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全国各地の100年フード

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伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

佐伯ごまだし

佐伯ごまだしは漁師の家庭で生まれ、長年家庭で愛され食べられてきた万能調味料です。市内の食堂でも食べられるようになったのは100年以上前のことで、お土産用の瓶詰めが販売され始めたのは昭和42年頃です。主に白身魚を焼きほぐし、ゴマや醤油等を加えて、よく混ぜ合わせ、ペースト状にして作ります。茹でたうどんにのせてお湯を注ぐだけで食べられ、まさに先人達が残してくれた優れもので、作る時は”スローフード”、食べる時は”ファストフードです。平成19年に農林水産省「農山漁村の郷土料理百選」に選定されました。味の伝承のため、地元の小中学生には授業の研究材料として、高校生には卒業間近の3年生に地元から離れても郷土の味を思い出してもらおうと校内で振る舞いを行っています。日本記念日協会から「佐伯ごまだしの日(11月10日)」を制定し、毎月10日を販売促進日として地元スーパーや道の駅等でご協力をいただいています。
佐伯ごまだし
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

西京白みそ

1200年以上もの間、政治・経済・文化の中心で、雅やか王朝文化が花開いた京都で「西京白みそ」は生まれました。宮中では早くから、ハレの儀式(祝儀)に欠かせない調味料として重用され、正月には白みそ雑煮が供されました。後にこれが一般に広がり、今日も西京白みそで仕立てた雑煮で正月を祝います。西京白みその特徴は、米麹の円やかな甘みと塩分の低さ、美しい淡黄の色合いです。現代においても、往時の製法を受け継ぎ、米麹を大豆の約2倍使用し、塩分は5%程度に抑えて短期間で発酵・熟成させて醸造します。西京白みそは、みそ田楽、西京漬や茶懐石、味噌松風、京都の祭事菓子などに幅広く使われている事から、京都の食、生活・文化と密接な調味料であった事がうかがえます。「西京白みそ」は、明治の一時期、東京に対して京都を「西京」とも称したことから、京都の白みその意で呼ばれるようになりました。
京都府
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

蔵王温泉ジンギスカン

昭和の初期、当地山形では羊毛生産のため、各農家において緬羊が多数飼育されていました。 戦後、化学繊維の普及に押されて羊毛が暴落し、行き場のない羊を持つ農家を救済する必要があったため、モンゴルの鉄兜で焼く羊料理を参考に、山形鋳物工場に鉄鍋の製作を依頼しました。 多少癖のある肉を美味しく食べる工夫を重ね、独特のたれも完成させ、当時(昭和24年)新日本観光地百選山岳の部1位に選ばれた蔵王温泉の名物料理にとジンギスカンが考えられました。 当初から蔵王では、冷凍肉ではなく生肉を使用しており、肉厚で癖のないジューシーな食感を楽しめ、現在、蔵王温泉に6軒、蔵王の麓の蔵王地区と言われているところに2軒、山形駅前に1軒お店があります。各店毎に独自のタレを工夫しておりますので、それぞれの味をお楽しみください。
蔵王温泉ジンギスカン
山形県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

佐賀シシリアンライス

佐賀シシリアンライスとは、あたたかいご飯の上に、生野菜と甘辛いタレで炒めたお肉と玉ねぎを乗せ、仕上げにマヨネーズをかけたものが基本形で、昭和50年頃、飲食店のまかない料理として出されたのが始まりで、その後市内の喫茶店でメニューとして出されるようになり、現在も約40のお店でシシリアンライスが提供されています。特にお肉の種類は佐賀牛や三瀬鶏といった佐賀の名産品やイノシシ肉を使用している所もあり、それぞれのお店でオリジナルのシシリアンライスを提供しています。また、学校給食のメニューに採用されたり、家庭でも手軽に作れる栄養バランスのいい料理として親しまれています。地元の観光パンフレットにも佐賀市を代表するご当地グルメとして掲載され、多くの観光客にも食されています。
佐賀シシリアンライス
佐賀県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

酒田のラーメン

山形県民がラーメン好きであることは有名ですが、酒田も例外ではありません。大正15年に中国人が伝えた「支那そば」を源流とする、日本海から水揚げされたニボシやコンブ、離島・飛島の特産品であるトビウオの焼き干しなどでダシを取った、あっさりとしながらもコクのあるしょうゆ味の「酒田のラーメン」は、100年の時を超えて、市民に愛され続けるソウルフードです。 市内のラーメン店の多くが、伝統的な味をベースとしながらも、日々研究を重ね、独自の味を生み出しています。スープとよくなじみ、伸びにくい自家製麺も酒田のラーメンを特徴づける要素のひとつです。 伝統的なしょうゆ味を追求する店に加え、新しい味に挑戦する店も含め、ラーメン店全体のレベルが高いのもまた、酒田のラーメンの特徴です。 日本有数の米どころ山形県庄内地方にあって、市民の心をつかんで離さない「酒田のラーメン」。スープまで飲み干してしまうその味を、一度味わってみては。
酒田のラーメン
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

