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全国各地の100年フード

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伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

ます寿し

ます寿しの歴史は古く、平安初期の「延喜式」に越中からます寿しを朝廷に献上した記録があります。春祭りや婚礼など目でたいときに作られ、一般家庭でも「おふくろの味」として伝承されてきましたが、現在は家庭で作られることはありません。各家庭におふくろの味があるように、ます寿しにも各家庭でひいきの味があります。甘味、酢の感じ、塩と押しの加減、また味付けだけでなくますの厚みや並べ方、ご飯の炊き方にご飯とますの置き方など、各店素材と伝統の味付けに最も合う方法で一つ一つ職人が作り上げ、誇りをもって秘伝の味を今に伝えております。
ます寿し
富山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

松江の茶の湯文化

松江は、京都、金沢と並んで茶処、菓子処として有名です。その要因に、江戸時代の松江藩松平家七代藩主・松平治郷公の存在があります。松平治郷公は不昧と称し茶の湯文化を極めた大名茶人です。松江には不昧公が育んだ茶の湯文化が今も生活の中に息づいています。まちでは多くの茶舗や和菓子の老舗が暖簾を守り続けています。不昧公が目指した茶道は不昧流として伝えられ、茶会で使われた「若草」「山川」「菜種の里」の松江三大銘菓をはじめとした和菓子の数々は、現在にも受け継がれています。また、松江の茶の湯文化は、松江の歴史、風土等を反映しながら継承され、日常的な生活の中で培われてきた特有の文化です。市民のみならず松江を訪れる観光客もこの茶の湯や菓子を目当てに訪れ、お土産としても喜ばれております。
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

マミーすいとん

福島県双葉郡楢葉町及び広野町にまたがるサッカーナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」。この地でサッカー日本代表が合宿を行った際、地元の郷土食としてすいとんが振る舞われました。そのすいとんを食べた、当時のサッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏が「これはマミー(おばあちゃん)の味だ」と大変気にいられ、楢葉町のすいとんには「マミー」が冠されるようになりました。マミーすいとんは、ごぼう、しいたけ、にんじん、ねぎ、鶏肉と具材はたった5つとシンプルですが、飾らない昔ながらの味が身も心も温めてくれます。現在は、地元の女性による「ならはすいとん研究会」が伝統の味を継承しており、すいとん粉と、味の決め手となるタレが入ったレトルトすいとんキットも人気のお土産です。ほっと一息つけるマミー(おばあちゃん)の味を、ぜひ楽しんでください!
マミーすいとん
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

まめぶ

「まめぶ」は江戸時代から伝わる郷土食です。岩手県久慈市山形町(旧山形村)にて受け継がれ、ここまで伝承範囲が限られた郷土食も珍しいといわれています。 地域の冠婚葬祭などに欠かせない行事食で、特に年末に行われる煤掃いや大晦日で食べられ、「まめぶを食べないと年が越せない」と言われるほど人々が心待ちにしている行事食です。「まめぶ」を家族皆で、役割分担して作ることも地域の伝統です。「まめぶ」は昆布と煮干しで取った出汁に、醤油で味を調え、クルミと黒砂糖を包み親指大に丸めた小麦団子と地元で取れたゴボウやニンジン、焼きどうふ、油あげ、かんぴょう、しめじなどを入れて煮た具だくさんの料理で、汁はしょっぱく、団子は甘い、癖になる不思議な汁物です。「まめぶ」は地域の宝として、地域ぐるみで保存継承活動を進めています。山形町内の小中学校では「まめぶ」給食があり、保存継承の教育のため未来継承講座が行われています。
岩手県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

美川のふぐの子糠漬

「美川のふぐの子糠漬」は、白山市美川地区で古くから作られてきた発酵食品です。北前船で栄えた港町に伝わる「美川のふぐの子糠漬」は、危険な食材であるふぐの卵巣を、発酵の力により無毒化し、珍味に昇華させた食品です。源は定かではありませんが、幕末には他国から「ふぐの子」を多く輸入している記録があることから、この頃には製法が確立していたものと考えられます。糠の風味とともに、濃い塩味の奥から来るチーズにも似た芳醇なうまみは、ひと口食べれば病みつきになること請け合いです。ご飯のおかずやおにぎりの具、お茶漬けにして食されるほか、日本酒のアテとしても愛されてきました。先人の知恵と創意工夫で生まれた「奇跡の発酵食品」をぜひご賞味ください。
美川のふぐの子糠漬
石川県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和5年度認定

