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全国各地の100年フード

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宮城県

伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

はっと

登米市の郷土料理として親しまれている「はっと」。その始まりは藩政時代からとも言われています。藩政時代の登米地方は伊達藩でも有数の米どころであり、藩をあげて北上川水系の改善と湿地の新田開発に取り組み、江戸への産米輸送に力を注いでいました。当時、伊達藩では「買米制」という制度を作り、お百姓さんが年貢を納めたあとの余ったお米も藩が買い上げて江戸へ送っていました。こうした中、お米を満足に食べられなかったお百姓さんは、麦飯の他、畑で作った小麦を粉にして練ってゆで上げ、お米の代用食として食べていました。長年のお百姓さんの知恵でよりおいしい食べ物へと工夫されていったそうです。「はっと」は小麦粉に水を加えてよく練って寝かせ、その熟成した生地を指で薄くのばしながら、醤油仕立ての汁に入れ茹であげます。また、お湯で茹でて、あずき、ずんだなどに絡めたりします。ツルツル、シコシコの食感がやみつきになる郷土料理です。
はっと
宮城県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

石巻焼きそば

昭和6年頃、当時中国人の方が営業していた食堂のメニューに焼麺というのがあったといいます。このお店で修行していたお弟子さんたちが石巻地域の各地に広がり、戦後焼いてもべとつかない二度蒸し製法が確立され焼きそば文化が生まれました。学校給食でも出され、米飯給食が出るまでは一番人気でした。吸水力を増した二度蒸し麺に魚介系の出汁をたっぷりしみこませふっくらと香ばしく調理された石巻焼きそばは、褐色の見た目に比べて出汁の影響によりやさしい味となっています。石巻の焼きそばは、出来上がって盛られた焼きそばに、自分の好みで後からソースを味付けに仕上げて食べる他の地域にはない習慣があります。石巻人が他の地域に行って焼きそばを食べるときには、すでにソースで味付けされている焼きそばに思わずテーブルに置いてあるソースをかけてしまうという笑い話もあるほど、石巻ではこの後がけソースはたいへんポピュラーなものになっています。
宮城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

おぼろ汁

「おぼろ豆腐」とは、豆乳ににがりを加えて圧搾する前に汲み取った、固まりはじめの状態の豆腐のことです。食感はふんわり、ほんのりとした大豆の甘い風味があり、箸でつかめないくらいの軟らかさです。また「おぼろ汁」は、薄く切った干し椎茸の戻し汁と醤油で調味し、しょうがとおぼろ豆腐を加え、最後に水溶き片栗粉でとろみをつけたものです。ほろほろとした見た目が「おぼろ月夜のもやもやとした状態」に似ていることが名前の由来であり、幕末期に町内の龍渕寺(曹洞宗)の住職であった二十六世大堂俊麟大和尚が京都で会得したおぼろ豆腐の製造とおぼろ汁の調理法を、そのお寺の「わらじぬぎ場」になっていた奥州涌谷の「櫻井屋」に精進料理として伝えたのがきっかけです。食材の入手の容易さやその料理のおいしさが地域に受け入れられたと考えられています。「おぼろ汁」は、春秋のお彼岸やお盆に仏前に供える涌谷町の精進料理として親しまれております。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定
有識者特別賞

白石温麺

宮城県白石市の郷土料理「白石温麺(うーめん)」は、今から約400年ほど前の江戸時代に、白石城の城主・片倉小十郎が名付けたと言われています。通常の手延べそうめんは、麺と麺がくっつくことや乾燥を防ぐために油を塗っていますが、白石温麺は油を使わない製法が特徴です。また麺の長さが約9センチと短く、小さなお子さんやお年寄りも食べやすく作られています。市内には約15軒の白石温麺を提供する店舗と5軒の製麺所があり、400年経った今も市民から愛されるソウルフードとして親しまれています。伝統的な製法の乾麺・生麺は勿論、市内外にも広く召し上がって頂くために、カップ麺タイプやオリジナルのたれを開発するなど、常に進化を続けており、これからも親しまれる郷土料理として文化を守り続けています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

ほや雑煮

ほや雑煮は、塩漬けにした「ほや」を焼いて干して出汁をとり(現在は、蒸しほやを使用)、焼いた角餅の上に、戻した「ほや」と地元海産物や野菜等を盛り付け、なると(練り物)、せり、いくらをのせた雑煮です。具材は地域や各家庭によっても異なりますが、主には、宮城県産米を使った角餅、ほや、たこ、ほたて、あわび、はも(あなご)、つぶ貝、せり、大根、ニンジン、なると(練り物)や紅白かまぼこの上に、「河北せり」といくらをたっぷりとのせます。蒸しほやは出汁をとる目的と、橙色の色合いから、鏡餅の上に乗せる橙(だいだい)と同様に子孫が代々繁栄することを祈念しているという説もあります。世界三大漁場の1つである三陸・金華山沖で獲れる豊富な海の幸を存分に楽しめる石巻地域の郷土料理です。
宮城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

けの汁

「けの汁」は豊里町の二ツ屋地区に伝わる郷土料理です。毎年1月中旬になると、大根やジャガイモ、タケノコ、焼き豆腐、油揚げ、ワラビ、ささげ(豊里特産のインゲン豆のような赤い豆)など十数種類の材料を使い、みそやしょうゆなどで味付けをした「けの汁」が家庭の食卓に上がります。江戸時代後期に、二ツ屋地区に移り住んだ盛岡藩の領民が始めたとされる固有の食習慣で、小正月の習慣として今も受け継がれています。似た材料を使う同名の汁物が青森県の郷土料理として知られていますが、二ツ屋地区では「カユの汁」とも呼ばれ、昔あった飢餓を思い出し、当時の辛苦を忘れないよう米飯をやめ、正月16日だけカユと汁を食べ昔の苦を偲ぶ習慣が今に残ったことが語源ともいわれています。野菜の旨みと調味料で出る味わい深い美味しさ、豊里町のしかも二ツ屋地区だけで作られている幻の郷土料理「けの汁」を今後も世代を越えて受け継いでいきたいです。
宮城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

はらこめし

宮城県を代表する秋の味覚「はらこめし」は、炊き込まれたご飯の上に脂ののった鮭の身と大粒のはらこ(卵)を贅沢にのせた亘理町発祥の郷土料理です。主な調理法として、まず醤油や酒、砂糖などを合わせ、一口大の鮭の切り身を煮て、次に煮汁にはらこを軽く通し、その煮汁を使ってご飯を炊き、身とはらこをのせて完成となります。古くは、荒浜の漁民が、貞山堀の工事臨検で訪れた初代仙台藩主伊達政宗公(安土桃山時代から江戸時代前期)に、鮭のはらこをご飯に炊き献上したところ大変喜ばれ、側近に吹聴したことが世に珍重された始まりと伝えられています。また、阿武隈川河口にある川口神社の秋祭りにおいて、五穀豊穣と豊漁を感謝するため新米と遡上した鮭を合わせ調理し、神饌として捧げ食べられたものが始まりであるとも言われています。近年では町内のいたるところで「はらこめし」ののぼりが立ち、多くの観光客がその味を求めて訪れています。
はらこめし