桜海老の沖あがり

桜海老の沖あがりとは、簡単に言うと『すき焼き』の桜海老バージョンです。豆腐、ネギなどお好きな野菜を入れて、仕上げに生の桜海老を色が変わる程度にサッと煮込めば出来上がりです。桜えびは明治27年に偶然大量に水揚げされたのが始まりですが、当時は木造船で現代のような魚群探知機や、網を巻き上げるローラーもなく、漁師は夕方から翌朝までの長時間沖で漁をしていました。浜辺で漁の安全を待つ家族たちは、沖から船の帰りが見えると冷えた身体と疲れた身体を癒すために火を焚き、鍋に豆腐、ネギなどを甘いタレで味つけて用意し、沖から上がったばかりの高鮮度の桜えびを仕上げに入れて、大漁の祝いと同時に賄ったのが始まりと言われています。当時は疲れを癒すために、お砂糖をたくさん入れて甘く仕上げましたが、現代ではすき焼き程度の味付けが主流となっています。また、お好みで溶き卵を入れて丼にするのも現代では好まれます。
桜海老の沖あがり
静岡県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和5年度認定

桜鍋を中心とする馬肉食文化

桜鍋は浅草の文化や産業を語るうえで外すことのできないソウルフードです。明治初期の料理人が、地元の農耕馬や荷馬の肉を使用し、味噌ダレと割下の両方で味付けしたことで生まれ、深さ2cm程度の浅い鍋で食します。それが浅草ならではの食べ方となり、文化人や芸能人に愛されながら今日まで郷土料理として育まれてきました。最盛期に比べ店舗数が激減し桜鍋を食べる文化の継承も危ぶまれますが、最近では全国から幅広い層がこの味を求めてこの地に訪れ、さらには外国人が挑戦する姿も見られます。世代を超えて受け継がれ、地域産業とも密接に関係するこの郷土料理は、サステナブルの視点に立っても受け継がれるべきなのです。
桜鍋を中心とする馬肉食文化
東京都
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

笹巻

「笹巻」は、もち米を笹の葉に包んで煮て作られる粽(ちまき)の一種。中でも、鶴岡市で作られる笹巻は、水に木灰を加えて煮た上澄み液である「灰汁(あく)」に、もち米を浸漬してから作られることが特徴。強アルカリ性を示す灰汁のはたらきにより、黄色くゼリー状の、独特な風味を持つ笹巻になり、日持ちするようになる。形は「三角巻き」や「こぶし巻き」など多様で、地域に応じて一定の傾向が見られるほか、特定の儀礼や行事の時に作られる形もある。伝統的には、携行食や端午の節句の行事食として食べられてきた。今では季節を問わず産直施設等に並ぶなど、地域の人々に愛され、深く根を下ろした食文化である。『悪作付書記』(天明8(1788)年)に、「粽をにる如くの灰汁をこしらい……」という記述があることから、当時から粽に灰汁が用いられていたことがわかる。これが現在伝わる笹巻につながるとすれば、230年以上の歴史を持っていると考えられる。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

さつま

海田町周辺の地域に江戸時代から伝わる郷土料理「さつま」。参勤交代の際、海田で休息する薩摩藩の方々に提供するために用意した魚をアレンジして(残った魚を活用して)生まれたものではないかと言われています(諸説あり)。当時は豊富に獲れたボラやコノシロを用いて調理されることが主でしたが、近年では手に入りやすいアジやタイなどの白身魚が用いられることも。
使う魚や調味料も様々、家庭ごとオリジナルの「さつま」が食べられています。ただ、調理に手間がかかることから家庭で食される機会は減っており、「さつま」を知らないと答える地域住民も増えている現状があります。そんな中、「伝統の味を残したい!」「身近に、手軽に食べてもらいたい!」との思いから、地元の高校生、住民活動団体が商工会、企業との協働により地域での普及、後世への継承に向けた様々な活動を展開しています。
さつま
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

薩摩焼酎

江戸時代、薩摩に天の恵みとして伝来したサツマイモ。焼酎の原料としてもサツマイモが使われるようになりますが、痛みやすく酒造原料としては厄介なものでした。軍需物資としてのアルコールを得るために芋焼酎の量産を命じた島津斉彬は、飲みやすい芋焼酎の研究も指示しています。その答えは、明治時代に生みだされた二次仕込法でした。まず米麹だけを発酵させ、酵母が増殖した後、蒸したサツマイモを加えると大量に増殖した酵母がサツマイモの糖分を一気にアルコールに代え、発酵終了後蒸留するという製法です。これに沖縄の泡盛の黒麹菌が加わり、さらに安全な発酵ができるようになりました。サツマイモという原料の厄介さと南国の温暖な気候を克服した薩摩焼酎は、平成17年12月22日地理的表示基準の産地指定の認可を受けました。薩摩焼酎は鹿児島県内のさつまいも、水を原料として、県内において、単式蒸留機で蒸留し容器詰めされた本格焼酎です。
薩摩焼酎
鹿児島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