味噌煮込みうどん

味噌煮込みうどんの発祥は、戦国時代に武田信玄が食べていた『ほうとう』が徳川に伝わり、愛知の味噌を使うようになり味噌煮込みになったという説や一宮が発祥だという説など諸説あり定かではありません。しかし、味噌煮込みうどんは間違いなく江戸末期より愛知で味噌煮込みが存在し、今なお愛され食べ続けられている愛知の食文化です。尾張地方で煮込みといえば『味噌煮込み』のこと。尾張地方では「熱さ」が美味さの代名詞とも言われています。その熱さを堪能できるのが味噌煮込みうどんです。シコシコ麺と濃厚な八丁味噌のコラボレーションは食べるほどにハマります。
味噌煮込みうどん
愛知県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

三津浜焼き

歴史は大正時代の一銭洋食までさかのぼり、常に三津浜の人々の生活と共にあったお好み焼きです。紅白のちくわなど独特の具材を用い半月型という独特な形で提供する三津浜のソウルフードです。薄力粉ベースに味を付けた生地を薄くクレープ状に伸ばし、ソース味をしっかり付けた麺(うどんかそば)をのせ、さらに千切りのキャベツ、天かす、ねぎ、紅白のちくわ、豚肉をのせ、目玉焼きをつぶした状態のものに挟み、ソース、削り節、青のりをのせたら出来上がりです。
三津浜焼き
愛媛県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

南房総地域のアジ文化 ~なめろう、サンガ焼き、たたき、お刺身~

南房総のアジはサステナブルです。南房総の人々は、昔からアジを無駄なくおいしく活用する知恵を絞って生きてきました。アジは足が早いと言われる青背魚です。新鮮なものはお刺身やたたき、続いて調味料や薬味と合わせてなめろう、その後はサンガ焼やフライなど、食材の状態に合わせた調理で、最後までおいしくいただく文化が根付いています。なめろうは新鮮なアジの身に味噌や生姜、ネギなどを加えて包丁で細かくたたいて混ぜ合わせたものです。元々は漁師が釣りあげた獲れたての魚を揺れる船の上でも食べやすいよう調理したものがはじまりと言われています。このなめろうを余ったアワビの殻に詰めて焼き、日持ちするように加工したのがサンガ焼です。この文化を次世代につなぐため、「南房総うまアジ」と銘打って、地域一丸となった新たなご当地グルメの開発も進んでいます。
千葉県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

三原焼き

広島県三原市では、昭和30年代初頭頃からお好み焼きの中に「鶏モツ」を入れて食べる食文化が存在しており、その個性的なお好み焼きは市内のお好み焼き店を中心に市民の間で広まり、現在では「三原焼き」という名称で親しまれております。三原焼きの特徴である「鶏モツ」は、鳥肝や砂ズリ、キンカン、玉ヒモなどがあり、お好み焼きの具材として使用することでそれぞれの違った食感を楽しみながら食べることができます。また、お好み焼きの中に「鶏モツ」を入れるようになった理由としては、三原市では昔から養鶏が盛んであったため、新鮮で栄養価の高い「鶏モツ」を手に入る環境があったからではないかと考えられております。平成26年には三原焼振興会が設立され、「三原焼き」を更に多くの市民の方に地域食としてより親しんでいただき、そして「三原焼き」を全国に発信し広げていくために、冷凍三原焼きの販売などの活動も積極的に行っております。
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定
有識者特別賞

