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全国各地の100年フード

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伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

姶良の煮しめ

「姶良の煮しめ」は、さつま料理で姶良市内の各家庭における「こだわり煮しめ」の総称です。藩政時代から夕飯の副食として食されており、今では節句や盆・正月などの行事食や冠婚葬祭などでも食されています。「姶良の煮しめ」は、旬の地元野菜や山菜、鶏肉などをたっぷり使って煮汁が無くなるまでじっくりと煮込むため、具材にしっかりと味が浸みこみます。また、各家庭で使用する具材や作り方が異なり、味付け、色合い、美しい盛り付けに加え、各家庭の創意工夫による一品一品に個性があるのが特徴です。それぞれの家庭の数だけ煮しめが存在し、それが代々伝えられています。近年、食生活の多様化と高齢化の進行により、素朴だった家庭の味が消えつつあります。姶良市では、2021年から市民挙げての「煮しめグランプリ」を開催し、「姶良を煮しめの聖地に!」をスローガンに鹿児島に伝承される食文化の発信と継承に向けた食育活動の推進を図っています。
姶良の煮しめ
鹿児島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和6年度認定

秋田の佃煮

秋田には独自の佃煮文化があります。 明治時代に八郎潟を中心とした豊富な水産資源を活かして始まりましたが、八郎潟干拓により漁獲量が減少し、現在は7社が製造を続けています。秋田の佃煮は独自の食文化を作って広めてきました。1、いかの佃煮に甘納豆(手亡豆)が加えられた独特の商品。 他県では見られず、秋田県内のほとんどのスーパーで広く販売されていて派生商品として、さつまいもや小豆を使ったものもあります。 2、新鮮なわかさぎを使用した「わかさぎからあげ」は、醤油の甘辛タレや塩味、カレー味など多彩な味付けで各業者が製造しています。3、小女子を生のまま水飴で炊き、鮮度とうま味を引き出す独特の手法です。これらの工夫を重ねた商品群を総称して「秋田の佃煮」と呼んでいます。
秋田の佃煮
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

あげいも

あげいもは、昭和43年に中山峠で働いていた女性従業員によって開発されました。 中山峠は、札幌からニセコ・留寿都・洞爺に向かう休憩地です。その間で軽食として何か作れないかということで、考えだされたのが「あげいも」です。アメリカンドッグをヒントに、北海道喜茂別町の特産品であるじゃがいもを油で揚げたのがはじまりです。シンプルながらもどこか懐かしい味わいが、多くの人の心を掴みました。以来、「あげいも」は北海道を代表するご当地グルメとして、多くの観光客に愛される存在となりました。 道の駅などで手軽に購入でき、温かい状態で食べられるのも魅力の一つです。
あげいも
北海道
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

粟おこし

粟おこしは蒸して乾燥させた米や粟などを水飴で固めたお菓子です。サクッとした硬い食感と噛んだ瞬間に広がる米の香りが特徴です。粟おこしが大阪で広まったのは江戸時代中期。天下の台所と呼ばれた大阪には、全国から良質な米や水飴、砂糖が集まりました。元々おこしは庶民の間では粟やひえなどの雑穀で作られていましたが、大阪の人々は贅沢品だった米をわざわざ細かく砕いて粟状にした「粟おこし」を作り出しました。この新しいおこしは大評判となり「身をおこし、家をおこし、国をおこし、福をおこす」といった縁起の良さから大阪名物として愛されました。なお、大阪のおこしには象徴として「梅鉢紋」が書かれています。奈良時代末期、右大臣・菅原道真公が九州の大宰府に左遷される際、大阪の上町台地で村の者が道真公をお慰めしようと粟おこしを差し上げたところ、公は大変喜ばれ「梅鉢の紋の小袖」をお礼に渡されたことがきっかけとされています。
粟おこし
大阪府
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和6年度認定

石切のおでん

“石切おでん”は、石切さん(石切劔箭神社)の病気平癒の御利益にあやかった縁起のおでんです。でんぼ(できもの)の神様として昔から関西では有名な石切劔箭神社の参詣道は、かつては高野山へ参る東高野街道の旅の寄り道として栄えていました。また、大阪と奈良を結ぶ近鉄電車が開通してから100余年、交通アクセスの良さも加えて旅籠や商店が軒を連なる通りとなりました。病気平癒の御利益を求めてご来街される沢山の方々の健康のお祈りのため、門前の商店を中心におでんを提供しています。石切劔箭神社の御利益に肖り作った切り身の具材の入っていない野菜と、練り物を主材とした味付けの濃い関東煮風のおでんが受け継がれ、今もそれを守っています。手術の必要な大病の方のお参りのため、身体を切ることを想起する切り身が入っていないことも特徴です。パワーフードとして長年親しまれ、地域の風情を凝縮した存在でもあり、大切な地域の料理です。
石切のおでん
大阪府
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定
有識者特別賞

伊勢うどん

伊勢うどんは、伊勢地域の独特なうどんで、太くてやわらかい麺に、少量のたまり醬油をベースにしたタレがかかった食べ物です。具材は刻みネギ程度で、あまり載せません。伝承によると、農民たちが麦を挽いてうどんを打ち、地味噌から取れた「たまり」をかけて食べたものをルーツとしています。伊勢市は古くから信仰されてきた伊勢神宮が所在し、全国から参宮者が集まった地です。このうどんは、うどん屋や茶屋で提供されるようになり、参宮者をもてなすために改良されてゆき、江戸時代中期には今日のようになっていたようです。この土地ならではの特徴的なうどんは、その美味しさと珍しさで、伊勢参りの記念に食べられ、帰った時に「食べてきた」と語り草にもなりました。伊勢市内で継承されてきた郷土食であり、現在でも市民にとっては日常的に食されるとともに、伊勢参りにおける代表的な食べ物のひとつとして、多くの観光客にも親しまれています。
伊勢うどん
三重県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

いんおこ

広島県尾道市の因島で愛される歴史と深く結びつくソウルフード「いんおこ」は、うどんが入ったボリューム満点のお好み焼です。昭和30年代、造船業で働く人々のために、腹持ちの良いようにうどんが入るスタイルが定着しました。大きな鉄板で焼き上げる、熱々ふっくらとした食感が魅力です。島内には複数のお好み焼店があり、それぞれが独自の「いんおこ」を提供しています。特製ソースで炒めたうどん、キャベツ、ネギ、天かす、豚肉などを重ねて焼き上げるのが一般的ですが、のしイカやこんにゃくを加えるなど、個性豊かな味わいが楽しめます。「いんおこ」にタコなどの海産物を加え、村上海賊の旗をイメージした赤い旗を立てた「因島村上海賊焼き」も人気です。地元の人々だけでなく、観光客にも愛されています。家族や友人と「いんおこ」を囲むことは、因島ならではの貴重な体験です。因島を訪れた際は、ぜひ「いんおこ」を味わってみてください。
いんおこ
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

上野原せいだ芋の食文化~せいだのたまじ、せいだ芋焼酎、せいだ芋のポテトフライ~

「せいだ芋」とは、上野原近辺でのジャガイモの別名です。江戸時代、ジャガイモ栽培を奨励して、甲州の人々を飢饉から救った甲州代官・中井清太夫(なかいせいだゆう)の名にちなんで呼ばれています。代官は、市内の龍泉寺に 「芋大明神」として祀られています。食糧難の歴史的背景から、小粒の「せいだ芋(たまじ)」も余すことなく収穫し、甘辛く煮詰めた郷土料理「せいだのたまじ」が生まれました。その他、焼酎やポテトフライ等の特産品も生まれ、ふるさと納税返礼品としても定着しています。市のイメージキャラクター「たまじまる」は、「せいだのたまじ」と「中井清太夫」がモチーフ。この歴史絵本『せいだイモのはなし』は、小学校の図書学習や地域学習の一環として活用され、英語版も発行されています。毎年4月29日(祝日・昭和の日)には、龍泉寺にて「芋大明神祭」が開催され、地域の生活や文化に深く根付いています。
上野原せいだ芋の食文化~せいだのたまじ、せいだ芋焼酎、せいだ芋のポテトフライ~
山梨県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

上野原酒まんじゅうの食文化

「酒まんじゅう」は、上野原市で昔から親しまれる、小麦粉に秘伝の甘酒を練り込んで作る発酵食品です。必須アミノ酸やビタミン類を多く含み、上野原市の元気の秘訣です!かつて旧上野原町は、甲斐絹の里として江戸と甲州の商人の出入りでにぎわいました。「酒まんじゅう」は、この地域に集まった商人に愛され、味の良さは商人達によって広まり、上野原の名物として定着しました。明治、大正、昭和、平成と時が流れましたが、素朴な味はいつの時代にも好まれ、その味は日本を代表する発酵技術と代々継承してきた秘伝の甘酒、郷土愛に溢れた地域事業者や団体によって守られています。
上野原酒まんじゅうの食文化
山梨県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

嬉野温泉湯どうふ

江戸時代、嬉野温泉は旅人に親しまれる宿場町でした。温泉水を使用した湯どうふは当時から親しまれており、現代でも旅館の朝食や町の飲食店の定番メニューです。特殊な性質を持つ嬉野の温泉水で煮ると豆腐が溶け出し、ふわふわと淡雪のような食感と適度な食べごたえ、大豆の甘みを感じる優しい味わいになる温泉湯どうふ。食通であった昭和の俳人「種田山頭火」も嬉野へ逗留した際「嬉野温泉独特の湯豆腐(温泉の湯で煮るのである、汁が牛乳のやうになる、あつさりしてゐてうまい)これがホントウのユドウフだ!」と日記に書き記しているほどです。温泉湯どうふは嬉野の伝統の味として、地域の暮らしに根付いています。
嬉野温泉湯どうふ
佐賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

大阪だしうどん

16世紀末、大坂城築城の資材置き場「砂場」に、2軒のうどん・そば屋があり「砂場行こか」と、麺類店の代名詞になりました。17世紀末、河村瑞賢が西廻り航路を整備し、多様な食材が北前船で運ばれるようになると、真昆布を水に浸けて、さば節など雑節を合わせ、煮だして調味した「だし」文化が誕生、かけうどんが考案されました。その人気は江戸にも波及し、「砂場」という屋号の店舗が増えたといいます。実はそれまでのうどんは味噌であえるなどの汁なしでしたが、かけだしの誕生で、特に冬場は重宝され「うどん屋の風薬」まで登場。明治中頃には、甘く炊いた揚げをのせた「きつね」うどんが生まれ、今では全国、世界のうどん店で提供。鍋焼き、しっぽく、小田巻、天ぷらうどんなど、多様なメニューも同様に定番となりました。各地のうどん文化に影響を与えた「大阪だしうどん」。だし、麺、具材の三位一体で味わうおいしさは大阪人の知恵の結晶です。
大阪だしうどん
大阪府
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

大阪の鯨ハリハリ鍋

鯨のハリハリ鍋とは鯨と水菜の鍋物で、大阪の家庭や飲食店でよく食べられていました。水菜を食べるときに“ハリハリッ”と音がすることから、大阪ミナミの千日前で昭和42年に開店した鯨料理店の徳家が名付けたと伝えられています。日本人は古来より貴重な食料であった鯨を敬い、供養塔を建てるなど精神的なつながりを育み全ての部位を活かしてきました。大阪は天下の台所と呼ばれた食材の集散地で、鯨も各地から入荷し、食文化が花開きました。昆布と節類でだしをとり、近郊では水菜が栽培されています。霜の降りる時季の水菜は柔らかく、鯨と炊くことでうま味がだしに広がるのです。近年、捕鯨の規制や文化の相違から鯨を食べる機会が少なくなり、紡がれてきたハリハリ鍋の文化が消えつつあります。そこで9月4日の「クジラの日」を中心に、大阪ミナミの地から普及に当たり、今後100年間大阪の伝統的食文化として、さらにソウルフードとして継承します。
大阪の鯨ハリハリ鍋
大阪府
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

小布施の栗菓子文化

小布施栗の栗栽培は室町時代からすでに始まり、その歴史は一説によると六百年余りとも言われています。松川がもたらす酸性土壌の扇状地には見渡す限り栗林が広がり、小布施は昔から栗の名産地として知られていました。江戸時代には将軍への献上品として出され小布施栗は全国に名を馳せました。そして、江戸時代の文化5年(1808年)桜井幾右衛門によって、初めて「栗落雁」が創製され、文政2年(1819年)弟の桜井武右衛門が「栗ようかん」を創製された歴史があります。現在も歴史ある栗菓子の製造と販売が引き継がれ200年以上の歴史ある老舗栗菓子店が存在します。その品質は今も変わることなく、はち切れそうなツヤツヤし実った栗は、栗おこわ、栗羊羹、栗かのこ、栗モンブランなどの銘菓となってお客様のもとへ届けられます。これからも「小布施の栗菓子文化」を江戸時代から地域で受け継がれている重要な食文化として継承していきます。
小布施の栗菓子文化
長野県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和6年度認定

小布施丸なすおやき

「おやき」とは長野県を代表する郷土食のひとつで、小麦や雑穀、そば、米などの粉を水で溶いて練った生地に野菜などの調理した具材を包んだおまんじゅうのような料理です。そして、この具材となる「小布施丸なす」の特徴は、肉質がきめ細かく煮崩れしにくく、ほのかに甘い特有の風味を持っています。「小布施丸なすおやき」は、その特徴を活かし、輪切りにした小布施丸なすの間に味噌をはさみ、これを丸ごと小麦粉の皮で包んで蒸した料理です。おやきでしっかりとした、なすの食感と風味が味わえるのは「小布施丸なすおやき」にしかないものとして、この地域では「小布施丸なすおやき」は昔から美味しいと人気で信州を代表するおやき料理として親しまれています。また、小布施丸なすは平成19年に長野県が認定する信州の伝統野菜にも選ばれました。これからも「小布施丸なすおやき」を明治時代から地域で受け継がれている重要な食文化として継承していきます。
小布施丸なすおやき
長野県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定
有識者特別賞

柿の葉寿司

「柿の葉寿司」は、江戸時代中頃から吉野川流域の家々で夏祭りのごちそうとして作られてきた奈良の郷土料理です。当時は行商人が和歌山方面で水揚げされ塩で締めた鯖を吉野まで売りに来ていました。海の幸が手に入りにくい奈良県では大変喜ばれました。しかし、塩締めした鯖はそのまま食べるには塩辛いため、薄くスライスした鯖をご飯にのせ、身近にあった柿の葉で包み、木桶や木箱に入れて重石で押しをかけるという手法でつくられてきました。 現代では、製造・保存技術や輸送技術の発展のおかげで、季節を問わず、種類も豊富な柿の葉寿司を楽しむことができるようになりました。1個単位で買えるお店もありますので、食べ比べも楽しんでいただけます。また製造者も、県内30社を超え、奈良を代表するおみやげにもなっています。
柿の葉寿司
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

霞ヶ浦北浦の魚介類食文化~佃煮・煮干し・釜揚げ~

霞ヶ浦北浦周辺は、古くから湖で漁獲されたさまざまな魚を使った水産加工品の生産が盛んな、全国でも有数の産地です。その歴史は江戸時代に遡り、当時は焼きわかさぎ、わかさぎの煮干しといった加工品が作られていました。中でも「焼きわかさぎ」は将軍家への献上品としても知られています。その後、明治時代に佃煮の製造技術が導入され、霞ヶ浦北浦一帯に広まりました。佃煮は、はぜ、てながえび、わかさぎ、しらうおなど様々な魚介で作られ、それぞれの店舗で受け継がれる「もとダレ」により独自の味が守られています。佃煮は保存性が高く、軍事食料としても活用された歴史があります。江戸時代の末期から明治時代にかけて発展したこれらの水産加工品は、魚やえびを丸ごと美味しく食べられるため、カルシウムやミネラルを効率よく摂取できる栄養豊富な食品です。現在も、この伝統的な食文化は続いており、地元の人々や多くの人に親しまれています。
霞ヶ浦北浦の魚介類食文化~佃煮・煮干し・釜揚げ~
茨城県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

ガタタン

「ガタタン」は戦後、旧満州から芦別に引き揚げた故村井豊後之亮が、中華料理店「幸楽」で中国東北部の家庭料理「(ガータタン)」をヒントに創作した料理を提供したのが始まりとされています。野菜を中心に山菜、魚介類、肉類、だんご、卵など10種類以上の具材がたっぷり入り、鶏ガラスープや豚骨スープに片栗粉でとろみをつけた、ボリューム満点の中華スープです。炭鉱が盛んだった当時、たっぷりのボリューム感とアツアツなとろみが、坑内での厳しい仕事を終えた人々の冷えた体を温め、おなかを満たし、明日への活力になったことは想像に難くありません。素朴だけどエネルギーに満ちた、芦別の味。それが、ガタタンなのです。
また本来のガタタンはスープのみですが、現在はスープから派生した、ラーメンやチャーハン、焼きそばなどのアレンジ料理が生まれています。
ガタタン
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

鹿角ホルモン

鹿角市の郷土料理「鹿角ホルモン」は、鉱山の運搬に牛馬が使われていたことや、鉱山で働く人々の栄養源として、馬肉やホルモンがよく食べられていた事から地域の鉱山文化と深い結びつきを持っています。その起源は昭和26年、現在の「ホルモン幸楽」を創業した女性がホルモン料理を地元に提供したことに始まります。味噌または醤油ベースのこってり甘辛いタレで味付けした豚や牛の内臓を、ジンギスカン鍋で焼いて煮て食べるのが鹿角ホルモンです。ホルモンの上から蓋をするように乗せたキャベツから水分が出て、煮汁をすくってかけながらじっくり火を通していきます。キャベツがしんなりとしてホルモンに火が通れば食べ頃で、タレのうまみが全体に染み渡り、白いご飯やお酒がどんどん進む絶品料理です。通常のホルモン料理とは違いジンギスカン鍋を使うのが特徴で、締めには鍋に残った出汁にうどんといただくのが定番。最後まで美味しく楽しめる一品です。
鹿角ホルモン
秋田県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

亀山みそ焼きうどん

亀山みそ焼きうどんは、ホルモン等の肉とキャベツ、うどんを秘伝のみそダレを絡めて焼く “亀山市のご当地グルメ”です。昭和30年代初頭、亀山市内を走る国道1号線沿いにトラック運転手向けに焼肉店が次々とでき、ホルモン等の安価な肉を美味しく食べるために、ピリ辛のみそダレで肉と野菜を焼き、締めにうどんを入れて食べたのが始まりです。 亀山みそ焼きうどんの最大の特徴は、店ごとに味の違う秘伝のみそダレで、赤みそに唐辛子、日本酒、みりん、にんにく、ゴマ、豆板醤、ラードなどを配合したもので、ご飯もお酒も進みます。また市内店舗には企業とコラボした亀山みそ焼きうどん用のみそダレや、お土産用にも使える亀山みそ焼きうどんが販売されており、自宅で手軽に楽しむことができ、今や亀山市民の食生活に根付いたグルメとなっています。
亀山みそ焼きうどん
三重県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定
有識者特別賞

