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全国各地の100年フード

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伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

焼きまんじゅう

小麦を麴菌で発酵させた「饅頭」に味噌をつけ、火であぶって仕上げた「焼きまんじゅう」は群馬のソウルフードです。「饅頭」といっても、餡が入っていないのがスタンダード。店により「小豆餡」や「黒ごま餡」が入っているものもあり、味も様々です。伝承によれば、江戸時代末期、原嶋屋総本家初代の原嶋類蔵が、試行錯誤して現在の「焼きまんじゅう」を生み、生糸や繭の取引でにぎわっていた前橋の市に売りに出したことが始まりと言われています。今で言う移動販売のように各地で販売したことから、群馬県全土にその味が広まり、庶民の味として親しまれるようになりました。現在では、焼きまんじゅうから派生したスナックや、マフィン、ジェラート、せんべいなど、味噌の香ばしい味わいを再現した土産品なども登場しています。群馬に来たら是非味わってほしい前橋の100年フードです。
群馬県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

矢島凍み豆腐

矢島凍み豆腐は、信州佐久の矢島地域の厳寒期特有の風土で生み出され、古来より冬の食卓を彩ってきた伝統食です。 その由来は、むかし、武田信玄が上杉謙信を攻めるために、はるばる甲州から兵を率いてやって来て、現在の佐久市矢島地域の西方にある虚空蔵山の頂で宿営をしました。この虚空蔵山は信州から甲州に戦況を知らせるために、信玄がのろしを上げる場所としていました。ここに信玄が宿営したとき、矢島城主の矢島某氏が、大将の食膳豆腐をだしたところ、ちょうど寒中であったので、豆腐はすっかり凍ってしまいました。信玄はこの凍った豆腐が美味であると誉めて、これを薄く切って凍らしたら良いだろうと農民たちに奨励したことが始まりといわれています。 矢島の凍み豆腐は、柔らかな舌触りで大豆のうま味があり、今では県内外から注文が寄せられ、期間と地域が限られるファンの多い逸品です。
矢島凍み豆腐
長野県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

やたら

「やたら」は、長野県北部の北信地方で食べられている旬の夏野菜と風味豊かな味噌漬けを細かく刻んで混ぜあわせた総菜料理です。語源は「やたらとたくさんの野菜を使うから」とか、「やたらに刻むから」などと言われています。材料はなす、きゅうり、みょうが、青唐辛子などの夏野菜が基本で、大根の味噌漬けが調味料を兼ねます。すべての材料を細かくみじんに刻み、ご飯にのせて食べると暑くて食欲がない夏でも食が進みます。またそうめんや冷や奴の薬味としても相性は最適です。江戸時代から食されてきたといわれ、現在は野菜の種類や調味料をアレンジしたものも広く「やたら」の呼称で親しまれています。普段は一般家庭で作り食べられている「やたら」ですが、飯綱町では例年8月に町内の飲食店15店舗ほどが参加して「信州・飯綱町やたら祭り」が開催され、定番のものや和・洋・中に工夫した多彩な「やたら」の食べ比べが人気を集めています。
長野県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定
有識者特別賞

山形芋煮

山形といえば「芋煮」!江戸時代から続く山形を代表する郷土料理です。江戸時代に河川舟運に携わる人々が河原で鍋をしたのが始まりとされます。そんな由来があることからか、「河原」で行うのが「山形風」。職場、家族、友人などの仲間たちが河川敷に集い、一緒に調理した芋煮を食する「芋煮会」は秋の山形の風物詩です。 同じ山形県内でも地域によって味付けや具材が異なり、自分の土地に対する思い入れが詰まっています。山形市など山形県内陸地方では、「さといも」、「牛肉」、「こんにゃく」、「ネギ」を基本とした「醤油味」ですが、日本海側の庄内地方では、「豚肉」を使用し、「味噌味」になります。時には、味や具材の違いにより、「芋煮論争」に発展することもありますが、郷土愛ならでは。 例年9月の第3日曜日には、「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催されます。直径6.5mの日本一の大鍋と重機で、約30,000食分を超える食材を一気に調理する光景は、まさに「日本一」を名乗るにふさわしい芋煮会です。
山形芋煮
山形県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

山都そば

飯豊連峰の南の裾野に広がる喜多方市山都地区の「山都そば」は、古くから米の代替食として、そして、冠婚葬祭時のもてなしのご馳走として客人に振舞われています。特に結婚式の披露宴等の祝いの席では、客に蕎麦を振る舞う「後段の蕎麦」という習慣があり、その際、客人をもてなす側の人が「そば口上」という、蕎麦をほめる言葉におもしろおかしく節を付けて唄う習慣があります。 「山都そば」は、製粉歩留りを7割以内のそば粉で、つなぎを一切使わずに手打ちするため、白っぽく透き通った色合いで、しこしことした独特の歯ごたえがあるのが特徴です。 山都地区では、新そば以外でもそばをおいしく食べていただくために様々な工夫をしており、冬に積もった高密度の雪を利用した雪室(雪を使った低温貯蔵施設)で貯蔵したそばの実を挽いて打った「雪室そば」や、江戸時代に将軍家へ献上されたと言われる「寒晒しそば」など、様々な味を楽しむことができます。
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

