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全国各地の100年フード

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伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定
有識者特別賞

八戸せんべい汁

八戸地方で200年以上も食べ継がれてきた郷土料理「八戸せんべい汁」。東北地方太平洋側北中部では、冷夏をもたらすやませに悩まされており、特に江戸時代の小氷期には稲作の不作対策として小麦や雑穀も栽培されてきました。練った小麦粉を焼いた煎餅を用いることで保存がきき、八戸せんべい汁は家庭料理として受け継がれてきました。肉や魚、野菜やきのこなどでダシを取った汁の中に、汁物専用の「おつゆせんべい」を最後に割り入れ、煮込んで仕上げます。鶏だしのしょう油系や魚だしの塩系、馬肉鍋に入れる味噌系など、様々な食べ方があります。美味しいダシ汁が沁み込んだせんべいのツルツル、モチモチした独特の食感は、まるでパスタのアルデンテのようです。どこか懐かしい、愛情を感じる味、家庭料理として食べ継がれてきた八戸せんべい汁で、身も心も温まる味わいを楽しんでみてはいかがでしょうか。
青森県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

はっと

登米市の郷土料理として親しまれている「はっと」。その始まりは藩政時代からとも言われています。藩政時代の登米地方は伊達藩でも有数の米どころであり、藩をあげて北上川水系の改善と湿地の新田開発に取り組み、江戸への産米輸送に力を注いでいました。当時、伊達藩では「買米制」という制度を作り、お百姓さんが年貢を納めたあとの余ったお米も藩が買い上げて江戸へ送っていました。こうした中、お米を満足に食べられなかったお百姓さんは、麦飯の他、畑で作った小麦を粉にして練ってゆで上げ、お米の代用食として食べていました。長年のお百姓さんの知恵でよりおいしい食べ物へと工夫されていったそうです。「はっと」は小麦粉に水を加えてよく練って寝かせ、その熟成した生地を指で薄くのばしながら、醤油仕立ての汁に入れ茹であげます。また、お湯で茹でて、あずき、ずんだなどに絡めたりします。ツルツル、シコシコの食感がやみつきになる郷土料理です。
はっと
宮城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

はまなみそ

「はまなみそ」は、秋・冬限定の福井独自のおかず味噌です。由来は、諸説ありますが、江戸時代に徳川家康が好んでいた「浜なっとう」を、家康の次男である結城秀康が越前(福井県北部)に赴任した際に、静岡県の浜名湖周辺で作られていた「浜なっとう」を持ち帰り、家臣や村人などにも広め、福井県の風土に合った越冬食へ変化したものと言われています。「はまなみそ」は県内のいろんな醤油屋・味噌屋で製造しており、甘めな味付けのものからやや辛口のものなど、メーカーによって味違いがあります。食べ方としては、温かいご飯と一緒に食べるのが一般的で、酒の肴や大根やきゅうりなどともよく合います。時期は10月から3月頃で、福井県内ではお土産物屋さんだけでなく、スーパーなどでも販売されています。
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

はらこめし

宮城県を代表する秋の味覚「はらこめし」は、炊き込まれたご飯の上に脂ののった鮭の身と大粒のはらこ(卵)を贅沢にのせた亘理町発祥の郷土料理です。主な調理法として、まず醤油や酒、砂糖などを合わせ、一口大の鮭の切り身を煮て、次に煮汁にはらこを軽く通し、その煮汁を使ってご飯を炊き、身とはらこをのせて完成となります。古くは、荒浜の漁民が、貞山堀の工事臨検で訪れた初代仙台藩主伊達政宗公(安土桃山時代から江戸時代前期)に、鮭のはらこをご飯に炊き献上したところ大変喜ばれ、側近に吹聴したことが世に珍重された始まりと伝えられています。また、阿武隈川河口にある川口神社の秋祭りにおいて、五穀豊穣と豊漁を感謝するため新米と遡上した鮭を合わせ調理し、神饌として捧げ食べられたものが始まりであるとも言われています。近年では町内のいたるところで「はらこめし」ののぼりが立ち、多くの観光客がその味を求めて訪れています。
はらこめし
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

半夏生さばの食文化

夏至から数えて11日目、春の農繁期が終わり、夏を迎える半夏生の日に、串刺しの丸焼きさばを食べる風習があります。夏バテ防止策として、藩主が焼さばを食べることを奨励した、あるいは、焼さばを配ったことにより始まったと言われています。風習の始まりは定かでないですが、江戸時代後期には定着していたことが古文書からわかります。内陸に位置する大野ですが、江戸時代には、越前海岸に接する飛び地「西方領」(現在の丹生郡越前町の一部)を持っており、このことが風習の成立に繋がったと思われます。冷蔵できない時代は行商が運んでくる半夏生さばは御馳走でした。近年においては、市内の鮮魚店やスーパーで販売されており、店頭で焼き上げる鮮魚店には、煙と香ばしい匂いが立ち込め、半夏生さばを買い求める多くの人で賑わいます。その様子は、季節を感じさせる一つの風景となっています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

