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全国各地の100年フード

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伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

姶良の煮しめ

「姶良の煮しめ」は、さつま料理で姶良市内の各家庭における「こだわり煮しめ」の総称です。藩政時代から夕飯の副食として食されており、今では節句や盆・正月などの行事食や冠婚葬祭などでも食されています。「姶良の煮しめ」は、旬の地元野菜や山菜、鶏肉などをたっぷり使って煮汁が無くなるまでじっくりと煮込むため、具材にしっかりと味が浸みこみます。また、各家庭で使用する具材や作り方が異なり、味付け、色合い、美しい盛り付けに加え、各家庭の創意工夫による一品一品に個性があるのが特徴です。それぞれの家庭の数だけ煮しめが存在し、それが代々伝えられています。近年、食生活の多様化と高齢化の進行により、素朴だった家庭の味が消えつつあります。姶良市では、2021年から市民挙げての「煮しめグランプリ」を開催し、「姶良を煮しめの聖地に!」をスローガンに鹿児島に伝承される食文化の発信と継承に向けた食育活動の推進を図っています。
姶良の煮しめ
鹿児島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

明石焼(玉子焼)

明石焼(玉子焼)は、小麦粉とじん粉、卵、だし汁を混ぜ合わせて作った生地の中にタコを入れて焼き、だし汁につけて食べる明石を代表する食文化の一つであり郷土料理です。明石焼を商売として始めたのは、大正8年頃からと言われています。たこ焼きのルーツともいわれ、見た目は似ていますが、卵の分量がたこ焼きに比べて多く、じん粉は加熱しても硬くならないため、小麦粉だけで作るたこ焼よりも、柔らかでふんわりと仕上げられます。たこ焼きはソースをかけて食べるのに対し、明石焼は、鰹や昆布のだし汁につけて食べる点が大きな違いとなります。また、明石焼を焼く鍋は、たこ焼などに使われる鉄板鍋ではなく、銅鍋を使用します。銅鍋は、熱伝導がよく、生地のふんわり感をより引き出し、絶妙な焼き加減を生み出します。あげ板の上に並んだ卵色の丸い明石焼を一口食べると、ふわふわ、トロトロの生地の中に、コリコリのタコの歯ごたえが広がります。
明石焼(玉子焼)
兵庫県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

秋田かやき

「かやき」は、日本海側東北地方で食べられるひとり鍋料理の一種で、浜の漁師たちが大きなホタテの貝殻を鍋代わりに使用した「貝焼き」が訛ったものと言われています。古くは、江戸料理集にあり、徳川将軍が関わる重要な饗応食にアワビの貝殻を鍋にした「貝焼き」が登場しています。秋田県で昔から家庭で親しまれてきたものとして、味噌、醤油味、秋田名物ハタハタから作られた魚醤のしょっつる味が定番の味付けで、クジラの脂身を食べる「クジラかやき」、夏は「ナスかやき」、豚肉の「肉かやき」がポピュラーです。「秋田かやき」は、郷土の歴史に育まれてきた「かやき」を進化させ現代に合わせて創造されました。各飲食店の特徴を生かし、和・洋・中の様々な味付けで、旬の魚介や野菜、山菜などを煮込み、各店自慢の一人鍋として提供しています。また、「鳥海なめこ汁」は、「ニッポン全国鍋グランプリ2020」でも準グランプリを獲得しました。
秋田かやき
秋田県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和6年度認定

秋田の佃煮

秋田には独自の佃煮文化があります。 明治時代に八郎潟を中心とした豊富な水産資源を活かして始まりましたが、八郎潟干拓により漁獲量が減少し、現在は7社が製造を続けています。秋田の佃煮は独自の食文化を作って広めてきました。1、いかの佃煮に甘納豆(手亡豆)が加えられた独特の商品。 他県では見られず、秋田県内のほとんどのスーパーで広く販売されていて派生商品として、さつまいもや小豆を使ったものもあります。 2、新鮮なわかさぎを使用した「わかさぎからあげ」は、醤油の甘辛タレや塩味、カレー味など多彩な味付けで各業者が製造しています。3、小女子を生のまま水飴で炊き、鮮度とうま味を引き出す独特の手法です。これらの工夫を重ねた商品群を総称して「秋田の佃煮」と呼んでいます。
秋田の佃煮
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

あくまき

鹿児島が誇る、端午の節句(5月5日)の定番の餅菓子です。とろけるような舌触りと独特の風味が魅力であり、鹿児島のソウルフードとして親しまれています。一説では、薩摩藩が1600年の関ヶ原の戦いの際、または1592年の朝鮮出兵の際に日持ちする兵糧として作ったと伝承されています。灰汁(あくじる:木などを燃やしてできる灰に熱湯をかけ濾したもの)に浸したもち米を、竹の皮に包み、たっぷりのお湯で煮て作られます。灰汁の持つ、でんぷんの糊化促進作用や糊化したでんぷんが固くならない働きにより、モチモチとした食感を長く保つことができます。また長時間煮ることやアルカリ性の灰汁による細菌増殖抑制効果によって優れた保存食になります。灰汁は、樫(かし)、椎、くぬぎ、ミカンの木などの木灰、竹灰、大豆・そば・ゴマのさやなどの灰が使用され、出来上がりの色・風味に違いがあるが一般的には木灰が好まれ使用されます。
あくまき
鹿児島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

あげいも

あげいもは、昭和43年に中山峠で働いていた女性従業員によって開発されました。 中山峠は、札幌からニセコ・留寿都・洞爺に向かう休憩地です。その間で軽食として何か作れないかということで、考えだされたのが「あげいも」です。アメリカンドッグをヒントに、北海道喜茂別町の特産品であるじゃがいもを油で揚げたのがはじまりです。シンプルながらもどこか懐かしい味わいが、多くの人の心を掴みました。以来、「あげいも」は北海道を代表するご当地グルメとして、多くの観光客に愛される存在となりました。 道の駅などで手軽に購入でき、温かい状態で食べられるのも魅力の一つです。
あげいも
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

あけぼの大豆納豆

あけぼの大豆は主に身延町曙地区で生産されている甘みと深みがある在来種の大豆です。普通の大豆の2倍の大きさで甘みと深みがあり大変栄養価の高い大豆です。このあけぼの大豆を通年で多くの方々に提供したいと考え、20年前から作り始めたのが「あけぼの大豆納豆」で、精進料理をお寺で気楽に食べてもらいたいと「おてらんち」という気さくなネーミングで始めたランチの一品に加えました。国内はもとより海外からの特にビーガン・ハラール等の観光客にも安心して食べられる和食・精進料理体験として人気となりました。このように昔は修行僧に、そして今は身延町の特産として世界へ継承していきたいと考えています。
あけぼの大豆納豆
山梨県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

あごだし

あご(トビウオ)は、その美味しさだけではなく、海面上を長距離に渡って飛ぶという特異な生態や、生息地域ごとに異なる多様な食文化が注目されてきました。脂肪分が少なく、青臭さがあまりないことから、刺身、すり身、塩焼き、唐揚げなどさまざまな調理方法で食されますが、中でも「あごだし」は、深いうま味がありながら、すっきりとした上品な口当たりが特徴で、古来より九州では祝いの席やお正月、祭事など大切な場面で縁起のよい高級食材として振舞われ、愛され続けています。九州あご文化推進委員会は2018年10月、あごの日本有数の漁獲地である長崎県平戸市、同県新上五島町、鹿児島県屋久島町と、あごだし商品を多く手掛ける久原本家グループ(福岡県久山町)の4団体が立ち上げました。「九州のあごだし」に関わる人々や、各地域に根付いた色濃い食文化などを紹介する活動を推し進めています。
あごだし
福岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

朝倉山椒を用いた食文化

江戸時代から400年地元農家が大切に守り続けてきた兵庫県但馬地方の名産。養父市八鹿町(ようかちょう)朝倉地区が原産地である朝倉山椒は香り高く、大粒でまろやかな味 と爽やかな香りが特長です。木にトゲがなく、鮮やかなグリーンが特長です。収穫は5月下旬~6月上旬になり、収穫の期間は約1週間と短く、山椒を傷つけないように手摘みでの作業となります。収穫後も手作業でゴミ等を慎重に取り除いて選別をして水洗いします。その後、熱湯で加熱処理を行い、素早く水切りをして冷凍庫などに保管します。朝倉山椒の果実は柔らかく、加工に適しています。醤油、味醂、酒などの調味料を沸騰させ山椒を入れて弱火で汁気がなくなるまで炊いた山椒の佃煮は但馬地方での代表的な食べ方になりました。養父市内では朝倉山椒の特色を生かした創作料理を食べることができます。また、朝倉山椒を使った商品開発も盛んになり、様々な商品が生み出されています。
兵庫県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

