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全国各地の100年フード

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福島県

未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

なみえ焼そば

福島県双葉郡浪江町の安くておいしい、昔から親しまれる極太麺の『なみえ焼そば』。 約65年前、労働者のために食べ応えと腹持ちをよくするために考案されたとされています。
通常の約3倍のもある太い麺と、うまみたっぷり濃厚ソース、豚肉とモヤシだけのシンプルな具が特徴です。極太麺、モヤシ、豚肉、極まる馬さ、ここにあり。一味唐辛子を振りかけて食べるのが通な食べ方とされます。
なみえ焼そば
福島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

マミーすいとん

福島県双葉郡楢葉町及び広野町にまたがるサッカーナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」。この地でサッカー日本代表が合宿を行った際、地元の郷土食としてすいとんが振る舞われました。そのすいとんを食べた、当時のサッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏が「これはマミー(おばあちゃん)の味だ」と大変気にいられ、楢葉町のすいとんには「マミー」が冠されるようになりました。マミーすいとんは、ごぼう、しいたけ、にんじん、ねぎ、鶏肉と具材はたった5つとシンプルですが、飾らない昔ながらの味が身も心も温めてくれます。現在は、地元の女性による「ならはすいとん研究会」が伝統の味を継承しており、すいとん粉と、味の決め手となるタレが入ったレトルトすいとんキットも人気のお土産です。ほっと一息つけるマミー(おばあちゃん)の味を、ぜひ楽しんでください!
マミーすいとん
福島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和5年度認定

郡山ブラック

郡山ブラックは、濃口醤油やたまり醤油などを使用した漆黒のスープが目を引く醤油ラーメンであり、その見た目にもかかわらず、まろやかな味わいが特徴です。大正6年頃に市内の食堂で提供し始めた中華そばが郡山ブラックの起源と言われており、郡山ブラックの提供店では、「ますや本店」が最も古い歴史があります。郡山ブラックの製法は、「醤油だれ」と「がらスープ」を一つの寸胴や鍋で合わせる「郡山クラシックブラック」と、郡山ブラックを現代的な解釈で独自にブレンドした「醤油だれ」と「スープ」をラーメンどんぶりで合わせる「郡山ネオブラック」の2種類があります。福島三大ラーメンの1つにも数えられており、近年では、郡山ブラック特集の全国放送や郡山ブラックカップ麺の商品化など、全国でも注目を集めています。伝統の漆黒のスープを守りながら進化し続ける郡山ブラックは、郡山の郷土料理として、世代を超えて受け継がれています。
郡山ブラック
福島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

塩川鳥モツ

鳥モツというと、鶏のキンカンや玉ひもなどの煮込みを想像すると思いますが、塩川鳥モツは、モツはモツでも、「鳥皮」を煮込んだ料理です。塩川鳥モツの歴史は、昭和初期に養鶏業が盛んになったことをきっかけとして、金銭的に商売にならなかった部位の「鳥皮」を家庭で煮込んで食したことがルーツと言われている地元で愛される郷土食です。地元の食堂では、わざわざ「鳥モツ」といわなくても、モツ煮といえば、鳥皮の煮込みが出てくるほどの人気と知名度を誇り、その味わいは、噛めば噛むほどにうまさがあふれ出し、ごはんのおかずにも、お酒の肴にも、老若男女どなたにも楽しんでいただける料理です。現在、提供されている「塩川鳥モツ」は、各店舗の熟練の料理人がそれぞれ独自の調理方法と味付けで提供しており、バリエーションに富んでいることから、食べ歩きもおススメです。各店舗の自慢の味を「缶詰」にしたお土産品も好評を得ています。
塩川鳥モツ
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