東出雲の畑ほし柿

さかのぼること約450年前、毛利軍によってもたらされたと言われる自然を利用した天日(自然)乾燥による加工技術を今に伝え守り続けています。原材料は、全て生産者が育てた柿(西条柿)だけを使用し、一つ一つ丁寧に皮むきを行い、風通しの良い木造三階建てのガラス張りの専用小屋(柿小屋)で、約1ヶ月かけて干し上げて完成です。加工に伴う添加物などは、一切使わず、常に安心・安全な「ほし柿づくり」に努めています。平成19年からは、生産者全ての農家が「エコファーマー」認定を受け、土づくりから栽培を行っています。「人と風土と伝統」をお届け致します。是非一度ご賞味してみて下さい。
東出雲の畑ほし柿
島根県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

ひきずり(名古屋コーチンのすき焼き)

「ひきずり」は、尾張地方で古くから食べられている鶏肉のすき焼きのことです。岩倉は戦前より名古屋コーチンの産地として知られており、昭和30年頃までは、一般家庭でも、鶏小屋を設けるくらいの広さの土地さえあれば、名古屋コーチンを飼っていました。その頃には、日常的にその卵が食べられ、祭りや大切なお客様を迎える日には、ひきずりを楽しんだそうです。ひきずりは特別な日を彩るちょっと贅沢な郷土料理として親しまれてきました。現在は、岩倉市名古屋コーチン振興組合加盟の2店で提供されており、いつでも新鮮な名古屋コーチンを使用した郷土の味を楽しんでいただくことができます。岩倉産の名古屋コーチンは、歯ごたえと噛みしめたときの口中に広がる肉汁のコクや香りが、他の鶏肉とひと味もふた味も違うと評判です。ひきずりの語源は、色々な説がありますが、鶏肉を食べるときに鍋の底を引きずることからその名が付いたなどと言われています。
ひきずり(名古屋コーチンのすき焼き)
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

美酒鍋

酒都西条の名物料理「美酒鍋(びしゅなべ)」。東広島市西条の杜氏が、酒造りの合間の空腹を満たすために考案したまかない料理が発祥と言われています。現在では東広島市の名物料理として時季を問わず食され、毎年10月に開催される「酒まつり」でも振る舞われます。豚肉、鶏肉、野菜類を日本酒と塩・こしょうだけで調理するのが特徴。利き酒に影響のないようにとシンプルな味付けで、素材本来の旨味が引き出されています。アルコール分は抜けているのでお酒が苦手な方やお子さまも美味しく食べられます。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

備中鴨方手延べ麺

備中鴨方の手延べ麺は、江戸時代から受け継がれてきた伝統製法を守り作られています。刃物を使わず、熟成と延ばしを繰り返しながら作られることで、なめらかで強いコシを持った麺が生まれます。鴨方の手延べ麺は、口に入れた瞬間ツルツルと喉に吸い込まれる、喉ごし抜群の麺です。夏は冷たいざるや素麺で、冬は釜揚げやにゅうめんで、1年を通じてお召し上がりいただけます。また、地元では、製造過程でできる「ばち」も食卓に欠かせない郷土食材です。「ばち」とは麺の切れ端のこと。塩味の効いたばちをそのまま入れた汁物は、日常的に食べられてきた郷土料理です。手延べ素麺から手延べうどんが生まれ、ばちも活用する、約200年の歴史の中で、地元民の智恵や工夫、食べ物を大切にする心が手延べ麺を進化させ、手延べ麺の文化を根づかせてきました。この伝統を是非次世代にも残していきたいと考えています。
備中鴨方手延べ麺
岡山県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

日生カキオコ(カキ入りお好み焼き)

カキの生産量が全国第3位の岡山県で、県内一番のカキの生産地・備前市日生(ひなせ)町。昭和40年代から始まったカキ養殖の漁師の奥さんたちが、小粒や傷ついて売り物にならなくなったカキをお好み焼きに入れて食べたのが始まりとされています。日生には約20軒のお好み焼き店があり、トロトロの生地に千切りキャベツを混ぜて鉄板に広げ、新鮮なカキを一面にのせて焼き上げます。新鮮な生のカキを使うため余分な水分は含まれず、焼いても縮まないプリプリの食感が楽しめます。焼き方は、関西風でも広島風でもない、ちょうどその間のような焼き方で、通称「日生焼き」と言われ、外はこんがり、中はトロっとした食感で、どこを切っても新鮮なカキが顔を出し、海の香りが口の中をパーッと広がります。カキとソースは相性抜群、クセになる味です。今では「日生カキオコ」は、岡山を代表するご当地グルメとなり、関西を中心に多数の観光客が訪れる岡山の冬の名物です。
岡山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