佐野のいもフライ

佐野市が発祥とされるいもフライ。蒸した(茹でた)じゃがいもの皮を剥き、一口大に切って串に刺し、衣をつけてカリッと揚げ、フルーティーなソース(地元で造られている)をつけたもの。竹串に刺してあることがポイントで、市内に多くの竹細工屋があり、竹串が入手しやすかったことなどから、購入した人が食べやすいようにと考えられたようです。現在でも佐野市内にはいもフライの専門店が販売を続け、各店舗の特色を活かし競い合っています。現在では、佐野ラーメンと共に佐野市のB級グルメとしても認知され、観光客の方や出張でお越しになる人、わざわざ遠方より「いもフライ」を食べに来てくださる方もたくさん見受けられるようになりました。いもフライマップ(訪日外国人向けの英語表記もあり)を片手に食べ歩きをするほど人気が出てきています。
佐野のいもフライ
栃木県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

狭山茶

狭山茶は主に埼玉県内や埼玉県に隣接する東京都西部地域で生産をされたお茶のことをいいます。江戸時代後期、狭山丘陵の北麓(現・埼玉県入間市と東京都瑞穂町)の住民が、「蒸し製煎茶」の製造技術を京都から導入し、関東以北で初めてその製造に成功しました。 茶産地としては北方に位置するため、摘採回数が少なく、茶葉がじっくり育つことから、味が濃いとされます。また、「狭山火入れ」と呼ばれる強い火入れを行うことで、独特の香ばしさが生まれます。現在はオートメーション化された機械製茶で生産されますが、手揉み製茶の継承にも力を入れています。 狭山茶は栽培から販売までを一貫して行う「自園・自製・自販」の茶業者が多いことが特色で、味や風味に違いやこだわりがあります。お客さんの声を聞き、茶栽培から製茶に活かしています。
埼玉県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

佐用ホルモン焼きうどん

佐用ホルモン焼きうどんは、ホルモンとうどん、野菜を一緒に焼いて、みそや醬油ベースのつけダレで食べる、佐用町を代表する食文化の一つです。戦後、畜産や精肉業が盛んであった佐用町で生まれたホルモン焼きうどん。「放るもん」として廃棄されていた新鮮なホルモンと、おなかを満たすために安く手に入るうどんを一緒に焼いて食べるようになったのが始まりです。佐用ホルモン焼きうどんの最大の特徴は、店ごとに違う味のつけダレで食べるつけ麺スタイルで、他にはない独自の食し方。つけダレで食べるようになったのは、酒飲みのお客さんが濃い味を求めたのが始まりです。お店だけでなく家庭の食卓にならぶことも多いホルモン焼きうどんは、町のソウルフードであり、自信をもっておすすめするご当地グルメです。お店によって違うつけダレの味を楽しみに、複数のお店を食べ歩きお気に入りの味を探すのもおすすめです。
兵庫県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

皿鉢料理

「皿鉢料理」は、江戸時代より続く土佐伝統の宴会料理です。皿鉢料理は、「刺身」「鰹のタタキ」「寿司」、そして煮物や焼き物、揚げ物や果物等を盛りつけた「組みもの」などがあります。基本的には山川海の季節の旬を盛り込んだ料理になりますが、最近では洋風の料理を取り入れることもあります。また毎年3月には「食の祭典南国土佐皿鉢祭」が高知市内で開催され、県内で活躍する料理人たちが熟練した匠の技で作り上げた豪快かつ新感覚な皿鉢料理を展示しています。高知県では客を招いて宴会することを「おきゃく」と呼んでおり、その「おきゃく」で振る舞われる料理の一つが「皿鉢料理」です。皿鉢料理を大勢で囲み、食べたいものを好きなだけ、自分の小皿にとって食べる、堅苦しいルールに縛られない、何よりも自由を尊重する土佐ならではの料理です。
皿鉢料理
高知県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

サンマーメン

サンマーメンと言うと「サンマが乗っているラーメン?」と思っている人もいますが、サンマーメンは漢字で「生馬麺」と書きます。「生(サン)」「馬(マー)」は広東語の読み方で、調理法もやや甘めの広東料理に属しております。生(サン)は”新鮮でシャキシャキした”と言う意味。馬(マー)は”上に乗せる”という意味があります。つまり新鮮な野菜や肉をサッと炒めてシャキシャキ感のある具を麺の上に乗せることから名付けられたと伝われているのです。中区には中華街があり、サンマーメンは中国人と日本人の交流から生まれたものです。今では中区にだけでなく、神奈川全域はもちろん関東地区でもサンマーメンを提供するお店が増えております。この地より巣立った料理人により広がったのです。港町らしくマーの字が、馬ではなく嗎と書くお店もありますが埠頭で働く人がいたからこの字が使われていると言う説もありますが、交流から生まれた証拠です。
サンマーメン
神奈川県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