高田梅漬け

高田梅漬けは日本一大きな実を付けると言われる高田梅を加工したものです。高田梅の歴史は古く室町時代中期に豊後(現大分県)の長阿弥と言う僧が会津美里町の地質の良さを知り、郷里の豊後より梅の苗と種を持ち込み栽培し始めたのが始まりとされています。高田梅の特徴である皮が薄く果肉が厚い上、食感も良いことから各家庭で常備食・保存食として塩で漬け始めたのが高田梅漬けです。時代の流れと共に砂糖類を加えた甘漬けも作られる様になり、その後創意工夫を重ね現在のカリッとした食感になりました。高田梅漬けは高田梅(青梅)・塩・氷砂糖・赤紫蘇のみを使用したシンプルで昔ながらの加工法で全て手作業で加工しております(加工者により酢・焼酎を使用する所も有ります)味は梅の酸味、赤紫蘇の鮮やかな色と香り、程よい甘味・塩味は懐かしくホッとする味です。甘漬けはスイーツに、塩漬けは刻んでおにぎりの具等アレンジも多様です。
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

うにの貝焼

江戸時代、磐城産雲丹は将軍家献上品として取り扱われていました。日持ちさせるために塩漬けにした「塩漬け雲丹」として献上されていたという事です。 現在の「うにの貝焼」と言う形になったのは藩政末期と言われています。 いわき市では海女(女性)ではなく海士(男性)が潜水し、雲丹を漁獲します。波や潮の状況により、当日の朝に出漁を判断し、漁獲された雲丹はその日のうちに各家庭にある作業場で「うにの貝焼」に加工され出荷されていました。全て手作業であり、ホッキ貝の殻に綺麗に盛り付けるには熟練の技が必要となります。また、調味料や保存料等は一切使わずに加工されているため、雲丹の旨味がギュッと濃縮された極上の逸品に仕上がっています。
うにの貝焼
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

山都そば

飯豊連峰の南の裾野に広がる喜多方市山都地区の「山都そば」は、古くから米の代替食として、そして、冠婚葬祭時のもてなしのご馳走として客人に振舞われています。特に結婚式の披露宴等の祝いの席では、客に蕎麦を振る舞う「後段の蕎麦」という習慣があり、その際、客人をもてなす側の人が「そば口上」という、蕎麦をほめる言葉におもしろおかしく節を付けて唄う習慣があります。 「山都そば」は、製粉歩留りを7割以内のそば粉で、つなぎを一切使わずに手打ちするため、白っぽく透き通った色合いで、しこしことした独特の歯ごたえがあるのが特徴です。 山都地区では、新そば以外でもそばをおいしく食べていただくために様々な工夫をしており、冬に積もった高密度の雪を利用した雪室(雪を使った低温貯蔵施設)で貯蔵したそばの実を挽いて打った「雪室そば」や、江戸時代に将軍家へ献上されたと言われる「寒晒しそば」など、様々な味を楽しむことができます。
福島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

ラジウム玉子

ラジウム玉子は、日本で初めてラジウムが確認された飯坂温泉発祥の温泉玉子。 共同源泉を使用して作る店が多いが、それぞれ卵の仕入先や、源泉につける時間が異なることから、味や食感に個性が宿る。黄身はトロトロ、白身はふわふわの食感で、栄養価も高く、滋養効果満点!お土産としても人気。 また、飯坂温泉の旅館では昔から必ず朝食で出すことや地元のスーパーでも売られ、福島市の食卓文化の1品として長年愛され続けられている。そのため、福島市民は『温泉玉子』とは呼ばず『ラジウム玉子』として呼ぶほど親しまれている。食べ方は、熱々のご飯とともに、だし汁や醤油をかけていただくのが最もポピュラー。 他にも、サラダやパスタにのせる食べ方や、ソフトクリームにトッピングし、グラノーラと混ぜて食べるアレンジ(ラジグラソフト)まで、様々な食べ方を楽しめる。
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

あんこうのどぶ汁

「あんこうのどぶ汁」は、福島県いわき市に伝わる郷土料理です。漁師が船の上で貴重な真水を使わずに調理して食べたことが始まりと言われており、あんこうの肝を炒った鍋に味噌を加え、あんこうの身と野菜から出る水分のみで調理します。こってりとしたコクと濃厚な汁で淡泊な白身の上品な旨みが絶品です。名前の由来は諸説あり、「全て」という意味の「どぶ」との説や、あん肝から出る汁でスープが濁り、酒のどぶろくに見えることが由来との説があります。
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