京漬物すぐき

すぐきは、京都市北区上賀茂地域に伝承する京の伝統野菜のひとつで、伝統の技と塩だけで漬け込まれた京都の冬を代表する漬物です。乳酸発酵による特有の酸味が特徴で、乳酸菌の一種であるラブレ菌が含まれており、近年、健康食材としても注目されています。その歴史は古く、起源は桃山時代ともいわれ、当初は上賀茂神社に奉仕する社家のみでつくられ、上層階級の贈答用の高級品として扱われていました。江戸時代後期になると上賀茂神社周辺の農家に受け継がれ、この地域に限り栽培されるようになりました。すぐきは、生産農家が栽培から加工・販売までを一貫して行っており、各家によって守り続けられてきた味や、長さ3~4mの丸太の先に重石をくくりつけ、テコの原理を応用して圧力をかける、この地特有の天秤押しなど、伝統的な生産技術があります。数百年にわたって受け継がれ、守り続けられてきた伝統の技を是非味わってください。
京漬物すぐき
京都府
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

からし蓮根

熊本の郷土料理として代表的な辛子蓮根。寛永九年(1632年)頃、病弱で食欲不振だった肥後細川藩初代藩主 細川忠利公を心配した禅僧沢和尚が、栄養価が高く熊本の地にてとれる蓮根を食すよう勧め、辛子蓮根を献上したのが始まりと言われています。そして辛子蓮根を食べた忠利公がみるみる食欲を取り戻し、さらに蓮根の穴が細川家の家紋「九曜」に似ていることから藩の栄養食となり、明治維新頃までは門外不出の味でした。現在では熊本名産の郷土食として、多くの方々に愛されています。
からし蓮根
熊本県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

久留米焼きとり

久留米焼きとりは1960年代に屋台で出されたのが始まりとされ、今では日本屈指の焼きとり密集地帯になっています。久留米焼きとりの最大の特徴は、そのバラエティの豊かさ。鶏はもちろん豚、牛、馬、魚介類、野菜、創作巻物など、幅広い食材を竹串に刺し、炭火でじっくり焼きあげます。ハルツ(心臓)やせんぽこ(動脈)など内臓ものの数が多いのも特徴で、中でもダルムと呼ばれる白モツの人気が高く、久留米焼きとりには欠かせない存在です。ダルムなどドイツ語のメニューがあるのは、久留米には医大があり、医学生が使う医学用語から派生して定着したものとされています。焼きあがった焼きとりには酢ダレがかかったざく切りキャベツが添えられ、串に刺した肉の間には玉ねぎが挟まれていることが多いのも特徴です。市内に200軒を超えると言われる焼きとり店には、夕食として来店する家族層も多く、まさに久留米のソウルフードとして親しまれています。
久留米焼きとり
福岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

桑名焼き蛤

東海道随一の名物と称される「桑名焼き蛤」は、江戸時代に桑名宿の名物として多くの旅人を魅了し、浮世絵や『本朝食鑑』『東海道膝栗毛』などの文献にも取り上げられるほど絶大な人気を博しました。地域の創意工夫によって生み出された多彩な焼き方や独特の香りが特徴で、特に松ぼっくりで燻しながら焼く製法には、一説には火薬づくりの知識をもつ忍者が関わったとの説も残されています。100年前に一度途絶えたこの技も、地元の飲食店が研究を重ねて復活させ、各店ごとに当時の風情を大切にしながら現代の感性を取り入れた一品として提供されています。こうした“旅先で名物を味わう”という江戸の旅人のスタイルは、まさに現代でいうガストロミーツーリズムの先駆けともいえ、ぜひ桑名を訪れ、その歴史とともに受け継がれてきた桑名焼き蛤の魅力を堪能していただきたです。
桑名焼き蛤
三重県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

甲府鳥もつ煮

甲府の蕎麦屋さんの定番「甲府鳥もつ煮」。「もつ煮」というと、汁気があって長時間煮込んだものが一般的ですが、「甲府鳥もつ煮」は醤油と砂糖ベースの少量のタレを使い強火で短時間のうちに照り煮します。水気が飛んで飴状になったタレで鳥のもつをコーティング、旨味をぎゅっと閉じ込めて照りを出します。本物の蕎麦職人が絶妙な火加減とタイミングで作る、この”照り”が重要です。戦後まもない昭和25年(1950年)頃に、「鳥のもつが捨てられていてもったいない。なにか安くて美味しいものができないものか」と甲府市内の蕎麦屋さんが考案しました。その後、地域の飲食店に広がっていき、今では、ほうとう、煮貝と並ぶ甲府独自の食文化となりました。砂肝のコリコリ感、しこしこしたハツ、レバーのやわらかさ、ぷちっとした感触のきんかん(産まれる前の卵)。そんな食感のハーモニーも楽しめる「甲府鳥もつ煮」をぜひご賞味ください。
甲府鳥もつ煮
山梨県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

御所のたらいうどん

「御所のたらいうどん」は、うどんを木製のたらいに入れ、つけ汁につけて食べる阿波市の郷土料理です。土成町御所の国道318号を山の奥へと進んで行くと、清流沿いにたらいうどん専門店が並んでいます。お店で打った自家製麺はコシが強く小麦の風味が豊かで、濃いめの出汁とよく合います。たらいうどんの食べ方にはちょっとしたコツがあります。箸でうどんを引き上げる時に高く持ち上げず、たらいの縁に沿わせて湯を切りながらつけ汁の容器に入れます。こうすると湯がはねず、最後までお汁が薄まらずに美味しくいただけます。丸いたらいを皆で囲む独特のスタイルもたらいうどんの醍醐味。ワイワイ食べると美味しさもひとしおです。お店は谷のすぐそばにあり、店の中から川の景色を眺め、せせらぎの音を聞きながらたらいうどんを食べられます。谷に降りて水遊びができる店もあり、自然豊かなロケーションを含めて楽しむスタイルとなっています。
御所のたらいうどん
徳島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

五島うどん

およそ1200年前、遣唐使船の寄港地として知られた上五島には、大陸から様々な文化がもたらされましたが、「五島うどん」もその起源は遣唐使によって伝えられたといわれています。島の特産品である食用の椿油を塗布しながら、棒状の生地を2本の箸にかけ、引き延ばしては束ねる作業を繰り返し紐状の細い麺にしていきます。椿油を使用するため独特の風味が生まれ、製造の工程で何度も熟成を重ねたあと乾燥させることから、コシが強く切れにくい麺が完成します。代表的な郷土料理は「地獄炊き」です。ゆで上げたうどんを大鍋ごと食卓に乗せ、煮えたぎる鍋の中からうどんをすくい、薬味を加えたアゴ(飛魚)出汁や生卵にからめて食べます。大勢で鍋を囲みながら食べるシンプルかつ豪快な本場ならではの食べ方です。
五島うどん
長崎県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

さつま

海田町周辺の地域に江戸時代から伝わる郷土料理「さつま」。参勤交代の際、海田で休息する薩摩藩の方々に提供するために用意した魚をアレンジして(残った魚を活用して)生まれたものではないかと言われています(諸説あり)。当時は豊富に獲れたボラやコノシロを用いて調理されることが主でしたが、近年では手に入りやすいアジやタイなどの白身魚が用いられることも。
使う魚や調味料も様々、家庭ごとオリジナルの「さつま」が食べられています。ただ、調理に手間がかかることから家庭で食される機会は減っており、「さつま」を知らないと答える地域住民も増えている現状があります。そんな中、「伝統の味を残したい!」「身近に、手軽に食べてもらいたい!」との思いから、地元の高校生、住民活動団体が商工会、企業との協働により地域での普及、後世への継承に向けた様々な活動を展開しています。
さつま
広島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

佐野のいもフライ

佐野市が発祥とされるいもフライ。蒸した(茹でた)じゃがいもの皮を剥き、一口大に切って串に刺し、衣をつけてカリッと揚げ、フルーティーなソース(地元で造られている)をつけたもの。竹串に刺してあることがポイントで、市内に多くの竹細工屋があり、竹串が入手しやすかったことなどから、購入した人が食べやすいようにと考えられたようです。現在でも佐野市内にはいもフライの専門店が販売を続け、各店舗の特色を活かし競い合っています。現在では、佐野ラーメンと共に佐野市のB級グルメとしても認知され、観光客の方や出張でお越しになる人、わざわざ遠方より「いもフライ」を食べに来てくださる方もたくさん見受けられるようになりました。いもフライマップ(訪日外国人向けの英語表記もあり)を片手に食べ歩きをするほど人気が出てきています。
佐野のいもフライ
栃木県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

須古寿し

伝承によれば500年以上前、須古地区の領主が領内の農民をとても大切にし、米の品質改良に尽力したそうです。そんな領主の愛情に感謝し、領民たちは海の幸、山の幸を使ってすしを作り、領主に献上したと言われています。この「須古寿し」は連綿と500年もの間、母から子へ、子から孫へと受け継がれ、今も祭りやお祝い事では欠かせない大切な郷土料理です。「もろふた」と呼ばれる木箱につくり、専用の木べらですくって取り分けるのが特徴的で、地元のさまざまな具材がのった箱ずしのスタイルです。有明海のムツゴロウをはじめ、しいたけ・ごぼう・奈良漬 ・紅しょうが等、さまざまな具材がのった贅沢な味わいが楽しめます。本来はムツゴロウのかば焼きを具材に使いますが、近年はムツゴロウが手に入りにくいため、エビやコノシロ等で代用されることもあります。
須古寿し
佐賀県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

スパカツ

「スパカツ」は釧路市の名物料理で、鉄皿に盛られた「ミートソーススパゲティ」に「カツレツ」をのせた一品です。その誕生は昭和30年代に遡ります。「スパカツ」は、釧路市の名物料理の一つであり、地元の人々や観光客の皆さまにも愛されているソウルフードです。名前の通り「ミートソーススパゲティ」に「ポークカツレツ」がのっており、熱々の鉄皿にジュージューと音を立てる山盛りのスパゲティは、最後の一口まで熱々に食べることができます。いつしか鉄皿に盛られたスパゲティは釧路の洋食文化の一つになり「ポークカツレツ」がのった「ミートスパゲティ」は豪快なボリュームで、その満足感と美味しさで「スパカツ」と呼ばれ愛され、一度食べたら忘れられない味の昭和から未来に続く一品です。
スパカツ
北海道
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

館林のうどん

館林地域は、豊かな水資源による肥沃な土壌、長い日照時間、「赤城おろし」と呼ばれる乾燥したからっ風により、小麦の生産環境に恵まれ、良質な小麦の産地として知られています。江戸時代には館林藩の特産品「饂飩粉」(小麦粉)が将軍家に献上され、明治期には製粉業や醸造業が興りました。こうした背景から館林市は「麦都」として知られるようになり、小麦を原料としたうどんが地域の名産品となりました。この良質な小麦で作られた館林のうどんは、もちもちとした食感、つるつるとしたのどごしの良さが特徴です。振興会では、小麦文化を次世代につなぐために、子どもたちへの食育事業や麦の生産過程を体験する事業を実施しており、地域の食文化への関心を深める取り組みを進めています。
館林のうどん
群馬県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定
有識者特別賞

敦賀のおぼろ昆布

かつて北前船を通じて敦賀には北海道から昆布を中心とした多くの品が荷揚げされ、上方(大阪)へ運ばれました。そして昆布の一大集荷地となった敦賀には多くの手すきおぼろ昆布職人が良質な昆布を求めて集うようになり、おぼろ昆布の一大産地となっていきました。おぼろ昆布とは、醸造酢に漬けて柔らかくした昆布の表面を専用の包丁で職人が1枚1枚丁寧に薄く削りだして作る食品です。すきたての昆布は空気のように軽く、食べた感触も空気をほおばったような感覚に始まり、後から昆布の旨味・甘味が口の中に湧き出してきます。また和食には欠かせない昆布の旨味を手軽に料理に沿えることができる魅力的な食品です。日持ちも良く(冷暗所で半年)、常備していろいろな料理に使うことができます。「おにぎりに巻く」「うどんやお吸い物に入れる」のが定番ですが、刺身に巻いて「簡易昆布締め」にしたり、冷奴やサラダの風味付けなどに使うのもおすすめです。
敦賀のおぼろ昆布
福井県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和6年度認定

鉄砲巻き

東京湾に面した富津市では、栄養塩類が豊富で潮通しの良い漁場環境を活かして、江戸時代から海苔の養殖が行われており、現在でも千葉県の海苔生産の7割を占めています。この江戸前の海苔を使用した「鉄砲巻き」は、昔は当たり前のように家庭で削っていたカツオ節を醤油で味付けして具にした太巻きで、手早く作ることができ、海で仕事をする漁師が片手で持って食べられることから、漁師の携帯食として古くから親しまれてきました。名前の由来は、鉄砲に似た見た目からきています。市役所でも、市制施行記念行事での30メートルを超えるジャンボ鉄砲巻きづくりや、海苔の豊漁を祈願して恵方巻の代わりに鉄砲巻きを頬張るイベントなど、鉄砲巻きにちなんだ行事も行われました。今でも鉄砲巻きを持って海に出る漁師も多く、その手軽さから家庭での食事やお弁当のおにぎりの代わりとしても食べられ、市内の一部の飲食店ではメニューにもなっています。
鉄砲巻き
千葉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

としるの貝がら焼き

三陸地域の乾鮑は、江戸時代において乾燥ナマコやフカヒレと共に中国へ輸出され、その品質の高さから「俵物三品」と幕府のお墨付きが付くほどのものでした。現代においても、乾鮑は中華料理の高級食材として広く愛され、活アワビと共に高品質なアワビとして知名度の高いものとなっています。乾鮑の製造では肝の部分は使われません。また、肝はすぐに鮮度が落ちるため、漁業者の間では浜のまかない料理として肝を食べる文化が発展しました。アワビの肝は「としる」と呼ばれ、特に滋養強壮に良いと親しまれており、その代表的な食べ方が「としるの貝がら焼き」です。アワビの貝がらを小さな鍋として使用し、貝がらの穴に味噌を詰め、大根の千切りと共に肝を煮込んだ料理です。肝の滋味深い味わいが印象的なこの料理は、味噌、醤油の味付けや、貝柱のスライスを添えるなど家庭ごとに工夫が加えられながら漁業者の間で伝わってきた料理です。
としるの貝がら焼き
岩手県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

とまこまいホッキカレー

「とまこまいホッキカレー」のルーツは昭和20年代後半、漁師が高価な肉の代わりにホッキを使ったのが始まりで、一般家庭へと広まっていきました。現在はテレビや雑誌によく登場するマルトマ食堂をはじめ、多くの飲食店で提供されています。1993年(平成5年)から郷土食として学校給食に登場し、2022年(令和4年)9月には、100年フード認定の「とまこまいカレーラーメン」と共に『Wカレーの街とまこまい』が宣言され、名実ともに苫小牧の郷土食と認められました。苫小牧産ホッキは地元漁師たちに「大事な海の資源」として保護されています。ホッキ貝は甘みが強く、シコシコした歯ごたえが特長的。タウリンがたっぷり含まれ栄養満点です!とまこまいホッキカレーは、肉を使わずホッキのうま味を存分に生かした味です。24年連続水揚げ日本一を誇ると同時に、苫小牧漁協は郷土食としてホッキカレーの美味しさを伝えていきます。
とまこまいホッキカレー
北海道
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和6年度認定

富山湾のホタルイカ

ホタルイカが産卵にくる滑川周辺の富山湾は、「ホタルイカ群遊海面」として国特別天然記念物に指定されています。成熟したメスだけを定置網で漁獲する富山湾の中でも、「ホタルイカのまち」として知られる滑川は、漁場が港に近いことから新鮮で大ぶりな産卵期のホタルイカが生でも流通するため、食文化が根付いています。元々は肥料や餌料として捨て売り状態でしたが、食料としての利用や流通の始まりは明治30年前後のようです。今では信じられませんが、食べ物として厳しい評価を受けていた時代もあったものの、先人たちが調理法やレシピを開発・改良していき、戦後以降は富山湾を代表する味覚の地位を確立し現在に至ります。当初は素干・煮干が主で、その後、甘露煮や桜煮(釜揚げ)が開発されていき、酢味噌和えや刺身などに加え、現在では唐揚げや天ぷら、しゃぶしゃぶ、パスタやアヒージョ、沖漬けをはじめとした様々な形で賞味されています。
富山湾のホタルイカ
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

豊川いなり寿司

日本三大稲荷「豊川稲荷」があり、門前町で栄えた豊川市は、いなり寿司の店舗が多く、参拝者に親しまれていました。いなり寿司のかたちは、俵型で、江戸時代初期、豊川稲荷へ五穀豊穣を祈願して、油揚げの中におからを詰めて奉納していたそうです。おからがお米に変わりいなり寿司が誕生しました。味いろいろ・工夫いろいろの「豊川いなり寿司」は、油揚げの味、酢飯、具材も各店舗工夫を凝らしており、美味しくて楽しいご当地グルメです。手握りで、ふわっとジュシーな油揚げが特徴です。食材の入っていないシンプルな豊川いなり寿司も美味ですが、五目いなり、わさびいなり、味噌カツいなり、うなぎがのったいなり寿司など、種類も豊富です。豊川市観光協会では、保育園や小中学校でのおやつや給食での豊川いなり寿司普及活動、豊川いなり寿司店舗を紹介する「豊川いなり寿司図鑑」の発行等を通して、豊川市のまちおこし活動を支援しています。
豊川いなり寿司
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

豊橋ちくわ

「ちくわ」と言ったら、どんな竹輪を思い描きますか?両端が白く、真ん中が褐色に焼けた姿を想像しませんか。この焼き方を日本で初めて実施したのが愛知県豊橋でした。そしてこの焼き方の竹輪を「豊橋ちくわ」と呼びます。江戸時代末期、吉田宿(現在の豊橋)で魚問屋を営んでいた佐藤善作が四国の金比羅宮に参拝した際に名物として売られていた竹輪を食べ、それを参考にして地元の魚で作ったのが始まりです。海産物に恵まれた土地柄、鮮度が良い魚からつくる竹輪は東海道を中心に評判になり、上質な味わいが東海道のお土産・贈り物として人気が高まりました。明治になり人の移動が鉄道になってからも、駅の立ち売りで人気を博しました。現代の車社会においても美味しい名物をお客様に届けたいという作り手の思いは、江戸時代から200年を経ても東海道を往来する人々に、そして地元の人々に変わらず愛されている「豊橋ちくわ」となっています。
豊橋ちくわ
愛知県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

なみえ焼そば

福島県双葉郡浪江町の安くておいしい、昔から親しまれる極太麺の『なみえ焼そば』。 約65年前、労働者のために食べ応えと腹持ちをよくするために考案されたとされています。
通常の約3倍のもある太い麺と、うまみたっぷり濃厚ソース、豚肉とモヤシだけのシンプルな具が特徴です。極太麺、モヤシ、豚肉、極まる馬さ、ここにあり。一味唐辛子を振りかけて食べるのが通な食べ方とされます。
なみえ焼そば
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