飛鳥鍋

一般的に、飛鳥鍋は飛鳥時代に唐から来た僧侶が、寒さをしのぐためにヤギの乳で鍋料理を作ったのがルーツとされていますが、「飛鳥鍋」として地域に広く浸透したのは昭和後期ごろのことです。昭和初期に、旧飛鳥村の村長であった故 薮内増次郎が「地域産業の発展」を願って、古くからこの地方で食されていた「鶏肉の牛乳煮」をもとに考案し、橿原観光ホテルが看板メニューとして提供したのが始まりと言われています。飛鳥時代から続く鍋料理の遺伝子が宿る「飛鳥鍋」。明日香村の各家庭では来客をもてなす料理として地域で親しまれています。村内には飛鳥鍋を提供する「めんどや」や「ひもろぎ」、「夢市茶屋」などの飲食店だけでなく、各民宿などでも提供されています。
奈良県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

安土のふなやき

天下統一を目指した織田信長は、侘び茶を確立した千利休を重用し、安土城から茶道を全国に広げていきました。茶会ではお茶と茶菓子が振舞われ、「利休百会記」によると「ふの焼」という茶菓子が88回中68回使われたと記録されています。安土城があった蒲生地区(現近江八幡市安土町)から「ふの焼」が全国に発信され、名称・材料・目的を変えながら全国に広がっていきました。「ふの焼」発祥地である蒲生地区では、「ふなやき」として子供のおやつ、また「お母さんの味」として記憶されています。この「ふなやき」を、当会では、重要な郷土食や特産品として復活し、全国に伝える取り組みを5カ年計画で取り組んでいます。既にレシピを作成し、地元の飲食店で「ふなやき」を食べる場所づくりの確保も進め、小学校等を訪問し「ふなやき」を知って頂く出前講座も行っています。
滋賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

阿蘇たかな漬

阿蘇高菜は、熊本県阿蘇地方でしか採れない、阿蘇を代表する農産物です。寒暖の差が大きい気候や火山灰由来の土壌など、阿蘇特有の風土に育まれた阿蘇高菜は、茎が細くて歯ごたえがあるのが特徴です。阿蘇高菜は、3月中旬~下旬にかけてのわずかな期間に“塔立ち”した、細い茎の部分を中心に使います。しかも、機械を使わず、1本1本丁寧に手で折りながら収穫されるので、阿蘇地方では高菜の収穫作業のことを “高菜折り” と呼びます。阿蘇たかな漬には、少なめの塩分で浅漬けした緑鮮やかな「新漬け」と、多めの塩分でじっくり漬け込み発酵したベッコウ色の「古漬け」があります。どちらも、一年を通じて阿蘇の食卓になくてはならない一品です。
熊本県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

頭料理

大分県南西部に位置し海から遠く新鮮な海魚を食べる機会が少ない竹田市で、貴重な魚を余すところなく食べるための工夫として「頭料理」が生み出されました。「頭料理」にはニベ、アラ、クエ、ハタなどの大型の白身魚が使用され、普段なら捨ててしまうようなえら、あご、内臓、皮なども材料とされています。それぞれ湯引きし、大皿に盛り付け、紅葉おろしや刻みネギと、カボスの三杯酢でいただきます。江戸時代初期の藩主中川久清の頃から作られるようになったといわれ、幕末期の記録(元治2年(1865年)、慶応2年(1866年)「恵比寿講帳」)にも、城下町で正月に開催された恵比寿講の献立に「頭料理」が記されています。祝い事などハレの場で家族や客人と楽しむとともに、年末にまな板を縁側に持ち出し、大きな魚をさばく風景が風物詩になっていました。現代でも竹田市内の取り扱い店舗への予約により「頭料理」を食べることができます。
大分県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

厚木のとん漬

江戸時代末期ごろ、ある時荻野山中藩(厚木市近辺)で人寄せがあり、大勢の客人が集まり、料理が不足。しかし当時の武士たちは豚や猪などの四つ足の肉を食べることを嫌っていました。そこで何の肉かわからないように、猪肉にみそを塗り焼いて出したところ美味しいと評判になったのがとん漬の始まりと言われています。その後、黒船が来航し、横浜居留地の外国人のために豚を持ち込んだことから、神奈川県で養豚が盛んに行われるようになり、中でも厚木市は300軒の養豚場が軒を連ね、豚肉店の展開とともに、厚木市でのとん漬の普及が進み、現在は厚木の名産として知られるようになりました。とん漬は選りすぐりの上質な豚肉を各店舗自慢の特製みそを一枚一枚丁寧に塗り重ね、じっくりと漬け込んだ逸品。特製みそを丁寧に塗り重ねることで生まれる伝統の味は、思わずご飯が欲しくなる味。家庭の食卓だけでなく、お土産や贈答品として喜ばれる厚木の名産品です。
厚木のとん漬
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

奄美黒糖焼酎

薩摩藩士名越左源太が当時の奄美の状況を記した「南島雑話」には、焼酎が島民の生活といかに密接に結びついていたかが記されています。当時の焼酎の原料は“椎の実、桑の実、ソテツの実”などです。サトウキビを絞った汁を使う留汁焼酎の記述もあり、黒糖焼酎の原形を見ることができますが、黒糖は藩の重要な財源となっていて焼酎に使うことは禁じられていました。黒糖焼酎の製造が本格化するのは昭和21年、奄美群島が米軍統治下になってからのことです。昭和28年に本土復帰しますが、黒糖を原料とした蒸留酒はスピリッツに該当し、焼酎よりも高い酒税が課せられることになっていたため、黒糖の使用許可を陳情し、“奄美群島区において製造する場合で、黒糖と米麹を併用するときに限り認める”という特例が設けられたのです。奄美黒糖焼酎は、平成21年2月6日に地域団体商標登録の認可を受けました。かつて原料にできなかった黒糖を原料とした焼酎が奄美の特産になっています。
奄美黒糖焼酎
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

阿波ういろ

阿波・徳島の「ういろう」とは意外に思うかもしれませんが、その歴史は古く、江戸時代、徳島藩にサトウキビが伝わり、和三盆糖が作られたことを祝って、旧暦3月3日の節句に藩主や領民がういろうを食べたことが始まりと言われています。その後、徳島では節句にういろうを食べる風習が継承され、庶民のおやつとして、多くの家庭で作られてきました。「阿波ういろ」は、もち粉が織り成すもっちりとした食感と、和三盆糖の風味が醸し出す上品な味わいが特徴のヘルシーなスイーツです。また、阿波ういろは、もう一つの徳島の特徴的な節句の風習とも深く関わっています。徳島の子ども達の多くは、三段重ねのお弁当箱「遊山箱」を下げて、節句に野山や海岸へと出かけましたが、中に詰めたごちそうの代表格がういろうでした。徳島の様々な文化を継承している「阿波ういろ」は、現在、多くの菓子店で様々な種類が作られており、県を代表する銘菓となっています。
阿波ういろ
徳島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

粟おこし

粟おこしは蒸して乾燥させた米や粟などを水飴で固めたお菓子です。サクッとした硬い食感と噛んだ瞬間に広がる米の香りが特徴です。粟おこしが大阪で広まったのは江戸時代中期。天下の台所と呼ばれた大阪には、全国から良質な米や水飴、砂糖が集まりました。元々おこしは庶民の間では粟やひえなどの雑穀で作られていましたが、大阪の人々は贅沢品だった米をわざわざ細かく砕いて粟状にした「粟おこし」を作り出しました。この新しいおこしは大評判となり「身をおこし、家をおこし、国をおこし、福をおこす」といった縁起の良さから大阪名物として愛されました。なお、大阪のおこしには象徴として「梅鉢紋」が書かれています。奈良時代末期、右大臣・菅原道真公が九州の大宰府に左遷される際、大阪の上町台地で村の者が道真公をお慰めしようと粟おこしを差し上げたところ、公は大変喜ばれ「梅鉢の紋の小袖」をお礼に渡されたことがきっかけとされています。
粟おこし
大阪府
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

あんこうのどぶ汁

「あんこうのどぶ汁」は、福島県いわき市に伝わる郷土料理です。漁師が船の上で貴重な真水を使わずに調理して食べたことが始まりと言われており、あんこうの肝を炒った鍋に味噌を加え、あんこうの身と野菜から出る水分のみで調理します。こってりとしたコクと濃厚な汁で淡泊な白身の上品な旨みが絶品です。名前の由来は諸説あり、「全て」という意味の「どぶ」との説や、あん肝から出る汁でスープが濁り、酒のどぶろくに見えることが由来との説があります。
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