サンマのポーポー焼き・サンマのみりん干し

「サンマのポーポー焼き」は、新鮮なサンマのすり身に味噌、ネギ、生姜などをまぜてハンバーグ状にして焼いたいわき発祥の郷土料理です。太平洋戦争前、漁師が船上で料理をする際に、サンマの脂が炭火に落ちてポーポーと炎が立ったことに由来するという説もあります。いわき市では作り方を教える料理教室を開催しているほか、小学校の給食の献立としても提供するなど、継承の取り組みを積極的に行っています。お子様にもおいしいと評判です。「サンマのみりん干し」も、いわき発祥の郷土料理です。イワシのみりん干し製造が盛んでしたが、昭和23年に小名浜在住の安川市郎氏が、みりん干しに不適とされてきたサンマを使い始めたのが起源です。その製法を公開すると、「小名浜のみりん干し」の名が一躍高まるとともに、いわきの水産業に最大の活力を与えました。地元では「みりん干し」と言えば、サンマのみりん干しをイメージするほどに認識されています。
サンマのポーポー焼き・サンマのみりん干し
福島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

塩川鳥モツ

鳥モツというと、鶏のキンカンや玉ひもなどの煮込みを想像すると思いますが、塩川鳥モツは、モツはモツでも、「鳥皮」を煮込んだ料理です。塩川鳥モツの歴史は、昭和初期に養鶏業が盛んになったことをきっかけとして、金銭的に商売にならなかった部位の「鳥皮」を家庭で煮込んで食したことがルーツと言われている地元で愛される郷土食です。地元の食堂では、わざわざ「鳥モツ」といわなくても、モツ煮といえば、鳥皮の煮込みが出てくるほどの人気と知名度を誇り、その味わいは、噛めば噛むほどにうまさがあふれ出し、ごはんのおかずにも、お酒の肴にも、老若男女どなたにも楽しんでいただける料理です。現在、提供されている「塩川鳥モツ」は、各店舗の熟練の料理人がそれぞれ独自の調理方法と味付けで提供しており、バリエーションに富んでいることから、食べ歩きもおススメです。各店舗の自慢の味を「缶詰」にしたお土産品も好評を得ています。
塩川鳥モツ
福島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定
有識者特別賞

静岡おでん(しぞーかおでん)

静岡おでんは大正時代から静岡県中部地域で提供される独特の食文化です。現静岡市の周辺には焼津や由比など新鮮な水産物を水揚げする漁港があり、「黒はんぺん」に代表される練り製品の製造が盛んだったことから静岡おでんが独自の発展をとげました。静岡おでん(しぞーかおでん)は、戦後の混乱期、牛スジや豚モツなどの安価な材料を煮込んだことで広まり、真っ黒なスープが特徴で、醤油ベースのスープは見た目と違って優しい味です。おでんの具材はお店により様々ですが、黒はんぺん、牛スジやモツ、コンニャクや大根、卵などが定番です。お好みで青海苔と魚のだし粉をかけるのが一般的な食べ方です。黒はんぺんはイワシやサバなどの青魚を丸ごとすり身にして茹で上げた静岡の郷土料理です。具材を串に刺すのも静岡おでんの特徴で、子供の頃に駄菓子屋さんで串の本数でお会計した経験は多くの市民にとって懐かしい思い出です。
静岡おでん(しぞーかおでん)
静岡県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

島そうめん

徳島県南部に位置する牟岐町出羽島は、漁業を生業の柱として栄えた伝統的な漁家の主屋が建ち並ぶ歴史的な漁村集落として、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。島そうめんはこの出羽島において戦前の頃から日常的・婚礼や船下ろしなどの祝いの席で提供される、地域の郷土料理です。そうめんを皿に盛り付け、長ネギ、かまぼこ、錦糸卵を添えて飾り付ける。甘辛く煮付けた魚の煮汁を使用したつゆを入れた容器をそうめんの皿の中心に置きます。魚は延縄漁などで獲られたレンコダイ(キダイ)を使用するのが主であり、そうめん、煮汁、煮魚が別容器で提供されます。水揚げされた魚を無駄にせず地域の限りある資源をとりこぼさず利用し、いただくという島民の姿勢から工夫された、米不足によりそうめんが配給された戦後の食糧難の時代を乗り越えてきた素朴ですが味わいのある料理です。島民のたくましさを表象するものとして次世代へ伝え残したいです。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

