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全国各地の100年フード

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広島県

未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

いんおこ

広島県尾道市の因島で愛される歴史と深く結びつくソウルフード「いんおこ」は、うどんが入ったボリューム満点のお好み焼です。昭和30年代、造船業で働く人々のために、腹持ちの良いようにうどんが入るスタイルが定着しました。大きな鉄板で焼き上げる、熱々ふっくらとした食感が魅力です。島内には複数のお好み焼店があり、それぞれが独自の「いんおこ」を提供しています。特製ソースで炒めたうどん、キャベツ、ネギ、天かす、豚肉などを重ねて焼き上げるのが一般的ですが、のしイカやこんにゃくを加えるなど、個性豊かな味わいが楽しめます。「いんおこ」にタコなどの海産物を加え、村上海賊の旗をイメージした赤い旗を立てた「因島村上海賊焼き」も人気です。地元の人々だけでなく、観光客にも愛されています。家族や友人と「いんおこ」を囲むことは、因島ならではの貴重な体験です。因島を訪れた際は、ぜひ「いんおこ」を味わってみてください。
いんおこ
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

さつま

海田町周辺の地域に江戸時代から伝わる郷土料理「さつま」。参勤交代の際、海田で休息する薩摩藩の方々に提供するために用意した魚をアレンジして(残った魚を活用して)生まれたものではないかと言われています(諸説あり)。当時は豊富に獲れたボラやコノシロを用いて調理されることが主でしたが、近年では手に入りやすいアジやタイなどの白身魚が用いられることも。
使う魚や調味料も様々、家庭ごとオリジナルの「さつま」が食べられています。ただ、調理に手間がかかることから家庭で食される機会は減っており、「さつま」を知らないと答える地域住民も増えている現状があります。そんな中、「伝統の味を残したい!」「身近に、手軽に食べてもらいたい!」との思いから、地元の高校生、住民活動団体が商工会、企業との協働により地域での普及、後世への継承に向けた様々な活動を展開しています。
さつま
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

かきの土手鍋

広島県の郷土料理「かきの土手鍋」とは、味噌を鍋の内側に塗って土手を作り、かきと白菜や豆腐、春菊などの野菜を入れて煮ながら食べる広島県で生まれた郷土料理の一つです。味噌の土手を崩しながら好みの味を作っていくという面白い鍋です。なぜ「土手鍋」と言われるようになったかは、諸説あります。①鍋の内側に土手のように味噌を塗るから②江戸時代になってからは毎年旬の時期にかきを満載したかき船が広島から大阪へかきを売りに行っており、かき船はそのままかきを売るだけでなく、橋のたもとの土手下に繋がれた場で「かき鍋」にして提供したから、などです。かきの土手鍋は西の三大鍋とも言われており、広島県では昔から馴染みある鍋料理です。
かきの土手鍋
広島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

美酒鍋

酒都西条の名物料理「美酒鍋(びしゅなべ)」。東広島市西条の杜氏が、酒造りの合間の空腹を満たすために考案したまかない料理が発祥と言われています。現在では東広島市の名物料理として時季を問わず食され、毎年10月に開催される「酒まつり」でも振る舞われます。豚肉、鶏肉、野菜類を日本酒と塩・こしょうだけで調理するのが特徴。利き酒に影響のないようにとシンプルな味付けで、素材本来の旨味が引き出されています。アルコール分は抜けているのでお酒が苦手な方やお子さまも美味しく食べられます。
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

三原焼き

広島県三原市では、昭和30年代初頭頃からお好み焼きの中に「鶏モツ」を入れて食べる食文化が存在しており、その個性的なお好み焼きは市内のお好み焼き店を中心に市民の間で広まり、現在では「三原焼き」という名称で親しまれております。三原焼きの特徴である「鶏モツ」は、鳥肝や砂ズリ、キンカン、玉ヒモなどがあり、お好み焼きの具材として使用することでそれぞれの違った食感を楽しみながら食べることができます。また、お好み焼きの中に「鶏モツ」を入れるようになった理由としては、三原市では昔から養鶏が盛んであったため、新鮮で栄養価の高い「鶏モツ」を手に入る環境があったからではないかと考えられております。平成26年には三原焼振興会が設立され、「三原焼き」を更に多くの市民の方に地域食としてより親しんでいただき、そして「三原焼き」を全国に発信し広げていくために、冷凍三原焼きの販売などの活動も積極的に行っております。
広島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