三輪そうめん

いまから約1300余年を遡る昔のこと。日本最古の神社である三輪の大神神社で、飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ神の啓示を賜り、小麦を撒き、実りを水車の石臼で粉に挽き、湧き水でこね延ばして糸状にしたものが、そうめんの起源と伝えられています。後に、三輪そうめんはお伊勢参りの途中で訪れた人々を魅了し、手延べの製法も播州(兵庫県)、小豆島、島原へと伝わり、日本を代表する伝統食となりました。江戸時代には“大和の三輪そうめんは日本一”と「日本山海名物図鑑」で絶賛されています。素麺づくりは厳寒の冬、三輪の自然と風土を生かして製造されます。原材料は小麦粉、塩、綿実油といたってシンプル。受け継がれてきた伝統の技と、聖なる山から盆地に吹く北風がコシと深い味わいを引き出します。茹でのびしにくく、コシが保てる三輪そうめんは、冷やしても、温めても、炒めても美味しく、食べ方も自由自在です。
奈良県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

むきそば

「むきそば」は、ソバの実をむいて茹でたものに出汁をかけて食べる酒田の郷土料理です。 もともと上方(関西地方)のお寺で食されていた精進料理だったものが、江戸時代に北前船によって酒田に伝わったと言われています。明治初期、北国一の湊町として酒田が繁栄を極めた時代に、一流料亭で食膳に上げられました。北前船の往来によって富を成した豪商たちが足を運び、贅沢な料理とお座敷遊びを楽しんでいた料亭で提供されることにより、米や小麦の代用ではない、贅沢で上品な日本料理の一つとして確立したと言えるでしょう。 酒田では、素材を生かし、昆布出汁やシイタケ、鶏肉などで上品な味に仕上げた逸品として残り、今も会席料理の小鉢などで提供されています。 サラッと爽やかな味わいとプチプチとした食感は、疲れた身体にもやさしい料理です。 現在は、むきそばと出汁がセットになった缶詰やレトルトも、湊町酒田のお土産として販売されています。
山形県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

牟岐の押し寿司

牟岐の押し寿司はこの地域において遅くとも100年以上前から友人・親戚が集まる機会や祭り、正月などのめでたい席で提供され、母から子へ姑から嫁へ受け継がれてきた地域の郷土料理である。この地域では米酢は使用せず、「ゆうのす」と呼ばれるゆず酢のみを使用している。 牟岐の押し寿司は魚を焼いてゆうのす(ゆず酢)につけ酢にごしを作り、にんじんやごぼう、切り干し大根、しいたけ、ちくわなどを醤油や酒、みりんなどで味付けした具材と砂糖やみりんで甘く煮た金時豆などの具材を用意しておき、押し枠に酢にごしを混ぜた酢飯を敷き、その上に具材を乗せ、さらにその上に酢飯をかぶせて軽く押す。飾りとしてゆずの皮や卵、紅しょうがなどを乗せ、彩よく仕上げる。飾りは季節や家庭によって異なる。見た目には白いごはんのみで作られているように見えるが、割ったときに刻んだ具材が出てくるのが特徴である。
徳島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和6年度認定

牟岐の浜節句弁当

徳島県牟岐町では、上巳の節句を新暦の4月3日に祝う習慣があり、その際に御馳走をお重に詰めた弁当を持って浜辺に繰り出し、春の訪れを楽しむ「浜節句」が行われてきました。お弁当の内容は、①巻寿司、アジの姿寿司、いなり寿司、赤飯の型抜きなどのご飯類、②分葱のぬた、野菜や筍、豆の煮物、卵焼き、焼き魚、流れ子(とこぶし)の煮つけ、かまぼこの飾りつけなどのおかず、③牟岐町の特産品であるテングサを材料にした寒天羊羹や、みかん、りんごなど果物の飾り切りが色どりよく盛り付けられたものです。また、子どもには、菱餅やあられに加えて、お寿司、卵、寒天羊羹、芋餅、果物などを子供が好む食べ物が遊山箱に可愛らしく盛り付けられ、これを持って磯遊びや山遊びに出かけました。周辺地域では行われなくなった伝統行事が牟岐町には残されており、今後も絶やすことなく未来に伝えていきたい行事食です。
牟岐の浜節句弁当
徳島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