氷見のぶり食文化

氷見の象徴といえば、「氷見の寒ブリ」です。冬になると、ブリは産卵前に丸々と脂肪を蓄えて北海道沿岸から日本海沿いに南下し、ちょうどよい脂がのった状態で富山湾にやってきます。地理、定置網漁法、漁業者の技術などが積み重なって、氷見のブリは格上の存在感です。ブリは頭からしっぽまで余すことなく食べられ、脂ののり、極上の旨味を堪能できる「刺身」はもちろん、ブリカマや切身を塩焼きとして、近年では大きく切った刺身をさっと湯にくぐらせてポン酢などにつけて味わう「ぶりしゃぶ」が県外の方々に好まれています。ほかにも胃(氷見ではフトという)をきれい洗って細かく刻んで「なます」や「味噌あえ」に、そして「ぶり大根」は、大根とともに頭や骨などのアラをじっくり煮込み、ブリのエキスを染みこませた代表格で冬の定番です。しょうゆ味が基本ですが、氷見では味噌味で作る場合もあります。
氷見のぶり食文化
富山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

日向市細島の特徴的な魚食文化

漁師と商人が共存し、それぞれ独自の食文化を形成してきた日向市細島。代表的な漁師料理として、「こなます」と「ごんぐりのかき揚げ」があります。「こなます」は、ごはんとカツオの刺身を混ぜてこね、丸く成形した後に炭火で焼いたものです。船上でごはんが冷めても美味しく食べられるように作り始めたとされます。「ごんぐりのかき揚げ」は、ごんぐり(まぐろの胃袋)を下茹でしたものを、かき揚げにしていただきます。他地域では甘辛く煮ていたものを独自に発展させた料理です。一方の商人町では、交易で見聞きした文化をもとに、「味噌なます」や「干しフカ」に代表される独自の食文化が創られました。「味噌なます」は、甘鯛を使った冷や汁で、青魚を使用する一般的な冷や汁と比較し、油の少ない上品な味わいとなります。また、「干しフカ」は棒鱈にヒントを得たとされる。鱈が獲れない細島ではフカを使い、臭みを消すために橙に漬けるという独自の調理法が生まれました。
宮崎県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

平戸寿司(押し寿司)

江戸時代から継承されている、「平戸寿司(押し寿司)」は地域のお祝い事や催し事でつくられてきたお料理です。その時代からの調理法を忠実に守り、今に至ります。砂糖文化が花開いた長崎平戸ならではの、甘目の酢飯と具材が地域の方々に愛されています。作り方は、もろぶたの底に酢飯を広げ、その上から寿司具をのせ、更に酢飯を広げ蓋をして上から押さえます。酢飯は、もろぶた一箱につき米2升を使います。寿司具は、煮付けた牛蒡や椎茸、かんぴょうなど使います。
平戸寿司(押し寿司)
長崎県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

ひる貝カレー

北海道・余市町は古くから鰊の好漁場として栄えていました。明治12年には日本で初めて民間栽培でリンゴが結実し、それ以降、果樹栽培も盛んになった農業と漁業のまちです。そんな余市町では昔から沿岸で良く獲れるひる貝(和名:イガイ)をカレーに入れて食べていました。昔は「肉は高いから代わりにひる貝を入れて食べた」と言われていたようですが、実際にひる貝の出汁の味は他の貝に比べても強く、カレールーに負けない印象的なうま味を残すのでとても美味しいシーフードカレーとして食べられるようになりました。そのようにして、ひる貝カレーは単なる肉の代用品ではなく、ひる貝自体を楽しむ家庭の味として愛され続け現在に至っています。余市町の各家庭で楽しまれているご当地の味を多くの皆様にお届けできるようにレトルトカレーも商品化されています。
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

ひるぜん焼そば

岡山県真庭市にある蒜山地域では、昭和30年代頃、各家庭で工夫して調合した「たれ」で焼きそば、ジンギスカンなどを食べることがブームになっていました。 ちょうど同じころ、地元でもがんこで有名な「ますや食堂」のおばちゃんが、ニンニク、玉ネギ、リンゴ等の様々な材料や調味料を調合した味噌だれで作ったこだわりの焼きそばが評判となり、以来、「ひるぜんの焼きそば」として地元の人々に愛され続けてきました。 そんな地元で50年以上愛されてきた「ひるぜん焼そば」は、噛めば噛むほど味の出る「親鳥のかしわ肉」に、シャキシャキの「高原キャベツ」と「モッチリ麺」を濃厚で香り豊かな「味噌ベースの甘辛だれ」で一気に焼き上げるタレ焼きそば。一度食べると忘れられない、地域伝統の味です。
岡山県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

備後府中焼き

戦後の高度経済成長期、共働きの家庭が増えた頃、おやつやごはん代わりに食べられていた備後府中焼きは、子どもの頃から親しまれている府中市民のソウルフードです。備後府中焼きの特徴は、牛や豚のミンチ肉を使ったそば入りのお好み焼きで、モヤシは入れず、ミンチの旨みとキャベツが一緒になることで、中はフワッと、外はミンチの脂でカリッとした焼き上がりになります。市内には備後府中焼きの店が点在し、B-1グランプリ出場やミシュランガイドに掲載されたこともあり、市民だけでなく観光客からも人気のご当地グルメです。より多くの方に備後府中焼きを知っていただくため、東京の神田小川町に府中市アンテナショップ「NEKI」でのPRや、備後府中焼きのマスコットキャラクター「ミンチュー」のイベント等での出演、府中市出身の元広島東洋カープの選手、片岡光宏氏を「備後府中焼き広報大使」として任命し、幅広い広報活動を行っています。
広島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

