源と言われています。また、戦国時代に到来した南蛮文化の名残を留めた欧州由来のパエリアを模したとも言われています。 臼杵市内の家庭の庭先にはクチナシの木が植えられているところも多く、かつては祝い事の際や年末になると、そのクチナシを使い、黄飯を作っていました。現在は、学校給食や市内飲食店で提供され、老若男女から愛される、次世代に大切に継承していきたい臼杵が誇る郷土料理です。
黄飯(おうはん)
大分県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

頭料理

大分県南西部に位置し海から遠く新鮮な海魚を食べる機会が少ない竹田市で、貴重な魚を余すところなく食べるための工夫として「頭料理」が生み出されました。「頭料理」にはニベ、アラ、クエ、ハタなどの大型の白身魚が使用され、普段なら捨ててしまうようなえら、あご、内臓、皮なども材料とされています。それぞれ湯引きし、大皿に盛り付け、紅葉おろしや刻みネギと、カボスの三杯酢でいただきます。江戸時代初期の藩主中川久清の頃から作られるようになったといわれ、幕末期の記録(元治2年(1865年)、慶応2年(1866年)「恵比寿講帳」)にも、城下町で正月に開催された恵比寿講の献立に「頭料理」が記されています。祝い事などハレの場で家族や客人と楽しむとともに、年末にまな板を縁側に持ち出し、大きな魚をさばく風景が風物詩になっていました。現代でも竹田市内の取り扱い店舗への予約により「頭料理」を食べることができます。
大分県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

佐伯ごまだし

佐伯ごまだしは漁師の家庭で生まれ、長年家庭で愛され食べられてきた万能調味料です。市内の食堂でも食べられるようになったのは100年以上前のことで、お土産用の瓶詰めが販売され始めたのは昭和42年頃です。主に白身魚を焼きほぐし、ゴマや醤油等を加えて、よく混ぜ合わせ、ペースト状にして作ります。茹でたうどんにのせてお湯を注ぐだけで食べられ、まさに先人達が残してくれた優れもので、作る時は”スローフード”、食べる時は”ファストフードです。平成19年に農林水産省「農山漁村の郷土料理百選」に選定されました。味の伝承のため、地元の小中学生には授業の研究材料として、高校生には卒業間近の3年生に地元から離れても郷土の味を思い出してもらおうと校内で振る舞いを行っています。日本記念日協会から「佐伯ごまだしの日(11月10日)」を制定し、毎月10日を販売促進日として地元スーパーや道の駅等でご協力をいただいています。
佐伯ごまだし