むくり鮒

横顔の形の山形県、その口角のあたりが川西町です。町内7つの地区の中で一番の面積を持つ玉庭では、上杉の時代に下級武士が住んでいた事から数多くの歴史と共に受け継がれてきた文化があります。その一つが今回ご紹介する『むくり鮒(ぶな)』です。その歴史には諸説ありますが、鷹山公推奨の冬のたんぱく源であり、近年では転作田を活用した養殖に取り組む事で通年販売が行えるようになりました。むくり鮒加工は、冬の間が最盛期であり、県内有数の豪雪地帯である玉庭の貴重な冬仕事でもあります。春に放流・孵化、夏に水温や食糧調節等、徹底した管理を行い、成長した鮒を秋に水揚げ、冬に加工します。切腹は縁起が悪い事から背開きにしてむくる(「めくる」の方言)、転じて縁起物とされ年末年始のご挨拶品に選ばれることも多くなりました。また、町内小学校の授業でも取り上げられる伝統の『むくり鮒』をこれから先も未来へ残していきたいと考えます。
むくり鮒
山形県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

武蔵野地域のうどん文化(小平糧うどん)

小麦は地元で採れた小麦粉(地粉)を使用し、塩水で捏ねて、三度足で踏んで固めて玉にしたものを、寝かせます。寝かせた玉は、表面が艶やかになり、生地の中の空気を抜くために菊揉みをします。最後にもう一度足で踏んで丸生地にしたものを、麺棒で伸ばし、麺にします。地粉で打った武蔵野うどんはやや黄みがかかってます。切り落とした生地の端(うどんの耳)を載せるのが手打ちの証。小皿は「糧」と呼ばれる添えの野菜。大根や小松菜などの旬の野菜を茹でたものを糧と呼び、貴重なうどんを多く食べないように、小皿で添えられ出されたのが「糧うどん」の名の由来です。栄養価と満腹感を補う役割を担っています。 冷たい盛りうどんは、温かい汁で食べます。昔は煮干しなどで出汁をとっていましたが、現在は昆布とかつお節の出汁に、キノコや油揚げを入れます。
東京都
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

武蔵野地域のうどん文化(武蔵野肉汁うどん)

水と栄養に乏しい大地の武蔵野では、江戸から明治時代にかけて開拓とともに落葉樹を植えて平地林を作り、冬に落葉を集め堆肥にしました。この落ち葉堆肥農法で育てた麦とさつまいもが畑作の中心であり、小麦食文化が発達。今では日常的に食べられるうどんですが、近代以前の農家では正月や盆の振る舞いとして、手打ちうどんが親しまれてきました。コシとキレのある食感の讃岐うどんと違い、武蔵野うどんはごわごわとした噛み応えある食感とコシの強さが特徴です。温かいつゆにつけて食べる「つけうどん」の食べ方が一般的で、つゆはかつお出汁や醤油を主とした濃い味で、糧(かて)と呼ばれる季節の茹で野菜がたっぷり入っています。かつては栄養のためだけでなく、貴重な小麦を節約するために糧を入れてかさを増やしたと言われています。近年は地域名を付したうどんも多く、食べ方や調理法は同じ武蔵野でも多様性があります。昔の糧は野菜中心でしたが、現在、所沢では肉を使った肉汁うどんが進化し定着しつつあり、「肉汁うどん」マップも発行されています。
武蔵野地域のうどん文化(武蔵野肉汁うどん)
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

武蔵野地域のうどん文化(村山かてうどん)

武蔵村山市の名物「村山かてうどん」は古くは農家の日常食でしたが、近年はうどん店が増え、武蔵村山を訪れた人たちが地元の郷土料理として楽しむこともできます。赤小麦の表皮が入った茶色または灰色の麺で、温かい醤油味のつけ汁に冷水で締めたうどんを浸け、茹でた地野菜(かて)とともに食べます。近年ではこのつけ汁に豚バラ肉を加えた「肉汁うどん」が定番となっています。村山かてうどんの「かて」とは、主にうどんに添える地元の野菜を茹でたもののことで、「糧(かて)」という言葉から来ています。都内でも生産量の高い小松菜をはじめ、季節に応じてほうれん草やナスなども使われます。最近ではうどんと相性のよい揚げ物が添えられることもあります。村山かてうどんを提供するお店は、それぞれ麺やつけ汁に工夫が凝らされており、村山かてうどんのファンは武蔵村山市内のすべての店をコンプリートし、味の違いを楽しんでいます。
武蔵野地域のうどん文化(村山かてうどん)
東京都
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