福井のソースカツ丼

福井県は「カツ丼」と言うと、まずソースカツ丼が頭に浮かびます。これは大正2年に高畠増太郎さんがドイツで料理の修行から帰ってきて、当時日本にはなかった“ソース”を使ってカツ丼にしたのが始まりでした。大正6年頃には東京に店を構えていたそうですが、関東大震災で実家の福井に疎開し、福井でソースカツ丼を提供し始めます。福井県ではそば屋も多く、その多くが丼ものも提供しており、越前おろしそばとソースカツ丼という組み合わせは、福井の外食における鉄板メニューでもあります。玉子とじカツ丼との決定的な違いは肉の厚さです。ソースカツ丼のカツは薄く、カリカリに揚がったカツを2~4枚、ソースにくぐらせて丼の上に乗せるだけです。ごはんとカツの間にはキャベツも敷きません。いたってシンプルなソウルフードです。ソースカツ丼のソース、という商品も登場しているほど、福井の食文化として根付いています。
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

福岡柳川/貝柱粕漬・海茸粕漬

柳川市は福岡県南部、筑後平野の西南端に位置し、有明海に面しています。有明海の豊富な海の幸と酒どころであった柳川で、お酒を搾ったあとの酒粕に生の海産物(貝柱や海茸)を漬け込み、酒粕と一緒に食べる、この地域独特の食文化は、江戸時代から続いています。文献においても江戸時代から柳川の特産品であり、当時から現在まで続く柳川のおもてなしの逸品となっています。
福岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

ブクブクー茶

ブクブクー茶は、茶碗に盛られた白い豊かな泡を飲む、那覇に昔から伝わる他に類を見ない珍しいお茶です。米を焦げ茶色に焼き、琉球石灰岩を伝ってとれる硬度の高い井戸水で煮出した煎り米湯とさんぴん茶を大きな木鉢に入れ、大きな茶筅で約10分たてると白いしっかりした泡が生まれます。茶碗にさんぴん茶と少しの赤飯を入れ、泡を茶筅で盛り上げ、砕いた落花生を振りかけます。箸やスプーンを使わず飲みます。たて方、飲み方に決まりはなく、縁起のよい飲み物として船出の祝いなどに飲まれました。起源は江戸時代と推測されます。明治、大正、昭和初期には那覇で盛んに飲まれていましたが、戦争で道具類が焼失し、ブクブクー茶も姿を消しました。1960年ブクブクー茶の道具が見つかり復元の機運が高まり、1992年にブクブクー茶が復元しました。ブクブクー茶の保存・普及のため「沖縄伝統ブクブクー茶保存会」が結成され、活動を続けています。
ブクブクー茶
沖縄県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

富士宮やきそば

戦後、アメリカからの支援物資である小麦粉を活用して製法や焼き方が考案され、富士宮市民にとって当たり前の日常食であった「やきそば」が「富士宮やきそば」として一躍日本を代表する「ご当地グルメ」となったのは、「富士宮やきそば学会」が設立された2000年の秋でした。その「富士宮やきそば」の特徴をご紹介いたします。①製造工程で蒸したのちに麺を急速に冷やし表面を油でコーティングして極力水分のないコシのある蒸し麺の使用。②地元産キャベツの使用。③麺になじみ易く、少し辛めで薄味のウスターソースの使用。④豚肉の背脂を溶かしてラードを作るときに残った副産物「肉かす」を使用。⑤「だし粉」の使用。イワシの削り節を作る工程でできる粉末のことです。風味が醸し出されます。⑥紅しょうがを使用、「ミカチャン」の名称で親しまれています。
富士宮やきそば
静岡県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

豚丼

豚と十勝の歴史は深く明治時代にまで遡り、十勝開拓の祖と呼ばれる依田勉三率いる「晩成社」が、4頭の豚を率いてオベリベリ(現在の十勝・帯広)へ入植し、「牛は牛乳、馬は馬力、豚は食料」と言い十勝で初めて豚を飼育したことから、豚を食す土地柄のきっかけになったと言われています。その後の1930年代頃、カフェに勤めていた若きコックで、後に元祖豚丼の店「ぱんちょう」を創業する故・阿部秀司さんが戦争と不景気の中、庶民でも食べることができる味を目指し、日本人が好きな甘辛い「鰻丼」をヒントに、しょうゆをベースにした「元祖豚丼」の味を生みだしました。その後、豚丼は帯広の飲食店で普及していき、今では地域住民だけでなく観光客からも愛される「十勝・帯広名物」にまで育てられました。〈引用文献:とことん豚丼 十勝で豚丼を食べるための最強フリーマガジン(出版社:十勝毎日新聞社)〉
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