あんこ寿司

あんこ寿司は、山口県岩国市山代地域で伝わる郷土料理です。西暦1400年頃、領主が土地神の祟りを鎮めるために、農民が奉納した角寿司がこの地域の由来となっています。江戸時代には、年貢の負担が大きい農民が祭りや婚礼等にお寿司で、もてなしたいという思いで作り続けられ、伝わってきました。昔は、角寿司といわれていましたが具が餅のアンコのように入っているため、当時の岩国市錦生活改善実行グループ連絡協議会(以下「錦生改連」という)の会員が、あんこ寿司と名付けました。あんこ寿司は、みじん切りにした切り干し大根やごぼう、にんじん、椎茸を甘辛く煮含めた具を入れた寿司飯を軽く握って木型にいれ、その上に薄焼き卵と椎茸をのせて作ります。錦生改連や岩国市本郷生活改善実行グループ連絡協議会では、食育活動や体験交流等で継承活動に努めています。特に、本郷では、企業組合山代の里と連携して山代地域の特産品として販売しています。
山口県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

いかにんじん

【味付けも材料もシンプルな元祖スローフード】福島県北部に江戸時代末期※1から伝わる「いかにんじん」は、するめいかと人参の千切りを酒・醤油・みりん等で味付けしただけのシンプルな和え物です。大量に作れて保存がきくため、正月料理の箸休めとして、祝祭時の酒のつまみとして地域で長く愛されてきました。最低限の調味料でつくる郷土料理で、水分が抜けてするめいかの旨みが染みたパリパリした人参の食味食感は癖になる味です。現在では福島県全域で一年中食べられており、各家庭でこだわりや工夫のある「おふくろの味」の象徴として親から子へ引き継がれています。近年ではポテトチップスなどの加工食品や、レシピサイトでのアレンジ料理、特に炊飯器に入れて炊くだけの「いかにんじん炊き込みご飯」はSNSで口コミが広まるなど、汎用性の高い味付き食材としても注目を集めています。※1「食」ふくしま新ふーど記(福島民友新聞社発行)を参照
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

いぎす豆腐

愛媛県今治市沿岸部に広く分布する「いぎす」という海藻を使って、古くから庶民に親しまれている「いぎす豆腐」です。生大豆粉と一緒に煮溶かすことにより、冷やしたら固まる性質を持ち、豆腐のような食感になります。地元で取れたエビや野菜を一緒に入れて固め、酢味噌を添えて食べるのが一般的です。昔は一般家庭でも親しまれていましたが、近年ではいぎすの収穫量の減少や、下処理に手間がかかる等の理由で、家庭ではあまり作られなくなりました。現在では郷土料理を提供するお店や、惣菜店などで購入する事ができます。
いぎす豆腐
愛媛県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

壱岐の麦焼酎

壱岐島は歴史や自然に恵まれた島で麦焼酎発祥の地です。最古の記述は、1791年の『町方仕置帳』ですが、『朝鮮王朝(李朝)実録』によると1477年に琉球に蒸留酒があった旨の記述があり、朝鮮半島と琉球の交易路の拠点であった壱岐島でも蒸留酒があったと考えられています。壱岐の麦焼酎の特徴は、大麦(3分の2)と米麹(3分の1)を原料とし、壱岐のミネラル豊かな水を使って蒸留し、瓶詰まで一貫して島内生産を行っていることです。麦の香ばしさとほのかな甘みを味わうことができ、口当たりも良いため、焼酎初心者にもおすすめで、日本を代表する焼酎ブランドとして愛飲されています。現在壱岐島で焼酎を製造している蔵元は7つあり、どの蔵元も伝統を守りながら独自の味わいを追求しております。平成7年に熊本県の球磨焼酎、沖縄県の琉球泡盛と並び、日本初国税庁による地理的表示の産地指定を受けた世界的ブランドとして発信を続けてまいります。
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定
有識者特別賞

石狩鍋

「石狩鍋」は、生鮭のあらを使い、味噌仕立てでキャベツなどの西洋野菜、豆腐などを入れた北海道を代表する鍋料理です。もとは「だいなべ」と呼ばれる漁師が作業の合間に食べる料理だったと言われています。冷凍技術が未発達の時代に生鮭のあらを使った料理が生まれたのは、鮭漁が盛んな石狩ならではです。また具材に用いられるキャベツなどは明治以降に栽培が広がったもので、北海道の開拓の歴史を反映しています。「石狩鍋」の命名は意外に遅く戦後のことで、石狩の鮭地引き網漁を見るために訪れた観光客に「石狩鍋」と名付けて提供したことに始まります。石狩町によるさけまつりキャンペーンで盛んに宣伝したほか、札幌の料理店で「北海道名物」として取り上げられたこともあり、急速に広まりました。北海道では、家庭ごとに具材やダシのとり方に多くのバリエーションがあり親しまれています。
北海道
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和6年度認定

石切のおでん

“石切おでん”は、石切さん(石切劔箭神社)の病気平癒の御利益にあやかった縁起のおでんです。でんぼ(できもの)の神様として昔から関西では有名な石切劔箭神社の参詣道は、かつては高野山へ参る東高野街道の旅の寄り道として栄えていました。また、大阪と奈良を結ぶ近鉄電車が開通してから100余年、交通アクセスの良さも加えて旅籠や商店が軒を連なる通りとなりました。病気平癒の御利益を求めてご来街される沢山の方々の健康のお祈りのため、門前の商店を中心におでんを提供しています。石切劔箭神社の御利益に肖り作った切り身の具材の入っていない野菜と、練り物を主材とした味付けの濃い関東煮風のおでんが受け継がれ、今もそれを守っています。手術の必要な大病の方のお参りのため、身体を切ることを想起する切り身が入っていないことも特徴です。パワーフードとして長年親しまれ、地域の風情を凝縮した存在でもあり、大切な地域の料理です。
石切のおでん
大阪府
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

石榑茶(いしぐれちゃ)

江戸時代から続く「石榑茶(いしぐれちゃ)」は、鈴鹿山麓の恵まれた自然環境を活かして育てる地域のお茶です。二重棚の玉露やかぶせ茶など良質茶作りに専念しています。専業のお茶農家だけではなく、各家庭の垣根にある茶の木の風景と各家庭に引き継がれるお茶の味。決して大きな産地ではありませんが、古くから地域に根差し、親しまれるお茶。地元石榑小学校の校舎は茶畑をイメージしたデザインになるほど地元住民の誇りです。近年では、急須で飲むお茶以外にも、美味しいスイーツやお菓子に変身して市内外の人にも親しまれています。石榑茶を通して人とのつながりが広がることを期待します。これまでの100年から、また新たな100年となるよう当「大安町茶生産組合」も地元の方のご協力を得ながら邁進していきます。是非一度、石榑茶をご堪能ください。
三重県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

石巻焼きそば

昭和6年頃、当時中国人の方が営業していた食堂のメニューに焼麺というのがあったといいます。このお店で修行していたお弟子さんたちが石巻地域の各地に広がり、戦後焼いてもべとつかない二度蒸し製法が確立され焼きそば文化が生まれました。学校給食でも出され、米飯給食が出るまでは一番人気でした。吸水力を増した二度蒸し麺に魚介系の出汁をたっぷりしみこませふっくらと香ばしく調理された石巻焼きそばは、褐色の見た目に比べて出汁の影響によりやさしい味となっています。石巻の焼きそばは、出来上がって盛られた焼きそばに、自分の好みで後からソースを味付けに仕上げて食べる他の地域にはない習慣があります。石巻人が他の地域に行って焼きそばを食べるときには、すでにソースで味付けされている焼きそばに思わずテーブルに置いてあるソースをかけてしまうという笑い話もあるほど、石巻ではこの後がけソースはたいへんポピュラーなものになっています。
宮城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

石部のいもつぶし

500年以上前の江戸時代に東海道の51番目の宿場としておかれた石部宿(現:滋賀県湖南市)で、古くから庶民に親しまれてきたといわれる「いもつぶし」は、米が貴重とされていた頃、里芋を混ぜて食べられていた郷土料理です。皮をむき、ざっくりと切った里芋を米と一緒に炊き、つぶして俵型に丸め、みたらしのような濃厚なタレを塗り、香ばしく焼いた甘辛醤油味は誰もが好む逸品です。ほろ苦い味噌があと引く田楽味噌味は、お好みで山椒をかけると風味が変わり味噌ともよく合います。近年は旧東海道にある石部宿田楽茶屋で味わうことができたり、地元保存会がイベント時に販売されたりしています。石部の伝統食として愛されてきた食べ物なので、これからも伝統を絶やさずに伝え、たくさんの人に味わっていただきたいと思います。
滋賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