湯浅の醤油

醤油の起源は、はるか中世の時代、中国に渡り修行を積んだ禅僧が伝えた特別な味噌から始まります。この味噌を作る過程で桶に溜まって捨てていた汁に紀州湯浅の人々が価値を見出し、工夫を重ね、生まれたのが現在の醤油であると言われています。醤油は、日本人の味覚に深く根差し、もはや欠かすことが出来ない調味料です。湯浅の醤油は伝統的な製法に基づいて作っているため、早く大量に醸造できませんが、醤油の真髄、本来の醤油のすばらしさを味わっていただけるように古くから伝えられている方法を受け継ぎ、作られています。
湯浅の醤油
和歌山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

ゆうれい寿司

「ゆうれい寿司」は、宇部市(旧楠町)内の吉部地区に伝わる真っ白い外見が特徴の押し寿司です。 良質な山水に恵まれ、お米と水がおいしいと評判だったこの地区では、柚子酢で風味をつけたご飯で押し寿司を作り、特別な日の御馳走として食べていました。その寿司は具が一切なく、真っ白い見た目と、具が消えたという表現から「ゆうれい寿司」と呼ばれ、吉部地区の伝統料理として伝承されてきました。 現代版では、酢飯にエソのミンチ(白色)を混ぜ込み魚介のうま味と風味を加えたものを使用、また押し寿司を2層とし、上段に白い酢飯、下層に吉部地区の季節の山菜等を混ぜた酢飯とすることで、外観は白いまま、山海の風味溢れる「おいしいゆうれい」へ。 郷土の食材を用い、味も自慢の料理として進化を遂げたゆうれい寿司は、地域を代表する伝統料理として、今に受け継がれています。
山口県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

雪国の越冬料理 ~ゼンマイ料理、だいこん料理、栃もち、煮菜(にいな)~

日本有数の豪雪地である上信越国境沿いの地域では、5か月も雪に閉ざされた暮らしを続けてきてますが、冬期間でもおいしい食事をするための保存技術と越冬料理が、雪国文化として続いています。 雪消え直後から次の冬に向けて準備する「ゼンマイ」、乾燥や凍結を嫌い「大根つぐら」という雪中保存される「だいこん」など食材に合わせた保存技術と、それらの食材で作る「煮菜」や「なます」、「とち餅」などの冬の「ごっつぉ(料理)」は7000年続く雪国文化の真髄ともいえます。
新潟県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

ゆず料理

高知県東部の中芸5町村(奈半利町・田野町・安田町・北川村・馬路村)は、「森林鉄道から日本一のゆずロードへ―ゆずが香り彩る南国土佐中芸地域の景観と食文化―」が日本遺産に認定されている地域です。現在も300年を超えると言われる古木があり、江戸末期の庄屋であった志士中岡慎太郎が、農家の副業として栽培を奨励したという伝承も残っています。「ゆず果汁」は柚酢(ゆのす)と呼ばれ、酸度の高さから酢の代用として使われてきました。防腐効果や食欲増進の効能があり、一升瓶で流通している程です。その柚酢を使い酢飯にした「ゆず寿司」、酢の物、刺身やにんにく葉をつかったヌタにしてかけたり、ゆず味噌、ゆず胡椒、佃煮、漬物、またお酒にも柚酒があります。各家庭や地区で伝承されるだけでなく、現在は、中芸の代表的食文化として、商品化もされ受け継がれています。
高知県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

ゆのすの恵み料理

私たちの地域では、あらゆる料理に柚子が使われています。メイン料理はもちろん、箸休めや、最近よく聞く「味変(あじへん・味をかえる)」にも。「何にでも合う」のです。そのため、果汁を絞って保存しつつ、「ゆのす(柚子酢)」と呼び、大切に使います。料理の中でも特に同じ物部(ものべ)の里山で収穫された野菜や山菜はもちろん、鹿や猪、あめご(アマゴ・サツキマス)など、里山の恵みであるジビエや川魚と合わせると絶品です。田舎寿司のすし飯に、お鍋の出汁に、デザートに、様々な使い方をします。何十年も昔から地域の味として親しまれている田舎寿司は酢の物はもちろん、今年開催した「ゆのすレシピコンテスト」で最優秀賞を獲得した「鹿ハムのゆのすジュレ」は絶品。新たなゆのすの活用法が生まれました。「100年フード」として伝えてゆくものにふさわしい、地域の食となると考えています。
高知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

よごし

「よごし」は、野菜をゆでて細かく切り、味噌で味付けをして炒りつけたもの。主に富山県の砺波平野を中心に食されます。簡単な調理方法ということもあり、いつから食されているかは不明ですが、昭和初期のころ、朝食にご飯一膳、それにたっぷりのよごしを乗せて食べたと記録され、お米が足りない時代にかさ増しするために作られていたそうです。また年中行事として浄土真宗の家々で催される報恩講において、ほうき草の実を使った「ほうきんのよごし」が精進料理として並びます。 夜に作り置きして翌朝に食べることから「夜越し」の意味で「よごし」と呼ばれるようになりました。材料や味付けに決まりはなく、無限の可能性を感じさせる砺波のソウルフードの代表格です。昔の人たちは、朝食には必ず「よごし」をいただいていたようです。 近年では野菜不足の現代人を救うヘルシーフードとしても注目される砺波市の100年フードです。
富山県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

