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全国各地の100年フード

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北海道

未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

あげいも

あげいもは、昭和43年に中山峠で働いていた女性従業員によって開発されました。 中山峠は、札幌からニセコ・留寿都・洞爺に向かう休憩地です。その間で軽食として何か作れないかということで、考えだされたのが「あげいも」です。アメリカンドッグをヒントに、北海道喜茂別町の特産品であるじゃがいもを油で揚げたのがはじまりです。シンプルながらもどこか懐かしい味わいが、多くの人の心を掴みました。以来、「あげいも」は北海道を代表するご当地グルメとして、多くの観光客に愛される存在となりました。 道の駅などで手軽に購入でき、温かい状態で食べられるのも魅力の一つです。
あげいも
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

ガタタン

「ガタタン」は戦後、旧満州から芦別に引き揚げた故村井豊後之亮が、中華料理店「幸楽」で中国東北部の家庭料理「(ガータタン)」をヒントに創作した料理を提供したのが始まりとされています。野菜を中心に山菜、魚介類、肉類、だんご、卵など10種類以上の具材がたっぷり入り、鶏ガラスープや豚骨スープに片栗粉でとろみをつけた、ボリューム満点の中華スープです。炭鉱が盛んだった当時、たっぷりのボリューム感とアツアツなとろみが、坑内での厳しい仕事を終えた人々の冷えた体を温め、おなかを満たし、明日への活力になったことは想像に難くありません。素朴だけどエネルギーに満ちた、芦別の味。それが、ガタタンなのです。
また本来のガタタンはスープのみですが、現在はスープから派生した、ラーメンやチャーハン、焼きそばなどのアレンジ料理が生まれています。
ガタタン
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

スパカツ

「スパカツ」は釧路市の名物料理で、鉄皿に盛られた「ミートソーススパゲティ」に「カツレツ」をのせた一品です。その誕生は昭和30年代に遡ります。「スパカツ」は、釧路市の名物料理の一つであり、地元の人々や観光客の皆さまにも愛されているソウルフードです。名前の通り「ミートソーススパゲティ」に「ポークカツレツ」がのっており、熱々の鉄皿にジュージューと音を立てる山盛りのスパゲティは、最後の一口まで熱々に食べることができます。いつしか鉄皿に盛られたスパゲティは釧路の洋食文化の一つになり「ポークカツレツ」がのった「ミートスパゲティ」は豪快なボリュームで、その満足感と美味しさで「スパカツ」と呼ばれ愛され、一度食べたら忘れられない味の昭和から未来に続く一品です。
スパカツ
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

とまこまいホッキカレー

「とまこまいホッキカレー」のルーツは昭和20年代後半、漁師が高価な肉の代わりにホッキを使ったのが始まりで、一般家庭へと広まっていきました。現在はテレビや雑誌によく登場するマルトマ食堂をはじめ、多くの飲食店で提供されています。1993年(平成5年)から郷土食として学校給食に登場し、2022年(令和4年)9月には、100年フード認定の「とまこまいカレーラーメン」と共に『Wカレーの街とまこまい』が宣言され、名実ともに苫小牧の郷土食と認められました。苫小牧産ホッキは地元漁師たちに「大事な海の資源」として保護されています。ホッキ貝は甘みが強く、シコシコした歯ごたえが特長的。タウリンがたっぷり含まれ栄養満点です!とまこまいホッキカレーは、肉を使わずホッキのうま味を存分に生かした味です。24年連続水揚げ日本一を誇ると同時に、苫小牧漁協は郷土食としてホッキカレーの美味しさを伝えていきます。
とまこまいホッキカレー
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定
有識者特別賞