ぷちむっちゃー

『ぷち』=よもぎ、『むっちゃー』=餅を意味し、月桃の葉で包んだよもぎ餅のことです。 日常的に餅が食べられるようになったのは、江戸時代中期頃からと言われています。 一年でいちばん潮が引く、旧暦の3月3日(4月上旬)。この日に行われる節句の伝統行事『浜下り』が開催されます。新生児が産まれた家では、赤ちゃんの足を海につけて身を清め、すこやかな成長を願います。よもぎには、強い匂いがあり、解毒や浄化作用があると言われることから、ぷちむっちゃーを食べることは魔除けになると言われています。家々では『ぷちむっちゃー』がつくられ、丈夫になるように、食べものに困らないようにと無病息災を願う行事として受け継がれています。また若い世代や子どもたちにも、ぷちむっちゃーのつくり方と歴史教室を開催し次世代へ脈々と受け継がれています。
ぷちむっちゃー
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

府中味噌

江戸時代、山陰や中国山地の産物が石州街道を使って全国に運ばれ、その集散地として賑わった広島県府中市。米や大豆、塩など良質な原料がそろう環境に恵まれ、みそ醸造が盛んでした。かつては備後国の国府が置かれ諸国人の出入りが多く、福山藩主水野公が参勤交代道中の諸大名に白みそを贈呈したことがきっかけで、府中味噌の名は全国に知られるようになったと言われています。府中の白味噌はきめ細かで、透き通るような白色、風味豊かな低塩の甘口が特徴で、料理調味料として高級品扱いされてきました。昨今の料理離れ・和食離れの流れを受け、府中味噌も消費量が大きく落ち込み、蔵の廃業も進み、現在は3社を残すのみとなりました。400年以上の歴史をもつ「府中味噌」を継承していくため、海外への販路拡大や味噌を使った加工品を開発するなど、味噌の可能性を広げる新しい取り組みを行っているほか、味噌づくり体験の受け入れなども行っています。
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

太巻き祭りずし

太巻きずしは切り口に花や動物や文字など様々な文様が表れることが特徴で、上総地方を中心に米を作っている農民たちにより、巻かれていた太い海苔巻きです。東京湾で豊富に採れる「海苔」、保存のきく「干瓢」、手近に売られている「赤でんぶ」の三品が基本となって、冠婚葬祭の主役として、様々な文様が生まれました。まさに農民の手から生まれた農民の芸術作品が、千葉県の太巻きずしです。素材が簡単に得られ、工夫次第で数々の切り口の造形が作れることが特徴です。すき海苔を農家が買えるようになった時代が検証できていないため、いつごろから作られてきたかは分かっておりませんが、戦前の昭和の時代に作られていたことは確実です。江戸時代の終わりごろから作られてきたという説もあります。
太巻き祭りずし
千葉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

鮒甘露煮

関東平野のほぼ中央に位置する古河市は、利根川と渡良瀬川が交わり、渡良瀬遊水池に隣接する水郷として古来より交通の要衝であるとともに、周辺に散在する川沼の恵みにより、多種多様な川魚が生息していました。江戸時代には、日光街道の宿場町として栄えており、この地域で捕れた鮒を焼き魚としていたものが煮つけとなり旅人をもてなしたのが「鮒の甘露煮」の始まりと伝えられています。古河市の鮒甘露煮は、一度素焼きにしてから煮詰める伝統的で特徴的なもので、骨までやわらかく、お子様からご年配の方まで余すところなく食べることができます。尾頭付きは縁起物とされ、正月にはおせち料理の一品としても地元で愛されてきました。製造者が組織する古河鮒甘露煮組合による「鮒の甘露煮」は、古河ブランドとして市の認定も受けています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

ふなめし

「ふなめし」は、庶民の料理として江戸時代より岡山県南部や児島湖周辺、高梁川下流域に伝わる冬の郷土料理で寒くなるとどこの家でも食べたものです。冬に脂ののった寒鮒の鱗や頭、臓物をとり包丁でトントコたたいて(このことから「トントコ飯」とも言われています)ミンチ状にします。これを油を引いた鍋に入れ充分火が通るまで炒め水を加え沸騰したら、大根、人参、牛蒡、子芋、葱などの野菜と油揚げ、竹輪、蒟蒻を加えてしばらく煮ます。野菜などが煮えたのを確かめ調味料の醤油で味付けして汁をつくり、熱々のご飯にかけて食べる料理です。「ふなめし」は岡山市南区だけでも妹尾地域、灘崎地域、興除地域、藤田地域それぞれに地元の味があるとともに各家庭の味があります。また類似した料理として岡山県東部の備前市日生地域などには、フナの代わりにゲタ(舌平目)を使った郷土料理「ゲタ飯(ゲタのかけ飯)」があります。
ふなめし
岡山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

ふなんこぐい(鮒の昆布巻き)

鹿島市の浜町で300年以上も昔から続く伝統行事「ふな市」。鹿島では二十日正月に「ふなんこぐい」を供える慣わしがあります。「ふなんこぐい」は昆布で巻いた鮒をダイコンやゴボウなどと一緒に煮込んだ郷土料理ですが、この「ふなんこぐい」の鮒や野菜を売る「ふな市」が、毎年1月19日に肥前浜宿酒蔵通りに立ちます。その昔、商家や酒造元、網元などは奉公人や蔵男たちを主座に据えて労をねぎらい、ご馳走を振舞いました。このような席には普通、鯛料理が出されますが、有明海ではあまりとれず、そのうえ高価だったので、鯛によく似た鮒を代用したのが「市」の始まりと言います。「ふなんこぐい」は1月19日の「ふな市」で手に入れることができます。
ふなんこぐい(鮒の昆布巻き)
佐賀県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