村上の鮭の食文化

村上市内を流れる三面川には毎年多くの鮭が遡上します。鮭は古くから流域の人々の貴重な恵みとなり、鮭漁がもたらす収益は江戸時代の村上藩や城下町の財政を支え、明治時代以降も町の発展に大きな役割を果たしてきました。鮭を大切にする住民の思いは強く、鮭は「魚の中の魚」という意味の方言で「イヨボヤ」と呼ばれ親しまれています。鮭は「捨てるところが無い」と言われるほど殆どの部位が使用され、百種類以上の多様な鮭料理があります。また伝統漁法の「居繰り網漁(いぐりあみりょう)」など江戸時代から受け継がれてきた技術が今も残り、地域の貴重な文化遺産となっています。三面川と鮭に関わる文化は、自然の恵みに感謝し限られた資源を大切にしてきた日本人の精神を現在に伝えるものであり、城下町の歴史的な環境とともに未来に残すべき文化です。村上にとって大切な鮭の食文化をこれからも広く紹介し、未来へと受け継いでいきます。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

妻沼のいなり寿司

熊谷市妻沼地域の名物「いなり寿司」は、しょうゆと砂糖で煮込んだ油揚げに酢飯を詰めた細長い俵の形で、他の地域より長いという特徴がある。通常、いなりずし3本に巻きずしを加え、一人前として売り出している。江戸時代、利根川の水運により、江戸で流行した「稲荷寿司(いなりずし)」が妻沼へ伝わり、河岸で働く人々や、妻沼聖天山の参拝者などに喜びと満腹感を与えた。現代の妻沼には「いなり寿司」の名店が並ぶ。江戸時代中期、国宝「歓喜院聖天堂」建立と同時期に創業した茶屋「毛里川(もりかわ)」が前身の「森川寿司」、明治時代の門前茶屋を発祥とする「小林寿司」、戦後、聖天山四脚門近くに店を構えた「聖天寿し」などが郷土の味を作り続けている。戦後、全国のいなり寿司の大きさが縮小される中で、妻沼地域では製法を変えず、江戸時代に流行した長い形状が引き継がれたと考えられる。現在では国宝建造物を前にした名物として人気を集めている。
妻沼のいなり寿司
埼玉県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

メヒカリの唐揚げ

メヒカリは古くから食べられていましたが、昭和30年ごろまでは、水揚げされても市場では相手にされず、山積みにされたままで、やっと買い手がつくという状態でありました。しかし、その味が広く知れ渡るようになると、誰もが好んで食べるほどの人気となりました。食べ方としては、他の魚より脂肪分が多く柔らかい身で刺身や干物も好まれていますが、手軽に火が通せて食感も良い唐揚げで食べることが定番です。平成13年10月に市の魚に制定されると、メヒカリの唐揚げが全国的に広まるようになりましたが、福島県産のメヒカリは他地域産のメヒカリと比べ皮が薄く、脂がのっていると好まれ、地元産ならではの自慢の料理です。いわき市では、小・中学校の給食の献立としても提供されており、お子様にもおいしいと評判です。
メヒカリの唐揚げ
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

盛岡三大麵(わんこそば、盛岡じゃじゃ麺、盛岡冷麺)

盛岡市は、総務省統計局が実施した家計調査報告(平成21年~23年平均)において、中華麺の購入が全国の県庁所在地で第一位となるなど、麺が市民にとても好まれている町です。特に、「わんこそば」「盛岡じゃじゃ麺」「盛岡冷麺」は盛岡三大麺として様々なメディアに取り上げられる機会が多く全国的にも有名な地域ブランドに成長しました。盛岡にいらした思い出にぜひ盛岡三大麺をお召し上がりいただき地域が育んだ独特の食文化をご堪能いただければ幸いです。
盛岡三大麵(わんこそば、盛岡じゃじゃ麺、盛岡冷麺)