島原手延そうめん

約400年の歴史を誇る長崎県 南島原市を代表する特産品の「島原手延そうめん」は、諸説ありますが、島原・天草一揆の後、幕府の移民政策により小豆島から移り住んだ方により、そうめんの作り方が伝えられた、又は中国の僧により長崎に唐寺が建築された際に仏事や一般の食生活として伝えられたとも言われています。厳選した小麦粉と雲仙山系の伏流水を使用し、伝統的な手延製法でつくられる「島原手延そうめん」は、麺にヨリと呼ばれる捻りを加えながら徐々に細く延ばし、熟成と呼ばれる麺を寝かせる工程を重ねることで、細い麺ながら強いコシと滑らかな食感を生み出しています。コシが強く煮崩れしにくいことから、一般的な冷たいつゆでの食べ方以外にも、温める、炒めるなどのほか、和風、洋風、中華など様々な調理方法により美味しく食べることができます。南島原市では、そうめんをみそ汁の具材や煮物と一緒に煮込んだりして食べられています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

島原名物かんざらし

島原市は街中のいたるところで湧水が出る水の都です。島原名物かんざらしは、「島原の湧水」を使って練り上げた弾力のあるしっとりとした食感の小さなしらたま団子に、蜂蜜や砂糖等で作った特製のシロップをかけた上品な甘さのスイーツです。原料となるもち米を、大寒の日に水にさらすことから「寒(かん)ざらし」と呼ばれています。その歴史は古く、かつて江戸時代に庶民が年貢として納めることができないくず米を使って客人に振舞ったのが始まりと言われています。島原市内には現在30軒ほどのかんざらし提供店があり、それぞれのお店のオリジナルの味が楽しめます。
島原名物かんざらし
長崎県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

清水森ナンバ一升漬

津軽地方の在来種のトウガラシで風味豊かな「清水森ナンバ」を米麹と醤油で漬け込んでつくる伝承料理です。約400年前に、津軽の藩祖津軽為信が京都から持ち帰って広めたと伝えられています。清水森ナンバを一升と米麹一升、醤油一升を混ぜ合わせて作ります。すべての材料を一升ずつ使って仕込んだことからこの名前になりました。炊きたてのご飯のおかずや酒のさかなとして食されます。また、刺身、豆腐、納豆、卵かけご飯などに醤油代わりにも使われます。清水森ナンバはよく洗い小口切りにし、きれいに洗った樽に材料を全部入れて、まんべんなく混ぜ合わせ、そのまま樽に蓋をして3ヶ月以上おくと味がなじみ、美味しく食べられます。
清水森ナンバ一升漬
青森県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

しもつかれ

「しもつかれ」は、大根、人参を「鬼おろし」で粗めにすりおろし、鮭の頭、大豆、油揚げなどと柔らかくなるまで煮て、酒粕を入れてさらに煮込む滋味深い郷土料理です。諸説ありますが、平安、鎌倉時代に都で食べられていた炒った大豆に酢をかけただけの「酢むつかり」という料理が起源で、江戸時代中期、天明の飢饉の頃(1781-1789)、稲荷神社に供えた時に今の形になったとも言われています。主に親から子へ継承され、お正月で残った鮭の頭と節分で残った大豆を有効活用した料理であり、初午の日に無病息災、疫病退散などを祈願し、赤飯と共に稲荷神社に供える行事食です。お正月で残った鮭の頭と節分で残った大豆など食材を余すことなく活用する「MOTTAINAI」精神、ご近所七軒にお裾分けする「シェアする文化」、互いの家の味を認め合う「ダイバーシティ」など現代のSDGsにつながる精神性も継承してきた料理とも言えます。
しもつかれ
栃木県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

ジャンボうさぎ料理

ジャンボうさぎは、明治時代に端を発し現在まで100年以上にわたり飼育されてきた秋田県仙北地域の伝統的な家畜であり、大仙市中仙地域では「全国ジャンボうさぎフェスティバル」が開催され品評会や試食会が行われるなど、貴重な地域資源であるとともに代表的な特産品のひとつです。兎肉は、他と比べ高タンパク、低カロリーと言われており健康指向の方にお勧めで、独特の食感や旨味を味わうことができます。地元では一般的に鍋料理の具材として利用されることが多いですが、煮込み料理や、素材を活かした串焼きも非常に美味です。現在は飼育される方が少なくなり、一般の家庭ではなかなか手に入れることができない稀少な食材ですが、地域の飲食店では地元食材の特徴を引き出す料理人が腕を振るい、お店ならではの味を楽しむことができます。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

じゅうね餅

エゴマの中には健康長寿の源となる成分が沢山含まれています。この地方では古くからえごまを食べると健康で元気になると体験的に語られ、寿命が十年長生きできるということから「じゅうねん、またはじゅうね」と呼ばれました。貧しかった農村で農家の副食として食べられていたエゴマは、今や胆沢地域にある温泉保養施設ひめかゆ温泉の「じゅうね餅」としてでしか食べることができなくなりました。ほろ苦い中に甘みが溶け出すえごま独特の味わいで親しまれ十年長生きすると伝えられた健康長寿の「じゅうね餅」。江戸時代以後は稲作も進みこの地域が伊達藩の領内であったことからこの「じゅうね」を餅に絡めて食べるじゅうね餅が定着していました。今こそ地域の伝統食として100年先へ伝えたい食文化です。
じゅうね餅
岩手県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

