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全国各地の100年フード

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近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

名古屋コーチンの食文化

江戸時代、尾張名古屋の地は鶏の飼育に適していたため、藩士の内職で養鶏が奨励されていました。明治時代になり、元尾張藩士たちがその技術を活かし、生まれたのが名古屋コーチンといわれ、卵も肉もとれる鶏として脚光を浴び、愛知県のみならず全国に普及しました。 戦後、外国産の鶏の輸入量が増え、一時は生産量が著しく減少しましたが、愛知県、名古屋市と業界が一体となって取り組むことで復活を果たしました。名古屋コーチンは、愛知県に多彩な食文化を根付かせ、ひきずりや鶏めし、親子丼や焼き鳥といった料理に活用され、100年以上の長きに亘って鶏好きな愛知県民を育んできました。名古屋コーチンを使った鳥料理は「なごやめし」の定番にも数えられており、名古屋の食文化として学校給食にも取り入れられ、親しまれています。 現在も名古屋コーチンをもちいた様々な食文化が考案され続け、その食文化は地域で愛され続けています。
愛知県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

なすのたたき

高知県安芸市では古くから冬から春にかけて栽培される「冬春ナス」の生産が盛んな地域で、一時は日本一を誇っていたほど、日本有数の産地です。そんな地域でナスを消費するために家庭料理として生まれたのが「なすのたたき」です。素揚げしたナスの上に細かくほぐした焼きアジの身を乗せ、さらにその上からショウガ、ミョウガ、大葉などの薬味を散らし、ゆずポン酢をかけて食べます。油との相性が非常に良いナスに魚の旨味や薬味の爽快感も合わさってお箸が止まりません。
なすのたたき
高知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

菜豆腐

宮崎県の山間に位置する椎葉村は、遠い昔、壇ノ浦の戦いに破れた平家の武者たちが隠れ住んだほど静かな所で、山々に囲まれた自然豊かな村です。椎葉村では「菜豆腐」は、お祭りや冠婚葬祭など、人が集まる時に家庭で作られていた椎葉の郷土料理です。豆乳に刻んだ野菜などを入れて固めた豆腐で、水をしっかりしぼるため固めであること、1丁が通常の豆腐の2丁分にあたるほど大きいことも特徴です。大豆が貴重だった時代、少しでも大きな豆腐にするために、野菜などを入れて量増ししたと言われています。昔からよく使われていたのは「平家カブ」の葉。春先には菜の花の黄色い花やつぼみを入れたり、5月には紫色の藤の花を入れたり…春の菜豆腐の彩りは特に美しいです。その他、大根、人参、ユズ、最近ではパブリカなど、現在では様々な素材も入れられています。素朴な菜豆腐の味わいは、椎葉村そのものを表しているようです。
菜豆腐
宮崎県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

なみえ焼そば

福島県双葉郡浪江町の安くておいしい、昔から親しまれる極太麺の『なみえ焼そば』。 約65年前、労働者のために食べ応えと腹持ちをよくするために考案されたとされています。
通常の約3倍のもある太い麺と、うまみたっぷり濃厚ソース、豚肉とモヤシだけのシンプルな具が特徴です。極太麺、モヤシ、豚肉、極まる馬さ、ここにあり。一味唐辛子を振りかけて食べるのが通な食べ方とされます。
なみえ焼そば
福島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

なよろ煮込みジンギスカン

北海道を代表する食文化「ジンギスカン」のうち羊肉をタレに漬け込んで食する地域のなかでも、名寄地方で販売されているジンギスカンは肉とタレの割合が6:4で、道内他地域の7:3と比較してタレの割合が多くなっています。戦前は焼肉としての食べ方が普及しておらず、鍋料理として食べられていたため、汁(タレ)が多く必要であり、その名残りとしてタレの多い文化が現在まで受け継がれたと考えられています。智恵文地区では北海道の中での昭和の初期段階から羊肉が生産者を中心に食べられていたことがわかりました。名寄では、この味付きジンギスカンをタレごと鍋に入れて、お好みの野菜やうどん等の具材とともに豪快に煮込みます。北海道ではお花見に七輪でジンギスカンを食する文化もあり、春から秋にかけての消費が圧倒的に多い料理ですが、名寄では鍋料理としても位置付けられており、冬の消費量が多いのも特徴のひとつです。
北海道
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

