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全国各地の100年フード

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島根県

伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

高津川の鮎料理~鮎だし雑煮、塩焼き、せごし、鮎飯、うるか、うるか茄子~

流域にダムが一つもない唯一の一級河川であり、「最も水質が良好な河川」に何度も選ばれた高津川の流域では、その清らかな流れの中で育った鮎が特産品となっており、たくさんの料理法が編み出されてきました。素材の良さをそのまま味わう「塩焼き」や「せごし」、鮎を炊き込んだ「鮎飯」、各種の「うるか」、うるかで茄子を煮る「うるか茄子」、焼き干した鮎でだしをとる「鮎雑煮」など、鮎の美味しさを様々な形で楽しめます。特に「鮎だし雑煮」はこの地域独特の料理であり、流域内でも食べる地域は限られ、家庭ごとの味があります。歴史的には戦国時代の永禄11年(1568)に益田の領主益田氏が戦国大名の毛利元就に振舞った料理の記録に鮎とうるかが見えます。この料理を再現する取り組みや現代風にアレンジしたお弁当の提供も行われており、その際には鮎が使われています。歴史を共に地域の食を味わうことができます。
島根県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

出雲そば

「出雲そば」は、日本三大そばの一つとして、島根県東部の出雲地方で古くから親しまれている郷土料理の一つです。寛永15年に、信濃国松本藩から出雲国松江藩主として松平直政公が着任し、信濃のそば職人を出雲へ連れてきたことが、出雲にそばが広まった始まりとも言われています。他所とは違い、出雲そばはそばの実を皮ごと挽くため、色は黒っぽく香りも強いものとなります。食べ方も「割子そば」や「釜揚げそば」という珍しい食べ方をします。また、そばをそばつゆに「つけて」食べるのではなく上から「かけて」食べ、薬味ももみじおろしが一般的であるなど、ほかとはちょっと違った食べ方をします。年末の仕事納めの日には、多くの会社や事業所が地元のそば店からお昼の出前をとり、年越しそばを食べる風景が見られます。各地域には、そば打ちの愛好会や同好会も数多く存在し、そば打ちの文化を現在に引き継いでいます。
出雲そば
島根県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

大田の箱ずし

箱ずしは、島根県の中心部に位置する大田市の代表的な郷土料理です。はっきりとした記録は残っていませんが、江戸時代からお祝い事やお祭りなどの行事には欠くことのできない料理でした。具材は、ごぼう・人参・しいたけ・切り干し大根(昔は、かんぴょうを使っていた)・油揚げなどを細かく刻んだもの。それを煮込み、味が馴染むまで一晩おく。大きな木枠の中に酢飯・具・酢飯・錦糸卵・板の順に何段も重ね、十分に押しをしてから切り分けます。箱ずしは、最後に重石をのせて作ることから「作る」ではなく「漬ける」といいます。具材やすし酢はその家々の味がありますが、作り方は姑から嫁に、また母から子に、子から孫にと継承されてきた郷土料理です。木枠の中に、何段も重ねて作られた箱ずしの断面はとても美しく、木枠を外した時は感動ものです。
大田の箱ずし
島根県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

清水羊羹

清水羊羹は安来市清水町にある名刹・瑞光山清水寺周辺で提供される代表的な和菓子です。起源は古く、平安時代に天台第三祖慈覚大師円仁が遣唐の帰路に清水寺に立ち寄られた際に、羊の肝料理を食べた話をされましたが、瑞光山清水寺は天台宗のため肉食を禁じられていました。そこで、肉や魚などを使わない精進料理として羊の肝を使った料理を再現したのが清水羊羹の始まりとされています(諸説あり)。その後、鎌倉時代末期に瑞光山清水寺より清水羊羹の製造方法が人々に伝授され、現在は清水寺周辺で4つの製造所が日々研究改善を重ねながら生産されており、清水寺に訪れる参拝客や地域の人々に愛されています。小豆・砂糖・寒天等(製造所によっては、左記の3つのみ)を主な原料として、「無添加」「手作り」の伝統的製法を今日まで伝承しており、製造所によって微妙に違う配分・製造過程により、独自の味や食感を表現しています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

津和野の芋煮

日本三大芋煮の一つ、津和野町の芋煮は笹山地区の豊かな火山灰土質で育った他にない粘りときめの細かさをもつ里芋を使います。小鯛をあぶって手で一つ一つ身をほぐし、昆布とともに取った出汁で里芋をじっくりと煮つけ、味付けは塩と薄口しょうゆを少し、刻んだ柚子の皮を添えて上品な味を楽しみます。見た目は至極シンプルですが、上品な奥行きのある味に魅了されること間違いありません。津和野百景図第71図に描かれる松林山天満宮には嘉永2年(1849年)に芋煮を囲み、酒を酌み交わす様子が描かれた額が奉納されており、既に芋煮が身近であったことがわかります。現在では毎年10月に「芋煮と地酒の会」として受け継がれ、地元料理人が大鍋を前に腕を振るいます。来る人来る人に芋煮や地酒をふるまい、訪れた人は存分に秋の味覚を堪能します。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

東出雲の畑ほし柿

さかのぼること約450年前、毛利軍によってもたらされたと言われる自然を利用した天日(自然)乾燥による加工技術を今に伝え守り続けています。原材料は、全て生産者が育てた柿(西条柿)だけを使用し、一つ一つ丁寧に皮むきを行い、風通しの良い木造三階建てのガラス張りの専用小屋(柿小屋)で、約1ヶ月かけて干し上げて完成です。加工に伴う添加物などは、一切使わず、常に安心・安全な「ほし柿づくり」に努めています。平成19年からは、生産者全ての農家が「エコファーマー」認定を受け、土づくりから栽培を行っています。「人と風土と伝統」をお届け致します。是非一度ご賞味してみて下さい。
東出雲の畑ほし柿
島根県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

松江の茶の湯文化

松江は、京都、金沢と並んで茶処、菓子処として有名です。その要因に、江戸時代の松江藩松平家七代藩主・松平治郷公の存在があります。松平治郷公は不昧と称し茶の湯文化を極めた大名茶人です。松江には不昧公が育んだ茶の湯文化が今も生活の中に息づいています。まちでは多くの茶舗や和菓子の老舗が暖簾を守り続けています。不昧公が目指した茶道は不昧流として伝えられ、茶会で使われた「若草」「山川」「菜種の里」の松江三大銘菓をはじめとした和菓子の数々は、現在にも受け継がれています。また、松江の茶の湯文化は、松江の歴史、風土等を反映しながら継承され、日常的な生活の中で培われてきた特有の文化です。市民のみならず松江を訪れる観光客もこの茶の湯や菓子を目当てに訪れ、お土産としても喜ばれております。