松花堂弁当

松花堂弁当の始まりは、料亭「𠮷兆」の創業者の湯木貞一氏が京都府八幡市を訪れた際、部屋の隅に積み上げられた四つ切箱を見て「料理の器に使えないか」と思いついたことが始まりです。十字に仕切りがあるその器を見て、異なる料理を入れるという利点に着目し、年月を掛け創意工夫を重ね、食材同士の味や香りが移らず、舌で味わっても、目で味わっても美味しい、機能と美しさを併せ持つ松花堂弁当を生み出しました。湯木氏は、昭乗へ敬意を払って松花堂弁当と名付け、日本料理を代表する弁当スタイルとして、全国に広めました。平成の世になり、京都𠮷兆松花堂店が松花堂美術館に隣接して開業し、ゆかりの地で「松花堂弁当」を味わうことができるようになりました。松花堂弁当の誕生から88年、創業者の𠮷兆によりその伝統と技術を守りながらも創意工夫と進化を積み重ねる松花堂弁当は、100年を越えて継承していくべき食文化となっています。
松花堂弁当
京都府
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

小豆島そうめん

小豆島の歴史と文化に育まれた小豆島そうめん。瀬戸内・小豆島に手延素麺づくりの技が伝えられたのは、約400年前、お伊勢参りの際、三輪そうめんの作り方を学んで帰ったことが始まりと言われており、以来、小豆島の職人は頑(かたく)ななまでに、素材と製法を守り続けています。手延べで作られた麵は、コシがあり、味も一品!ごま油の香りも高く、風味豊かな一品です。昔から瀬戸内海沿岸の産業であった製塩業から得られた瀬戸内の良質な塩を使っています。ぜひ、小豆島の風を感じながらご賞味ください。
香川県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

白玉糖

芸西村では、昔から白玉糖(黒糖)づくりの伝統があり、その歴史は古く、江戸時代の1830年頃には製糖が行われていた記録があります。1950年(昭和25年)頃にはピークを迎え、当時は一面にサトウキビ畑が広がっていました。しかし、施設園芸の拡大や外国産の安い砂糖に押され、1970年(昭和45年)を最後に製糖作業は一時下火となりました。その後、白玉糖づくりを復興させるべく「芸西村伝承館製糖組合」が1989年(平成元年)に結成されており、再びサトウキビの栽培が始まりました。そして、芸西村が「伝承館」を平成元年に整備し、白玉糖づくりを再開しました。その後、30年以上に渡り、芸西村では白玉糖づくりが継続され、砂糖をそのまま味わう他、クッキーやケーキ等の加工品としても商品化されており、村の伝統技術の継承とともに食文化としても次世代にしっかりと伝えたいと考えています。
高知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

白峰堅豆腐

奈良時代に日本に伝わったという説のある豆腐。元来堅く、江戸時代頃から柔らかい豆腐が全国に普及したといわれています。そんな中、古来の豆腐作りが残った白峰では、現在でも「豆腐」は堅豆腐で、一般的な豆腐は「やこ豆腐」(柔らかい豆腐)と呼ばれ区別される程、日常的に食卓に上ります。一般的な豆腐の約4倍の大豆が使われ、水分の少ない堅豆腐は、紙で包んだり、縄で縛ったりして持ち運べ保存もきくため、奥山で「出作り」を営み暮らす人々も里で買い求め、山へ持ち帰って食していました。特徴的な食べ方は「刺身」で、地元産わさびやにんにく味噌などを添えていただきます。近年では菜食に適した食材としても重宝され、カツやハンバーグ、カレーの食材にと、工夫を凝らした料理を地域食堂にて提供。雪深い山麓で守られてきた、日本の伝統的な食文化が表現されながらも、菜食などの新しい食のスタイルにも寄り添える、懐の深さが堅豆腐にはあります。
石川県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定
有識者特別賞

白石温麺

宮城県白石市の郷土料理「白石温麺(うーめん)」は、今から約400年ほど前の江戸時代に、白石城の城主・片倉小十郎が名付けたと言われています。通常の手延べそうめんは、麺と麺がくっつくことや乾燥を防ぐために油を塗っていますが、白石温麺は油を使わない製法が特徴です。また麺の長さが約9センチと短く、小さなお子さんやお年寄りも食べやすく作られています。市内には約15軒の白石温麺を提供する店舗と5軒の製麺所があり、400年経った今も市民から愛されるソウルフードとして親しまれています。伝統的な製法の乾麺・生麺は勿論、市内外にも広く召し上がって頂くために、カップ麺タイプやオリジナルのたれを開発するなど、常に進化を続けており、これからも親しまれる郷土料理として文化を守り続けています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

白餅

秋田県にかほ市釜ヶ台地区に伝わる餅菓子で江戸時代に発祥しました。毎年12月12日の山神社の祭りの際に食べ、法要膳に藁を敷き、焼く前のこの餅を十二支に見立て箸でちぎりお供えしました。餅米とうるち米を混ぜ浸水させたものを、臼に入れ、杵で叩いて砕き、篩にかけながら細かくし、水、砂糖と少量の塩を加え練ったのち形成、両面をこんがりと焼きます。米本来の甘味に香ばしい焼き目がアクセントとなった、非常に素朴なお菓子です。
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