なり味噌

1747(延享4)年の「換糖上納令」以降、奄美大島諸島では米作からサトウキビ栽培への転換が進みましたが、生産したサトウキビは黒糖となり厳しい年貢の取り立てにより食べるものがなくなりました。 食糧の無い厳しい時代に米に変わる食材としてソテツが食べられるようになりました。 そのような食文化が根付いた島々では古くからソテツの実「なり」を使った味噌作りが行われてきました。 子宝島の朋友では大量生産ではなくひとつひとつ丁寧に作業しています。 先人たちの知恵を受け継ぎ、昔ながらの丁寧な手作業で作った「なり味噌」は 茶請けとしてそのまま食べることもでき、島料理の味付けとしてもよく使われています。
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

鳴門わかめ料理

徳島県のわかめは、古くは奈良・平安時代から特産品として全国的に有名であったようです(927年「延喜式」に阿波の貢物としての記録)。1960年代から鳴門海峡を中心に養殖業が本格化し、徳島県は全国3位の養殖わかめ生産量を誇り、2010年代では年間6千トン前後を生産しています。産地ならではの料理として、新鮮な生わかめを湯通しすると美しい緑色になり、ポン酢で「しゃぶしゃぶ」が楽しめます。湯通し塩蔵わかめは、水戻しして汁物や酢の物、刺身の添えなどに使い、乾燥糸わかめやカットわかめは、そのまま温かい汁物などに入れるだけで歯ごたえの良い食感が楽しめます。また、乾燥糸わかめは「わかめ針」で葉を一本ずつ糸状に割いて乾燥させたもので、昔ながらの手間暇かけて作る伝統の技が受け継がれており、贈答品や土産物などとして活用されます。このような「鳴門わかめ」料理を郷土の伝統として、未来にしっかりと伝えていきたいです。
徳島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

南関そうめん

南関そうめんの歴史は、250年とも300年とも言われており、江戸時代には、当時の肥後藩主が参勤交代の際に、肥後の土産として必ずこのそうめんを将軍家に献上されていたといいます。このそうめんは、茹でても伸びないほどのコシの強さと、シコシコした歯ざわりが特徴です。現在製造されているものは、曲げそうめんと呼ばれており、江戸後期にそうめんの束ね枠が考案されてからは主流となっています。南関そうめん作りの最盛期、明治中期には200を超える製麺所があり、すだれのように長く延ばしたそうめん干しの光景が数多く見られたそうです。現在でも、町内で10軒の製麺所が、機械を一切使わない完全手延べの伝統製法で昔と変わらぬ伝統の味を守り続けています。
南関そうめん
熊本県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

南部鼻曲がり鮭の新巻鮭

独特な容姿から南部の鼻曲がり鮭とも呼ばれている「新巻鮭」は、400年以上前の安土桃山時代に大槌(おおつち)で誕生したと伝えられています。当時の城主である大槌孫八郎は「この地の鮭を江戸に運び、大槌の名物にできないか」と考え、美味しく長期保存できる新巻鮭を編み出しました。新巻鮭は鮭を塩蔵したのち寒風干しにした加工品で、現在も昔からの変わらない手作業によって作られる、三陸を代表する伝統的な特産品です。寒風干しによって旨味が濃縮された新巻鮭は贈答品としても喜ばれ、今日も全国各地の食卓を彩ります。大槌町では文化継承活動の一環として小学校で新巻鮭作りの体験学習が行われます。ここ数年、鮭の水揚げ量は減り続け地元の鮭を使うことは難しくなりましたが、新巻鮭発祥の町としてこれからも文化を守り続けます。
岩手県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

西伊豆しおかつお

西伊豆町に古くから伝わるカツオの塩蔵乾干しです。原型は約1300 年前の奈良時代にまで遡ります。かつて西伊豆町の田子地区は「かつおのまち」として有名で、カツオの漁師町として千年以上の歴史が有ります。潮鰹は、神事も兼ねた保存食として、昔から伝わる製造方法で作り続けられており、常温保存させる為に塩分濃度が高いことが特徴です。古くからお吸い物やお茶漬けなど、かつおの旨味だしとして使われてきました。現代の鰹節が登場する前から利用されていたことから、かつおだしの始まりとも言われています。お正月には、縁起の良い「しょうがつよ:正月魚」として家族の繁栄を祈念し、玄関先や神棚にわら飾りを付けて吊るし飾ります。三箇日が過ぎると神棚からおろし、年神様の「おさがり」として食べる地域の絆を強める縁起の良い食べ物です。この独特な慣習は、西伊豆町の文化財として登録されています。西伊豆しおかつおを用いたうどん等が地元の飲食店やイベントなどで提供され、地元に住む人達だけでなく、観光に訪れた方々にも人気のメニューです。
西伊豆しおかつお
静岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