いかにんじん

【味付けも材料もシンプルな元祖スローフード】福島県北部に江戸時代末期※1から伝わる「いかにんじん」は、するめいかと人参の千切りを酒・醤油・みりん等で味付けしただけのシンプルな和え物です。大量に作れて保存がきくため、正月料理の箸休めとして、祝祭時の酒のつまみとして地域で長く愛されてきました。最低限の調味料でつくる郷土料理で、水分が抜けてするめいかの旨みが染みたパリパリした人参の食味食感は癖になる味です。現在では福島県全域で一年中食べられており、各家庭でこだわりや工夫のある「おふくろの味」の象徴として親から子へ引き継がれています。近年ではポテトチップスなどの加工食品や、レシピサイトでのアレンジ料理、特に炊飯器に入れて炊くだけの「いかにんじん炊き込みご飯」はSNSで口コミが広まるなど、汎用性の高い味付き食材としても注目を集めています。※1「食」ふくしま新ふーど記(福島民友新聞社発行)を参照
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

いもずいも

「いもずいも」とは、里芋の吸物のことで芋吸物(いもすいもの)がなまった言葉です。相馬ふるさと行事のひとつである「涼ヶ岡八幡神社例大祭」で、2日間にわたり振る舞われます。江戸時代の終わりのころ、「いもこじ会」という常会で、村人が意見を出し合って議論をしました。「いもこじ」とは、水桶に芋を入れて「×形」に縛った2本の棒でこじまわして芋の皮を取ることをいい、芋と同じように意見を出し合ってこじ回されるうちに、良い知恵が出ることからそう呼ばれました。そのため、「いもずいも」を食べると一皮むけて良い知恵が出る、つまり野暮が抜けて頭が良くなる、と言い伝えられています。
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

円盤餃子

戦後、満州で学んだこだわりの餃子を屋台で出したのが始まりの「円盤餃子」です。市内には50~60年の歴史を持つ餃子店も多く、行列ができる店もあります。昔から、サラリーマンが仕事帰りに利用していたため、現在もランチタイムは営業せず、夕方から営業している店が多いです。一皿20~30個と数が多いため、たくさん食べられるように野菜をたっぷり使用しており、ボリューム満点なのに軽い食感です。味は、あっさりしたものからニンニクたっぷりのものまで多種多様で、ビールとの相性も抜群です!「ふくしま餃子の会」に加盟する各店舗では、バラエティーに富んだ様々な餃子を味わえます。
福島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

喜多方ラーメン

喜多方ラーメンは、大正末期に中国から渡ってきた一青年がチャルメラを吹きながら屋台を引いてラーメン(支那そば)を売り歩いていたのが発祥と言われており、その手作り支那そばこそが九十余年の歴史を持つ喜多方ラーメンの元祖と言われています。喜多方ラーメンの麺は、一般的には麺の幅が約4mmの太麺で、水分を多く含ませじっくり寝かせて作る「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、コシと独特の縮れがあるのが特徴です。また、喜多方ラーメンを構成するスープは、醤油味がベースですが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別で、様々な味を楽しむことができます。これらの喜多方ラーメンを構成するスープと麺には、飯豊連峰からの豊富な伏流水や「平成の名水百選」にも選ばれている「栂峰渓流水」を多く含んでいるため、美味しい水を使用して作られる良質な醤油・味噌と共に味の決め手となっています。
喜多方ラーメン
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

クリームボックス

クリームボックスは、手のひらサイズのパンに白いミルク風味のクリームをたっぷり塗った郡山市発祥の菓子パンで、郡山市民のだれもが知っているご当地パンです。1974年(昭和49年)に誕生し、その後、市内のパン屋に広がり、子どもから大人までみんなに愛されるソウルフードに成長しました。高校の売店でも売られていた為、いわゆる団塊ジュニア世代の多くの人たちにとって、青春時代にたくさん食べた甘い思い出となっています。誕生から40年以上経過し、今では市内20店舗以上のパン屋で定番商品として販売されています。お店によって味や形に違いがあり、地元産品や季節のフルーツなどとコラボするなど、時代と共に様々なバリエーションが生まれ進化してきました。多くの人々に愛され続けてきたクリームボックスは、これからもふるさとの味として未来に受け継がれていきます。
クリームボックス
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