ジンギスカン

大正時代から綿羊の飼育が盛んになり、羊肉の様々な活用方策が研究され、このころから羊肉が食べられるようになったものと考えられています。第二次世界大戦後、北海道では綿羊飼育から羊肉用の飼育へと変わり、ジンギスカンが北海道内の一般家庭に普及したと考えられています。ジンギスカンは、中央が山のように盛り上がった専用の鍋で、羊肉と野菜と一緒に焼いて味わう北海道の郷土料理です。北海道民は専門店で味わうだけでなく、自宅用にジンギスカン鍋を持っている家庭もあります。外で大勢が集まるバーベキューなどの食事としても定着しています。ジンギスカンには、味付け肉と後から味を付ける食べ方があり、地域によって食べ方が異なるのも特徴です。例えば、道央の内陸部にあたる滝川では、味を漬け込んでから食べる「味付けジンギスカン」、道央でも沿岸部や都市部にあたる札幌や月寒では、味を後付けする「後付けジンギスカン」が主流です。
ジンギスカン
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

新子焼き

新子焼きは、若鶏の手羽を含む半身を焼いて味付けをした北海道旭川市のご当地焼き鳥で、戦後に誕生しました。当時肉は高価な食材で、頻繁に食べられるものではありませんでしたが新子焼きに元気をもらい旭川は復興へと力強く歩き続けました。旭川市では30店舗以上の焼き鳥屋、居酒屋等で食べる事が出来ます。提供している各店、使う鶏肉も違えば焼き方、味付けも様々です。今でも新子焼きは庶民のごちそうとして愛され続けている世代を超えた旭川のソウルフードです。ラーメンの様に、自分の好みの新子焼きを見つけていただけると幸いです。
北海道
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

須古寿し

伝承によれば500年以上前、須古地区の領主が領内の農民をとても大切にし、米の品質改良に尽力したそうです。そんな領主の愛情に感謝し、領民たちは海の幸、山の幸を使ってすしを作り、領主に献上したと言われています。この「須古寿し」は連綿と500年もの間、母から子へ、子から孫へと受け継がれ、今も祭りやお祝い事では欠かせない大切な郷土料理です。「もろふた」と呼ばれる木箱につくり、専用の木べらですくって取り分けるのが特徴的で、地元のさまざまな具材がのった箱ずしのスタイルです。有明海のムツゴロウをはじめ、しいたけ・ごぼう・奈良漬 ・紅しょうが等、さまざまな具材がのった贅沢な味わいが楽しめます。本来はムツゴロウのかば焼きを具材に使いますが、近年はムツゴロウが手に入りにくいため、エビやコノシロ等で代用されることもあります。
須古寿し
佐賀県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

スパカツ

「スパカツ」は釧路市の名物料理で、鉄皿に盛られた「ミートソーススパゲティ」に「カツレツ」をのせた一品です。その誕生は昭和30年代に遡ります。「スパカツ」は、釧路市の名物料理の一つであり、地元の人々や観光客の皆さまにも愛されているソウルフードです。名前の通り「ミートソーススパゲティ」に「ポークカツレツ」がのっており、熱々の鉄皿にジュージューと音を立てる山盛りのスパゲティは、最後の一口まで熱々に食べることができます。いつしか鉄皿に盛られたスパゲティは釧路の洋食文化の一つになり「ポークカツレツ」がのった「ミートスパゲティ」は豪快なボリュームで、その満足感と美味しさで「スパカツ」と呼ばれ愛され、一度食べたら忘れられない味の昭和から未来に続く一品です。
スパカツ
北海道
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

すわま

湖西市新居町地区の名物「すわま」は、米粉、黒糖、砂糖、醤油、食塩などを混ぜて作られた昔ながらの素朴な餅菓子で、大きめの小判型で、表面には2本のみぞが入り波型に見えることが特徴です。 この「すわま」は、材料や作り方などから江戸時代に東京で生まれた和菓子「すあま」が起源ではないかとされています。また、特徴ある波形の形状から、関西地方の和菓子「すはま(洲浜)」が転じて「すわま」になったとも言われています。これらの言い伝えは、江戸と京を結ぶ東海道の中間点に近い新居宿ならではの、東西文化の交流を伝えるものとも言えます。東海道を通って新居町に伝わり、明治時代以降には一般家庭でも作られてきました。 「すわま」は、古くからひな祭りの菱餅の代用などとして一般家庭で作られ、家庭ごとに違った味がありました。今では、時期になると市内数店舗の菓子店で販売しており、お店ごとに違った味をお楽しみいただけます。
静岡県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