海軍ゆかりの食文化 ~海軍カレー・ビーフシチュー・肉じゃが~

明治期の日本は、天然の良港を持つ横須賀、呉、佐世保、舞鶴に軍港を築き、海軍の拠点である鎮守府を置きました。それまでは静かな農漁村であった地域に、最先端技術を集積し、海軍諸機関と共にインフラが急速に整備され、日本の近代化を推し進めました。海軍が地域にもたらしたものは、「食」にも見ることができます。海軍が栄養不足解消のために、西洋式の食事を取り入れたことが、日本における洋食の始まりと言われています。明治41年に海軍が発行した料理教科書『海軍割烹術参考書』には、100種類を超える西洋料理やお菓子のメニューが載っています。4市では、記されたレシピを元にした「海軍カレー」や「海軍さんのビーフシチュ―」、「海軍発祥と伝わる肉じゃが」などがご当地グルメとして愛され、世代や市の垣根を超えた継承と情報発信が行われています。海軍ゆかりの食文化は、4市特有の食文化として受け継がれ、人々に愛され続けています。
海軍ゆかりの食文化 ~海軍カレー・ビーフシチュー・肉じゃが~
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

魚飯

現在の竹原市街地は、江戸時代に入ると干拓がすすめられ、これを塩田としたところ良質の塩を産出しました。竹原は1650年から300年以上もの間「塩の町」として大いに栄え、塩田の持ち主は「浜旦那(はまだんな)」と呼ばれ、塩田が生み出す富を背景に豊かな商人文化を竹原に根付かせました。「魚飯」はその「浜旦那」が来客時のおもてなしや祭事の料理として提供していたものといわれています。魚飯の定義は、白身魚を焼き、その身を取りほぐしたものと、彩りを美しくする旬の具材をご飯の上に盛り付けます。最後に白身魚からとっただし汁をかけて食べる料理です。魚飯は新鮮な材料と旬の食材を使い、料理人が竹原の歴史に思いを馳せ、心を込め、手間をかけてつくる料理です。魚飯の具材は、錦糸卵、三つ葉、しいたけ、えび、海苔やたけのこ、白身魚(鯛、ひらめ等)です。
魚飯
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

備後府中焼き

戦後の高度経済成長期、共働きの家庭が増えた頃、おやつやごはん代わりに食べられていた備後府中焼きは、子どもの頃から親しまれている府中市民のソウルフードです。備後府中焼きの特徴は、牛や豚のミンチ肉を使ったそば入りのお好み焼きで、モヤシは入れず、ミンチの旨みとキャベツが一緒になることで、中はフワッと、外はミンチの脂でカリッとした焼き上がりになります。市内には備後府中焼きの店が点在し、B-1グランプリ出場やミシュランガイドに掲載されたこともあり、市民だけでなく観光客からも人気のご当地グルメです。より多くの方に備後府中焼きを知っていただくため、東京の神田小川町に府中市アンテナショップ「NEKI」でのPRや、備後府中焼きのマスコットキャラクター「ミンチュー」のイベント等での出演、府中市出身の元広島東洋カープの選手、片岡光宏氏を「備後府中焼き広報大使」として任命し、幅広い広報活動を行っています。
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

府中味噌

江戸時代、山陰や中国山地の産物が石州街道を使って全国に運ばれ、その集散地として賑わった広島県府中市。米や大豆、塩など良質な原料がそろう環境に恵まれ、みそ醸造が盛んでした。かつては備後国の国府が置かれ諸国人の出入りが多く、福山藩主水野公が参勤交代道中の諸大名に白みそを贈呈したことがきっかけで、府中味噌の名は全国に知られるようになったと言われています。府中の白味噌はきめ細かで、透き通るような白色、風味豊かな低塩の甘口が特徴で、料理調味料として高級品扱いされてきました。昨今の料理離れ・和食離れの流れを受け、府中味噌も消費量が大きく落ち込み、蔵の廃業も進み、現在は3社を残すのみとなりました。400年以上の歴史をもつ「府中味噌」を継承していくため、海外への販路拡大や味噌を使った加工品を開発するなど、味噌の可能性を広げる新しい取り組みを行っているほか、味噌づくり体験の受け入れなども行っています。
広島県