こづゆ

こづゆは、主に江戸期に北前船がもたらした海産物と会津古来の地場産品の組合せによりできあがった料理です。当時貴重な海産物を保存加工し独自につくりあげた、いわば会津を代表する郷土料理といえるもので、まさに会津の先人が風土に根差した当地固有の料理として創作したものです。その歴史は、江戸後期会津藩八代藩主松平容敬公の参勤交代の折、食べられた『重』という料理がルーツとされます。元々冬期間のお祝い膳に出されていましたが、現在は冠婚葬祭やお正月など特別な日に欠かせないおもてなし料理となっています。伝統工芸会津塗の「大平」という椀に盛られ、「手塩皿」という朱塗りの小皿に分けて食べます。
こづゆ
福島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

サンマのポーポー焼き・サンマのみりん干し

「サンマのポーポー焼き」は、新鮮なサンマのすり身に味噌、ネギ、生姜などをまぜてハンバーグ状にして焼いたいわき発祥の郷土料理です。太平洋戦争前、漁師が船上で料理をする際に、サンマの脂が炭火に落ちてポーポーと炎が立ったことに由来するという説もあります。いわき市では作り方を教える料理教室を開催しているほか、小学校の給食の献立としても提供するなど、継承の取り組みを積極的に行っています。お子様にもおいしいと評判です。「サンマのみりん干し」も、いわき発祥の郷土料理です。イワシのみりん干し製造が盛んでしたが、昭和23年に小名浜在住の安川市郎氏が、みりん干しに不適とされてきたサンマを使い始めたのが起源です。その製法を公開すると、「小名浜のみりん干し」の名が一躍高まるとともに、いわきの水産業に最大の活力を与えました。地元では「みりん干し」と言えば、サンマのみりん干しをイメージするほどに認識されています。
サンマのポーポー焼き・サンマのみりん干し
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

ベンケイ

「ベンケイ」は福島県南相馬市原町区の沿岸部に位置する萱浜地区に伝わる郷土料理です。江戸時代後期、天明の飢饉で荒廃した中村藩の農村復興政策のひとつとして実施された移民政策により、おもに北陸地方から入植した浄土真宗移民が持ち込んだと伝わります。大根や芋がら、赤唐辛子を酢、醤油、砂糖で炒め煮した料理で、かつては正月用の保存食や浄土真宗のお講など、ハレの日の食べ物とされました。現代では、晩秋から冬の“季節の味”として受け継がれています。その名称は、移民の出身地のひとつである富山県砺波地方の方言の「ベンケ=大根おろし」「ベンケオロシ=唐辛子を入れた大根おろし」が由来であると考えられます。萱浜地区は、東日本大震災による甚大な津波被害のため地区のほとんどが災害危険区域となり、居住が制限されました。今後どのように「ベンケイ」を継承していくか検討を進めています。
福島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

メヒカリの唐揚げ

メヒカリは古くから食べられていましたが、昭和30年ごろまでは、水揚げされても市場では相手にされず、山積みにされたままで、やっと買い手がつくという状態でありました。しかし、その味が広く知れ渡るようになると、誰もが好んで食べるほどの人気となりました。食べ方としては、他の魚より脂肪分が多く柔らかい身で刺身や干物も好まれていますが、手軽に火が通せて食感も良い唐揚げで食べることが定番です。平成13年10月に市の魚に制定されると、メヒカリの唐揚げが全国的に広まるようになりましたが、福島県産のメヒカリは他地域産のメヒカリと比べ皮が薄く、脂がのっていると好まれ、地元産ならではの自慢の料理です。いわき市では、小・中学校の給食の献立としても提供されており、お子様にもおいしいと評判です。
メヒカリの唐揚げ