フライ・ゼリーフライ

「フライ」と言えば一般的に揚げ物というイメージですが、行田市の位置する北埼玉地方は古くから小麦の産地であり、「フライ」は揚げ物ではなく小麦を使った焼き物を意味します。小麦粉を水で溶き、鉄板の上で薄く焼き、ねぎ、肉、卵などを入れ、ソースまたは醤油だれをつけて食べるふわりとしたお好み焼きのようなものです。安くて持ち運びが便利なうえに腹持ちがよく、昭和初期には足袋工場で働く女工さんに大ヒットし、販売する店が増えて定着したと言われています。一方、「ゼリーフライ」は、モチモチとした食感が大人にも子どもにも大人気で、ジャガイモにねぎやにんじん、おからが入った、衣のついていないコロッケのようなものです。そのルーツは明治時代の日露戦争の時に中国から伝わった「野菜まんじゅう」と言われ、名前の由来は、小判形であることから「銭フライ」といわれていたものの「銭」がなまって「ゼリーフライ」となったと言われています。
埼玉県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定
令和4年度認定
有識者特別賞

へぎそば

抜群ののど越しと、ツルツルシコシコとした食感に思わず顔がほころぶのが「へぎそば」です。 一年の約半分を雪に覆われる日本屈指の豪雪地で、雪と闘いながらも、時にはそれを恵みとして生かした物語からうまれた食文化です。織物の産地において、きものの糸の糊付けに使われている布海苔という海藻をそばのつなぎに代用したのがへぎそばの誕生と言われています。 長い冬を乗り切るための保存食であった「ソバ(実)」と、冬仕事であった「きもの産業」が出会い、へぎそばが誕生しました。そばは貴重品で祝い事に出すご馳走でもありました。 へぎそばの独特の食感は、布海苔をつなぎに使用することで生まれたものであり、名前は「へぎ(片木)」という木の箱に盛り付けるところが由来です。 大正時代から続くへぎそば店では、盛り付けについて一口サイズに束ねたそばは、絹糸の束、その並べ方はきものの織り目を意識したものと伝えられています。
新潟県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

へきなん焼きそば

へきなん焼きそばとは、味付けに「白しょうゆ」を使用し、碧南市の特産物である人参、玉ねぎをふんだんに使用したご当地グルメです。江戸時代後期に碧南新川が発祥とされる白しょうゆは、通常の醤油とは異なり主原料は小麦を使用しています。碧南市が誇る人参「へきなん美人」は、味が良いため評価がとても高く、地元の人も手に入りにくい人気の野菜です。玉ねぎは、海沿いの砂地で栽培され、みずみずしく辛みも少なく、ドロドロ血液・中性脂肪・コレステロールの解消にも最適です。また、イベント出店時では、環境保護に少しでも貢献できるよう食べれる器を開発し、SDGsへの取り組みも行っています。イベントだけではなく、市内の飲食店に協力をしていただき、その店独自のへきなん焼きそばを楽しむことができます。100年先も碧南のご当地グルメとして愛される事を目指し、活動を続けています。
へきなん焼きそば
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

へしこ

へしこは魚のぬか漬けのことで、若狭地方の伝統料理です。歴史は古く、江戸時代の中頃にはすでにつくられはじめていたといわれています。春にさばがとれた時につくり、秋の終わり頃に取り出して食べます。この地域は、魚を食べないとご飯を食べた気のしない人が多いので、冬で漁がない時などに焼いて食べます。焼くとぬかの焦げるにおいが香ばしく、ご飯がすすみます。田烏、矢代などの浜のひとたちが、魚のとれた時に大八車等に積んで持ってきて漬込んでくれます。
へしこ
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

戸次のほうちょう

「ほうちょう(鮑腸)」は、江戸時代の古文書にもみられる大分市の中戸次に伝わる郷土料理です。かつては大分市内だけでなく周辺地域でも、お盆やお祭りで客をもてなす料理として作られてきました。手間がかかるうえに、適度な柔らかさにした生地を長くのばす熟練した技が必要になることから、家庭では次第に作られなくなりました。指先でもむように麺をひねりながら両手いっぱいにのばしていき、一本の長さは3m近くになります。茹で上げた麺を丼に盛り、つけ汁に麺をくぐらせて食する姿は古来の食べ方が今に伝わるものです。出汁は干椎茸、昆布、煎子、鰹節を用いて風味豊かにとり、薄口醤油でつけ汁に仕上げます。薬味に胡麻など、生姜、小ネギ、カボスを添え、麺をすすると、饂飩とは異なる舌触りやコシのある食感、こだわりの醤油とカボスの香りが口に広がります。今ではイベント等でしか食べられない、地元で愛される郷土の味です。
戸次のほうちょう
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