西谷地区のちまき

ちまきは、中国戦国時代の楚の屈原を弔うために始まったとされる端午の節供の行事が由来と言われており、それが日本に伝来し、茅萱(チガヤ)の葉で最初に巻いたため、ちまき(茅巻き)という名前がついたと言われています。ちまきの名前がついたのは奈良時代で、その後地方に広がっていった際に、それぞれの地域に生育するササ類、ススキ、ヨシ、ダンチクなどの植物の葉で包むように変化していきました。 西谷地区では、全国的にもきわめて稀なナラガシワとヨシの2種類の植物で包むちまきが作られており、ナラガシワとヨシを使ったちまきは昭和初期まで猪名川上流域と武庫川中流域で広く作られていましたが、現在ではほとんど作られていません。 作ったちまきは田植えが終わった後の労いとして食されていたほか、里帰りの際に土産として持たせるなど、単なる食文化としてだけでなく、贈答の習俗として地域に根差したものとなっています。
西谷地区のちまき
兵庫県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

西馬音内(にしもない)そば

秋田県羽後町は日本三大盆踊りの一つと言われ、ユネスコ無形文化遺産に登録された風流踊りの一つ西馬音内盆踊りの地であります。先人たちの生活の営みの中から生まれた、多くの古い文化を大切に育んでいる地域でもあります。米作地域のこの地に、200年以上前の江戸時代後半そば屋が創業されました。初代弥助が大坂で修業をし、試行錯誤を重ね繋ぎの一つとして海藻である布海苔を使い、冷たい汁で食べる冷がけそばは、地域はもちろん、物資の集積地と言われたこの地を訪れた人々をも魅了しました。布海苔を使う技法は縁者たちによって広められ、新たなそば屋として現代まで受け継がれております。内陸地にありながら、海藻である布海苔を使うことや西馬音内そばの特徴である冷たい汁で食べる冷がけそばの技法は歴史のロマンとして、現代まで受け継がれてきており、毎年秋に開催されている「西馬音内そばまつり」でおいしさの情報発信が図られています。
秋田県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

煮ぼうとう

煮ぼうとうとは、比較的容易に小麦粉を手に入れることができた土地ならではの工夫と知恵がたっぷり入った、深谷の郷土料理です。 特徴は、幅広の麺(およそ2.5センチ、厚さ1.5ミリ程度)と、特産である深谷ねぎ、地元で収穫される根菜類をたっぷり使い、生麺の状態から煮込んでいるところです。生麺から煮込むことで、適度なとろみが生まれ、しょうゆで味をつける、深谷の定番メニューです。 深谷出身の明治の実業家・渋沢栄一翁も好んで食べたそうで、今でも栄一翁の命日には、煮ぼうとうの会が催され、煮ぼうとうを食べて遺徳をしのんでいます。
煮ぼうとう
埼玉県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

寝寿司(ねずし)

寝寿司は馴れ寿司の一種で、岐阜県の飛騨地方を中心に冬の保存食品として作られ、飛騨地方では正月の御馳走として大切に伝えられてきました。起源は明治以降と考えられ、100年以上の歴史があると推定されています。作り方は人参、大根を短冊に切り、少し塩を振り、塩鱒は水で塩抜きをし細かく刻みます。これらに米麹をまぶして冷やした白ご飯に混ぜ樽などに入れ、重しをして約20日間ほど熟成するため寝寿司といわれています。寒さが厳しくなる12月中旬頃から漬け込み、20日ほど熟成して正月に間に合わせます。作り方にマニュアルは無く、昔から各家庭に代々伝わってきた郷土料理です。冬の気温変化などにより味が変わりやすく熟成まで手間がかかります。発酵食品特有の滋味に地方ごとの冬の気候の微妙な差、材料による味の差なども加わって生まれる味はとても奥深い味です。地域の重要な食文化として家庭や地域が連携して後世に残したい食べ物です。
岐阜県