南関そうめん

南関そうめんの歴史は、250年とも300年とも言われており、江戸時代には、当時の肥後藩主が参勤交代の際に、肥後の土産として必ずこのそうめんを将軍家に献上されていたといいます。このそうめんは、茹でても伸びないほどのコシの強さと、シコシコした歯ざわりが特徴です。現在製造されているものは、曲げそうめんと呼ばれており、江戸後期にそうめんの束ね枠が考案されてからは主流となっています。南関そうめん作りの最盛期、明治中期には200を超える製麺所があり、すだれのように長く延ばしたそうめん干しの光景が数多く見られたそうです。現在でも、町内で10軒の製麺所が、機械を一切使わない完全手延べの伝統製法で昔と変わらぬ伝統の味を守り続けています。
南関そうめん
熊本県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

はっと

登米市の郷土料理として親しまれている「はっと」。その始まりは藩政時代からとも言われています。藩政時代の登米地方は伊達藩でも有数の米どころであり、藩をあげて北上川水系の改善と湿地の新田開発に取り組み、江戸への産米輸送に力を注いでいました。当時、伊達藩では「買米制」という制度を作り、お百姓さんが年貢を納めたあとの余ったお米も藩が買い上げて江戸へ送っていました。こうした中、お米を満足に食べられなかったお百姓さんは、麦飯の他、畑で作った小麦を粉にして練ってゆで上げ、お米の代用食として食べていました。長年のお百姓さんの知恵でよりおいしい食べ物へと工夫されていったそうです。「はっと」は小麦粉に水を加えてよく練って寝かせ、その熟成した生地を指で薄くのばしながら、醤油仕立ての汁に入れ茹であげます。また、お湯で茹でて、あずき、ずんだなどに絡めたりします。ツルツル、シコシコの食感がやみつきになる郷土料理です。
はっと
宮城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

ブクブクー茶

ブクブクー茶は、茶碗に盛られた白い豊かな泡を飲む、那覇に昔から伝わる他に類を見ない珍しいお茶です。米を焦げ茶色に焼き、琉球石灰岩を伝ってとれる硬度の高い井戸水で煮出した煎り米湯とさんぴん茶を大きな木鉢に入れ、大きな茶筅で約10分たてると白いしっかりした泡が生まれます。茶碗にさんぴん茶と少しの赤飯を入れ、泡を茶筅で盛り上げ、砕いた落花生を振りかけます。箸やスプーンを使わず飲みます。たて方、飲み方に決まりはなく、縁起のよい飲み物として船出の祝いなどに飲まれました。起源は江戸時代と推測されます。明治、大正、昭和初期には那覇で盛んに飲まれていましたが、戦争で道具類が焼失し、ブクブクー茶も姿を消しました。1960年ブクブクー茶の道具が見つかり復元の機運が高まり、1992年にブクブクー茶が復元しました。ブクブクー茶の保存・普及のため「沖縄伝統ブクブクー茶保存会」が結成され、活動を続けています。
ブクブクー茶
沖縄県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

ぷちむっちゃー

『ぷち』=よもぎ、『むっちゃー』=餅を意味し、月桃の葉で包んだよもぎ餅のことです。 日常的に餅が食べられるようになったのは、江戸時代中期頃からと言われています。 一年でいちばん潮が引く、旧暦の3月3日(4月上旬)。この日に行われる節句の伝統行事『浜下り』が開催されます。新生児が産まれた家では、赤ちゃんの足を海につけて身を清め、すこやかな成長を願います。よもぎには、強い匂いがあり、解毒や浄化作用があると言われることから、ぷちむっちゃーを食べることは魔除けになると言われています。家々では『ぷちむっちゃー』がつくられ、丈夫になるように、食べものに困らないようにと無病息災を願う行事として受け継がれています。また若い世代や子どもたちにも、ぷちむっちゃーのつくり方と歴史教室を開催し次世代へ脈々と受け継がれています。
ぷちむっちゃー
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

ふなめし

「ふなめし」は、庶民の料理として江戸時代より岡山県南部や児島湖周辺、高梁川下流域に伝わる冬の郷土料理で寒くなるとどこの家でも食べたものです。冬に脂ののった寒鮒の鱗や頭、臓物をとり包丁でトントコたたいて(このことから「トントコ飯」とも言われています)ミンチ状にします。これを油を引いた鍋に入れ充分火が通るまで炒め水を加え沸騰したら、大根、人参、牛蒡、子芋、葱などの野菜と油揚げ、竹輪、蒟蒻を加えてしばらく煮ます。野菜などが煮えたのを確かめ調味料の醤油で味付けして汁をつくり、熱々のご飯にかけて食べる料理です。「ふなめし」は岡山市南区だけでも妹尾地域、灘崎地域、興除地域、藤田地域それぞれに地元の味があるとともに各家庭の味があります。また類似した料理として岡山県東部の備前市日生地域などには、フナの代わりにゲタ(舌平目)を使った郷土料理「ゲタ飯(ゲタのかけ飯)」があります。
ふなめし
岡山県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

マミーすいとん

福島県双葉郡楢葉町及び広野町にまたがるサッカーナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」。この地でサッカー日本代表が合宿を行った際、地元の郷土食としてすいとんが振る舞われました。そのすいとんを食べた、当時のサッカー日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏が「これはマミー(おばあちゃん)の味だ」と大変気にいられ、楢葉町のすいとんには「マミー」が冠されるようになりました。マミーすいとんは、ごぼう、しいたけ、にんじん、ねぎ、鶏肉と具材はたった5つとシンプルですが、飾らない昔ながらの味が身も心も温めてくれます。現在は、地元の女性による「ならはすいとん研究会」が伝統の味を継承しており、すいとん粉と、味の決め手となるタレが入ったレトルトすいとんキットも人気のお土産です。ほっと一息つけるマミー(おばあちゃん)の味を、ぜひ楽しんでください!
マミーすいとん
福島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和6年度認定

牟岐の浜節句弁当

徳島県牟岐町では、上巳の節句を新暦の4月3日に祝う習慣があり、その際に御馳走をお重に詰めた弁当を持って浜辺に繰り出し、春の訪れを楽しむ「浜節句」が行われてきました。お弁当の内容は、①巻寿司、アジの姿寿司、いなり寿司、赤飯の型抜きなどのご飯類、②分葱のぬた、野菜や筍、豆の煮物、卵焼き、焼き魚、流れ子(とこぶし)の煮つけ、かまぼこの飾りつけなどのおかず、③牟岐町の特産品であるテングサを材料にした寒天羊羹や、みかん、りんごなど果物の飾り切りが色どりよく盛り付けられたものです。また、子どもには、菱餅やあられに加えて、お寿司、卵、寒天羊羹、芋餅、果物などを子供が好む食べ物が遊山箱に可愛らしく盛り付けられ、これを持って磯遊びや山遊びに出かけました。周辺地域では行われなくなった伝統行事が牟岐町には残されており、今後も絶やすことなく未来に伝えていきたい行事食です。
牟岐の浜節句弁当
徳島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

むくり鮒

横顔の形の山形県、その口角のあたりが川西町です。町内7つの地区の中で一番の面積を持つ玉庭では、上杉の時代に下級武士が住んでいた事から数多くの歴史と共に受け継がれてきた文化があります。その一つが今回ご紹介する『むくり鮒(ぶな)』です。その歴史には諸説ありますが、鷹山公推奨の冬のたんぱく源であり、近年では転作田を活用した養殖に取り組む事で通年販売が行えるようになりました。むくり鮒加工は、冬の間が最盛期であり、県内有数の豪雪地帯である玉庭の貴重な冬仕事でもあります。春に放流・孵化、夏に水温や食糧調節等、徹底した管理を行い、成長した鮒を秋に水揚げ、冬に加工します。切腹は縁起が悪い事から背開きにしてむくる(「めくる」の方言)、転じて縁起物とされ年末年始のご挨拶品に選ばれることも多くなりました。また、町内小学校の授業でも取り上げられる伝統の『むくり鮒』をこれから先も未来へ残していきたいと考えます。
むくり鮒
山形県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

吉田のうどん

明治時代に、富士山信仰で栄えた上吉田地区では、富士登山をする方に対してうどん店が営業されており、下吉田地区では、戦後織物の町として東京、大阪方面から買い付けに来る人などにうどんを振舞うためにうどん店が営業していました。吉田のうどんの麺は一般のうどんと比べ非常にこしが強く見た目にすごく太く、硬い麺で特に中心に行くほど硬い傾向があり、この麺をゆでると緩やかにねじれます。また、麺の断面が正方形に近いのも特徴です。富士山湧水仕込みの歯ごたえのある麺に相性抜群の茹でキャベツの付け合わせ、出し汁のきいた味噌と醤油の合わせつゆがうどんの風味を一層引き立てます。富士吉田ではうどんは「ハレの日」の食べ物として食されていました。今でも、富士吉田市で結婚式を行うと披露宴の最後には必ずうどんが出てきます。また、うどんが出てくることで、その披露宴の終わりを告げます。
吉田のうどん
山梨県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

吉野本葛

葛粉が菓子や料理に使われるようになったのは室町時代以降で、葛湯、葛きり、葛もち、葛落雁など様々な菓子が生み出されました。葛粉の最盛期は江戸時代で、農学者である大倉永常が「製葛録」の中で葛粉が食用としてだけでなく化粧品としても広く利用されていたことを示しています。奈良県での葛粉作りは「吉野晒」と呼ばれる精製方法で行います。冬に山で掘り出した葛の根を叩き潰し、桶の中で澱粉をもみだして得た澱粉乳から粗葛を作り、攪拌と沈殿、水の入れ替えを繰り返しながら精製していきます。精製した葛粉は室内で乾かし春過ぎにようやく吉野本葛が出来上がります。今は一部作業に機械も取り入れて作業がしやすい工夫がされていますが、江戸時代から続く吉野晒の技術はそのままに、伝統の製法と味を守りながら製造しています。今は吉野本葛を次世代に食べ繋いでいくための食育活動や、若い世代にも魅力を伝えるための商品開発にも力を入れています。
吉野本葛
奈良県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和6年度認定

ローメン

昭和30年頃、麺にマトンとキャベツ、ニンニクを入れたローメンが誕生しました。 はじめは「炒肉麺(チャーローメン)」と名付けられ、やがて訪れた“ラーメンブーム”に乗り、語呂も良いということで「チャー」が外れて、ラーメンの発音に近い「ローメン」と呼ばれるようになりました。伊那市を中心とした飲食店に広まり、いつしかローメンは伊那谷特有の麺料理となりました。市民誰もに親しまれる郷土料理のひとつで、街のどこに行っても食べることができる、とても手軽で、身近な食べものです。お昼の時も、夜 お酒を飲んでいる時も、大人も、子どもも、女の人も、男の人も、この地域では誰もが親しんで食べています。
ローメン
長野県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

飛鳥鍋

一般的に、飛鳥鍋は飛鳥時代に唐から来た僧侶が、寒さをしのぐためにヤギの乳で鍋料理を作ったのがルーツとされていますが、「飛鳥鍋」として地域に広く浸透したのは昭和後期ごろのことです。昭和初期に、旧飛鳥村の村長であった故 薮内増次郎が「地域産業の発展」を願って、古くからこの地方で食されていた「鶏肉の牛乳煮」をもとに考案し、橿原観光ホテルが看板メニューとして提供したのが始まりと言われています。飛鳥時代から続く鍋料理の遺伝子が宿る「飛鳥鍋」。明日香村の各家庭では来客をもてなす料理として地域で親しまれています。村内には飛鳥鍋を提供する「めんどや」や「ひもろぎ」、「夢市茶屋」などの飲食店だけでなく、各民宿などでも提供されています。
奈良県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

安土のふなやき

天下統一を目指した織田信長は、侘び茶を確立した千利休を重用し、安土城から茶道を全国に広げていきました。茶会ではお茶と茶菓子が振舞われ、「利休百会記」によると「ふの焼」という茶菓子が88回中68回使われたと記録されています。安土城があった蒲生地区(現近江八幡市安土町)から「ふの焼」が全国に発信され、名称・材料・目的を変えながら全国に広がっていきました。「ふの焼」発祥地である蒲生地区では、「ふなやき」として子供のおやつ、また「お母さんの味」として記憶されています。この「ふなやき」を、当会では、重要な郷土食や特産品として復活し、全国に伝える取り組みを5カ年計画で取り組んでいます。既にレシピを作成し、地元の飲食店で「ふなやき」を食べる場所づくりの確保も進め、小学校等を訪問し「ふなやき」を知って頂く出前講座も行っています。
滋賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

奄美黒糖焼酎

薩摩藩士名越左源太が当時の奄美の状況を記した「南島雑話」には、焼酎が島民の生活といかに密接に結びついていたかが記されています。当時の焼酎の原料は“椎の実、桑の実、ソテツの実”などです。サトウキビを絞った汁を使う留汁焼酎の記述もあり、黒糖焼酎の原形を見ることができますが、黒糖は藩の重要な財源となっていて焼酎に使うことは禁じられていました。黒糖焼酎の製造が本格化するのは昭和21年、奄美群島が米軍統治下になってからのことです。昭和28年に本土復帰しますが、黒糖を原料とした蒸留酒はスピリッツに該当し、焼酎よりも高い酒税が課せられることになっていたため、黒糖の使用許可を陳情し、“奄美群島区において製造する場合で、黒糖と米麹を併用するときに限り認める”という特例が設けられたのです。奄美黒糖焼酎は、平成21年2月6日に地域団体商標登録の認可を受けました。かつて原料にできなかった黒糖を原料とした焼酎が奄美の特産になっています。
奄美黒糖焼酎
鹿児島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定
有識者特別賞

石狩鍋

「石狩鍋」は、生鮭のあらを使い、味噌仕立てでキャベツなどの西洋野菜、豆腐などを入れた北海道を代表する鍋料理です。もとは「だいなべ」と呼ばれる漁師が作業の合間に食べる料理だったと言われています。冷凍技術が未発達の時代に生鮭のあらを使った料理が生まれたのは、鮭漁が盛んな石狩ならではです。また具材に用いられるキャベツなどは明治以降に栽培が広がったもので、北海道の開拓の歴史を反映しています。「石狩鍋」の命名は意外に遅く戦後のことで、石狩の鮭地引き網漁を見るために訪れた観光客に「石狩鍋」と名付けて提供したことに始まります。石狩町によるさけまつりキャンペーンで盛んに宣伝したほか、札幌の料理店で「北海道名物」として取り上げられたこともあり、急速に広まりました。北海道では、家庭ごとに具材やダシのとり方に多くのバリエーションがあり親しまれています。
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

石巻焼きそば

昭和6年頃、当時中国人の方が営業していた食堂のメニューに焼麺というのがあったといいます。このお店で修行していたお弟子さんたちが石巻地域の各地に広がり、戦後焼いてもべとつかない二度蒸し製法が確立され焼きそば文化が生まれました。学校給食でも出され、米飯給食が出るまでは一番人気でした。吸水力を増した二度蒸し麺に魚介系の出汁をたっぷりしみこませふっくらと香ばしく調理された石巻焼きそばは、褐色の見た目に比べて出汁の影響によりやさしい味となっています。石巻の焼きそばは、出来上がって盛られた焼きそばに、自分の好みで後からソースを味付けに仕上げて食べる他の地域にはない習慣があります。石巻人が他の地域に行って焼きそばを食べるときには、すでにソースで味付けされている焼きそばに思わずテーブルに置いてあるソースをかけてしまうという笑い話もあるほど、石巻ではこの後がけソースはたいへんポピュラーなものになっています。
宮城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

石部のいもつぶし

500年以上前の江戸時代に東海道の51番目の宿場としておかれた石部宿(現:滋賀県湖南市)で、古くから庶民に親しまれてきたといわれる「いもつぶし」は、米が貴重とされていた頃、里芋を混ぜて食べられていた郷土料理です。皮をむき、ざっくりと切った里芋を米と一緒に炊き、つぶして俵型に丸め、みたらしのような濃厚なタレを塗り、香ばしく焼いた甘辛醤油味は誰もが好む逸品です。ほろ苦い味噌があと引く田楽味噌味は、お好みで山椒をかけると風味が変わり味噌ともよく合います。近年は旧東海道にある石部宿田楽茶屋で味わうことができたり、地元保存会がイベント時に販売されたりしています。石部の伝統食として愛されてきた食べ物なので、これからも伝統を絶やさずに伝え、たくさんの人に味わっていただきたいと思います。
滋賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

いなぶ桶茶

桶に煮出した番茶と塩を入れ、茶筅で泡立て飲む「桶茶(おけちゃ)」。番茶のさっぱりとした味や香り、塩と泡のまろやかさ、木桶の爽やかな香りが加わり、特に夏などの汗を掻いた時に飲む桶茶は最高です。地元では、昭和の初め頃に桶茶は廃れたとされ、知る人もなく、桶茶自体が知られなくなる現状に危機感を覚え、2012年より聞き取り調査を行いながら桶茶を再現するなどの活動をし、体験会の開催や呈茶を行なっています。愛知県豊田市稲武地区には江戸時代の桶茶道具が古橋家に伝わります。(2017年より豊田市指定有形民俗文化財)桶茶道具と郷土の食文化(茶文化)、そして地元の人やモノとの繋がりとともに伝える「いなぶ桶茶」として、後世に残していきたいと思っています。稲武の景色とともに桶茶をぜひ。
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定
有識者特別賞

いぶりがっこ

秋田では冬場の食糧確保のため、漬物など保存食を作る文化が根付いており「いぶりがっこ」も、保存食として根付いた秋田特有の食文化です。「いぶりがっこ」は大根の乾燥工程を燻製で行うという秋田独自の製法で造られた「たくあん漬け」です。パリパリとした食感と、芳醇で香ばしい燻しの香り、そして大根の甘みが一体となった独特の風味を持つ逸品です。一般的にたくあんは大根を天日干し後に漬け込みます。しかし秋田の冬の日照時間は少なく、気温も氷点下になることから、大根を屋外に干すことができませんでした。そこで、屋内の梁などに吊るして大根を干しました。囲炉裏の上に吊るされた大根は自然と燻され、その大根を漬けたことが「いぶりがっこ」の始まりとされています。秋田の厳しい冬の中、食を繋ぎながら少しでも家族においしいものを食べさせたいという先人たちの知恵と想いの結晶が秋田の伝統食品「いぶりがっこ」です。
いぶりがっこ
秋田県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

海の七草粥

国崎町では、お正月の風習として「ナナクサタタキ」が各家々で行われています。1月6日の夜に、正装した一家の長が国崎の海から採ってきた海藻6種類(「ひじき」「ほんだわら」「ふくろのり」「うみとらのお」「ふのり」「わかめ」)と青菜を床の間にお供えした後、まな板の上に並べ、家族の無病息災を願いながら海藻を叩き刻むという風習です。正装した長がすりこぎと包丁を手に、「なずな七草、唐土の鳥が日本の土地へ渡らぬ先に、かきやかしてごちゃごちゃ」と唱えながら、海藻と青菜を細かく叩き刻んでいきます。刻み終わった海藻を、翌7日に船や神棚、海の神様などに備えて一年の幸を祈ります。その後、細かく刻まれた海藻を粥に入れ、「海の七草粥」として食します。一般的な野草を使った七草粥とは異なる、現役の海女が活躍する海の町ならではの習慣です。高齢化や単身化のため、今は女性が「ナナクサタタキ」を担うようになっています。
海の七草粥
三重県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