へぼ甘露煮

「今日見つけたへぼの巣は大きいでよ。餌についても、なっかなか見つけれんで難儀した。夜はみんなでへぼ抜きだぞ」「ほりゃあ大変やったね。ぞんがい大きい巣だてぇ。早よう抜いて、今晩煮よっかねぇ」「へぼ甘露煮」はそんな家族の会話から始まります。東濃の人々が「へぼ」と呼ぶクロスズメバチ、その蜂の子は貴重なタンパク源、そして秋の山の楽しみとして親しまれてきました。食べるだけでなく、それを探すこと、家で飼育することも楽しみです。かつて日本各地で食べられていた蜂の子は、中部地方の山間部では今なお盛んですが、東濃地方では、蜂追いや飼育でたくさん収穫し、甘露煮をはじめ、炊き込みご飯、朴葉寿司、五平餅にも用いるなど、地域の食文化の一つになっています。野山でへぼを追い、ようやく見つけたへぼを皆で巣盤から抜き、甘辛く煮付けた「へぼ甘露煮」は、ふるさとの自然や暮らしを思い起させる、特別でうまい「ご馳走」です。
へぼ甘露煮
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

へらずし

大堂海岸に定置網を敷く古満目は、江戸時代後期から続くブリの産地です。特に明治40年代前半までは豊漁で、新鮮なブリを刺身や塩焼きなどいろいろな料理で楽しむなかで生まれたのが『へらずし』であり、今も地域食として地元で愛されています。名前の由来は、エビの建網の目合いの幅を測る竹のへらや、曳網漁の疑似餌へらに形が似ていることだと言われています。一番脂ののった部位を酢みかんを混ぜた酢で締めて風味豊かに仕上げ、ゴマの香りとともに上品に味わうことができる一品です。
へらずし
高知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

ベンケイ

「ベンケイ」は福島県南相馬市原町区の沿岸部に位置する萱浜地区に伝わる郷土料理です。江戸時代後期、天明の飢饉で荒廃した中村藩の農村復興政策のひとつとして実施された移民政策により、おもに北陸地方から入植した浄土真宗移民が持ち込んだと伝わります。大根や芋がら、赤唐辛子を酢、醤油、砂糖で炒め煮した料理で、かつては正月用の保存食や浄土真宗のお講など、ハレの日の食べ物とされました。現代では、晩秋から冬の“季節の味”として受け継がれています。その名称は、移民の出身地のひとつである富山県砺波地方の方言の「ベンケ=大根おろし」「ベンケオロシ=唐辛子を入れた大根おろし」が由来であると考えられます。萱浜地区は、東日本大震災による甚大な津波被害のため地区のほとんどが災害危険区域となり、居住が制限されました。今後どのように「ベンケイ」を継承していくか検討を進めています。
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

北条鯛めし

古くから北条地域で親しまれてきた「北条鯛めし」は、鯛一匹を丸ごと、ご飯と一緒に炊き込む北条地域が誇る郷土料理です。「北条鯛めし」の特徴は、ごぼうや人参などの野菜や揚げなどが入っておらず、鯛とだしコブで作られています。「北条鯛めし」の起源は古く、高縄半島の西、風早(かざはや)平野の沖合に浮かぶ小さな島「北条鹿島」名物「鯛めし」は、「神功皇后が、朝鮮出陣の道すがら、北条鹿島に船を寄せ、鹿島明神に勝ち戦を祈願されたおり、風早(かざはや)浦の漁師たちは、近海で漁獲した新鮮な鯛を献上した。皇后は吉兆として快く受け入れられ、その時さらに鯛をのせて飯を炊き差し上げたところ、大いによろこばれ、その美味を賞された。」と言い伝えられています。
北条鯛めし
愛媛県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

ほうとう

ほうとうは山梨県民のソウルフードで、山梨全域で親しまれています。起源は諸説あり、武田信玄が陣中食としたとも言われていますが、古いものでは800年代に遡ります。文献に登場するのは1815年の旅行記。いずれにしても、古くから山梨県民に親しまれてきた郷土料理です。手打ちした麺を下茹でせずに具材と一緒にその煮込む調理方法は、手間いらずで1品で満足できる、調理する人、食べる人大満足の家庭料理でした。 近年、核家族化が進み、食の多様化と相まって、郷土料理と言われながら「ほうとう」を食べる頻度が少なくなってきています。一方で、飲食店を舞台に「ほうとう」を食べる機会は増えてきました。伝統的なほうとうはもちろん、若者や、ビーガン・ベジタリアンやインバウンドを対象としたアレンジ料理の提供など、ほうとうの楽しみ方の多様化も進んでいます。
ほうとう
山梨県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

朴葉寿司

初夏、朴の葉が若葉色になると、各家庭で作り始め、昔は田植えの忙しい時期の手軽な弁当として親しまれてきました。朴葉には殺菌効果があるといわれており、持ち運びしやすく日持ちもすることから古くより田植えなど共同作業の時の携帯食に用いられてきました。 朴葉寿司の具材や調理方法は各地域、各家庭で異なっています。すし飯の上に鮭や鯖、鱒、キャラブキ、椎茸などの具をのせて朴葉で包んだタイプと、鮭や鯖、鱒をほぐしてすし飯に混ぜ、その上に具をのせ朴葉で包むタイプがあります。具はヘボ(蜂の子)など、地域特有の食材が入ることもあります。 各地域や家庭における具材、包み方はそれぞれです。葉の包みを開いて頬張ると朴の葉の香りがふんわりと漂い懐かしい味に癒されます。
岐阜県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