石狩鍋

「石狩鍋」は、生鮭のあらを使い、味噌仕立てでキャベツなどの西洋野菜、豆腐などを入れた北海道を代表する鍋料理です。もとは「だいなべ」と呼ばれる漁師が作業の合間に食べる料理だったと言われています。冷凍技術が未発達の時代に生鮭のあらを使った料理が生まれたのは、鮭漁が盛んな石狩ならではです。また具材に用いられるキャベツなどは明治以降に栽培が広がったもので、北海道の開拓の歴史を反映しています。「石狩鍋」の命名は意外に遅く戦後のことで、石狩の鮭地引き網漁を見るために訪れた観光客に「石狩鍋」と名付けて提供したことに始まります。石狩町によるさけまつりキャンペーンで盛んに宣伝したほか、札幌の料理店で「北海道名物」として取り上げられたこともあり、急速に広まりました。北海道では、家庭ごとに具材やダシのとり方に多くのバリエーションがあり親しまれています。
北海道
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和5年度認定

釧路のそば

釧路には人口比で他に類を見ないほど多くのそば店があります。蕎麦の一大生産地ではない釧路にそば店が多いのは東家の存在が大きいと言えます。東家は明治7年小樽で創業、明治45年釧路に東家本店を開店、現在は竹老園東家総本店が暖簾を守っています。現在、市内の暖簾分け、その他のそば店23店舗が釧路そば商組合に加盟し、その殆どの店は東家の伝統技法の影響を受けています。東家のそばの特長の一つに明治中期より「神田藪そば」に影響を受けた緑色の更科麺が挙げられます。初期はソバもやしなどを使っていましたが、現在はクロレラ粉末を使用しています。そば汁は、「半生がえし」に宗田節でとった「出汁」を合わせたコクの強いものです。加盟店では、一般的な若鶏ではなく親鶏を使った「かしわぬき」や「かしわそば」、創作そばや地場の特産品を使ったそばなど多彩なメニューを提供しており、お好みで選べるお店が豊富であるのも楽しみの一つです。
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

ひる貝カレー

北海道・余市町は古くから鰊の好漁場として栄えていました。明治12年には日本で初めて民間栽培でリンゴが結実し、それ以降、果樹栽培も盛んになった農業と漁業のまちです。そんな余市町では昔から沿岸で良く獲れるひる貝(和名:イガイ)をカレーに入れて食べていました。昔は「肉は高いから代わりにひる貝を入れて食べた」と言われていたようですが、実際にひる貝の出汁の味は他の貝に比べても強く、カレールーに負けない印象的なうま味を残すのでとても美味しいシーフードカレーとして食べられるようになりました。そのようにして、ひる貝カレーは単なる肉の代用品ではなく、ひる貝自体を楽しむ家庭の味として愛され続け現在に至っています。余市町の各家庭で楽しまれているご当地の味を多くの皆様にお届けできるようにレトルトカレーも商品化されています。
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

豚丼

豚と十勝の歴史は深く明治時代にまで遡り、十勝開拓の祖と呼ばれる依田勉三率いる「晩成社」が、4頭の豚を率いてオベリベリ(現在の十勝・帯広)へ入植し、「牛は牛乳、馬は馬力、豚は食料」と言い十勝で初めて豚を飼育したことから、豚を食す土地柄のきっかけになったと言われています。その後の1930年代頃、カフェに勤めていた若きコックで、後に元祖豚丼の店「ぱんちょう」を創業する故・阿部秀司さんが戦争と不景気の中、庶民でも食べることができる味を目指し、日本人が好きな甘辛い「鰻丼」をヒントに、しょうゆをベースにした「元祖豚丼」の味を生みだしました。その後、豚丼は帯広の飲食店で普及していき、今では地域住民だけでなく観光客からも愛される「十勝・帯広名物」にまで育てられました。〈引用文献:とことん豚丼 十勝で豚丼を食べるための最強フリーマガジン(出版社:十勝毎日新聞社)〉
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