えつ料理

「えつ」は、カタクチイワシ科に分類される全長が30センチほどの魚で、日本では有明海だけに生息しています。筑後川下流域で古くから食べられており、江戸時代の料理本にも掲載があります。産卵のため有明海から筑後川に遡上してくる5月から7月が、えつ漁のシーズンです。シーズン中の「えつ」は、脂がのっていてとてもおいしく、刺身、塩焼き、煮漬け、唐揚げ、南蛮漬け、えつ寿司など多彩な料理で味わうことができます。えつ観光の醍醐味は、屋形船の上で獲れたてを食べる「えつ狩り船」です。川船で、えつ漁を眺め、新鮮なえつ料理に舌鼓を打つ舟遊びは、大川の夏の風物詩として親しまれています。えつにまつわる伝説として、「弘法大師が貧しい身なりをしていたのにも関わらす向こう岸まで渡してくれた船頭にお礼をしようと川岸のヨシの葉をちぎって川に投げ込んだところ、それがエツとなった。」という話が伝わっています。
福岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

大津のうなぎの食文化

江戸期には大津市で獲れた琵琶湖のうなぎは屈指の名産品として全国に知られていました。また当時は瀬田の唐橋から大津宿までの東海道沿いに、逢坂の関から流れる清流で泥抜きをしたうなぎを扱った料理屋がたくさん店を構えており、その名残から今も旧東海道の周辺には多くのうなぎ屋があります。総務省家計調査によると、うなぎの蒲焼きの消費金額は平成28年と令和元年に全国1位になるなど、大津市は全国でもトップクラスの消費金額を誇っています。鰻料理は多種多様で、蒲焼き以外の食べ方を楽しめるのが大津のうなぎの最大の特徴です。滋賀で「じゅんじゅん」と呼ばれるすき焼き風料理や「しゃぶしゃぶ」などの鍋料理、それ以外にも「近江牛」と組み合わせたステーキと蒲焼きのお重など、市内ではバリエーション豊富なうなぎ料理が提供されています。うなぎの食文化が根付く大津ならではの個性豊かなうなぎ料理を求めにぜひお越しください!
滋賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

おぼろ汁

「おぼろ豆腐」とは、豆乳ににがりを加えて圧搾する前に汲み取った、固まりはじめの状態の豆腐のことです。食感はふんわり、ほんのりとした大豆の甘い風味があり、箸でつかめないくらいの軟らかさです。また「おぼろ汁」は、薄く切った干し椎茸の戻し汁と醤油で調味し、しょうがとおぼろ豆腐を加え、最後に水溶き片栗粉でとろみをつけたものです。ほろほろとした見た目が「おぼろ月夜のもやもやとした状態」に似ていることが名前の由来であり、幕末期に町内の龍渕寺(曹洞宗)の住職であった二十六世大堂俊麟大和尚が京都で会得したおぼろ豆腐の製造とおぼろ汁の調理法を、そのお寺の「わらじぬぎ場」になっていた奥州涌谷の「櫻井屋」に精進料理として伝えたのがきっかけです。食材の入手の容易さやその料理のおいしさが地域に受け入れられたと考えられています。「おぼろ汁」は、春秋のお彼岸やお盆に仏前に供える涌谷町の精進料理として親しまれております。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

かきの土手鍋

広島県の郷土料理「かきの土手鍋」とは、味噌を鍋の内側に塗って土手を作り、かきと白菜や豆腐、春菊などの野菜を入れて煮ながら食べる広島県で生まれた郷土料理の一つです。味噌の土手を崩しながら好みの味を作っていくという面白い鍋です。なぜ「土手鍋」と言われるようになったかは、諸説あります。①鍋の内側に土手のように味噌を塗るから②江戸時代になってからは毎年旬の時期にかきを満載したかき船が広島から大阪へかきを売りに行っており、かき船はそのままかきを売るだけでなく、橋のたもとの土手下に繋がれた場で「かき鍋」にして提供したから、などです。かきの土手鍋は西の三大鍋とも言われており、広島県では昔から馴染みある鍋料理です。
かきの土手鍋
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

かましいりこ

かましとは、白山市白峰地域の方言で雑穀のシコクビエのことです。粉の状態では麦焦がしのような香りがあり、砂糖をお好みの量入れて熱湯を注ぎ練り上げた「かましいりこ」は、地域の昔ながらのおやつです。かましは縄文時代晩期に日本に伝えられたといわれ、縄文時代から人々が住み始めたといわれる白峰では、先祖代々大事に食べ繋いできた歴史ある食物でもあります。他の作物よりも加工に手間がかかる事もあり、今では生産者が減少し、流通も多くないため「幻の雑穀」と呼ばれています。その一方で栄養価が高く、近年スーパーフードとしても注目されています。かましいりこの伝統を守るため、白峰の住民で運営する白峰まちづくり協議会が立ち上がり、栽培・収穫後に製粉したかましを特産品販売施設「菜さい」にて販売している他、飲食店のメニューとしてかましいりこを提供しており、観光などで訪れる人々も山村ならではの食文化に触れることができます。
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和5年度認定

釧路のそば

釧路には人口比で他に類を見ないほど多くのそば店があります。蕎麦の一大生産地ではない釧路にそば店が多いのは東家の存在が大きいと言えます。東家は明治7年小樽で創業、明治45年釧路に東家本店を開店、現在は竹老園東家総本店が暖簾を守っています。現在、市内の暖簾分け、その他のそば店23店舗が釧路そば商組合に加盟し、その殆どの店は東家の伝統技法の影響を受けています。東家のそばの特長の一つに明治中期より「神田藪そば」に影響を受けた緑色の更科麺が挙げられます。初期はソバもやしなどを使っていましたが、現在はクロレラ粉末を使用しています。そば汁は、「半生がえし」に宗田節でとった「出汁」を合わせたコクの強いものです。加盟店では、一般的な若鶏ではなく親鶏を使った「かしわぬき」や「かしわそば」、創作そばや地場の特産品を使ったそばなど多彩なメニューを提供しており、お好みで選べるお店が豊富であるのも楽しみの一つです。
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

栗おはぎ

宮崎県美郷町周辺の家庭で秋のおやつとして食べられている栗おはぎは、栗の産地である里山で育まれてきた食文化です。栗は鮮度が命、傷みやすく、朝作られたものが夕方には食べられなくなることから、各家庭や地域のみで受け継がれています。80代の方に伺うと昭和20年代頃は、小豆が貴重で手に入りにくかったため、山に自生する山栗を拾い、おはぎを作ってもらい、おやつとして食べられていたようです。産地の特徴を活かし、栗の風味豊かでホクホクした栗と、しっとりとしたもち米が融合した栗の産地美郷町が育んだお菓子です。今でも家庭で食べられていますが、美郷町内のお菓子屋でも販売されるようになり、秋になると県外からも栗を求めてお客様がいらっしゃいます。美郷町では、栗おはぎを食べる文化とともに産地を守り、宮崎美郷栗のブランド化を目指しています。
栗おはぎ
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

黒石つゆやきそば

「黒石つゆやきそば」はモチモチした食感の太平麺をウスターソースで炒めた「黒石やきそば」に、たっぷりの「つゆ」をかけ、揚げ玉や刻みネギをトッピングしたものです。1960年代に旧中郷中学校前にあった「美満寿(みます)」というお店で学校帰りの子供達に冷めた「やきそば」に温かい津軽そばの「つゆ」をかけて食べさせたのがはじまりだとされています。近年ではご当地グルメとして人気を呼び、各店舗により和風だしや中華スープをかけて、天ぷらや卵のトッピングをするなど、様々なタイプが登場しています。これからも地域の食文化の承継のため「黒石つゆやきそば」を広げていきます!
青森県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

献上寒晒しそば

献上寒晒しそばは、冷え込みが最も厳しく川の水がきれいになる大寒の時期に10日間ほど清流にそばを浸し、天日と寒風に晒すもので、このことによってたんぱく質(あく)が抜けていき、雑味が抜けてもちもちとした食感とほのかな上品な甘い香りが出る、茅野市の気候や風土を生かしたそばになります。茅野市産の玄蕎麦(そばの実)を使用し、茅野市の冬期の凍みる気候(晴天率高く、乾燥・寒天生産地でもある)を利用して作る。これらは、地域の食材を、天然の気候をうまく利用し保存する先人たちの知恵でもあります。現在では、新年に諏訪大社上社で、そばの実を神前にて清める「清祓式」を行ったり、夏の土用丑の日頃から、加盟店で「献上寒晒しそば祭り」と称し一斉に販売をしています。江戸時代に将軍家に献上された歴史ある寒晒しそばの伝統は現在に引き継がれ、限られた店舗でしか提供していない「幻のそば」に多くの「そばフリーク」が舌鼓を打っています。
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和5年度認定

郡山ブラック

郡山ブラックは、濃口醤油やたまり醤油などを使用した漆黒のスープが目を引く醤油ラーメンであり、その見た目にもかかわらず、まろやかな味わいが特徴です。大正6年頃に市内の食堂で提供し始めた中華そばが郡山ブラックの起源と言われており、郡山ブラックの提供店では、「ますや本店」が最も古い歴史があります。郡山ブラックの製法は、「醤油だれ」と「がらスープ」を一つの寸胴や鍋で合わせる「郡山クラシックブラック」と、郡山ブラックを現代的な解釈で独自にブレンドした「醤油だれ」と「スープ」をラーメンどんぶりで合わせる「郡山ネオブラック」の2種類があります。福島三大ラーメンの1つにも数えられており、近年では、郡山ブラック特集の全国放送や郡山ブラックカップ麺の商品化など、全国でも注目を集めています。伝統の漆黒のスープを守りながら進化し続ける郡山ブラックは、郡山の郷土料理として、世代を超えて受け継がれています。
郡山ブラック
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

こけらずし

こけらずしは、通常の押し寿司とは大きく違い、こけらずし独特の様々な特徴があります。土佐の人は「柚子酢」と書いて「ゆのす」と言い、高知県は温暖な気候なので、酢を好む傾向があり酢飯をゆずのみで作る文化がありますので、東洋町のこけらずしも柚子酢(ゆのす)が使われています。柚子酢を使った酢飯に焼鯖(サバ)のほぐし身を混ぜ込み、椎茸、人参、錦糸卵など沢山の具材を乗せて四角い木枠に柚子の酢飯と具材をどんどん何層にも重ねていく「押し寿司」で「投げても壊れんくらい」に固く仕上げた程良く固い食感も味も最高の押し寿司です。鯖から出る出汁が寿司飯の味に深みを与えてくれて、後味に、ほんのり焼鯖(サバ)の香りがします。更に出汁の効いた椎茸が柚子酢の酢飯と相性が良く、口に入れた瞬間に美味しさが口いっぱいに広がります。
高知県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

こさかまちかつらーめん

かつて日本有数の鉱山を有し栄えた町、秋田県小坂町。この町で大正初期から続く伝統行事小坂七夕祭は、鉱山従事者の技術を生かした山車の出来を競わせることを目的にしていました。山車製作中、飲食店での食事を楽しむ鉱山従事者が、作業終盤には急いで食事を済ますため、かつ丼の上具をラーメンに乗せたメニューを店側に提案し、裏メニューとして提供が始まったのが昭和45年頃。その後、町民に人気を博したかつらーめんは43年の時を経て、町のソウルフードとして、民間団体こさかまちかつらーめんBOO会に継承されました。地元ブランド豚を使用し、各店の解釈でアレンジされたかつらーめんと、二人羽織で早食いを競うイベントが話題を呼び、秋田県内での認知度は飛躍的に向上。“古くて新しい庶民の味”をテーマに進化を続ける、こさかまちかつらーめん。是非ご賞味あれ!
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

こしがや鴨ネギ鍋

地元特産である越谷ねぎと越谷市に宮内庁鴨場があることから「越谷ねぎ」と「鴨」を使用した料理「こしがや鴨ネギ鍋」が誕生しました。「鴨が葱を背負って来る」のことわざの意味は、鴨の肉に葱まで添えてあって、すぐ鴨鍋ができる意から、うまいことが重なり、ますます好都合であることのたとえ。だから、「こしがや鴨ネギ鍋」は縁起がいい!鍋なんです。~こしがや鴨ネギ鍋の特長と条件~元祖「こしがや鴨ネギ鍋」はしょう油ベースの鍋つゆに鴨つくねと具だくさんの野菜入り。越谷ねぎは煮込みの他に、焼いたものを最後にスライスした鴨肉と一緒にトッピングするのが特長です。 「こしがや鴨ネギ鍋」は、1.しょう油ベース、2.店主厳選の安全安心の鴨(合鴨)肉使用、3.越谷ねぎは煮込みと焼きのダブル使いの3条件のみ。その他のかくし味やアイディアは各店舗におまかせとなっていますが、元祖も各店も、煮ても焼いても甘い越谷ねぎの特長を活かしたお鍋となっています。
こしがや鴨ネギ鍋
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

御幣餅(五平餅)

昔から、祭り街道として栄える芸能の里 阿南町では、南信州の隠れ味と言われる幣束の形を模した御幣餅があります。この御幣餅は、他とは異なるその形から「神様へ捧げるご馳走」として始まったものだと言われ、この地域に受け継がれてきました。伝え聞くところでは、江戸時代の頃には、すでに幣束を模した御幣餅が捧げられていたそうです。道の駅信州新野千石平では、この地域で昔から受け継がれてきた、幣束を模した御幣餅を製造販売しています。この地域の味を是非、味わってみてください。
長野県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和5年度認定

桜鍋を中心とする馬肉食文化

桜鍋は浅草の文化や産業を語るうえで外すことのできないソウルフードです。明治初期の料理人が、地元の農耕馬や荷馬の肉を使用し、味噌ダレと割下の両方で味付けしたことで生まれ、深さ2cm程度の浅い鍋で食します。それが浅草ならではの食べ方となり、文化人や芸能人に愛されながら今日まで郷土料理として育まれてきました。最盛期に比べ店舗数が激減し桜鍋を食べる文化の継承も危ぶまれますが、最近では全国から幅広い層がこの味を求めてこの地に訪れ、さらには外国人が挑戦する姿も見られます。世代を超えて受け継がれ、地域産業とも密接に関係するこの郷土料理は、サステナブルの視点に立っても受け継がれるべきなのです。
桜鍋を中心とする馬肉食文化
東京都
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

薩摩焼酎

江戸時代、薩摩に天の恵みとして伝来したサツマイモ。焼酎の原料としてもサツマイモが使われるようになりますが、痛みやすく酒造原料としては厄介なものでした。軍需物資としてのアルコールを得るために芋焼酎の量産を命じた島津斉彬は、飲みやすい芋焼酎の研究も指示しています。その答えは、明治時代に生みだされた二次仕込法でした。まず米麹だけを発酵させ、酵母が増殖した後、蒸したサツマイモを加えると大量に増殖した酵母がサツマイモの糖分を一気にアルコールに代え、発酵終了後蒸留するという製法です。これに沖縄の泡盛の黒麹菌が加わり、さらに安全な発酵ができるようになりました。サツマイモという原料の厄介さと南国の温暖な気候を克服した薩摩焼酎は、平成17年12月22日地理的表示基準の産地指定の認可を受けました。薩摩焼酎は鹿児島県内のさつまいも、水を原料として、県内において、単式蒸留機で蒸留し容器詰めされた本格焼酎です。
薩摩焼酎
鹿児島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

塩川鳥モツ

鳥モツというと、鶏のキンカンや玉ひもなどの煮込みを想像すると思いますが、塩川鳥モツは、モツはモツでも、「鳥皮」を煮込んだ料理です。塩川鳥モツの歴史は、昭和初期に養鶏業が盛んになったことをきっかけとして、金銭的に商売にならなかった部位の「鳥皮」を家庭で煮込んで食したことがルーツと言われている地元で愛される郷土食です。地元の食堂では、わざわざ「鳥モツ」といわなくても、モツ煮といえば、鳥皮の煮込みが出てくるほどの人気と知名度を誇り、その味わいは、噛めば噛むほどにうまさがあふれ出し、ごはんのおかずにも、お酒の肴にも、老若男女どなたにも楽しんでいただける料理です。現在、提供されている「塩川鳥モツ」は、各店舗の熟練の料理人がそれぞれ独自の調理方法と味付けで提供しており、バリエーションに富んでいることから、食べ歩きもおススメです。各店舗の自慢の味を「缶詰」にしたお土産品も好評を得ています。
塩川鳥モツ
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

島原手延そうめん

約400年の歴史を誇る長崎県 南島原市を代表する特産品の「島原手延そうめん」は、諸説ありますが、島原・天草一揆の後、幕府の移民政策により小豆島から移り住んだ方により、そうめんの作り方が伝えられた、又は中国の僧により長崎に唐寺が建築された際に仏事や一般の食生活として伝えられたとも言われています。厳選した小麦粉と雲仙山系の伏流水を使用し、伝統的な手延製法でつくられる「島原手延そうめん」は、麺にヨリと呼ばれる捻りを加えながら徐々に細く延ばし、熟成と呼ばれる麺を寝かせる工程を重ねることで、細い麺ながら強いコシと滑らかな食感を生み出しています。コシが強く煮崩れしにくいことから、一般的な冷たいつゆでの食べ方以外にも、温める、炒めるなどのほか、和風、洋風、中華など様々な調理方法により美味しく食べることができます。南島原市では、そうめんをみそ汁の具材や煮物と一緒に煮込んだりして食べられています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

白峰堅豆腐

奈良時代に日本に伝わったという説のある豆腐。元来堅く、江戸時代頃から柔らかい豆腐が全国に普及したといわれています。そんな中、古来の豆腐作りが残った白峰では、現在でも「豆腐」は堅豆腐で、一般的な豆腐は「やこ豆腐」(柔らかい豆腐)と呼ばれ区別される程、日常的に食卓に上ります。一般的な豆腐の約4倍の大豆が使われ、水分の少ない堅豆腐は、紙で包んだり、縄で縛ったりして持ち運べ保存もきくため、奥山で「出作り」を営み暮らす人々も里で買い求め、山へ持ち帰って食していました。特徴的な食べ方は「刺身」で、地元産わさびやにんにく味噌などを添えていただきます。近年では菜食に適した食材としても重宝され、カツやハンバーグ、カレーの食材にと、工夫を凝らした料理を地域食堂にて提供。雪深い山麓で守られてきた、日本の伝統的な食文化が表現されながらも、菜食などの新しい食のスタイルにも寄り添える、懐の深さが堅豆腐にはあります。
石川県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定
有識者特別賞