出石皿そば

受け継がれる伝統の技法と「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の伝統の三たてでつくられる出石皿そば。素朴でコシがあり風味豊かな味わいのそばと多彩な薬味、各店のこだわりぬいたダシで美味しく召し上がっていただけます。その歴史は、1706年(宝永3年)信州上田の仙石家がお国替えにより出石に移封されたさい、そば打ち職人を同行したことから出石に定着し、以来300年間そば打ちの技法は改良されながら発展し受け継がれてきました。現在お店の数は40軒を超えています。出石皿そばは自然豊かなこの町の恵まれた水によって生まれます。出石焼の小皿に盛り付けた皿そばを何枚も食べる独特の様式も楽しんでいただけます。玉子、ねぎ、とろろ、大根おろし、わさびなどの多彩な薬味と、各店独自の工夫をこらしたダシでそれぞれの味を堪能できます。是非出石皿そばを、歴史ある出石の町を堪能しにいらしてください。
兵庫県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

出雲そば

「出雲そば」は、日本三大そばの一つとして、島根県東部の出雲地方で古くから親しまれている郷土料理の一つです。寛永15年に、信濃国松本藩から出雲国松江藩主として松平直政公が着任し、信濃のそば職人を出雲へ連れてきたことが、出雲にそばが広まった始まりとも言われています。他所とは違い、出雲そばはそばの実を皮ごと挽くため、色は黒っぽく香りも強いものとなります。食べ方も「割子そば」や「釜揚げそば」という珍しい食べ方をします。また、そばをそばつゆに「つけて」食べるのではなく上から「かけて」食べ、薬味ももみじおろしが一般的であるなど、ほかとはちょっと違った食べ方をします。年末の仕事納めの日には、多くの会社や事業所が地元のそば店からお昼の出前をとり、年越しそばを食べる風景が見られます。各地域には、そば打ちの愛好会や同好会も数多く存在し、そば打ちの文化を現在に引き継いでいます。
出雲そば
島根県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

伊勢いもとろろ

ある伊勢いも農家曰く「幼い頃、大晦日には毎年母が伊勢いもをすりおろして出し汁の冷めたのをすり鉢にいれて、とろろ汁を作り、それを麦飯とともに食べ、年の瀬を送ったものだ」。この地域の先人たちは、専ら米を中心とする雑穀と豆を中心とする発酵食とを組み合わせてきたが、中でも伊勢いもは、300年の歴史を有し、とろろ汁やおとし芋として食されてきた。新芋が大きくなる時、種芋の下で大きくなる性質があり、生まれながらにして親芋をいだいてくるということで孝行芋とも呼ばれ、結婚等祝いの献立には伊勢いもとろろで祝ったものだそうだ。昭和のはじめに書かれた本には「疫を癒し、腰痛を止め、五臓を充たし、煩熱を除き、陰を強くす」とあり、薬用としても食されていたことが読み取れる。 伊勢いもを次世代に引き継ぐべく、作り手を育成する「伊勢いもプロジェクト」に取り組み、これまでに10名を超えるの農家が誕生した。「伊勢いも」の挑戦は続く。
三重県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定
有識者特別賞

伊勢うどん

伊勢うどんは、伊勢地域の独特なうどんで、太くてやわらかい麺に、少量のたまり醬油をベースにしたタレがかかった食べ物です。具材は刻みネギ程度で、あまり載せません。伝承によると、農民たちが麦を挽いてうどんを打ち、地味噌から取れた「たまり」をかけて食べたものをルーツとしています。伊勢市は古くから信仰されてきた伊勢神宮が所在し、全国から参宮者が集まった地です。このうどんは、うどん屋や茶屋で提供されるようになり、参宮者をもてなすために改良されてゆき、江戸時代中期には今日のようになっていたようです。この土地ならではの特徴的なうどんは、その美味しさと珍しさで、伊勢参りの記念に食べられ、帰った時に「食べてきた」と語り草にもなりました。伊勢市内で継承されてきた郷土食であり、現在でも市民にとっては日常的に食されるとともに、伊勢参りにおける代表的な食べ物のひとつとして、多くの観光客にも親しまれています。
伊勢うどん
三重県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

いただき

明治中期頃、地元の人たちが油あげに米や野菜を詰めて炊いたのが始まりだと言われており、刻んだゴボウや人参、干ししいたけなどを生米と混ぜ油揚げに詰め、醤油などをベースにしただし汁で煮込んで作りますが、境港市では塩辛、米子市では甘辛といった特徴がみられるように、地域や家庭によって味付けや具財が少しずつ異なっており、地域特有の味、家庭の味を生み出し、それぞれに受け継がれています。未来の100年に向けて県外、国外にさらなる認知度の向上を図ろうという狙いで、米子市を中心とした弓ヶ浜地域の伝統食である「いただき」を後世に継承していこうという取組や、米子城にまつわるイベントなどで「城山の頂でいただきをいただきます」といったキャッチコピーを掲げながら地域の自治体とも連携した取組を進めています。
いただき
鳥取県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

一関・平泉の伝統的なもち食文化

一関・平泉には、全国的にも特徴あるもち食文化が今なお受け継がれています。今から約400年前の江戸時代に、当時この地方を治めていた伊達藩の慶弔儀礼式が庶民へと普及したといわれ、冠婚葬祭などの改まった席では最高のおもてなし料理として「もち本膳」が振る舞われます。年中行事や人生の節目などには餅をついて食べる習わしがあり、かつては一年に60日以上も餅をつく日があったとされています。多彩なもち料理の数々も魅力です。農産物や山菜、沿岸地域から運ばれる海産物など豊かな食材を活かしたもち料理が伝わっています。また、戦中、戦後にはくず米に雑穀を混ぜた「しいなもち」を美味しく食べるため、生活の知恵で味の工夫を加えてきました。食べ方のバリエーションは300種類以上とも言われています。
一関・平泉の伝統的なもち食文化
岩手県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

いなぶ桶茶

桶に煮出した番茶と塩を入れ、茶筅で泡立て飲む「桶茶(おけちゃ)」。番茶のさっぱりとした味や香り、塩と泡のまろやかさ、木桶の爽やかな香りが加わり、特に夏などの汗を掻いた時に飲む桶茶は最高です。地元では、昭和の初め頃に桶茶は廃れたとされ、知る人もなく、桶茶自体が知られなくなる現状に危機感を覚え、2012年より聞き取り調査を行いながら桶茶を再現するなどの活動をし、体験会の開催や呈茶を行なっています。愛知県豊田市稲武地区には江戸時代の桶茶道具が古橋家に伝わります。(2017年より豊田市指定有形民俗文化財)桶茶道具と郷土の食文化(茶文化)、そして地元の人やモノとの繋がりとともに伝える「いなぶ桶茶」として、後世に残していきたいと思っています。稲武の景色とともに桶茶をぜひ。
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定
有識者特別賞

いぶりがっこ

秋田では冬場の食糧確保のため、漬物など保存食を作る文化が根付いており「いぶりがっこ」も、保存食として根付いた秋田特有の食文化です。「いぶりがっこ」は大根の乾燥工程を燻製で行うという秋田独自の製法で造られた「たくあん漬け」です。パリパリとした食感と、芳醇で香ばしい燻しの香り、そして大根の甘みが一体となった独特の風味を持つ逸品です。一般的にたくあんは大根を天日干し後に漬け込みます。しかし秋田の冬の日照時間は少なく、気温も氷点下になることから、大根を屋外に干すことができませんでした。そこで、屋内の梁などに吊るして大根を干しました。囲炉裏の上に吊るされた大根は自然と燻され、その大根を漬けたことが「いぶりがっこ」の始まりとされています。秋田の厳しい冬の中、食を繋ぎながら少しでも家族においしいものを食べさせたいという先人たちの知恵と想いの結晶が秋田の伝統食品「いぶりがっこ」です。
いぶりがっこ
秋田県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

いもずいも

「いもずいも」とは、里芋の吸物のことで芋吸物(いもすいもの)がなまった言葉です。相馬ふるさと行事のひとつである「涼ヶ岡八幡神社例大祭」で、2日間にわたり振る舞われます。江戸時代の終わりのころ、「いもこじ会」という常会で、村人が意見を出し合って議論をしました。「いもこじ」とは、水桶に芋を入れて「×形」に縛った2本の棒でこじまわして芋の皮を取ることをいい、芋と同じように意見を出し合ってこじ回されるうちに、良い知恵が出ることからそう呼ばれました。そのため、「いもずいも」を食べると一皮むけて良い知恵が出る、つまり野暮が抜けて頭が良くなる、と言い伝えられています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