小樽あんかけ焼そば

戦後の復興期に誕生した「小樽あんかけ焼そば」は、昭和30年代に普及し、デパートでの買い物の帰りにあんかけ焼そばを食べるというのが市民の楽しみの一つでした。「小樽あんかけ焼そば」は、よく焼いた麺と多めの“あん”を特徴とするものの、明確な定義はありません。ないからこそ、約70年の歴史の中で各店の創意工夫により、独自の進化を遂げてきたと言えます。近年は、B-1グランプリをはじめとするイベント等への出展や、食品製造メーカーとのタイアップによる商品化などにより、全国的にも知名度も上がり、現在も、市内100店舗以上で提供される市民のソウルフードとして幅広い世代に愛されています。そして、その“小樽の味”を求めて、市民はもとより、観光都市となった本市には多くの観光客が訪れています。地域に根差し、これからも発展し続ける「小樽あんかけ焼そば」は、この先も受け継がれていくべき、小樽市民の味なのです。
小樽あんかけ焼そば
北海道
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

ジンギスカン

大正時代から綿羊の飼育が盛んになり、羊肉の様々な活用方策が研究され、このころから羊肉が食べられるようになったものと考えられています。第二次世界大戦後、北海道では綿羊飼育から羊肉用の飼育へと変わり、ジンギスカンが北海道内の一般家庭に普及したと考えられています。ジンギスカンは、中央が山のように盛り上がった専用の鍋で、羊肉と野菜と一緒に焼いて味わう北海道の郷土料理です。北海道民は専門店で味わうだけでなく、自宅用にジンギスカン鍋を持っている家庭もあります。外で大勢が集まるバーベキューなどの食事としても定着しています。ジンギスカンには、味付け肉と後から味を付ける食べ方があり、地域によって食べ方が異なるのも特徴です。例えば、道央の内陸部にあたる滝川では、味を漬け込んでから食べる「味付けジンギスカン」、道央でも沿岸部や都市部にあたる札幌や月寒では、味を後付けする「後付けジンギスカン」が主流です。
ジンギスカン
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

新子焼き

新子焼きは、若鶏の手羽を含む半身を焼いて味付けをした北海道旭川市のご当地焼き鳥で、戦後に誕生しました。当時肉は高価な食材で、頻繁に食べられるものではありませんでしたが新子焼きに元気をもらい旭川は復興へと力強く歩き続けました。旭川市では30店舗以上の焼き鳥屋、居酒屋等で食べる事が出来ます。提供している各店、使う鶏肉も違えば焼き方、味付けも様々です。今でも新子焼きは庶民のごちそうとして愛され続けている世代を超えた旭川のソウルフードです。ラーメンの様に、自分の好みの新子焼きを見つけていただけると幸いです。
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

とまこまいカレーラーメン

「カレーラーメン」は麺に絡みつく濃厚なスープとカレースパイスの香りが脳を刺激!北海道の寒さの中で、記憶に焼き付くような味わいです。製紙工場や自動車製造工場、製油所など世界企業を有するわが街において、多くの働く人々が、日常のご褒美に食べたくなるラーメンと言えます。子どもたちは郷土食として、学校給食でも味わいます。昭和に生まれた「カレーラーメン」は、土地と人が生活の中で育てた故郷の味。その時代の舌に対応するよう変化も受け入れ、大事に育て、次の世代にも引き継ぐことが願いです。この先の未来にも残る、私たちの郷土食として100年フードに名を連ねます。
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

なよろ煮込みジンギスカン

北海道を代表する食文化「ジンギスカン」のうち羊肉をタレに漬け込んで食する地域のなかでも、名寄地方で販売されているジンギスカンは肉とタレの割合が6:4で、道内他地域の7:3と比較してタレの割合が多くなっています。戦前は焼肉としての食べ方が普及しておらず、鍋料理として食べられていたため、汁(タレ)が多く必要であり、その名残りとしてタレの多い文化が現在まで受け継がれたと考えられています。智恵文地区では北海道の中での昭和の初期段階から羊肉が生産者を中心に食べられていたことがわかりました。名寄では、この味付きジンギスカンをタレごと鍋に入れて、お好みの野菜やうどん等の具材とともに豪快に煮込みます。北海道ではお花見に七輪でジンギスカンを食する文化もあり、春から秋にかけての消費が圧倒的に多い料理ですが、名寄では鍋料理としても位置付けられており、冬の消費量が多いのも特徴のひとつです。
北海道