白石温麺

宮城県白石市の郷土料理「白石温麺(うーめん)」は、今から約400年ほど前の江戸時代に、白石城の城主・片倉小十郎が名付けたと言われています。通常の手延べそうめんは、麺と麺がくっつくことや乾燥を防ぐために油を塗っていますが、白石温麺は油を使わない製法が特徴です。また麺の長さが約9センチと短く、小さなお子さんやお年寄りも食べやすく作られています。市内には約15軒の白石温麺を提供する店舗と5軒の製麺所があり、400年経った今も市民から愛されるソウルフードとして親しまれています。伝統的な製法の乾麺・生麺は勿論、市内外にも広く召し上がって頂くために、カップ麺タイプやオリジナルのたれを開発するなど、常に進化を続けており、これからも親しまれる郷土料理として文化を守り続けています。
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

桑都・八王子のふるさと料理〜桑都焼き・かてめし~

かつて養蚕が盛んであった桑都・八王子には里山や畑で収穫される地場食材をふんだんに使用した、地域の歴史文化にも触れられる、ふるさとで生まれた料理があります。例えば、古くから伝わる「かてめし」や地域ゆかりの桑の葉を使用した「桑都焼き」などです。桑の葉は、亜鉛、鉄、カルシウムなどのミネラル、食物繊維を多く含んだ八王子の特産品です。八王子の学校給食では、子どもたちに歴史文化や伝統、郷土の魅力を伝えながら地域への愛着を育むことを目標に、「ふるさと料理」を世代を超えて栄養士が受け継ぎ、生産者の協力により提供してきました。「日本遺産」の認定を機に家庭へ配布したふるさと料理のレシピは市民にも親しまれ、飲食店などでも提供されています。学校給食がふるさとの食文化を絶やさず受け継ぎ、家庭や地域にも伝えながら、この先も「桑都・八王子の誇れる文化」を未来へ紡いでいきます。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

高田梅漬け

高田梅漬けは日本一大きな実を付けると言われる高田梅を加工したものです。高田梅の歴史は古く室町時代中期に豊後(現大分県)の長阿弥と言う僧が会津美里町の地質の良さを知り、郷里の豊後より梅の苗と種を持ち込み栽培し始めたのが始まりとされています。高田梅の特徴である皮が薄く果肉が厚い上、食感も良いことから各家庭で常備食・保存食として塩で漬け始めたのが高田梅漬けです。時代の流れと共に砂糖類を加えた甘漬けも作られる様になり、その後創意工夫を重ね現在のカリッとした食感になりました。高田梅漬けは高田梅(青梅)・塩・氷砂糖・赤紫蘇のみを使用したシンプルで昔ながらの加工法で全て手作業で加工しております(加工者により酢・焼酎を使用する所も有ります)味は梅の酸味、赤紫蘇の鮮やかな色と香り、程よい甘味・塩味は懐かしくホッとする味です。甘漬けはスイーツに、塩漬けは刻んでおにぎりの具等アレンジも多様です。
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

高津川の鮎料理~鮎だし雑煮、塩焼き、せごし、鮎飯、うるか、うるか茄子~

流域にダムが一つもない唯一の一級河川であり、「最も水質が良好な河川」に何度も選ばれた高津川の流域では、その清らかな流れの中で育った鮎が特産品となっており、たくさんの料理法が編み出されてきました。素材の良さをそのまま味わう「塩焼き」や「せごし」、鮎を炊き込んだ「鮎飯」、各種の「うるか」、うるかで茄子を煮る「うるか茄子」、焼き干した鮎でだしをとる「鮎雑煮」など、鮎の美味しさを様々な形で楽しめます。特に「鮎だし雑煮」はこの地域独特の料理であり、流域内でも食べる地域は限られ、家庭ごとの味があります。歴史的には戦国時代の永禄11年(1568)に益田の領主益田氏が戦国大名の毛利元就に振舞った料理の記録に鮎とうるかが見えます。この料理を再現する取り組みや現代風にアレンジしたお弁当の提供も行われており、その際には鮎が使われています。歴史を共に地域の食を味わうことができます。
島根県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

筑前朝倉蒸し雑煮

お雑煮といえば日本人なら誰もが知っていますが、お雑煮研究家も驚く全国でも珍しい蒸すタイプのお雑煮、それが「筑前朝倉蒸し雑煮」です。これまでは、朝倉地域の家庭のみで味わえるお正月の味として継承されてきたお雑煮ですが、「朝倉に来たらこれを食べてほしい」を合言葉に、あさくら地域の地元のお店で提供されるようになり、お正月だけでなく、誰もが年間通じて味わうことができる朝倉を代表するご当地グルメ・郷土食となっています。旅館や飲食店それぞれの店舗において工夫を凝らした筑前朝倉蒸し雑煮が提供されています。食事の美味しさはもちろんですが、ご自身のお雑煮の話など会話も弾み、その方のルーツを垣間見ることもできる素敵な郷土食です。現在は、レトルト商品やチルド商品も販売されており、朝倉地域の観光のお土産としても重宝されています。
福岡県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

津ぎょうざ

津ぎょうざは1985年頃、学校給食から生まれた大きな揚げ餃子です。小中学校の児童生徒の一番人気のある給食のメニューで、定義は①直径15センチの皮で包むこと、②油で揚げることの2点です。これまでにたくさんの子どもたちが津ぎょうざを食べ、津市の小中学校を卒業し成長しています。また津市内には約30店舗の飲食店等で津ぎょうざが提供されており、それぞれお店の特徴を生かした津ぎょうざが提供されている他、松阪牛、ずいきといった地域の特産物を使ったメニューもあります。また、津ぎょうざを通じて津を盛り上げようとしているボランティア団体「津ぎょうざ小学校」が組織され、その活動として、B-1グランプリ等市内外のイベントに参加し、津ぎょうざを通じて「津市」をPRするまちおこし活動や、親子料理教室の開催による「食育」活動、小学校での津ぎょうざ提供日に訪問して津ぎょうざや自分たちのまちである津市のことを勉強する「郷育」活動などを行っています。津市へお越しいただき、給食から生まれた津ぎょうざの味を堪能してください。
三重県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和5年度認定

冷たい肉そば

「冷たい肉そば」は、親鶏ダシで醤油味の、冷たい汁そばです。肉といっても、豚でも牛でもなく、鶏肉(親鳥)を使っています。コクのあるダシに負けないようなコシの強い田舎蕎麦が特徴。そばの上には、コリコリとした食感がくせになる親鳥と小口切りのねぎがのるシンプルかつ奥深いそばです。そのルーツは戦前までさかのぼります。当時、河北町で、ちょっと一杯といったら「そば屋」。お客さんがある日、残った馬肉の煮込みをそばにかけて食べてみたところ思いのほか美味しく、馴染みのお客さんたちから注文されるように。つまり、今で言う「人気の裏メニュー」。この料理は、お客さんのリクエストから生まれた料理なのです。その後、馬肉がどこの家でも飼っていた鶏に代わりました。素朴でありながら一度食べるとまた食べたくなる・・・長い間地元の人々に愛され続けてきた故郷の味です。
冷たい肉そば
山形県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定
有識者特別賞

ティビチ料理

琉球王国時代、中国の使者を迎えるための宮廷料理に、庶民には高級品であった豚肉が使われ、豚足を使ったティビチ料理も出されていました。その後、太平洋戦争により壊滅した沖縄は、人々の命とともに食文化も危ぶまれました。この状況を知ったハワイへ移民したウチナーンチュが、大量の豚と海を越え、1948年9月27日、現在のうるま市の米軍港に到着しました。その後、豚は繁殖し伝統料理のティビチ料理も守られました。うるま市は、9月27日を「海から豚がやってきた記念日」に制定し、食文化と歴史を継承しています。ティビチの煮付けは、ティビチをゆでこぼしアクを取り、その後、しょうゆ、塩、鰹だしで煮込み味を染みこませて完成です。ぷるぷるのコラーゲンは絶品で、タンパク質は健康長寿の源です。戦後のうるま市では、ティビチを入れた沖縄おでんやティビチそばが発祥し、今でも昔ながらの定食やおでん屋で様々なティビチ料理を味わえます。
ティビチ料理
沖縄県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定
有識者特別賞

土佐宗田節

太平洋に突き出た四国最南端の町、土佐清水の特産品である土佐宗田節はこれまでプロの料理人に愛されてきました。足摺沖の漁場では原料となるソウダガツオ(メヂカ)が沢山取れる為、製造量は日本一です。この宗田節は一匹一匹手間を惜しまず作られ、濃厚なコクと香りのあるだしが取れ、蕎麦やうどんつゆには欠かせません。またタウリンやカルシウム、鉄分も豊富に含まれています。特に冬場に水揚げされるソウダガツオは寒メジカと呼ばれ風味と香り豊かなだしが出る最高級品として、高く評価されています。この宗田節ができるまでには実に10日間を要し、カビ付きを施す枯節は更に6か月間熟成させ出来上がります。また原料であるソウダガツオは曳縄漁法で、丁寧に竿を使って釣り上げられており、傷がつきにくく上質な土佐宗田節作りの原点となっています。職人たちはみな「よい節づくり」だけを目指し今日もソウダガツオと向き合い続けています。
高知県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

十和田バラ焼き

「十和田バラ焼き」は、牛のバラ肉と大量のタマネギを甘辛い醤油ベースのタレを絡ませながら鉄板の上で炒め、タマネギがあめ色になるまで焼き締めた料理です。バラ焼きは、戦後間もない頃の三沢市で誕生し、その後同じ文化圏である十和田市に伝わりました。もともと馬肉が流通していた十和田市において、牛のバラ肉は全く違和感のないものでした。また、戦前から十和田市内ではめん羊の飼育が大規模に行われていたことから、家庭で羊肉に下味を付けて鉄板で焼いて食べており、バラ焼きが流行する土壌があった十和田市において、バラ焼きはあっという間に広まります。牛のバラ肉と大量のタマネギを炒めるのが昔からのスタイルですが、現在では、タマネギのほか、ピーマンが入っていたり、ニンジン、キャベツ、モヤシ、シメジが入っているお店もあります。
青森県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

菜豆腐

宮崎県の山間に位置する椎葉村は、遠い昔、壇ノ浦の戦いに破れた平家の武者たちが隠れ住んだほど静かな所で、山々に囲まれた自然豊かな村です。椎葉村では「菜豆腐」は、お祭りや冠婚葬祭など、人が集まる時に家庭で作られていた椎葉の郷土料理です。豆乳に刻んだ野菜などを入れて固めた豆腐で、水をしっかりしぼるため固めであること、1丁が通常の豆腐の2丁分にあたるほど大きいことも特徴です。大豆が貴重だった時代、少しでも大きな豆腐にするために、野菜などを入れて量増ししたと言われています。昔からよく使われていたのは「平家カブ」の葉。春先には菜の花の黄色い花やつぼみを入れたり、5月には紫色の藤の花を入れたり…春の菜豆腐の彩りは特に美しいです。その他、大根、人参、ユズ、最近ではパブリカなど、現在では様々な素材も入れられています。素朴な菜豆腐の味わいは、椎葉村そのものを表しているようです。
菜豆腐
宮崎県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

西馬音内(にしもない)そば

秋田県羽後町は日本三大盆踊りの一つと言われ、ユネスコ無形文化遺産に登録された風流踊りの一つ西馬音内盆踊りの地であります。先人たちの生活の営みの中から生まれた、多くの古い文化を大切に育んでいる地域でもあります。米作地域のこの地に、200年以上前の江戸時代後半そば屋が創業されました。初代弥助が大坂で修業をし、試行錯誤を重ね繋ぎの一つとして海藻である布海苔を使い、冷たい汁で食べる冷がけそばは、地域はもちろん、物資の集積地と言われたこの地を訪れた人々をも魅了しました。布海苔を使う技法は縁者たちによって広められ、新たなそば屋として現代まで受け継がれております。内陸地にありながら、海藻である布海苔を使うことや西馬音内そばの特徴である冷たい汁で食べる冷がけそばの技法は歴史のロマンとして、現代まで受け継がれてきており、毎年秋に開催されている「西馬音内そばまつり」でおいしさの情報発信が図られています。
秋田県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

美酒鍋

酒都西条の名物料理「美酒鍋(びしゅなべ)」。東広島市西条の杜氏が、酒造りの合間の空腹を満たすために考案したまかない料理が発祥と言われています。現在では東広島市の名物料理として時季を問わず食され、毎年10月に開催される「酒まつり」でも振る舞われます。豚肉、鶏肉、野菜類を日本酒と塩・こしょうだけで調理するのが特徴。利き酒に影響のないようにとシンプルな味付けで、素材本来の旨味が引き出されています。アルコール分は抜けているのでお酒が苦手な方やお子さまも美味しく食べられます。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

備中鴨方手延べ麺

備中鴨方の手延べ麺は、江戸時代から受け継がれてきた伝統製法を守り作られています。刃物を使わず、熟成と延ばしを繰り返しながら作られることで、なめらかで強いコシを持った麺が生まれます。鴨方の手延べ麺は、口に入れた瞬間ツルツルと喉に吸い込まれる、喉ごし抜群の麺です。夏は冷たいざるや素麺で、冬は釜揚げやにゅうめんで、1年を通じてお召し上がりいただけます。また、地元では、製造過程でできる「ばち」も食卓に欠かせない郷土食材です。「ばち」とは麺の切れ端のこと。塩味の効いたばちをそのまま入れた汁物は、日常的に食べられてきた郷土料理です。手延べ素麺から手延べうどんが生まれ、ばちも活用する、約200年の歴史の中で、地元民の智恵や工夫、食べ物を大切にする心が手延べ麺を進化させ、手延べ麺の文化を根づかせてきました。この伝統を是非次世代にも残していきたいと考えています。
備中鴨方手延べ麺
岡山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

日向市細島の特徴的な魚食文化

漁師と商人が共存し、それぞれ独自の食文化を形成してきた日向市細島。代表的な漁師料理として、「こなます」と「ごんぐりのかき揚げ」があります。「こなます」は、ごはんとカツオの刺身を混ぜてこね、丸く成形した後に炭火で焼いたものです。船上でごはんが冷めても美味しく食べられるように作り始めたとされます。「ごんぐりのかき揚げ」は、ごんぐり(まぐろの胃袋)を下茹でしたものを、かき揚げにしていただきます。他地域では甘辛く煮ていたものを独自に発展させた料理です。一方の商人町では、交易で見聞きした文化をもとに、「味噌なます」や「干しフカ」に代表される独自の食文化が創られました。「味噌なます」は、甘鯛を使った冷や汁で、青魚を使用する一般的な冷や汁と比較し、油の少ない上品な味わいとなります。また、「干しフカ」は棒鱈にヒントを得たとされる。鱈が獲れない細島ではフカを使い、臭みを消すために橙に漬けるという独自の調理法が生まれました。
宮崎県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

ひる貝カレー

北海道・余市町は古くから鰊の好漁場として栄えていました。明治12年には日本で初めて民間栽培でリンゴが結実し、それ以降、果樹栽培も盛んになった農業と漁業のまちです。そんな余市町では昔から沿岸で良く獲れるひる貝(和名:イガイ)をカレーに入れて食べていました。昔は「肉は高いから代わりにひる貝を入れて食べた」と言われていたようですが、実際にひる貝の出汁の味は他の貝に比べても強く、カレールーに負けない印象的なうま味を残すのでとても美味しいシーフードカレーとして食べられるようになりました。そのようにして、ひる貝カレーは単なる肉の代用品ではなく、ひる貝自体を楽しむ家庭の味として愛され続け現在に至っています。余市町の各家庭で楽しまれているご当地の味を多くの皆様にお届けできるようにレトルトカレーも商品化されています。
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

豚丼

豚と十勝の歴史は深く明治時代にまで遡り、十勝開拓の祖と呼ばれる依田勉三率いる「晩成社」が、4頭の豚を率いてオベリベリ(現在の十勝・帯広)へ入植し、「牛は牛乳、馬は馬力、豚は食料」と言い十勝で初めて豚を飼育したことから、豚を食す土地柄のきっかけになったと言われています。その後の1930年代頃、カフェに勤めていた若きコックで、後に元祖豚丼の店「ぱんちょう」を創業する故・阿部秀司さんが戦争と不景気の中、庶民でも食べることができる味を目指し、日本人が好きな甘辛い「鰻丼」をヒントに、しょうゆをベースにした「元祖豚丼」の味を生みだしました。その後、豚丼は帯広の飲食店で普及していき、今では地域住民だけでなく観光客からも愛される「十勝・帯広名物」にまで育てられました。〈引用文献:とことん豚丼 十勝で豚丼を食べるための最強フリーマガジン(出版社:十勝毎日新聞社)〉
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

鮒甘露煮

関東平野のほぼ中央に位置する古河市は、利根川と渡良瀬川が交わり、渡良瀬遊水池に隣接する水郷として古来より交通の要衝であるとともに、周辺に散在する川沼の恵みにより、多種多様な川魚が生息していました。江戸時代には、日光街道の宿場町として栄えており、この地域で捕れた鮒を焼き魚としていたものが煮つけとなり旅人をもてなしたのが「鮒の甘露煮」の始まりと伝えられています。古河市の鮒甘露煮は、一度素焼きにしてから煮詰める伝統的で特徴的なもので、骨までやわらかく、お子様からご年配の方まで余すところなく食べることができます。尾頭付きは縁起物とされ、正月にはおせち料理の一品としても地元で愛されてきました。製造者が組織する古河鮒甘露煮組合による「鮒の甘露煮」は、古河ブランドとして市の認定も受けています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

戸次のほうちょう

「ほうちょう(鮑腸)」は、江戸時代の古文書にもみられる大分市の中戸次に伝わる郷土料理です。かつては大分市内だけでなく周辺地域でも、お盆やお祭りで客をもてなす料理として作られてきました。手間がかかるうえに、適度な柔らかさにした生地を長くのばす熟練した技が必要になることから、家庭では次第に作られなくなりました。指先でもむように麺をひねりながら両手いっぱいにのばしていき、一本の長さは3m近くになります。茹で上げた麺を丼に盛り、つけ汁に麺をくぐらせて食する姿は古来の食べ方が今に伝わるものです。出汁は干椎茸、昆布、煎子、鰹節を用いて風味豊かにとり、薄口醤油でつけ汁に仕上げます。薬味に胡麻など、生姜、小ネギ、カボスを添え、麺をすすると、饂飩とは異なる舌触りやコシのある食感、こだわりの醤油とカボスの香りが口に広がります。今ではイベント等でしか食べられない、地元で愛される郷土の味です。
戸次のほうちょう
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和5年度認定

味噌煮込みうどん

味噌煮込みうどんの発祥は、戦国時代に武田信玄が食べていた『ほうとう』が徳川に伝わり、愛知の味噌を使うようになり味噌煮込みになったという説や一宮が発祥だという説など諸説あり定かではありません。しかし、味噌煮込みうどんは間違いなく江戸末期より愛知で味噌煮込みが存在し、今なお愛され食べ続けられている愛知の食文化です。尾張地方で煮込みといえば『味噌煮込み』のこと。尾張地方では「熱さ」が美味さの代名詞とも言われています。その熱さを堪能できるのが味噌煮込みうどんです。シコシコ麺と濃厚な八丁味噌のコラボレーションは食べるほどにハマります。
味噌煮込みうどん
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