岩国寿司

岩国寿司は、祭りやお祝い事に作られるお寿司です。一度に4~5升のご飯を炊き上げ、大きな木枠に、寿司飯・具を交互に何層にも重ね、上から均等な力で押して、つけ込んだ彩り鮮やかなお寿司です。具材に使うれんこんの断面が吉川家の九曜紋に似ていることから、岩国藩初代藩主の吉川広家公が、登城する際の保存食として用いられたそうで、当時は、殿様寿司と呼ばれていました。また、岩国市は江戸時代かられんこんが栽培される県内一の産地です。昭和63年から、岩国市岩国生活改善実行グループ連絡協議会が、岩国を代表する郷土料理に育てるために「岩国寿司」と名付けて継承するとともに、岩国寿司の味付け統一や、イベントでのPR、学校での食育活動等で普及に努めています。近年、家庭でも作りやすい岩国寿司として、牛乳パックを使って作る方法を考案し、食育活動等で活用しています。
山口県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

いんおこ

広島県尾道市の因島で愛される歴史と深く結びつくソウルフード「いんおこ」は、うどんが入ったボリューム満点のお好み焼です。昭和30年代、造船業で働く人々のために、腹持ちの良いようにうどんが入るスタイルが定着しました。大きな鉄板で焼き上げる、熱々ふっくらとした食感が魅力です。島内には複数のお好み焼店があり、それぞれが独自の「いんおこ」を提供しています。特製ソースで炒めたうどん、キャベツ、ネギ、天かす、豚肉などを重ねて焼き上げるのが一般的ですが、のしイカやこんにゃくを加えるなど、個性豊かな味わいが楽しめます。「いんおこ」にタコなどの海産物を加え、村上海賊の旗をイメージした赤い旗を立てた「因島村上海賊焼き」も人気です。地元の人々だけでなく、観光客にも愛されています。家族や友人と「いんおこ」を囲むことは、因島ならではの貴重な体験です。因島を訪れた際は、ぜひ「いんおこ」を味わってみてください。
いんおこ
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

上野原せいだ芋の食文化~せいだのたまじ、せいだ芋焼酎、せいだ芋のポテトフライ~

「せいだ芋」とは、上野原近辺でのジャガイモの別名です。江戸時代、ジャガイモ栽培を奨励して、甲州の人々を飢饉から救った甲州代官・中井清太夫(なかいせいだゆう)の名にちなんで呼ばれています。代官は、市内の龍泉寺に 「芋大明神」として祀られています。食糧難の歴史的背景から、小粒の「せいだ芋(たまじ)」も余すことなく収穫し、甘辛く煮詰めた郷土料理「せいだのたまじ」が生まれました。その他、焼酎やポテトフライ等の特産品も生まれ、ふるさと納税返礼品としても定着しています。市のイメージキャラクター「たまじまる」は、「せいだのたまじ」と「中井清太夫」がモチーフ。この歴史絵本『せいだイモのはなし』は、小学校の図書学習や地域学習の一環として活用され、英語版も発行されています。毎年4月29日(祝日・昭和の日)には、龍泉寺にて「芋大明神祭」が開催され、地域の生活や文化に深く根付いています。
上野原せいだ芋の食文化~せいだのたまじ、せいだ芋焼酎、せいだ芋のポテトフライ~
山梨県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

上野原酒まんじゅうの食文化

「酒まんじゅう」は、上野原市で昔から親しまれる、小麦粉に秘伝の甘酒を練り込んで作る発酵食品です。必須アミノ酸やビタミン類を多く含み、上野原市の元気の秘訣です!かつて旧上野原町は、甲斐絹の里として江戸と甲州の商人の出入りでにぎわいました。「酒まんじゅう」は、この地域に集まった商人に愛され、味の良さは商人達によって広まり、上野原の名物として定着しました。明治、大正、昭和、平成と時が流れましたが、素朴な味はいつの時代にも好まれ、その味は日本を代表する発酵技術と代々継承してきた秘伝の甘酒、郷土愛に溢れた地域事業者や団体によって守られています。
上野原酒まんじゅうの食文化
山梨県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

牛久ワイン

牛久では実業家の神谷傳兵衛が、1903(明治36)年にフランス・ボルドー地方の最新技術を採用し、ブドウの栽培からワインの醸造・瓶詰めまでを一貫して行なう日本初の本格的ワイン醸造場、牛久シャトー(国指定重要文化財)を開設しました。120年以上前の日本ワイン黎明期に牛久シャトーで醸造された「牛久葡萄酒」はフランスに留学し技術や知識、最新の機械を持ち帰った養子・神谷傳蔵の技術指導により、チュイルク博覧会金賞牌受賞や東京勧業博覧会1等金賞牌受賞など国内外で高く評価され、数々の名誉ある賞を受賞しました。戦後、牛久ワインの醸造量は減少しましたが、2020年には「日本ワイン140年史~国産ブドウで醸造する和文化の結晶~」というストーリーで山梨県甲州市とともに文化庁より日本遺産にも認定されました。現在、牛久シャトー以外のワイナリーでも、ワイン醸造やワイン用ブドウのブドウ生産が始まっています。  ※牛久産のブドウを85%以上使用し、かつ牛久内で醸造されているワインのみを100年フードとして認定しています。
牛久ワイン
茨城県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

宇都宮餃子

「宇都宮餃子」は、戦後、満州から帰還した陸軍第14師団の将兵たちが本場中国の餃子の製法を持ち帰ったと言われており、学校帰りや仕事帰りなど食事以外の時間にもこよなく愛されてきたソウルフードです。焼餃子が基本ですが、揚餃子や水餃子も人気です。特に水餃子はお湯の中に調味料を直接入れてスープのように食べるのも宇都宮流です。注文方法も独特で焼餃子一人前を「シングル」、二人前を「ダブル」、三人前を「トリプル」と呼び、焼餃子二人前とライスを注文する時は「ダブル・ライス」と言います。「宇都宮餃子」はメニュー名ではなく、宇都宮餃子会に正組合員として加盟しない限り掲げることが出来ないご当地ブランド名です。宇都宮市に本社・本店があり、栃木県内で製造していることなどが主な加盟条件です。味や作り方、原材料などについて縛りをつけてはおりません。店主の数だけ味があり、食べ比べていただく楽しみがあります。
宇都宮餃子
栃木県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

うなぎのせいろ蒸し

柳川の名物郷土料理「うなぎのせいろ蒸し」です。水郷・柳川は、古くから天然うなぎの名産地として広く知られ、1681年に名物「うなぎのせいろ蒸し」が誕生しました。うなぎ料理といえばうな重やうな丼が一般的ですが、柳川ではせいろ蒸しという調理方法でタレを絡めて味付けしたご飯の上に、蒲焼きにしたうなぎ、錦糸玉子を乗せ、せいろで蒸したものを提供します。『せいろ蒸し』にすることで、うなぎは、外はパリッと香ばしく、中はふわっと仕上がり、そのうま味がご飯にも染み、最後まであつあつのままお召し上がりいただけます。市民はもちろんのこと、川下りで観光地となった柳川のグルメとして大人気となり、年間150万匹ものうなぎが食べられています。現在は柳川でうなぎが獲れなくなり、鹿児島・宮崎産の養殖ウナギを使用し提供。市内には約30店舗のうなぎ屋が点在し、各店舗で焼き具合、受け継がれたタレでそれぞれの味を提供しています。
うなぎのせいろ蒸し
福岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

うにの貝焼

江戸時代、磐城産雲丹は将軍家献上品として取り扱われていました。日持ちさせるために塩漬けにした「塩漬け雲丹」として献上されていたという事です。 現在の「うにの貝焼」と言う形になったのは藩政末期と言われています。 いわき市では海女(女性)ではなく海士(男性)が潜水し、雲丹を漁獲します。波や潮の状況により、当日の朝に出漁を判断し、漁獲された雲丹はその日のうちに各家庭にある作業場で「うにの貝焼」に加工され出荷されていました。全て手作業であり、ホッキ貝の殻に綺麗に盛り付けるには熟練の技が必要となります。また、調味料や保存料等は一切使わずに加工されているため、雲丹の旨味がギュッと濃縮された極上の逸品に仕上がっています。
うにの貝焼
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

海の七草粥

国崎町では、お正月の風習として「ナナクサタタキ」が各家々で行われています。1月6日の夜に、正装した一家の長が国崎の海から採ってきた海藻6種類(「ひじき」「ほんだわら」「ふくろのり」「うみとらのお」「ふのり」「わかめ」)と青菜を床の間にお供えした後、まな板の上に並べ、家族の無病息災を願いながら海藻を叩き刻むという風習です。正装した長がすりこぎと包丁を手に、「なずな七草、唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に、かきやかしてごちゃごちゃ」と唱えながら、海藻と青菜を細かく叩き刻んでいきます。刻み終わった海藻を、翌7日に船や神棚、海の神様などに備えて一年の幸を祈ります。その後、細かく刻まれた海藻を粥に入れ、「海の七草粥」として食します。一般的な野草を使った七草粥とは異なる、現役の海女が活躍する海の町ならではの習慣です。高齢化や単身化のため、今は女性が「ナナクサタタキ」を担うようになっています。
海の七草粥
三重県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

