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全国各地の100年フード

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新潟県

近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定
令和4年度認定
有識者特別賞

へぎそば

抜群ののど越しと、ツルツルシコシコとした食感に思わず顔がほころぶのが「へぎそば」です。 一年の約半分を雪に覆われる日本屈指の豪雪地で、雪と闘いながらも、時にはそれを恵みとして生かした物語からうまれた食文化です。織物の産地において、きものの糸の糊付けに使われている布海苔という海藻をそばのつなぎに代用したのがへぎそばの誕生と言われています。 長い冬を乗り切るための保存食であった「ソバ(実)」と、冬仕事であった「きもの産業」が出会い、へぎそばが誕生しました。そばは貴重品で祝い事に出すご馳走でもありました。 へぎそばの独特の食感は、布海苔をつなぎに使用することで生まれたものであり、名前は「へぎ(片木)」という木の箱に盛り付けるところが由来です。 大正時代から続くへぎそば店では、盛り付けについて一口サイズに束ねたそばは、絹糸の束、その並べ方はきものの織り目を意識したものと伝えられています。
新潟県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

雪国の越冬料理 ~ゼンマイ料理、だいこん料理、栃もち、煮菜(にいな)~

日本有数の豪雪地である上信越国境沿いの地域では、5か月も雪に閉ざされた暮らしを続けてきてますが、冬期間でもおいしい食事をするための保存技術と越冬料理が、雪国文化として続いています。 雪消え直後から次の冬に向けて準備する「ゼンマイ」、乾燥や凍結を嫌い「大根つぐら」という雪中保存される「だいこん」など食材に合わせた保存技術と、それらの食材で作る「煮菜」や「なます」、「とち餅」などの冬の「ごっつぉ(料理)」は7000年続く雪国文化の真髄ともいえます。
新潟県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

えご

「えご」は紅藻のエゴノリを煮溶かし、よく練ってから寒天のように固めて作る海藻料理です。独特のモチモチとした食感があり、一口サイズに切って皿に盛り、からし酢味噌やわさび醤油で食べます。新潟県では「えご」や「いご」と呼ばれ、お盆の時期や冠婚葬祭などのハレの日に欠かせない料理として親しまれてきました。佐渡島ではこれを「いごねり」と呼び、板状に薄く延ばしたものをくるくると巻いて細切りにし、薬味をのせて醤油をかけていただきます。梅雨が明けて7月の土用を過ぎると、日本海の夏の味覚であるえご漁が解禁され、お盆前までが漁期です。乾物にしたえご草は、海から遠く離れた山間の村々へ運ばれ、貴重な海産物として食されてきました。江戸時代から海と山を結ぶ食文化として育まれてきた「えご」は、次世代に伝えたい新潟県民の大切な食文化です。
新潟県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

背脂ラーメン

燕の背脂ラーメンは、極太麺を使用しており、スープは煮干しなどの魚介類の出汁が効いた、やや濃い醤油味となっています。そして、丼から湯気が上がらないほどにかけられている大量の豚の背脂が特徴です。これは、産業文化が育んだ食文化の一つで、当時の金属産業の発展にあわせ、その形を変えてきました。昭和初期、輸出用の金属洋食器の製造が盛んで、夜遅くまで残業が続いた職工たちの要望から、細麺・薄味で提供されていたラーメンを腹もちがよく、伸びにくい極太麺に変更し、汗をかく職工たちのため、しょっぱめのやや濃い醤油味に改良されました。さらに、スープを背脂で覆うことでスープが冷めにくくなり、忙しさのあまり出前直後に食べられない職工たちを喜ばせました。燕の背脂ラーメンは、金属産業が盛んなまち「燕」だからこそ生まれた食文化の一つです。現在は新潟五大ラーメンの一つに位置づけられ、地元燕だけでなく、全国各地で愛されています。
新潟県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

村上の鮭の食文化

村上市内を流れる三面川には毎年多くの鮭が遡上します。鮭は古くから流域の人々の貴重な恵みとなり、鮭漁がもたらす収益は江戸時代の村上藩や城下町の財政を支え、明治時代以降も町の発展に大きな役割を果たしてきました。鮭を大切にする住民の思いは強く、鮭は「魚の中の魚」という意味の方言で「イヨボヤ」と呼ばれ親しまれています。鮭は「捨てるところが無い」と言われるほど殆どの部位が使用され、百種類以上の多様な鮭料理があります。また伝統漁法の「居繰り網漁(いぐりあみりょう)」など江戸時代から受け継がれてきた技術が今も残り、地域の貴重な文化遺産となっています。三面川と鮭に関わる文化は、自然の恵みに感謝し限られた資源を大切にしてきた日本人の精神を現在に伝えるものであり、城下町の歴史的な環境とともに未来に残すべき文化です。村上にとって大切な鮭の食文化をこれからも広く紹介し、未来へと受け継いでいきます。