南房総地域のアジ文化 ~なめろう、サンガ焼き、たたき、お刺身~

南房総のアジはサステナブルです。南房総の人々は、昔からアジを無駄なくおいしく活用する知恵を絞って生きてきました。アジは足が早いと言われる青背魚です。新鮮なものはお刺身やたたき、続いて調味料や薬味と合わせてなめろう、その後はサンガ焼やフライなど、食材の状態に合わせた調理で、最後までおいしくいただく文化が根付いています。なめろうは新鮮なアジの身に味噌や生姜、ネギなどを加えて包丁で細かくたたいて混ぜ合わせたものです。元々は漁師が釣りあげた獲れたての魚を揺れる船の上でも食べやすいよう調理したものがはじまりと言われています。このなめろうを余ったアワビの殻に詰めて焼き、日持ちするように加工したのがサンガ焼です。この文化を次世代につなぐため、「南房総うまアジ」と銘打って、地域一丸となった新たなご当地グルメの開発も進んでいます。
千葉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和5年度認定

やたら

「やたら」は、長野県北部の北信地方で食べられている旬の夏野菜と風味豊かな味噌漬けを細かく刻んで混ぜあわせた総菜料理です。語源は「やたらとたくさんの野菜を使うから」とか、「やたらに刻むから」などと言われています。材料はなす、きゅうり、みょうが、青唐辛子などの夏野菜が基本で、大根の味噌漬けが調味料を兼ねます。すべての材料を細かくみじんに刻み、ご飯にのせて食べると暑くて食欲がない夏でも食が進みます。またそうめんや冷や奴の薬味としても相性は最適です。江戸時代から食されてきたといわれ、現在は野菜の種類や調味料をアレンジしたものも広く「やたら」の呼称で親しまれています。普段は一般家庭で作り食べられている「やたら」ですが、飯綱町では例年8月に町内の飲食店15店舗ほどが参加して「信州・飯綱町やたら祭り」が開催され、定番のものや和・洋・中に工夫した多彩な「やたら」の食べ比べが人気を集めています。
長野県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

朝倉山椒を用いた食文化

江戸時代から400年地元農家が大切に守り続けてきた兵庫県但馬地方の名産。養父市八鹿町(ようかちょう)朝倉地区が原産地である朝倉山椒は香り高く、大粒でまろやかな味 と爽やかな香りが特長です。木にトゲがなく、鮮やかなグリーンが特長です。収穫は5月下旬~6月上旬になり、収穫の期間は約1週間と短く、山椒を傷つけないように手摘みでの作業となります。収穫後も手作業でゴミ等を慎重に取り除いて選別をして水洗いします。その後、熱湯で加熱処理を行い、素早く水切りをして冷凍庫などに保管します。朝倉山椒の果実は柔らかく、加工に適しています。醤油、味醂、酒などの調味料を沸騰させ山椒を入れて弱火で汁気がなくなるまで炊いた山椒の佃煮は但馬地方での代表的な食べ方になりました。養父市内では朝倉山椒の特色を生かした創作料理を食べることができます。また、朝倉山椒を使った商品開発も盛んになり、様々な商品が生み出されています。
兵庫県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

阿蘇たかな漬

阿蘇高菜は、熊本県阿蘇地方でしか採れない、阿蘇を代表する農産物です。寒暖の差が大きい気候や火山灰由来の土壌など、阿蘇特有の風土に育まれた阿蘇高菜は、茎が細くて歯ごたえがあるのが特徴です。阿蘇高菜は、3月中旬~下旬にかけてのわずかな期間に“塔立ち”した、細い茎の部分を中心に使います。しかも、機械を使わず、1本1本丁寧に手で折りながら収穫されるので、阿蘇地方では高菜の収穫作業のことを “高菜折り” と呼びます。阿蘇たかな漬には、少なめの塩分で浅漬けした緑鮮やかな「新漬け」と、多めの塩分でじっくり漬け込み発酵したベッコウ色の「古漬け」があります。どちらも、一年を通じて阿蘇の食卓になくてはならない一品です。
熊本県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

厚木のとん漬

江戸時代末期ごろ、ある時荻野山中藩(厚木市近辺)で人寄せがあり、大勢の客人が集まり、料理が不足。しかし当時の武士たちは豚や猪などの四つ足の肉を食べることを嫌っていました。そこで何の肉かわからないように、猪肉にみそを塗り焼いて出したところ美味しいと評判になったのがとん漬の始まりと言われています。その後、黒船が来航し、横浜居留地の外国人のために豚を持ち込んだことから、神奈川県で養豚が盛んに行われるようになり、中でも厚木市は300軒の養豚場が軒を連ね、豚肉店の展開とともに、厚木市でのとん漬の普及が進み、現在は厚木の名産として知られるようになりました。とん漬は選りすぐりの上質な豚肉を各店舗自慢の特製みそを一枚一枚丁寧に塗り重ね、じっくりと漬け込んだ逸品。特製みそを丁寧に塗り重ねることで生まれる伝統の味は、思わずご飯が欲しくなる味。家庭の食卓だけでなく、お土産や贈答品として喜ばれる厚木の名産品です。
厚木のとん漬
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

出石皿そば

受け継がれる伝統の技法と「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の伝統の三たてでつくられる出石皿そば。素朴でコシがあり風味豊かな味わいのそばと多彩な薬味、各店のこだわりぬいたダシで美味しく召し上がっていただけます。その歴史は、1706年(宝永3年)信州上田の仙石家がお国替えにより出石に移封されたさい、そば打ち職人を同行したことから出石に定着し、以来300年間そば打ちの技法は改良されながら発展し受け継がれてきました。現在お店の数は40軒を超えています。出石皿そばは自然豊かなこの町の恵まれた水によって生まれます。出石焼の小皿に盛り付けた皿そばを何枚も食べる独特の様式も楽しんでいただけます。玉子、ねぎ、とろろ、大根おろし、わさびなどの多彩な薬味と、各店独自の工夫をこらしたダシでそれぞれの味を堪能できます。是非出石皿そばを、歴史ある出石の町を堪能しにいらしてください。
兵庫県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

伊勢いもとろろ

ある伊勢いも農家曰く「幼い頃、大晦日には毎年母が伊勢いもをすりおろして出し汁の冷めたのをすり鉢にいれて、とろろ汁を作り、それを麦飯とともに食べ、年の瀬を送ったものだ」。この地域の先人たちは、専ら米を中心とする雑穀と豆を中心とする発酵食とを組み合わせてきたが、中でも伊勢いもは、300年の歴史を有し、とろろ汁やおとし芋として食されてきた。新芋が大きくなる時、種芋の下で大きくなる性質があり、生まれながらにして親芋をいだいてくるということで孝行芋とも呼ばれ、結婚等祝いの献立には伊勢いもとろろで祝ったものだそうだ。昭和のはじめに書かれた本には「疫を癒し、腰痛を止め、五臓を充たし、煩熱を除き、陰を強くす」とあり、薬用としても食されていたことが読み取れる。 伊勢いもを次世代に引き継ぐべく、作り手を育成する「伊勢いもプロジェクト」に取り組み、これまでに10名を超えるの農家が誕生した。「伊勢いも」の挑戦は続く。
三重県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

牛久ワイン

牛久では実業家の神谷傳兵衛が、1903(明治36)年にフランス・ボルドー地方の最新技術を採用し、ブドウの栽培からワインの醸造・瓶詰めまでを一貫して行なう日本初の本格的ワイン醸造場、牛久シャトー(国指定重要文化財)を開設しました。120年以上前の日本ワイン黎明期に牛久シャトーで醸造された「牛久葡萄酒」はフランスに留学し技術や知識、最新の機械を持ち帰った養子・神谷傳蔵の技術指導により、チュイルク博覧会金賞牌受賞や東京勧業博覧会1等金賞牌受賞など国内外で高く評価され、数々の名誉ある賞を受賞しました。戦後、牛久ワインの醸造量は減少しましたが、2020年には「日本ワイン140年史~国産ブドウで醸造する和文化の結晶~」というストーリーで山梨県甲州市とともに文化庁より日本遺産にも認定されました。現在、牛久シャトー以外のワイナリーでも、ワイン醸造やワイン用ブドウのブドウ生産が始まっています。  ※牛久産のブドウを85%以上使用し、かつ牛久内で醸造されているワインのみを100年フードとして認定しています。
牛久ワイン
茨城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

うにの貝焼

江戸時代、磐城産雲丹は将軍家献上品として取り扱われていました。日持ちさせるために塩漬けにした「塩漬け雲丹」として献上されていたという事です。 現在の「うにの貝焼」と言う形になったのは藩政末期と言われています。 いわき市では海女(女性)ではなく海士(男性)が潜水し、雲丹を漁獲します。波や潮の状況により、当日の朝に出漁を判断し、漁獲された雲丹はその日のうちに各家庭にある作業場で「うにの貝焼」に加工され出荷されていました。全て手作業であり、ホッキ貝の殻に綺麗に盛り付けるには熟練の技が必要となります。また、調味料や保存料等は一切使わずに加工されているため、雲丹の旨味がギュッと濃縮された極上の逸品に仕上がっています。
うにの貝焼
福島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

美味だれ焼き鳥

日本が高度経済成長期だった昭和30年代、上田市の産業も大きく発展し、まちは働く人の活気であふれていました。そんな時代に、とある店主が考案したのが「ニンニクベースの醤油だれ」をかけて食べる焼き鳥でした。この食べ方は、半世紀を超え、当たり前のものとして地元の味で楽しまれてきましたが、2010年に市民有志によって「美味(おい)だれ焼き鳥」と名づけられました。このたれは、創業当時から継ぎ足しているお店や、信州名物のリンゴなどをすりおろしてまろやかに仕上げているお店など、各店それぞれにこだわりの味となっています。また、「美味だれ」に使われている“たっぷりのニンニク”には、抗菌作用や疲労回復などの効果があります。半世紀に渡って市民に親しまれ、有志によって名付けられ新しい歴史が始まった、「美味だれ焼き鳥」は、今では地元の人だけでなく、上田市を訪れる多くの人々に親しまれる、ソウルフードです。
長野県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

相知(おうち)高菜漬

全国唯一の在来品種の相知高菜は、古来より名峰作礼山の山麓の相知町楠地区で栽培されてきました。明治になり、唐津炭田である相知町には炭鉱労働者などで人口が増加していき、相知高菜漬は手間のかからないごはんのおかずとして需要が伸びました。大正9年には、相知町で最初の高菜漬け製造販売の広瀬仙吉商店が開業し、相知高菜漬は県内外へと広まりました。しかし、相知高菜と比べ収穫量に勝る三池高菜などの新品種が現れ、昭和40年代には相知高菜から三池高菜へと移行しました。相知高菜漬はまぼろしの高菜漬となっていましたが、伝統ある相知高菜漬の復活が期待される中で、相知高菜の種子が奇跡的に相知町楠で見つかり、その種子で試験栽培を行い、関係者の努力により平成21年に相知高菜漬が見事に復活しました。相知高菜漬は他の高菜漬と比べ柔らかな食感と甘酸っぱさが際立っていますので、ごはんのおかずや油炒めなどおいしくいただけます。
佐賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

黄飯(おうはん)

黄飯(おうはん)は、くちなしの実を水に浸し、その黄色に染まった水で炊いたご飯です。「かやく」と呼ばれる白身魚や野菜、豆腐などを炒め、煮こんだ「けんちん汁」のようなものと一対でいただきます。 黄色く炊いたご飯は、江戸時代の質素倹約な生活の中、贅沢な赤飯の代わりの祝いの飯として作られたのが起源と言われています。また、戦国時代に到来した南蛮文化の名残を留めた欧州由来のパエリアを模したとも言われています。 臼杵市内の家庭の庭先にはクチナシの木が植えられているところも多く、かつては祝い事の際や年末になると、そのクチナシを使い、黄飯を作っていました。現在は、学校給食や市内飲食店で提供され、老若男女から愛される、次世代に大切に継承していきたい臼杵が誇る郷土料理です。
黄飯(おうはん)
大分県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

近江日野の伝統料理~鯛そうめん、肉めし、日野菜漬け ~

滋賀県蒲生郡日野町は、近江日野商人のふるさと、800年以上続く湖東地域最大の祭「日野祭」や奇祭「芋競べ祭り」など今も町内各地域で昔ながらの伝統や文化、風習が残る町です。日野祭の際にもてなし料理としてふるまわれたという「鯛そうめん」や「ぶりぬた」、葬式を家庭でおこなっていた頃に作られていた「丁子麩のからし和え」「白和え」「ごま豆腐」「焼き豆腐」、原産地である「日野菜」の漬物、農村地域で広く食べられていた「さつまいものちょく」、地域の行事で食べられていた「肉めし」や「茗荷ずし」「山味噌」など各地域や家庭で食べ継がれてきた料理があります。私たち自身が食べてきた料理だけでなく、町内各地域への聞き取り調査によるメニューの発掘、イベントや料理教室などでその料理を子供から大人まで様々な世代に伝える活動をしています。
近江日野の伝統料理~鯛そうめん、肉めし、日野菜漬け ~
滋賀県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

大歳のごっつお

美濃加茂市では12月31日を“大歳(オオトシ)”と呼び、大晦日には“大歳のごっつお”(大歳のごちそう)が、必ず食卓にあがりました。大きな鍋に切った大根、ごぼう、にんじん、こんにゃく、里芋を順に入れ、上に煮干しをのせ水を注ぎ煮ます。堅い野菜に火が通ったらしょうゆで味付けし、豆腐、油揚げ、糸昆布をのせ、弱火でじっくり煮ます。大晦日はこの煮物とお頭つきの魚としてメザシ(鰯の干したもの)がつきました。山に囲まれた岐阜県では、畑で野菜は採れますが、新鮮な魚は手に入らず、海の幸は定期的にやってくる行商人から買うのが普通だった時代があります。当時、メザシもたいそうなごちそうでした。大鍋で煮た“大歳のごっつお”は正月三が日の間、何度も温め直して食べられ、忙しい主婦を助けました。今でも、正月の定番料理として食べる家庭も少なくありません。
岐阜県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

大山のきゃらぶき

大山名物の「きゃらぶき」は、修験者の保存食を起源とし、大山をはじめ関東周辺に自生する野ぶきの佃煮で、添加物は一切使用していない自然食です。 野ぶきを伽羅色になるまで丹精込めて醤油で炊くことから、「きゃらぶき」と呼ばれています。 早春にふきのとうが顔を出し、そのあと茎と葉が大きくなる野ぶきは、春の香味を食卓に届け、山麓で暮らす人々にとって身近な食材であり、各家庭で気軽に作られた季節の一品として江戸時代より地域の暮らしに溶け込んできました。 また、先導師旅館(宿坊)などで提供される「とうふ料理のお膳」や大山詣りの際の「弁当」に、昔から香の物等として必ずと言ってよいほど添えられる食品でもあります。 大山詣りの土産として広まったのは、明治の頃よりと言われています。 かながわの名産100選(全身のかながわ名産50選)の頃より地域の名物として選ばれてきました。
大山のきゃらぶき
神奈川県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

梶賀のあぶり

三重県南部の小さな漁師町・梶賀町に伝わる魚の燻製料理「梶賀のあぶり」。サバの幼魚など小魚に塩だけで味付けし、竹串に刺し、薪で熾した火の上で2時間ほど遠火でじっくり焼き上げ、薪火からの煙でほんのり燻製風味となります。燻し焼く間に無駄なあぶらは削ぎ落され、塩で引き立てられた魚の身の味と煙の香りが、口の中いっぱいにじゅわっと広がります。漁師が酒のつまみに愛し、女将さんがおかずに重宝し、子供がおやつに頬張る、100年以上もの間、梶賀町の家々で食べられてきた食文化です。その始まりを知るものは誰もおらず、高齢住民の「私のおばあちゃんが娘の時にも食べとったらしいわ」との思い出話から、明治初頭には根付いていたと推定されます。元和5年(1619年)の納税記録から、少なくとも江戸初期には地域で漁業を営んでいたことが分かり、食生活を豊かにしようという生活の知恵で生み出されてきた食文化であろうと推測します。
三重県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

加太の煮あい

「加太の煮合い」とは、真鯛の一本釣りで有名な和歌山市加太に伝わる古くからの郷土料理です。 江戸時代後期には食されていたとされ、新鮮なイワシ、アジ、ハマチに玉葱のみ加え、甘辛い煮汁で煮た料理です。元々は、漁師が舟上で獲った魚をたまり醤油と日本酒のみで煮て食べたことが始まりとされる典型的な漁師飯です。「魚すき」、「煮魚」とは違い、「炊き食い」という煮込まないうちに食べる料理で、魚は煮れば身がはじける鮮度の物を使用し、味付けは日本酒とたまり醤油のみ、野菜も玉葱のみ使用します。 現在は、時代を経て家庭料理として食されるようになったことで砂糖や味醂も入れるようになり、タマネギ以外の野菜や豆腐も入れるようになりました。 今でも加太では魚の煮付けと言えば醤油と日本酒のみで味付けがなされ、その名残を残しています。
加太の煮あい
和歌山県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

かつめし

かつめしは “洋皿に盛ったご飯の上にビーフカツをのせ、デミグラスソース系のタレをかけ、茹でキャベツを添えてお箸で食べる” 加古川市のご当地グルメです。 かつめしのルーツは、昭和20年代の戦後間もない頃、「お箸で気軽に食べることができる洋食」として加古川駅前の食堂で考案されたと言われています。以降も長く愛され続けており、今では加古川市とその周辺地域の100店舗以上のお店で食べることができます。 スーパーでは専用のタレが販売され、家庭でも親しまれているほか、学校給食のメニューにも取り入れられるなど、市民に馴染みの深いグルメとなっています。 かつめしの魅力は、お店によってそれぞれのレシピがあり、こだわりの味があることです。 最近では、ビーフカツだけでなく、トンカツやチキンカツ、エビフライなどカツのバリエーションも増えてきました。変り種では、かつめしバーガー、かつめしバーなども登場しています。
かつめし
兵庫県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

勝山北谷の鯖の熟れ鮨し

勝山市北谷町の「勝山北谷の鯖の熟れ鮨し」は、脂ののった塩鯖を塩抜きし、麹とご飯を混ぜて詰め、じっくり時間をかけて熟成し、乳酸発酵させた伝統食です。その起源は明らかではありませんが、江戸~明治時代に、九頭竜川をさかのぼって勝山地域まで運ばれてきた塩鯖を地域の伝統的な発酵技法で保存食にしたなどと伝えられています。 勝山市北谷町は、加越山地の山あいにあり、冬場は寒く県内有数の豪雪地帯です。このような自然環境によって、発酵はじっくりと進み、くせのない甘みとクリーミーなチーズのような香りがある熟れ鮨しとなります。加工は11月下旬ごろに行い、およそ1か月後の正月から食べることができます。食べ方は、1~2㎝の厚さに切って、そのまま食べるほか、カルパッチョなどの新しいレシピも考えられています。現在、北谷町に加工場が整備されています。勝山市の冬期間に開催されるお祭りなどでも販売され、人気商品となっています。
福井県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