嬉野温泉湯どうふ

江戸時代、嬉野温泉は旅人に親しまれる宿場町でした。温泉水を使用した湯どうふは当時から親しまれており、現代でも旅館の朝食や町の飲食店の定番メニューです。特殊な性質を持つ嬉野の温泉水で煮ると豆腐が溶け出し、ふわふわと淡雪のような食感と適度な食べごたえ、大豆の甘みを感じる優しい味わいになる温泉湯どうふ。食通であった昭和の俳人「種田山頭火」も嬉野へ逗留した際「嬉野温泉独特の湯豆腐(温泉の湯で煮るのである、汁が牛乳のやうになる、あつさりしてゐてうまい)これがホントウのユドウフだ!」と日記に書き記しているほどです。温泉湯どうふは嬉野の伝統の味として、地域の暮らしに根付いています。
嬉野温泉湯どうふ
佐賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

宇和島鯛めし

宇和島鯛めしは、宇和海の日振島(ひぶりじま)を根拠地にしていた伊予水軍が仲間たちと舟の上で魚の刺身と茶碗酒で酒盛りをした後、その酒の残った茶碗にご飯をつぎ、たっぷり醤油を含ませた刺身をのせ混ぜ合わせて食べたのが始まりとされ、その食べ方が、漁師たちに脈々と受け継がれてきました。新鮮な真鯛の身を三枚におろしうすくそぎ切りしたものと、醤油、みりん、生卵、ごま、だし汁等で調味したタレと混ぜ合わせ、そのタレごとそのまま熱いご飯にかけて食べる愛媛県宇和島市の郷土料理です。生の鯛を使った、全国でも宇和島にしかない独持な食べ方の鯛めしです。
宇和島鯛めし
愛媛県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

えご

「えご」は紅藻のエゴノリを煮溶かし、よく練ってから寒天のように固めて作る海藻料理です。独特のモチモチとした食感があり、一口サイズに切って皿に盛り、からし酢味噌やわさび醤油で食べます。新潟県では「えご」や「いご」と呼ばれ、お盆の時期や冠婚葬祭などのハレの日に欠かせない料理として親しまれてきました。佐渡島ではこれを「いごねり」と呼び、板状に薄く延ばしたものをくるくると巻いて細切りにし、薬味をのせて醤油をかけていただきます。梅雨が明けて7月の土用を過ぎると、日本海の夏の味覚であるえご漁が解禁され、お盆前までが漁期です。乾物にしたえご草は、海から遠く離れた山間の村々へ運ばれ、貴重な海産物として食されてきました。江戸時代から海と山を結ぶ食文化として育まれてきた「えご」は、次世代に伝えたい新潟県民の大切な食文化です。
新潟県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

越前北前料理

越前北前料理は、福井県内で独自に発展・発達した食文化であり、代表的なものとしては「舟盛り」が挙げられます。その歴史は古く、誕生は江戸時代後期から明治初期まで遡ります。1859年に起きた安政の大獄で隠居を命ぜられた越前福井藩16代藩主松平春嶽。跡取りが居なかった為、新潟県の糸魚川藩からの茂昭公を養子で招き入れ、その初の越前の国入りの際に、村人総出のおもてなしの中で、メインの料理として振舞われたと伝わっています。華やかな見た目が話題を生み、北前船の船頭から近江商人に伝わり全国に広まったとされています。現在地元では、北前船で運ばれた食材や地元の海の幸を味わえる料理を祭りや祝いの席、沿岸部の宿泊施設などで現代風にオマージュし提供されています。このような北前船で運ばれた物資や歴史、地域の食材、郷土料理などの文化の継承に努めています。
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

えつ料理

「えつ」は、カタクチイワシ科に分類される全長が30センチほどの魚で、日本では有明海だけに生息しています。筑後川下流域で古くから食べられており、江戸時代の料理本にも掲載があります。産卵のため有明海から筑後川に遡上してくる5月から7月が、えつ漁のシーズンです。シーズン中の「えつ」は、脂がのっていてとてもおいしく、刺身、塩焼き、煮漬け、唐揚げ、南蛮漬け、えつ寿司など多彩な料理で味わうことができます。えつ観光の醍醐味は、屋形船の上で獲れたてを食べる「えつ狩り船」です。川船で、えつ漁を眺め、新鮮なえつ料理に舌鼓を打つ舟遊びは、大川の夏の風物詩として親しまれています。えつにまつわる伝説として、「弘法大師が貧しい身なりをしていたのにも関わらす向こう岸まで渡してくれた船頭にお礼をしようと川岸のヨシの葉をちぎって川に投げ込んだところ、それがエツとなった。」という話が伝わっています。
福岡県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

円盤餃子

戦後、満州で学んだこだわりの餃子を屋台で出したのが始まりの「円盤餃子」です。市内には50~60年の歴史を持つ餃子店も多く、行列ができる店もあります。昔から、サラリーマンが仕事帰りに利用していたため、現在もランチタイムは営業せず、夕方から営業している店が多いです。一皿20~30個と数が多いため、たくさん食べられるように野菜をたっぷり使用しており、ボリューム満点なのに軽い食感です。味は、あっさりしたものからニンニクたっぷりのものまで多種多様で、ビールとの相性も抜群です!「ふくしま餃子の会」に加盟する各店舗では、バラエティーに富んだ様々な餃子を味わえます。
福島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

美味だれ焼き鳥

日本が高度経済成長期だった昭和30年代、上田市の産業も大きく発展し、まちは働く人の活気であふれていました。そんな時代に、とある店主が考案したのが「ニンニクベースの醤油だれ」をかけて食べる焼き鳥でした。この食べ方は、半世紀を超え、当たり前のものとして地元の味で楽しまれてきましたが、2010年に市民有志によって「美味(おい)だれ焼き鳥」と名づけられました。このたれは、創業当時から継ぎ足しているお店や、信州名物のリンゴなどをすりおろしてまろやかに仕上げているお店など、各店それぞれにこだわりの味となっています。また、「美味だれ」に使われている“たっぷりのニンニク”には、抗菌作用や疲労回復などの効果があります。半世紀に渡って市民に親しまれ、有志によって名付けられ新しい歴史が始まった、「美味だれ焼き鳥」は、今では地元の人だけでなく、上田市を訪れる多くの人々に親しまれる、ソウルフードです。
長野県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

相知(おうち)高菜漬

全国唯一の在来品種の相知高菜は、古来より名峰作礼山の山麓の相知町楠地区で栽培されてきました。明治になり、唐津炭田である相知町には炭鉱労働者などで人口が増加していき、相知高菜漬は手間のかからないごはんのおかずとして需要が伸びました。大正9年には、相知町で最初の高菜漬け製造販売の広瀬仙吉商店が開業し、相知高菜漬は県内外へと広まりました。しかし、相知高菜と比べ収穫量に勝る三池高菜などの新品種が現れ、昭和40年代には相知高菜から三池高菜へと移行しました。相知高菜漬はまぼろしの高菜漬となっていましたが、伝統ある相知高菜漬の復活が期待される中で、相知高菜の種子が奇跡的に相知町楠で見つかり、その種子で試験栽培を行い、関係者の努力により平成21年に相知高菜漬が見事に復活しました。相知高菜漬は他の高菜漬と比べ柔らかな食感と甘酸っぱさが際立っていますので、ごはんのおかずや油炒めなどおいしくいただけます。
佐賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

黄飯(おうはん)

黄飯(おうはん)は、くちなしの実を水に浸し、その黄色に染まった水で炊いたご飯です。「かやく」と呼ばれる白身魚や野菜、豆腐などを炒め、煮こんだ「けんちん汁」のようなものと一対でいただきます。 黄色く炊いたご飯は、江戸時代の質素倹約な生活の中、贅沢な赤飯の代わりの祝いの飯として作られたのが起源と言われています。また、戦国時代に到来した南蛮文化の名残を留めた欧州由来のパエリアを模したとも言われています。 臼杵市内の家庭の庭先にはクチナシの木が植えられているところも多く、かつては祝い事の際や年末になると、そのクチナシを使い、黄飯を作っていました。現在は、学校給食や市内飲食店で提供され、老若男女から愛される、次世代に大切に継承していきたい臼杵が誇る郷土料理です。
黄飯(おうはん)
大分県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