朴葉の食文化

朴葉を使った料理は、民俗学者柳田國男氏の著書「木曽から五箇山への旅秋風帖」に朴葉すしを食した文章があることから、明治42年(1909年)以前より伝えられてきました。朴葉に包まれ食事の際に手が汚れにくく、朴葉の殺菌効果により日持ちが良いのが特徴です。携行食として持ち歩き、農作業や木こり仕事の合間などにも食され重宝されています。朴葉すしは、各家庭の味があり、当会では、春に地元で採れたフキを煮たキャラブキや煮シイタケ、卵、塩鮭、シソの実、紅ショウガが入ります。朴葉もちは、米粉を蒸して丸くのばし、つぶ餡を挟んで朴葉で包み、二度蒸しします。田植えの時期が、旧暦の端午の節句頃から、半夏生頃であり、朴葉を使うにはちょうど良い季節で、端午の節句のお祝いや田植えのねぎらいに、「ハレの日」のごちそうとして、朴葉寿司、朴葉もちが作られてきました。この土地ならではの食文化として、郷土の味を、守り続けていきます。
朴葉の食文化
岐阜県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

ほしいも

明治時代後半に茨城県に伝わり、老若男女に親しまれているのがほしいもです。茨城県は全国のほしいも生産量トップを誇り、その大部分を生産しているのが、ひたちなか市、東海村、那珂市です。ほしいも作りに適した、水はけの良い砂地を含んだ土壌、ミネラルを含んだ潮風により、ほしいもの製造が発展していきました。当地域では、伝統的な品種のたまゆたか、いずみ、強い甘みが特徴の紅はるか等100年続く産地ならではの多くの品種が製造されています。生産者等から構成されるひたちなか・東海・那珂ほしいも協議会では、日本一の産地の維持・発展を目指し、ほしいも三ツ星生産運動とほしいも品評会の事業を展開しています。ほしいも三ツ星運動は、衛生加工の実施などにより、安全で安心なほしいもの生産を推進する取り組みです。ほしいも品評会は、生産者の技術を高めることや、ほしいもを多くの方に味わっていただくことを目的として、毎年開催しています。
茨城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

ほや雑煮

ほや雑煮は、塩漬けにした「ほや」を焼いて干して出汁をとり(現在は、蒸しほやを使用)、焼いた角餅の上に、戻した「ほや」と地元海産物や野菜等を盛り付け、なると(練り物)、せり、いくらをのせた雑煮です。具材は地域や各家庭によっても異なりますが、主には、宮城県産米を使った角餅、ほや、たこ、ほたて、あわび、はも(あなご)、つぶ貝、せり、大根、ニンジン、なると(練り物)や紅白かまぼこの上に、「河北せり」といくらをたっぷりとのせます。蒸しほやは出汁をとる目的と、橙色の色合いから、鏡餅の上に乗せる橙(だいだい)と同様に子孫が代々繁栄することを祈念しているという説もあります。世界三大漁場の1つである三陸・金華山沖で獲れる豊富な海の幸を存分に楽しめる石巻地域の郷土料理です。
宮城県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

ボルガライス

福井県越前市の武生地区を中心に40年以上前からあるボルガライスです。ライスとたまごとトンカツ、そしてお店のオリジナルソースが重なり合ったグルメでボリューム満点です。越前市の三大グルメの一つにも数えられ、市内20店舗以上あるボルガライス提供店では、それぞれまったく異なる味のボルガライスが食べられます。ぜひともお腹を空かせてボリュームあるボルガライスを食べ歩き、あなた好みのボルガライスを見つけてください。
ボルガライス
福井県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定
有識者特別賞

ぼたん鍋

丹波篠山の猪は、丹波栗、丹波松茸、丹波篠山黒豆、山の芋、コシヒカリなどをたらふく食べる美食家です。猪肉には木の実の香りと味が染み込み、クセや臭みは全くありません。丹波篠山市は猪肉の本場で、その代表的な料理が「ぼたん鍋」です。ぼたん鍋は丹波篠山が発祥で、明治時代からおもてなし料理として食されています。猪肉を薄切りにして牡丹の花のように盛り付けた姿は、宴会の卓上をぐっと華やかにしてくれます。白菜、人参、ネギ、ごぼう、キノコなどたくさんの地野菜と一緒に煮込む猪肉は、煮込めば煮込むほど柔らかくなり、栄養的にも優れています。ぼたん鍋の旬は12月~3月ですが、現在は冷凍技術も発達し、年中美味しい猪肉が食べられます。丹波篠山市内では、約40店舗の飲食店でぼたん鍋が提供されており、各お店こだわりの出汁や味噌を味わっていただけます。
ぼたん鍋
兵庫県