勝連のもずくてんぷら

沖縄のてんぷらは、衣が厚く、街角のパーラーや商店等で気軽に購入でき、ウスターソースにつけて食べるソウルフードです。沖縄天ぷらの発祥は定かではありませんが、戦後に一般的に普及したと考えられます。今では、おやつや差し入れ、旧盆、ハレの日等、様々な場面でてんぷらは大活躍しています。具材は、さかな、いか、いも、そしてもずくが一般的です。沖縄県のもずくは昭和50年代から養殖の実証実験が始まり、現在は全国生産量一位であり、通称「フトモズク」と呼ばれる太い種類が養殖されています。なかでも沖縄本島中部のうるま市勝連半島周辺から津堅島にかけての海域は県内トップクラスの収穫量をほこり、太くて歯ごたえのある良質なもずくが採れます。もずくてんぷらは、もずくに千切りにしたにんじんを合わせて卵と小麦粉を水でといた衣にくぐらせて揚げたら出来上がりです。お店でも100円前後で買えるため、おやつや差し入れに最適です。
沖縄県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

くさぎ菜のかけめし

くさぎ菜のかけめしは、岡山県加賀郡吉備中央町で、昔は猟で獲れた雉や野うさぎを具材にしたり、祭りや結婚式などのハレの日にご馳走として食べられてきた郷土料理。くさぎ菜とは山野に自生するクサギ(クマツヅラ科)の若芽を採って乾燥させたもので、葉に特有の臭気があり、臭木(クサギ)の和名がつきました。クサギの葉を食すには、アク抜きや乾燥などの下準備や、水で時間をかけて戻す作業など、とても手間がかかりますが、古くは薬用とされるほど栄養価も高く、長期の保存が利くため、寒い冬を迎えるこの地域では、重宝されてきました。そのくさぎ菜のおいしい食べ方は、かけめしです。干して戻したくさぎ菜を小さく切って油で炒め、鶏肉などの具材と共に下味をつけご飯にのせ、別に鶏ガラでとったすまし汁をかけて食べます。このふるさとの味を残していくため、小学校の給食で提供されていたり、町内の飲食店でどなたでも召し上がることが出来ます。
岡山県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

香南ニラ塩焼そば

高知県中東部に位置する香南市はニラの出荷量日本一を誇ることで知られています。栄養素を豊富に含みニラには疲労回復やビタミンの吸収を高める効果が規定できると言われ、ニラを美味しくたくさん食べてもらいたい!という思いから、ご当地グルメ「香南ニラ塩焼そば」が誕生しました。 たっぷりのニラと、どのご家庭でも味わってもらえるように試行錯誤を重ねて作った塩だれの相性抜群! ニラには独特の香りがあり、スジばった食感があるという人もいます。しかし、ニラ生産者の方にお聞きすると「ニラは誤解されている」と語ります。「新鮮なニラには甘みがある!」切り口から水分が滴り落ちるほど瑞々しく、柔らかみもあります。おいしく食べるためには過熱は30秒までで十分。スジがあるというのは過熱しすぎです。 太陽をいっぱい浴びて育った美味しくて栄養満点の香南市のニラを食べて、毎日を楽しく過ごしましょう。
高知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定
有識者特別賞

五平餅

代々受け継がれてきた奥三河地方の郷土食。ワラジを連想させる大きさは岐阜県、長野県の五平餅と比較しても特徴的です。 昔からお客様を迎えるおもてなしにたくさんの料理を作って出す風習があり、その流れを汲んで「わらじ」を連想する大きな五平餅ができました。年末年始や盆などの家族、仲間が集まった時には、家々から味噌や醤油の焼ける良い香りが漂います。 名の語源は「最初に作った人が五平さんだった」など諸説ありますが、串に白米を練りつけた姿が、御幣に似ていることから御幣餅の名が付き、それが転じたとの説が有力です。春秋の「山の講」には、山の神の神前に五平餅を供える風習が残ります。 おいしい五平餅の秘訣は3つ。一つは串の材料に素性のいい年輪の詰んだスギ材を選ぶこと。二つ目はつぶし足らずつぶし過ぎずの「半ごろし」状態に白米を練ること。三つめは味噌だれ(醤油だれ)の隠し味。クルミや蜂の子といった山の幸が加わることもあります。
五平餅
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

小松うどん

幕府への献上品から加賀藩主、そして城下の庶民に広く愛されるとともに、俳聖・松尾芭蕉からも称賛を受けた加賀藩の名産品として知られた「小松うどん」。 程よいコシとつるつるとしたのど越しの細麺が特徴。出汁は霊峰白山の伏流水を使用し、ウルメ、ムロアジ、サバなどの雑節と北前船交流で用いられるようになった昆布をふんだんに使ったうま味と甘みのある上品なコクが最大の特徴です。 出汁とうどんの相性は抜群で、素うどんや冷やしうどんはもちろんのこと、ニシンうどんやいなりうどん、肉うどんなど具材により様々なうどんが楽しめます。ほんのり飴色がかった色は小松産小麦使用の証です。 江戸時代前期から330年以上の歴史と伝統を現代に受け継ぐ「小松うどん」。石川県内に広く浸透する日常食として、様々な場面で食される小松人が愛してやまないソウルフードです。
小松うどん
石川県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

西京白みそ

1200年以上もの間、政治・経済・文化の中心で、雅やか王朝文化が花開いた京都で「西京白みそ」は生まれました。宮中では早くから、ハレの儀式(祝儀)に欠かせない調味料として重用され、正月には白みそ雑煮が供されました。後にこれが一般に広がり、今日も西京白みそで仕立てた雑煮で正月を祝います。西京白みその特徴は、米麹の円やかな甘みと塩分の低さ、美しい淡黄の色合いです。現代においても、往時の製法を受け継ぎ、米麹を大豆の約2倍使用し、塩分は5%程度に抑えて短期間で発酵・熟成させて醸造します。西京白みそは、みそ田楽、西京漬や茶懐石、味噌松風、京都の祭事菓子などに幅広く使われている事から、京都の食、生活・文化と密接な調味料であった事がうかがえます。「西京白みそ」は、明治の一時期、東京に対して京都を「西京」とも称したことから、京都の白みその意で呼ばれるようになりました。
京都府
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

蔵王温泉ジンギスカン

昭和の初期、当地山形では羊毛生産のため、各農家において緬羊が多数飼育されていました。 戦後、化学繊維の普及に押されて羊毛が暴落し、行き場のない羊を持つ農家を救済する必要があったため、モンゴルの鉄兜で焼く羊料理を参考に、山形鋳物工場に鉄鍋の製作を依頼しました。 多少癖のある肉を美味しく食べる工夫を重ね、独特のたれも完成させ、当時(昭和24年)新日本観光地百選山岳の部1位に選ばれた蔵王温泉の名物料理にとジンギスカンが考えられました。 当初から蔵王では、冷凍肉ではなく生肉を使用しており、肉厚で癖のないジューシーな食感を楽しめ、現在、蔵王温泉に6軒、蔵王の麓の蔵王地区と言われているところに2軒、山形駅前に1軒お店があります。各店毎に独自のタレを工夫しておりますので、それぞれの味をお楽しみください。
蔵王温泉ジンギスカン
山形県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

佐賀シシリアンライス

佐賀シシリアンライスとは、あたたかいご飯の上に、生野菜と甘辛いタレで炒めたお肉と玉ねぎを乗せ、仕上げにマヨネーズをかけたものが基本形で、昭和50年頃、飲食店のまかない料理として出されたのが始まりで、その後市内の喫茶店でメニューとして出されるようになり、現在も約40のお店でシシリアンライスが提供されています。特にお肉の種類は佐賀牛や三瀬鶏といった佐賀の名産品やイノシシ肉を使用している所もあり、それぞれのお店でオリジナルのシシリアンライスを提供しています。また、学校給食のメニューに採用されたり、家庭でも手軽に作れる栄養バランスのいい料理として親しまれています。地元の観光パンフレットにも佐賀市を代表するご当地グルメとして掲載され、多くの観光客にも食されています。
佐賀シシリアンライス
佐賀県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

酒田のラーメン

山形県民がラーメン好きであることは有名ですが、酒田も例外ではありません。大正15年に中国人が伝えた「支那そば」を源流とする、日本海から水揚げされたニボシやコンブ、離島・飛島の特産品であるトビウオの焼き干しなどでダシを取った、あっさりとしながらもコクのあるしょうゆ味の「酒田のラーメン」は、100年の時を超えて、市民に愛され続けるソウルフードです。 市内のラーメン店の多くが、伝統的な味をベースとしながらも、日々研究を重ね、独自の味を生み出しています。スープとよくなじみ、伸びにくい自家製麺も酒田のラーメンを特徴づける要素のひとつです。 伝統的なしょうゆ味を追求する店に加え、新しい味に挑戦する店も含め、ラーメン店全体のレベルが高いのもまた、酒田のラーメンの特徴です。 日本有数の米どころ山形県庄内地方にあって、市民の心をつかんで離さない「酒田のラーメン」。スープまで飲み干してしまうその味を、一度味わってみては。
酒田のラーメン
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

桜海老の沖あがり

桜海老の沖あがりとは、簡単に言うと『すき焼き』の桜海老バージョンです。豆腐、ネギなどお好きな野菜を入れて、仕上げに生の桜海老を色が変わる程度にサッと煮込めば出来上がりです。桜えびは明治27年に偶然大量に水揚げされたのが始まりですが、当時は木造船で現代のような魚群探知機や、網を巻き上げるローラーもなく、漁師は夕方から翌朝までの長時間沖で漁をしていました。浜辺で漁の安全を待つ家族たちは、沖から船の帰りが見えると冷えた身体と疲れた身体を癒すために火を焚き、鍋に豆腐、ネギなどを甘いタレで味つけて用意し、沖から上がったばかりの高鮮度の桜えびを仕上げに入れて、大漁の祝いと同時に賄ったのが始まりと言われています。当時は疲れを癒すために、お砂糖をたくさん入れて甘く仕上げましたが、現代ではすき焼き程度の味付けが主流となっています。また、お好みで溶き卵を入れて丼にするのも現代では好まれます。
桜海老の沖あがり
静岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

笹巻

「笹巻」は、もち米を笹の葉に包んで煮て作られる粽(ちまき)の一種。中でも、鶴岡市で作られる笹巻は、水に木灰を加えて煮た上澄み液である「灰汁(あく)」に、もち米を浸漬してから作られることが特徴。強アルカリ性を示す灰汁のはたらきにより、黄色くゼリー状の、独特な風味を持つ笹巻になり、日持ちするようになる。形は「三角巻き」や「こぶし巻き」など多様で、地域に応じて一定の傾向が見られるほか、特定の儀礼や行事の時に作られる形もある。伝統的には、携行食や端午の節句の行事食として食べられてきた。今では季節を問わず産直施設等に並ぶなど、地域の人々に愛され、深く根を下ろした食文化である。『悪作付書記』(天明8(1788)年)に、「粽をにる如くの灰汁をこしらい……」という記述があることから、当時から粽に灰汁が用いられていたことがわかる。これが現在伝わる笹巻につながるとすれば、230年以上の歴史を持っていると考えられる。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

狭山茶

狭山茶は主に埼玉県内や埼玉県に隣接する東京都西部地域で生産をされたお茶のことをいいます。江戸時代後期、狭山丘陵の北麓(現・埼玉県入間市と東京都瑞穂町)の住民が、「蒸し製煎茶」の製造技術を京都から導入し、関東以北で初めてその製造に成功しました。 茶産地としては北方に位置するため、摘採回数が少なく、茶葉がじっくり育つことから、味が濃いとされます。また、「狭山火入れ」と呼ばれる強い火入れを行うことで、独特の香ばしさが生まれます。現在はオートメーション化された機械製茶で生産されますが、手揉み製茶の継承にも力を入れています。 狭山茶は栽培から販売までを一貫して行う「自園・自製・自販」の茶業者が多いことが特色で、味や風味に違いやこだわりがあります。お客さんの声を聞き、茶栽培から製茶に活かしています。
埼玉県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

佐用ホルモン焼きうどん

佐用ホルモン焼きうどんは、ホルモンとうどん、野菜を一緒に焼いて、みそや醬油ベースのつけダレで食べる、佐用町を代表する食文化の一つです。戦後、畜産や精肉業が盛んであった佐用町で生まれたホルモン焼きうどん。「放るもん」として廃棄されていた新鮮なホルモンと、おなかを満たすために安く手に入るうどんを一緒に焼いて食べるようになったのが始まりです。佐用ホルモン焼きうどんの最大の特徴は、店ごとに違う味のつけダレで食べるつけ麺スタイルで、他にはない独自の食し方。つけダレで食べるようになったのは、酒飲みのお客さんが濃い味を求めたのが始まりです。お店だけでなく家庭の食卓にならぶことも多いホルモン焼きうどんは、町のソウルフードであり、自信をもっておすすめするご当地グルメです。お店によって違うつけダレの味を楽しみに、複数のお店を食べ歩きお気に入りの味を探すのもおすすめです。
兵庫県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

白玉糖

芸西村では、昔から白玉糖(黒糖)づくりの伝統があり、その歴史は古く、江戸時代の1830年頃には製糖が行われていた記録があります。1950年(昭和25年)頃にはピークを迎え、当時は一面にサトウキビ畑が広がっていました。しかし、施設園芸の拡大や外国産の安い砂糖に押され、1970年(昭和45年)を最後に製糖作業は一時下火となりました。その後、白玉糖づくりを復興させるべく「芸西村伝承館製糖組合」が1989年(平成元年)に結成されており、再びサトウキビの栽培が始まりました。そして、芸西村が「伝承館」を平成元年に整備し、白玉糖づくりを再開しました。その後、30年以上に渡り、芸西村では白玉糖づくりが継続され、砂糖をそのまま味わう他、クッキーやケーキ等の加工品としても商品化されており、村の伝統技術の継承とともに食文化としても次世代にしっかりと伝えたいと考えています。
高知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

すわま

湖西市新居町地区の名物「すわま」は、米粉、黒糖、砂糖、醤油、食塩などを混ぜて作られた昔ながらの素朴な餅菓子で、大きめの小判型で、表面には2本のみぞが入り波型に見えることが特徴です。 この「すわま」は、材料や作り方などから江戸時代に東京で生まれた和菓子「すあま」が起源ではないかとされています。また、特徴ある波形の形状から、関西地方の和菓子「すはま(洲浜)」が転じて「すわま」になったとも言われています。これらの言い伝えは、江戸と京を結ぶ東海道の中間点に近い新居宿ならではの、東西文化の交流を伝えるものとも言えます。東海道を通って新居町に伝わり、明治時代以降には一般家庭でも作られてきました。 「すわま」は、古くからひな祭りの菱餅の代用などとして一般家庭で作られ、家庭ごとに違った味がありました。今では、時期になると市内数店舗の菓子店で販売しており、お店ごとに違った味をお楽しみいただけます。
静岡県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

瀬戸焼そば

瀬戸市では、独特の食感のある蒸し麺と醤油ベースの豚の煮汁を使った“やきそば”が、長い間、人知れず市民の間で親しまれてきました。このやきそばは、昭和30年代、深川神社参道を中心に始まったと伝えられています。近年、このやきそばは「瀬戸焼そば」という愛称で親しまれ、市民だけにとどまらず、これを目当てにした観光客も訪れる名物料理となり、市内だけでなく市外の飲食店でも提供されています。「瀬戸焼そば」の特徴は、①麺は、蒸し麺を使用。②味付けは、豚の煮汁や醤油ベースのタレを使用。③具材は、豚肉とキャベツが主体。④せともの(瀬戸焼)の器を使用(お持ち帰りは除く)。長い間、瀬戸市民に愛された自慢のソウルフードを是非ご堪能ください。
瀬戸焼そば
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

曽我の梅干し

小田原市の梅は、関東3大梅林にも数えられる「曽我梅林」を中心に栽培され、神奈川県下で最も多い生産量を誇っています。梅栽培の歴史は、戦国時代の武将、北条氏が統治していた以前まで遡ります。かつて、箱根越えのための宿場町として栄えた小田原には多くの旅人が訪れましたが、曽我の梅干しは旅人の弁当の腐敗防止、疲労回復のためとても重宝され、小田原の名産品となりました。 曽我の梅干しは、塩と梅だけで漬け、土用干しで太陽の恵みを凝縮させる「白漬け」と呼ばれる昔からの伝統的な方法で丁寧につくられており、梅本来の風味を堪能することができます。 そのため、曽我地域では家庭の日常食として、米に梅干しとちりめんじゃこを混ぜ、出汁で炊き上げた「梅ごはん」が食されており継承されています。 この「曽我の梅干し」の歴史と魅力を次世代に伝えていくため、さらなる普及に努めてまいります。
曽我の梅干し
神奈川県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

田芋(ターンム)料理

田芋(ターンム)料理は、大正初期から受け継がれてきた沖縄の催事行事にはかかせない琉球王朝時代の歴史をしのばす料理です。子孫繁栄を意味する伝 統料理の一品です。 琉球王国の冊封使へのおもてなしである宮廷料理を盛り付けるトゥンダーブン(東道盆:琉球漆器の代表的な器)の中に盛り付けられる最高峰の食材の1品でもありました。 この度の田芋(ターンム)料理は、本部町在住の松本ヤス子さんの先代より受け継がれてきた味を再現しました。質の良い田芋を選定してひと手間かけて料理します。田芋の収穫→洗い→煮る→皮をむく→整形(重箱及び器に合わせて長方形→味付とします。味付けは、醤油、黒砂糖、ざらめ、しょうがを合わせて煮込みまして、1分~2分で仕上がります。田芋を茹でて角切りにして、砂糖醤油で煮詰めて味付けしてことで、田芋のコクを出す美味しい味つけとなります。
沖縄県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

高砂にくてん

「高砂にくてん」の特徴は普通のお好み焼きとは違いおでんの具材が入っているところです。すじ肉やこんにゃく、ジャガイモなどおでんの残り具材を甘辛く煮込み細かく切ったものを具材として入れ、新たな食べ物として作ったものが「高砂にくてん」です。 じゃがいものほくほく感とソースの香ばしさがマッチしておいしく、それでいて満腹感もあるお好み焼きです。 市内のお好み焼き屋さんでは各店舗、違った味や具材の「高砂にくてん」が楽しめますので是非、いろいろな味の「高砂にくてん」を味わいに高砂市へお越しください。
兵庫県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

高槻うどんギョーザ

大阪府・高槻市北部で昭和50年代半ばより脈々と愛されてきた家庭料理。おやつにも、ビールのおつまみにもピッタリのご当地グルメ!肉や卵、ニラなどの餃子の具材を、皮の代わりに細かく刻んだうどんを混ぜ合わせ丸めて焼き、餃子のタレやポン酢をつけて食べます。見た目はお好み焼き、味は「ギョーザ」というのが特徴です。最近ではユニークな「ご当地グルメ」としてテレビやネットでも話題になり、 新たな「高槻名物」として盛り上がりを見せています。
大阪府
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