近江日野の伝統料理~鯛そうめん、肉めし、日野菜漬け ~

滋賀県蒲生郡日野町は、近江日野商人のふるさと、800年以上続く湖東地域最大の祭「日野祭」や奇祭「芋競べ祭り」など今も町内各地域で昔ながらの伝統や文化、風習が残る町です。日野祭の際にもてなし料理としてふるまわれたという「鯛そうめん」や「ぶりぬた」、葬式を家庭でおこなっていた頃に作られていた「丁子麩のからし和え」「白和え」「ごま豆腐」「焼き豆腐」、原産地である「日野菜」の漬物、農村地域で広く食べられていた「さつまいものちょく」、地域の行事で食べられていた「肉めし」や「茗荷ずし」「山味噌」など各地域や家庭で食べ継がれてきた料理があります。私たち自身が食べてきた料理だけでなく、町内各地域への聞き取り調査によるメニューの発掘、イベントや料理教室などでその料理を子供から大人まで様々な世代に伝える活動をしています。
近江日野の伝統料理~鯛そうめん、肉めし、日野菜漬け ~
滋賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

大井川のお茶請け食文化

お茶の名産地である川根と牧之原台地を擁する大井川地域には、古くから東海道を旅する人々に愛されてきた「大井川のお茶請け食」があります。朝比奈ちまき、ほととぎす漬、瀬戸の染飯(そめいい)、らっか煮がその代表です。椿の灰汁(あく)に浸したもち米で作る「朝比奈ちまき」は食べれば気力体力を充実させ、戦国時代から必勝の縁起物でした。紫蘇の香りと白瓜の歯触りの後にツンと効く和辛子に思わず涙こぼるる「ほととぎす漬」です。くちなしの実で染めた黄色いおこわ「瀬戸の染飯」は、旅人の足腰の疲れを取るとされ、東海道中膝栗毛でも紹介された旅の名物です。生落花生をにんじん・ごぼう・れんこん・こんにゃく・しいたけと煮含めた甘じょっぱい「らっか煮」は、お茶にぴったりの川根路のおかあさんの味です。皆さんもぜひ、美しい茶畑風景が広がる大井川地域を訪れて、お茶と共に味わってください。
大井川のお茶請け食文化
静岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

大門素麺

大門素麺は、江戸時代後期の嘉永元年(1848年)に砺波郡大門村の売薬商人が、能登・蛸島より加賀前田藩の御用素麺を村人に伝えたのが始まりです。全国的にも珍しい丸髷の形が特徴で、一年で最も寒くなる10月~3月を中心に作られており厳選した小麦粉を清流庄川の伏流水で捏ね合わせ、一晩寝かせてから「太より」「中より」「細より」と何度もよりをかけながら、細く長く伸ばしていくのでコシが強く歯触りの良い素麺に仕上がります。また、丸髷状にするため半生時に形を整え、約10日前後かけて本乾燥を行うため、素麺本来の深い味わいとなります。
富山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

大阪だしうどん

16世紀末、大坂城築城の資材置き場「砂場」に、2軒のうどん・そば屋があり「砂場行こか」と、麺類店の代名詞になりました。17世紀末、河村瑞賢が西廻り航路を整備し、多様な食材が北前船で運ばれるようになると、真昆布を水に浸けて、さば節など雑節を合わせ、煮だして調味した「だし」文化が誕生、かけうどんが考案されました。その人気は江戸にも波及し、「砂場」という屋号の店舗が増えたといいます。実はそれまでのうどんは味噌であえるなどの汁なしでしたが、かけだしの誕生で、特に冬場は重宝され「うどん屋の風薬」まで登場。明治中頃には、甘く炊いた揚げをのせた「きつね」うどんが生まれ、今では全国、世界のうどん店で提供。鍋焼き、しっぽく、小田巻、天ぷらうどんなど、多様なメニューも同様に定番となりました。各地のうどん文化に影響を与えた「大阪だしうどん」。だし、麺、具材の三位一体で味わうおいしさは大阪人の知恵の結晶です。
大阪だしうどん
大阪府
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

大阪の鯨ハリハリ鍋

鯨のハリハリ鍋とは鯨と水菜の鍋物で、大阪の家庭や飲食店でよく食べられていました。水菜を食べるときに“ハリハリッ”と音がすることから、大阪ミナミの千日前で昭和42年に開店した鯨料理店の徳家が名付けたと伝えられています。日本人は古来より貴重な食料であった鯨を敬い、供養塔を建てるなど精神的なつながりを育み全ての部位を活かしてきました。大阪は天下の台所と呼ばれた食材の集散地で、鯨も各地から入荷し、食文化が花開きました。昆布と節類でだしをとり、近郊では水菜が栽培されています。霜の降りる時季の水菜は柔らかく、鯨と炊くことでうま味がだしに広がるのです。近年、捕鯨の規制や文化の相違から鯨を食べる機会が少なくなり、紡がれてきたハリハリ鍋の文化が消えつつあります。そこで9月4日の「クジラの日」を中心に、大阪ミナミの地から普及に当たり、今後100年間大阪の伝統的食文化として、さらにソウルフードとして継承します。
大阪の鯨ハリハリ鍋
大阪府
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定
有識者特別賞

大阪の鉄板粉モン文化(お好み焼・たこ焼)

【昭和初期~戦後にかけて定着した大阪の鉄板粉モン文化(お好み焼・たこ焼)の特徴】(1)お好み焼:小麦粉をだしで溶いた生地に短い千切りや粗みじんのキャベツを混ぜ、豚バラ肉をのせて焼く「豚玉」が代表格ですが、生地をひいて具材を重ねて焼く「洋食焼」も健在です。濃厚ソース、青のり、削り節などをトッピングし、鉄板からテコで食べる人も多いです。(2)たこ焼:小麦粉をだしや卵で溶いたゆるい生地を鋳物や銅の鍋に流し込み、ゆで蛸を入れて丸く焼きあげます。濃厚ソース、青のり、削り粉など、トッピングもいろいろありますが、何もつけず、独特の食感とだしを味わう人も多いです。さまざまな調査によると、関西人の8割り近くが家庭用のたこ焼き器を所持し、「タコパ」として自家製たこ焼を楽しむ文化が昭和30年代から続いています。
大阪府
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

大阪ワイン

大阪では1580年頃から葡萄栽培が行われていたとされ、大正時代中頃から昭和初期には全国一位の栽培面積を誇っていた時期があります。この葡萄と共に100年以上にわたって醸造技術を研鑽し、世界に誇れるワインを醸造しながら大阪の葡萄畑とワイン醸造のある暮らしと文化をつないでいます。大阪は100年以上前からデラウェア葡萄の産地であり、現在も全国第三位の生産量を背景に個性的なワインが多く造られています。2019年G20大阪サミットではたくさんの大阪のワインやブランデーが採用され、好評を博しました。世界各所で行われているワインコンテストでの受賞歴も多く、日本のワインとして有名になりつつあります。2021年には国税庁のGI指定も受け、「GI大阪」の認知度向上に勤しんでいます。最近はシンガポールと上海でワイン会も開催しました。過去から続く大阪のワインを大阪の食と世界をつなぐ架け橋へと育てて行きます。
大阪ワイン
大阪府
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

大田の箱ずし

箱ずしは、島根県の中心部に位置する大田市の代表的な郷土料理です。はっきりとした記録は残っていませんが、江戸時代からお祝い事やお祭りなどの行事には欠くことのできない料理でした。具材は、ごぼう・人参・しいたけ・切り干し大根(昔は、かんぴょうを使っていた)・油揚げなどを細かく刻んだもの。それを煮込み、味が馴染むまで一晩おく。大きな木枠の中に酢飯・具・酢飯・錦糸卵・板の順に何段も重ね、十分に押しをしてから切り分けます。箱ずしは、最後に重石をのせて作ることから「作る」ではなく「漬ける」といいます。具材やすし酢はその家々の味がありますが、作り方は姑から嫁に、また母から子に、子から孫にと継承されてきた郷土料理です。木枠の中に、何段も重ねて作られた箱ずしの断面はとても美しく、木枠を外した時は感動ものです。
大田の箱ずし
島根県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

大津のうなぎの食文化

江戸期には大津市で獲れた琵琶湖のうなぎは屈指の名産品として全国に知られていました。また当時は瀬田の唐橋から大津宿までの東海道沿いに、逢坂の関から流れる清流で泥抜きをしたうなぎを扱った料理屋がたくさん店を構えており、その名残から今も旧東海道の周辺には多くのうなぎ屋があります。総務省家計調査によると、うなぎの蒲焼きの消費金額は平成28年と令和元年に全国1位になるなど、大津市は全国でもトップクラスの消費金額を誇っています。鰻料理は多種多様で、蒲焼き以外の食べ方を楽しめるのが大津のうなぎの最大の特徴です。滋賀で「じゅんじゅん」と呼ばれるすき焼き風料理や「しゃぶしゃぶ」などの鍋料理、それ以外にも「近江牛」と組み合わせたステーキと蒲焼きのお重など、市内ではバリエーション豊富なうなぎ料理が提供されています。うなぎの食文化が根付く大津ならではの個性豊かなうなぎ料理を求めにぜひお越しください!
滋賀県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