背脂ラーメン

燕の背脂ラーメンは、極太麺を使用しており、スープは煮干しなどの魚介類の出汁が効いた、やや濃い醤油味となっています。そして、丼から湯気が上がらないほどにかけられている大量の豚の背脂が特徴です。これは、産業文化が育んだ食文化の一つで、当時の金属産業の発展にあわせ、その形を変えてきました。昭和初期、輸出用の金属洋食器の製造が盛んで、夜遅くまで残業が続いた職工たちの要望から、細麺・薄味で提供されていたラーメンを腹もちがよく、伸びにくい極太麺に変更し、汗をかく職工たちのため、しょっぱめのやや濃い醤油味に改良されました。さらに、スープを背脂で覆うことでスープが冷めにくくなり、忙しさのあまり出前直後に食べられない職工たちを喜ばせました。燕の背脂ラーメンは、金属産業が盛んなまち「燕」だからこそ生まれた食文化の一つです。現在は新潟五大ラーメンの一つに位置づけられ、地元燕だけでなく、全国各地で愛されています。
新潟県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

瀬戸焼そば

瀬戸市では、独特の食感のある蒸し麺と醤油ベースの豚の煮汁を使った“やきそば”が、長い間、人知れず市民の間で親しまれてきました。このやきそばは、昭和30年代、深川神社参道を中心に始まったと伝えられています。近年、このやきそばは「瀬戸焼そば」という愛称で親しまれ、市民だけにとどまらず、これを目当てにした観光客も訪れる名物料理となり、市内だけでなく市外の飲食店でも提供されています。「瀬戸焼そば」の特徴は、①麺は、蒸し麺を使用。②味付けは、豚の煮汁や醤油ベースのタレを使用。③具材は、豚肉とキャベツが主体。④せともの(瀬戸焼)の器を使用(お持ち帰りは除く)。長い間、瀬戸市民に愛された自慢のソウルフードを是非ご堪能ください。
瀬戸焼そば
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

草加せんべい

草加宿で生まれたから、草加せんべい。地元で収穫した米で作る米せんべいは、日光街道(奥州街道も宇都宮まで重なる)の宿場町として栄えた草加宿(草加市)で名物となり「草加せんべい」と呼ばれたことが名称の起こりでした。日本各地にはいろいろなせんべいがありますが、草加せんべいは米と醤油を使った堅焼きせんべいの代表。小麦と砂糖を原料にした甘口のものとは風味が全く異なります。草加せんべいが作られるのは、平地と水に恵まれ、江戸時代からの水田地帯であった草加を含む中川流域。現在の「草加せんべい」は、せんべいに最適のうるち米を厳選使用して、熟練の技をもつ職人として認められた草加伝統産業技士によって、ていねいに焼き上げられる(または管理される)ため、品質とおいしさが確保されています。バリバリっと砕ける食感と共に、醤油の香りが広がる素朴で懐かしいおいしさが魅力です。
草加せんべい
埼玉県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

桑都・八王子のふるさと料理〜桑都焼き・かてめし~

かつて養蚕が盛んであった桑都・八王子には里山や畑で収穫される地場食材をふんだんに使用した、地域の歴史文化にも触れられる、ふるさとで生まれた料理があります。例えば、古くから伝わる「かてめし」や地域ゆかりの桑の葉を使用した「桑都焼き」などです。桑の葉は、亜鉛、鉄、カルシウムなどのミネラル、食物繊維を多く含んだ八王子の特産品です。八王子の学校給食では、子どもたちに歴史文化や伝統、郷土の魅力を伝えながら地域への愛着を育むことを目標に、「ふるさと料理」を世代を超えて栄養士が受け継ぎ、生産者の協力により提供してきました。「日本遺産」の認定を機に家庭へ配布したふるさと料理のレシピは市民にも親しまれ、飲食店などでも提供されています。学校給食がふるさとの食文化を絶やさず受け継ぎ、家庭や地域にも伝えながら、この先も「桑都・八王子の誇れる文化」を未来へ紡いでいきます。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

曽我の梅干し

小田原市の梅は、関東3大梅林にも数えられる「曽我梅林」を中心に栽培され、神奈川県下で最も多い生産量を誇っています。梅栽培の歴史は、戦国時代の武将、北条氏が統治していた以前まで遡ります。かつて、箱根越えのための宿場町として栄えた小田原には多くの旅人が訪れましたが、曽我の梅干しは旅人の弁当の腐敗防止、疲労回復のためとても重宝され、小田原の名産品となりました。 曽我の梅干しは、塩と梅だけで漬け、土用干しで太陽の恵みを凝縮させる「白漬け」と呼ばれる昔からの伝統的な方法で丁寧につくられており、梅本来の風味を堪能することができます。 そのため、曽我地域では家庭の日常食として、米に梅干しとちりめんじゃこを混ぜ、出汁で炊き上げた「梅ごはん」が食されており継承されています。 この「曽我の梅干し」の歴史と魅力を次世代に伝えていくため、さらなる普及に努めてまいります。
曽我の梅干し
神奈川県