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全国各地の100年フード

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鹿児島県

伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

姶良の煮しめ

「姶良の煮しめ」は、さつま料理で姶良市内の各家庭における「こだわり煮しめ」の総称です。藩政時代から夕飯の副食として食されており、今では節句や盆・正月などの行事食や冠婚葬祭などでも食されています。「姶良の煮しめ」は、旬の地元野菜や山菜、鶏肉などをたっぷり使って煮汁が無くなるまでじっくりと煮込むため、具材にしっかりと味が浸みこみます。また、各家庭で使用する具材や作り方が異なり、味付け、色合い、美しい盛り付けに加え、各家庭の創意工夫による一品一品に個性があるのが特徴です。それぞれの家庭の数だけ煮しめが存在し、それが代々伝えられています。近年、食生活の多様化と高齢化の進行により、素朴だった家庭の味が消えつつあります。姶良市では、2021年から市民挙げての「煮しめグランプリ」を開催し、「姶良を煮しめの聖地に!」をスローガンに鹿児島に伝承される食文化の発信と継承に向けた食育活動の推進を図っています。
姶良の煮しめ
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

ぷちむっちゃー

『ぷち』=よもぎ、『むっちゃー』=餅を意味し、月桃の葉で包んだよもぎ餅のことです。 日常的に餅が食べられるようになったのは、江戸時代中期頃からと言われています。 一年でいちばん潮が引く、旧暦の3月3日(4月上旬)。この日に行われる節句の伝統行事『浜下り』が開催されます。新生児が産まれた家では、赤ちゃんの足を海につけて身を清め、すこやかな成長を願います。よもぎには、強い匂いがあり、解毒や浄化作用があると言われることから、ぷちむっちゃーを食べることは魔除けになると言われています。家々では『ぷちむっちゃー』がつくられ、丈夫になるように、食べものに困らないようにと無病息災を願う行事として受け継がれています。また若い世代や子どもたちにも、ぷちむっちゃーのつくり方と歴史教室を開催し次世代へ脈々と受け継がれています。
ぷちむっちゃー
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

奄美黒糖焼酎

薩摩藩士名越左源太が当時の奄美の状況を記した「南島雑話」には、焼酎が島民の生活といかに密接に結びついていたかが記されています。当時の焼酎の原料は“椎の実、桑の実、ソテツの実”などです。サトウキビを絞った汁を使う留汁焼酎の記述もあり、黒糖焼酎の原形を見ることができますが、黒糖は藩の重要な財源となっていて焼酎に使うことは禁じられていました。黒糖焼酎の製造が本格化するのは昭和21年、奄美群島が米軍統治下になってからのことです。昭和28年に本土復帰しますが、黒糖を原料とした蒸留酒はスピリッツに該当し、焼酎よりも高い酒税が課せられることになっていたため、黒糖の使用許可を陳情し、“奄美群島区において製造する場合で、黒糖と米麹を併用するときに限り認める”という特例が設けられたのです。奄美黒糖焼酎は、平成21年2月6日に地域団体商標登録の認可を受けました。かつて原料にできなかった黒糖を原料とした焼酎が奄美の特産になっています。
奄美黒糖焼酎
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

薩摩焼酎

江戸時代、薩摩に天の恵みとして伝来したサツマイモ。焼酎の原料としてもサツマイモが使われるようになりますが、痛みやすく酒造原料としては厄介なものでした。軍需物資としてのアルコールを得るために芋焼酎の量産を命じた島津斉彬は、飲みやすい芋焼酎の研究も指示しています。その答えは、明治時代に生みだされた二次仕込法でした。まず米麹だけを発酵させ、酵母が増殖した後、蒸したサツマイモを加えると大量に増殖した酵母がサツマイモの糖分を一気にアルコールに代え、発酵終了後蒸留するという製法です。これに沖縄の泡盛の黒麹菌が加わり、さらに安全な発酵ができるようになりました。サツマイモという原料の厄介さと南国の温暖な気候を克服した薩摩焼酎は、平成17年12月22日地理的表示基準の産地指定の認可を受けました。薩摩焼酎は鹿児島県内のさつまいも、水を原料として、県内において、単式蒸留機で蒸留し容器詰めされた本格焼酎です。
薩摩焼酎
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

なり味噌

1747(延享4)年の「換糖上納令」以降、奄美大島諸島では米作からサトウキビ栽培への転換が進みましたが、生産したサトウキビは黒糖となり厳しい年貢の取り立てにより食べるものがなくなりました。 食糧の無い厳しい時代に米に変わる食材としてソテツが食べられるようになりました。 そのような食文化が根付いた島々では古くからソテツの実「なり」を使った味噌作りが行われてきました。 子宝島の朋友では大量生産ではなくひとつひとつ丁寧に作業しています。 先人たちの知恵を受け継ぎ、昔ながらの丁寧な手作業で作った「なり味噌」は 茶請けとしてそのまま食べることもでき、島料理の味付けとしてもよく使われています。
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

あくまき

鹿児島が誇る、端午の節句(5月5日)の定番の餅菓子です。とろけるような舌触りと独特の風味が魅力であり、鹿児島のソウルフードとして親しまれています。一説では、薩摩藩が1600年の関ヶ原の戦いの際、または1592年の朝鮮出兵の際に日持ちする兵糧として作ったと伝承されています。灰汁(あくじる:木などを燃やしてできる灰に熱湯をかけ濾したもの)に浸したもち米を、竹の皮に包み、たっぷりのお湯で煮て作られます。灰汁の持つ、でんぷんの糊化促進作用や糊化したでんぷんが固くならない働きにより、モチモチとした食感を長く保つことができます。また長時間煮ることやアルカリ性の灰汁による細菌増殖抑制効果によって優れた保存食になります。灰汁は、樫(かし)、椎、くぬぎ、ミカンの木などの木灰、竹灰、大豆・そば・ゴマのさやなどの灰が使用され、出来上がりの色・風味に違いがあるが一般的には木灰が好まれ使用されます。
あくまき
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

鹿児島の壺造り黒酢

江戸時代から鹿児島県霧島市福山町において、米を原料にした食酢が屋外で壺を使用して醸造されています。この食酢は熟成期間を経るにつれ、琥珀色に色が付いてくるので、「鹿児島の壺造り黒酢」と呼ばれています。黒酢は、一説では江戸時代の文化2年(1805年)、もう一説では文政3年(1820年)福山の地で初めて造られ、現在に至るまでその生産が継続されており、約200年の歴史があります。第二次世界大戦前後に原料米が統制経済で途絶えましたが、頑固な業者が原料を米の代わりにさつまいもを使い、細々ながらその技術を守り続けてきました。1965年頃から自然食品希求の声の高まりとともに黒酢が見直されてきて、徐々に業者の数も増え、今日では日本全国で親しまれるような存在になりました。
鹿児島県