大歳のごっつお

美濃加茂市では12月31日を“大歳(オオトシ)”と呼び、大晦日には“大歳のごっつお”(大歳のごちそう)が、必ず食卓にあがりました。大きな鍋に切った大根、ごぼう、にんじん、こんにゃく、里芋を順に入れ、上に煮干しをのせ水を注ぎ煮ます。堅い野菜に火が通ったらしょうゆで味付けし、豆腐、油揚げ、糸昆布をのせ、弱火でじっくり煮ます。大晦日はこの煮物とお頭つきの魚としてメザシ(鰯の干したもの)がつきました。山に囲まれた岐阜県では、畑で野菜は採れますが、新鮮な魚は手に入らず、海の幸は定期的にやってくる行商人から買うのが普通だった時代があります。当時、メザシもたいそうなごちそうでした。大鍋で煮た“大歳のごっつお”は正月三が日の間、何度も温め直して食べられ、忙しい主婦を助けました。今でも、正月の定番料理として食べる家庭も少なくありません。
岐阜県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

大山のきゃらぶき

大山名物の「きゃらぶき」は、修験者の保存食を起源とし、大山をはじめ関東周辺に自生する野ぶきの佃煮で、添加物は一切使用していない自然食です。 野ぶきを伽羅色になるまで丹精込めて醤油で炊くことから、「きゃらぶき」と呼ばれています。 早春にふきのとうが顔を出し、そのあと茎と葉が大きくなる野ぶきは、春の香味を食卓に届け、山麓で暮らす人々にとって身近な食材であり、各家庭で気軽に作られた季節の一品として江戸時代より地域の暮らしに溶け込んできました。 また、先導師旅館(宿坊)などで提供される「とうふ料理のお膳」や大山詣りの際の「弁当」に、昔から香の物等として必ずと言ってよいほど添えられる食品でもあります。 大山詣りの土産として広まったのは、明治の頃よりと言われています。 かながわの名産100選(全身のかながわ名産50選)の頃より地域の名物として選ばれてきました。
大山のきゃらぶき
神奈川県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

小郡の鴨を取り巻く食文化

江戸時代から知られた狩場である小郡の鴨は、くず米をたっぷり食べたことでずっしりと重みを増し、「其味の美なること、諸州の産に優れり」と記されるほど旨みをその赤身いっぱいに溜めこんでいます。現在人々の口に入る天然鴨は、そのほとんどが猟銃によって捕らえられていますが、伝統的な猟法である「無双網」を使って捕らえられた鴨は、また一段と美味しいといわれています。今や高級食材の一つである鴨ですが、地元の古老によると、力武をはじめとした市北西部では冬になるとよく食べられており、子どもですら食べていたそうです。市内の鴨料理屋「さとう別荘」では、鴨猟が解禁される秋の彼岸(11月中旬)を迎えると、鴨鍋、鴨ご飯、鴨の刺身、御狩場焼をいただくことができます。毎年、鴨を楽しむために都市部から訪れるファンも多いようです。ぜひ一度、小郡市の鴨料理をご堪能ください。
福岡県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

小樽あんかけ焼そば

戦後の復興期に誕生した「小樽あんかけ焼そば」は、昭和30年代に普及し、デパートでの買い物の帰りにあんかけ焼そばを食べるというのが市民の楽しみの一つでした。「小樽あんかけ焼そば」は、よく焼いた麺と多めの“あん”を特徴とするものの、明確な定義はありません。ないからこそ、約70年の歴史の中で各店の創意工夫により、独自の進化を遂げてきたと言えます。近年は、B-1グランプリをはじめとするイベント等への出展や、食品製造メーカーとのタイアップによる商品化などにより、全国的にも知名度も上がり、現在も、市内100店舗以上で提供される市民のソウルフードとして幅広い世代に愛されています。そして、その“小樽の味”を求めて、市民はもとより、観光都市となった本市には多くの観光客が訪れています。地域に根差し、これからも発展し続ける「小樽あんかけ焼そば」は、この先も受け継がれていくべき、小樽市民の味なのです。
小樽あんかけ焼そば
北海道
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

小田原蒲鉾

小田原と言えば蒲鉾、蒲鉾と言えば小田原です。日本伝統の食文化である蒲鉾の中で、高品質なものとして今もなお称賛されています。相模湾で獲れる豊富な魚、箱根丹沢山系の豊かな水から創られる蒲鉾は口伝えに全国に知られるようになりました。現在は、漁獲量も減り、他地域からの原料調達に依存をしていますが、高品質な蒲鉾作りの為に、伝統・技術の継承、普及に努めています。200年続く「小田原蒲鉾」の歴史をさらなる100年に向け邁進していきます。
小田原蒲鉾
神奈川県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

お平(おひら)

「年とり膳」の中の一品、「お平」は北設楽郡豊根村をはじめ山里に伝わる具沢山の汁物です。糸昆布、椎茸、油揚げ、豆腐、*はんぺん、と冬の野菜である里芋、大根、人参、ごぼうなどの具材を沢山、また出来るだけ大きく切り出し、煮干しと醤油、少しの砂糖で大きな鍋でゆっくり煮たものです。この汁物は正月中に食べます。日に日に野菜のだしが出て美味しい汁物となり、寒い山里の暮れから正月を代表する食べ物と言えます。この汁物を作るために里芋、ごぼう、大根、人参、椎茸や豆腐を作ります。これからもずっと守り続けたい料理です。*はんぺん(ちくわなど練り物)
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

小布施の栗菓子文化

小布施栗の栗栽培は室町時代からすでに始まり、その歴史は一説によると六百年余りとも言われています。松川がもたらす酸性土壌の扇状地には見渡す限り栗林が広がり、小布施は昔から栗の名産地として知られていました。江戸時代には将軍への献上品として出され小布施栗は全国に名を馳せました。そして、江戸時代の文化5年(1808年)桜井幾右衛門によって、初めて「栗落雁」が創製され、文政2年(1819年)弟の桜井武右衛門が「栗ようかん」を創製された歴史があります。現在も歴史ある栗菓子の製造と販売が引き継がれ200年以上の歴史ある老舗栗菓子店が存在します。その品質は今も変わることなく、はち切れそうなツヤツヤし実った栗は、栗おこわ、栗羊羹、栗かのこ、栗モンブランなどの銘菓となってお客様のもとへ届けられます。これからも「小布施の栗菓子文化」を江戸時代から地域で受け継がれている重要な食文化として継承していきます。
小布施の栗菓子文化
長野県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和6年度認定

小布施丸なすおやき

「おやき」とは長野県を代表する郷土食のひとつで、小麦や雑穀、そば、米などの粉を水で溶いて練った生地に野菜などの調理した具材を包んだおまんじゅうのような料理です。そして、この具材となる「小布施丸なす」の特徴は、肉質がきめ細かく煮崩れしにくく、ほのかに甘い特有の風味を持っています。「小布施丸なすおやき」は、その特徴を活かし、輪切りにした小布施丸なすの間に味噌をはさみ、これを丸ごと小麦粉の皮で包んで蒸した料理です。おやきでしっかりとした、なすの食感と風味が味わえるのは「小布施丸なすおやき」にしかないものとして、この地域では「小布施丸なすおやき」は昔から美味しいと人気で信州を代表するおやき料理として親しまれています。また、小布施丸なすは平成19年に長野県が認定する信州の伝統野菜にも選ばれました。これからも「小布施丸なすおやき」を明治時代から地域で受け継がれている重要な食文化として継承していきます。
小布施丸なすおやき
長野県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

おぼろ汁

「おぼろ豆腐」とは、豆乳ににがりを加えて圧搾する前に汲み取った、固まりはじめの状態の豆腐のことです。食感はふんわり、ほんのりとした大豆の甘い風味があり、箸でつかめないくらいの軟らかさです。また「おぼろ汁」は、薄く切った干し椎茸の戻し汁と醤油で調味し、しょうがとおぼろ豆腐を加え、最後に水溶き片栗粉でとろみをつけたものです。ほろほろとした見た目が「おぼろ月夜のもやもやとした状態」に似ていることが名前の由来であり、幕末期に町内の龍渕寺(曹洞宗)の住職であった二十六世大堂俊麟大和尚が京都で会得したおぼろ豆腐の製造とおぼろ汁の調理法を、そのお寺の「わらじぬぎ場」になっていた奥州涌谷の「櫻井屋」に精進料理として伝えたのがきっかけです。食材の入手の容易さやその料理のおいしさが地域に受け入れられたと考えられています。「おぼろ汁」は、春秋のお彼岸やお盆に仏前に供える涌谷町の精進料理として親しまれております。