横手やきそば

戦後間もなくから市民に親しまれてきた「横手やきそば」はツルツル、モチモチの茹で麺が最大の特徴です。鉄板での調理に適したこの麺は1軒の屋台の店主と製麺業者が試行錯誤を重ね生み出しました。安価でおいしいと子どもたちのおやつとして大人気となり、次第に多くの市民に好まれる郷土食として浸透していきました。今ではこの味目当てに横手を訪れる観光客も多く、伝統行事「かまくら」とならぶ横手の代名詞となっています。特徴的な茹で麺に絡むソースは出汁やスープを加えたマイルドな味わい。具材はシンプルにキャベツと豚ひき肉。半熟の目玉焼きの黄身を麺に絡めて食べるのが「横手流」。縁に添えられた福神漬けは、子どものおやつとして親しまれてきた名残りといわれています。食堂や専門店のみならず一般家庭でも食卓に上る「横手やきそば」は、これからも横手の郷土食として市民と共に歩み続けます。
秋田県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

吉田のうどん

明治時代に、富士山信仰で栄えた上吉田地区では、富士登山をする方に対してうどん店が営業されており、下吉田地区では、戦後織物の町として東京、大阪方面から買い付けに来る人などにうどんを振舞うためにうどん店が営業していました。吉田のうどんの麺は一般のうどんと比べ非常にこしが強く見た目にすごく太く、硬い麺で特に中心に行くほど硬い傾向があり、この麺をゆでると緩やかにねじれます。また、麺の断面が正方形に近いのも特徴です。富士山湧水仕込みの歯ごたえのある麺に相性抜群の茹でキャベツの付け合わせ、出し汁のきいた味噌と醤油の合わせつゆがうどんの風味を一層引き立てます。富士吉田ではうどんは「ハレの日」の食べ物として食されていました。今でも、富士吉田市で結婚式を行うと披露宴の最後には必ずうどんが出てきます。また、うどんが出てくることで、その披露宴の終わりを告げます。
吉田のうどん
山梨県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

吉野本葛

葛粉が菓子や料理に使われるようになったのは室町時代以降で、葛湯、葛きり、葛もち、葛落雁など様々な菓子が生み出されました。葛粉の最盛期は江戸時代で、農学者である大倉永常が「製葛録」の中で葛粉が食用としてだけでなく化粧品としても広く利用されていたことを示しています。奈良県での葛粉作りは「吉野晒」と呼ばれる精製方法で行います。冬に山で掘り出した葛の根を叩き潰し、桶の中で澱粉をもみだして得た澱粉乳から粗葛を作り、攪拌と沈殿、水の入れ替えを繰り返しながら精製していきます。精製した葛粉は室内で乾かし春過ぎにようやく吉野本葛が出来上がります。今は一部作業に機械も取り入れて作業がしやすい工夫がされていますが、江戸時代から続く吉野晒の技術はそのままに、伝統の製法と味を守りながら製造しています。今は吉野本葛を次世代に食べ繋いでいくための食育活動や、若い世代にも魅力を伝えるための商品開発にも力を入れています。
吉野本葛
奈良県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

四日市とんてき

四日市とんてきは単なる豚のステーキではなく、分厚い豚肉をにんにくと一緒に濃いめのたれでソテーしたっぷりのキャベツをそえた料理です。 ビタミンB1をたっぷり含んだ豚肉と疲労回復効果が高いにんにくを一緒に食べることにより、働く人を元気づける料理です。 市街地では戦後まもなくからお店で提供されていたといわれています。 中華料理店や肉料理店から広がり、工場も多く働く街のスタミナ料理として定着、現在では洋食、レストランラーメン店、居酒屋など四日市市内のいたるところで食べられます。
四日市とんてき
三重県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

よびしの食

「よびし」とは、冠婚葬祭などに、親戚や近所の人を招き(よび)おもてなしをする寄り合いのことで、多賀町近隣地区の方言です。町の中心にある多賀大社の古例大祭は鎌倉時代より続き、どんな食を準備したか江戸の文書にも記録されています。また、各集落に神社、寺院があり年中行事が受け継がれています。その際にふるまわれる「よびしの食(寄り合い時のおもてなし料理)」には、「うどんぬた・イタドリ煮・ゼンマイの白和え・くるみごんぼ・ぼんがら餅」などが各集落に伝わっています。「正月よび」「おんなよび」など行事や人によって呼び名も少しずつ異なります。食の準備をする人やレシピは、各集落で少しずつ異なり、リーダーの味が継承されて独自の文化が形成されています。また、食品や調理にまつわる動作、道具の名称も、多賀町を流れる2本の川、3つの谷筋で少し異なる方言があるのも特徴です。
滋賀県