嬬恋くろこ

「嬬恋くろこ」は「天保の大飢饉(1832~1839年)」の時代、凶作が続き食料が底をついたとき、先人達が、屋外に放置してある澱粉を抽出したじゃがいもの搾りかすに、ネギと味噌を加え焼いて食べた事が発祥とされています。 「嬬恋くろこ」は、じゃがいもから、澱粉を採取した残りの廃棄物を原料としており、越冬期間を経て、利用可能な食品となります。特別な温度管理を必要とせず、屋外で生産可能な「嬬恋くろこ」は、先人の経験と知恵が詰まった究極のエコ食材です。近年では、地元大学とも連携し、食品としての健康機能の研究も始まっています。一方で、その製造に手間と時間がかかる事から、生産量は減少、生産者の高齢化も進み、郷土の食文化を守り、継承する事が急務となっています。我々、嬬恋村「くろこ」保存会は、くろこの製造、販売を通じて、伝統ある食文化を次世代に繋ぐ活動を推進しています。
群馬県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

津山の牛肉料理~そずり鍋、干し肉、ホルモンうどん、煮こごり、よめなかせ~

明治以前から全国でもまれな「養生喰い」が行われてきた津山は、その長い牛肉食文化の歴史の中で生まれた独特の牛肉料理があり、現在もソウルフードとして市民から愛されている。 代表的なメニューとしては、主に牛のもも肉を中心とした部位を天日干しした「干し肉」、牛のすじ肉をとろ火で煮込みスープ状になったものを冷蔵して固めた「牛肉の煮こごり」、マグロの中落ちのように、牛のあばら骨からそぎ落とした肉である『そずり肉(津山の方言で「削ぐ」ことを「そずる」という)』、そずり肉を使い、野菜やキノコなど醤油ベースの甘辛な割り下で煮込んだ「そずり鍋」、牛の心臓に繋がる大動脈「ヨメナカセ」、新鮮なミックスホルモンを味噌・醤油ベースのたれで焼いた「津山ホルモンうどん」が挙げられる。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

鶏ぼっかけ

鶏ぼっかけは、福岡県大野城市の上大利・牛頸地区周辺で昔から食されている郷土料理です。主に酒宴の「しめ」に食べるもので、鶏ガラ出汁に鶏肉を入れて煮て、地元の醤油醸造元の甘めの醤油で味をつけ、それをご飯に「ぼっかけ」(ぶっかけ)て食べる料理です。 この鶏ぼっかけは、ぼっかけめしとも呼ばれ、古くは、江戸時代の庚申講で提供されたことが語り伝えられています。また、昭和の時代も、まだ鶏肉が貴重だった頃には、ご馳走としてお祝い事や大事な来客の際に振る舞われました。その後も、家庭ごとに、味付けや調理法が受け継がれ、地域の集まりなどで振る舞われてきました。 現在は、郷土料理の継承及び地域のにぎわいづくりのため、イベントや地域行事、小学校給食で提供されています。鶏ぼっかけを広く普及するために、アレンジレシピを定義づけした「大野城鶏ぼっかけ」は、市商工会推奨品に認定されています。
福岡県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

名古屋コーチンの食文化

江戸時代、尾張名古屋の地は鶏の飼育に適していたため、藩士の内職で養鶏が奨励されていました。明治時代になり、元尾張藩士たちがその技術を活かし、生まれたのが名古屋コーチンといわれ、卵も肉もとれる鶏として脚光を浴び、愛知県のみならず全国に普及しました。 戦後、外国産の鶏の輸入量が増え、一時は生産量が著しく減少しましたが、愛知県、名古屋市と業界が一体となって取り組むことで復活を果たしました。名古屋コーチンは、愛知県に多彩な食文化を根付かせ、ひきずりや鶏めし、親子丼や焼き鳥といった料理に活用され、100年以上の長きに亘って鶏好きな愛知県民を育んできました。名古屋コーチンを使った鳥料理は「なごやめし」の定番にも数えられており、名古屋の食文化として学校給食にも取り入れられ、親しまれています。 現在も名古屋コーチンをもちいた様々な食文化が考案され続け、その食文化は地域で愛され続けています。
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

なり味噌

1747(延享4)年の「換糖上納令」以降、奄美大島諸島では米作からサトウキビ栽培への転換が進みましたが、生産したサトウキビは黒糖となり厳しい年貢の取り立てにより食べるものがなくなりました。 食糧の無い厳しい時代に米に変わる食材としてソテツが食べられるようになりました。 そのような食文化が根付いた島々では古くからソテツの実「なり」を使った味噌作りが行われてきました。 子宝島の朋友では大量生産ではなくひとつひとつ丁寧に作業しています。 先人たちの知恵を受け継ぎ、昔ながらの丁寧な手作業で作った「なり味噌」は 茶請けとしてそのまま食べることもでき、島料理の味付けとしてもよく使われています。
鹿児島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

南部鼻曲がり鮭の新巻鮭

独特な容姿から南部の鼻曲がり鮭とも呼ばれている「新巻鮭」は、400年以上前の安土桃山時代に大槌(おおつち)で誕生したと伝えられています。当時の城主である大槌孫八郎は「この地の鮭を江戸に運び、大槌の名物にできないか」と考え、美味しく長期保存できる新巻鮭を編み出しました。新巻鮭は鮭を塩蔵したのち寒風干しにした加工品で、現在も昔からの変わらない手作業によって作られる、三陸を代表する伝統的な特産品です。寒風干しによって旨味が濃縮された新巻鮭は贈答品としても喜ばれ、今日も全国各地の食卓を彩ります。大槌町では文化継承活動の一環として小学校で新巻鮭作りの体験学習が行われます。ここ数年、鮭の水揚げ量は減り続け地元の鮭を使うことは難しくなりましたが、新巻鮭発祥の町としてこれからも文化を守り続けます。
岩手県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

西伊豆しおかつお

西伊豆町に古くから伝わるカツオの塩蔵乾干しです。原型は約1300 年前の奈良時代にまで遡ります。かつて西伊豆町の田子地区は「かつおのまち」として有名で、カツオの漁師町として千年以上の歴史が有ります。潮鰹は、神事も兼ねた保存食として、昔から伝わる製造方法で作り続けられており、常温保存させる為に塩分濃度が高いことが特徴です。古くからお吸い物やお茶漬けなど、かつおの旨味だしとして使われてきました。現代の鰹節が登場する前から利用されていたことから、かつおだしの始まりとも言われています。お正月には、縁起の良い「しょうがつよ:正月魚」として家族の繁栄を祈念し、玄関先や神棚にわら飾りを付けて吊るし飾ります。三箇日が過ぎると神棚からおろし、年神様の「おさがり」として食べる地域の絆を強める縁起の良い食べ物です。この独特な慣習は、西伊豆町の文化財として登録されています。西伊豆しおかつおを用いたうどん等が地元の飲食店やイベントなどで提供され、地元に住む人達だけでなく、観光に訪れた方々にも人気のメニューです。
西伊豆しおかつお
静岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

西谷地区のちまき

ちまきは、中国戦国時代の楚の屈原を弔うために始まったとされる端午の節供の行事が由来と言われており、それが日本に伝来し、茅萱(チガヤ)の葉で最初に巻いたため、ちまき(茅巻き)という名前がついたと言われています。ちまきの名前がついたのは奈良時代で、その後地方に広がっていった際に、それぞれの地域に生育するササ類、ススキ、ヨシ、ダンチクなどの植物の葉で包むように変化していきました。 西谷地区では、全国的にもきわめて稀なナラガシワとヨシの2種類の植物で包むちまきが作られており、ナラガシワとヨシを使ったちまきは昭和初期まで猪名川上流域と武庫川中流域で広く作られていましたが、現在ではほとんど作られていません。 作ったちまきは田植えが終わった後の労いとして食されていたほか、里帰りの際に土産として持たせるなど、単なる食文化としてだけでなく、贈答の習俗として地域に根差したものとなっています。
西谷地区のちまき
兵庫県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

煮ぼうとう

煮ぼうとうとは、比較的容易に小麦粉を手に入れることができた土地ならではの工夫と知恵がたっぷり入った、深谷の郷土料理です。 特徴は、幅広の麺(およそ2.5センチ、厚さ1.5ミリ程度)と、特産である深谷ねぎ、地元で収穫される根菜類をたっぷり使い、生麺の状態から煮込んでいるところです。生麺から煮込むことで、適度なとろみが生まれ、しょうゆで味をつける、深谷の定番メニューです。 深谷出身の明治の実業家・渋沢栄一翁も好んで食べたそうで、今でも栄一翁の命日には、煮ぼうとうの会が催され、煮ぼうとうを食べて遺徳をしのんでいます。
煮ぼうとう
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定
有識者特別賞

八戸せんべい汁

八戸地方で200年以上も食べ継がれてきた郷土料理「八戸せんべい汁」。東北地方太平洋側北中部では、冷夏をもたらすやませに悩まされており、特に江戸時代の小氷期には稲作の不作対策として小麦や雑穀も栽培されてきました。練った小麦粉を焼いた煎餅を用いることで保存がきき、八戸せんべい汁は家庭料理として受け継がれてきました。肉や魚、野菜やきのこなどでダシを取った汁の中に、汁物専用の「おつゆせんべい」を最後に割り入れ、煮込んで仕上げます。鶏だしのしょう油系や魚だしの塩系、馬肉鍋に入れる味噌系など、様々な食べ方があります。美味しいダシ汁が沁み込んだせんべいのツルツル、モチモチした独特の食感は、まるでパスタのアルデンテのようです。どこか懐かしい、愛情を感じる味、家庭料理として食べ継がれてきた八戸せんべい汁で、身も心も温まる味わいを楽しんでみてはいかがでしょうか。
青森県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

日生カキオコ(カキ入りお好み焼き)

カキの生産量が全国第3位の岡山県で、県内一番のカキの生産地・備前市日生(ひなせ)町。昭和40年代から始まったカキ養殖の漁師の奥さんたちが、小粒や傷ついて売り物にならなくなったカキをお好み焼きに入れて食べたのが始まりとされています。日生には約20軒のお好み焼き店があり、トロトロの生地に千切りキャベツを混ぜて鉄板に広げ、新鮮なカキを一面にのせて焼き上げます。新鮮な生のカキを使うため余分な水分は含まれず、焼いても縮まないプリプリの食感が楽しめます。焼き方は、関西風でも広島風でもない、ちょうどその間のような焼き方で、通称「日生焼き」と言われ、外はこんがり、中はトロっとした食感で、どこを切っても新鮮なカキが顔を出し、海の香りが口の中をパーッと広がります。カキとソースは相性抜群、クセになる味です。今では「日生カキオコ」は、岡山を代表するご当地グルメとなり、関西を中心に多数の観光客が訪れる岡山の冬の名物です。
岡山県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

ひるぜん焼そば

岡山県真庭市にある蒜山地域では、昭和30年代頃、各家庭で工夫して調合した「たれ」で焼きそば、ジンギスカンなどを食べることがブームになっていました。 ちょうど同じころ、地元でもがんこで有名な「ますや食堂」のおばちゃんが、ニンニク、玉ネギ、リンゴ等の様々な材料や調味料を調合した味噌だれで作ったこだわりの焼きそばが評判となり、以来、「ひるぜんの焼きそば」として地元の人々に愛され続けてきました。 そんな地元で50年以上愛されてきた「ひるぜん焼そば」は、噛めば噛むほど味の出る「親鳥のかしわ肉」に、シャキシャキの「高原キャベツ」と「モッチリ麺」を濃厚で香り豊かな「味噌ベースの甘辛だれ」で一気に焼き上げるタレ焼きそば。一度食べると忘れられない、地域伝統の味です。
岡山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

福岡柳川/貝柱粕漬・海茸粕漬

柳川市は福岡県南部、筑後平野の西南端に位置し、有明海に面しています。有明海の豊富な海の幸と酒どころであった柳川で、お酒を搾ったあとの酒粕に生の海産物(貝柱や海茸)を漬け込み、酒粕と一緒に食べる、この地域独特の食文化は、江戸時代から続いています。文献においても江戸時代から柳川の特産品であり、当時から現在まで続く柳川のおもてなしの逸品となっています。
福岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

ふなんこぐい(鮒の昆布巻き)

鹿島市の浜町で300年以上も昔から続く伝統行事「ふな市」。鹿島では二十日正月に「ふなんこぐい」を供える慣わしがあります。「ふなんこぐい」は昆布で巻いた鮒をダイコンやゴボウなどと一緒に煮込んだ郷土料理ですが、この「ふなんこぐい」の鮒や野菜を売る「ふな市」が、毎年1月19日に肥前浜宿酒蔵通りに立ちます。その昔、商家や酒造元、網元などは奉公人や蔵男たちを主座に据えて労をねぎらい、ご馳走を振舞いました。このような席には普通、鯛料理が出されますが、有明海ではあまりとれず、そのうえ高価だったので、鯛によく似た鮒を代用したのが「市」の始まりと言います。「ふなんこぐい」は1月19日の「ふな市」で手に入れることができます。
ふなんこぐい(鮒の昆布巻き)
佐賀県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定
令和4年度認定
有識者特別賞

へぎそば

抜群ののど越しと、ツルツルシコシコとした食感に思わず顔がほころぶのが「へぎそば」です。 一年の約半分を雪に覆われる日本屈指の豪雪地で、雪と闘いながらも、時にはそれを恵みとして生かした物語からうまれた食文化です。織物の産地において、きものの糸の糊付けに使われている布海苔という海藻をそばのつなぎに代用したのがへぎそばの誕生と言われています。 長い冬を乗り切るための保存食であった「ソバ(実)」と、冬仕事であった「きもの産業」が出会い、へぎそばが誕生しました。そばは貴重品で祝い事に出すご馳走でもありました。 へぎそばの独特の食感は、布海苔をつなぎに使用することで生まれたものであり、名前は「へぎ(片木)」という木の箱に盛り付けるところが由来です。 大正時代から続くへぎそば店では、盛り付けについて一口サイズに束ねたそばは、絹糸の束、その並べ方はきものの織り目を意識したものと伝えられています。
新潟県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

へぼ甘露煮

「今日見つけたへぼの巣は大きいでよ。餌についても、なっかなか見つけれんで難儀した。夜はみんなでへぼ抜きだぞ」「ほりゃあ大変やったね。ぞんがい大きい巣だてぇ。早よう抜いて、今晩煮よっかねぇ」「へぼ甘露煮」はそんな家族の会話から始まります。東濃の人々が「へぼ」と呼ぶクロスズメバチ、その蜂の子は貴重なタンパク源、そして秋の山の楽しみとして親しまれてきました。食べるだけでなく、それを探すこと、家で飼育することも楽しみです。かつて日本各地で食べられていた蜂の子は、中部地方の山間部では今なお盛んですが、東濃地方では、蜂追いや飼育でたくさん収穫し、甘露煮をはじめ、炊き込みご飯、朴葉寿司、五平餅にも用いるなど、地域の食文化の一つになっています。野山でへぼを追い、ようやく見つけたへぼを皆で巣盤から抜き、甘辛く煮付けた「へぼ甘露煮」は、ふるさとの自然や暮らしを思い起させる、特別でうまい「ご馳走」です。
へぼ甘露煮
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

ほうとう

ほうとうは山梨県民のソウルフードで、山梨全域で親しまれています。起源は諸説あり、武田信玄が陣中食としたとも言われていますが、古いものでは800年代に遡ります。文献に登場するのは1815年の旅行記。いずれにしても、古くから山梨県民に親しまれてきた郷土料理です。手打ちした麺を下茹でせずに具材と一緒にその煮込む調理方法は、手間いらずで1品で満足できる、調理する人、食べる人大満足の家庭料理でした。 近年、核家族化が進み、食の多様化と相まって、郷土料理と言われながら「ほうとう」を食べる頻度が少なくなってきています。一方で、飲食店を舞台に「ほうとう」を食べる機会は増えてきました。伝統的なほうとうはもちろん、若者や、ビーガン・ベジタリアンやインバウンドを対象としたアレンジ料理の提供など、ほうとうの楽しみ方の多様化も進んでいます。
ほうとう
山梨県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

ほや雑煮

ほや雑煮は、塩漬けにした「ほや」を焼いて干して出汁をとり(現在は、蒸しほやを使用)、焼いた角餅の上に、戻した「ほや」と地元海産物や野菜等を盛り付け、なると(練り物)、せり、いくらをのせた雑煮です。具材は地域や各家庭によっても異なりますが、主には、宮城県産米を使った角餅、ほや、たこ、ほたて、あわび、はも(あなご)、つぶ貝、せり、大根、ニンジン、なると(練り物)や紅白かまぼこの上に、「河北せり」といくらをたっぷりとのせます。蒸しほやは出汁をとる目的と、橙色の色合いから、鏡餅の上に乗せる橙(だいだい)と同様に子孫が代々繁栄することを祈念しているという説もあります。世界三大漁場の1つである三陸・金華山沖で獲れる豊富な海の幸を存分に楽しめる石巻地域の郷土料理です。
宮城県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

三原焼き

広島県三原市では、昭和30年代初頭頃からお好み焼きの中に「鶏モツ」を入れて食べる食文化が存在しており、その個性的なお好み焼きは市内のお好み焼き店を中心に市民の間で広まり、現在では「三原焼き」という名称で親しまれております。三原焼きの特徴である「鶏モツ」は、鳥肝や砂ズリ、キンカン、玉ヒモなどがあり、お好み焼きの具材として使用することでそれぞれの違った食感を楽しみながら食べることができます。また、お好み焼きの中に「鶏モツ」を入れるようになった理由としては、三原市では昔から養鶏が盛んであったため、新鮮で栄養価の高い「鶏モツ」を手に入る環境があったからではないかと考えられております。平成26年には三原焼振興会が設立され、「三原焼き」を更に多くの市民の方に地域食としてより親しんでいただき、そして「三原焼き」を全国に発信し広げていくために、冷凍三原焼きの販売などの活動も積極的に行っております。
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定
有識者特別賞

三輪そうめん

いまから約1300余年を遡る昔のこと。日本最古の神社である三輪の大神神社で、飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ神の啓示を賜り、小麦を撒き、実りを水車の石臼で粉に挽き、湧き水でこね延ばして糸状にしたものが、そうめんの起源と伝えられています。後に、三輪そうめんはお伊勢参りの途中で訪れた人々を魅了し、手延べの製法も播州(兵庫県)、小豆島、島原へと伝わり、日本を代表する伝統食となりました。江戸時代には“大和の三輪そうめんは日本一”と「日本山海名物図鑑」で絶賛されています。素麺づくりは厳寒の冬、三輪の自然と風土を生かして製造されます。原材料は小麦粉、塩、綿実油といたってシンプル。受け継がれてきた伝統の技と、聖なる山から盆地に吹く北風がコシと深い味わいを引き出します。茹でのびしにくく、コシが保てる三輪そうめんは、冷やしても、温めても、炒めても美味しく、食べ方も自由自在です。
奈良県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

むきそば

「むきそば」は、ソバの実をむいて茹でたものに出汁をかけて食べる酒田の郷土料理です。 もともと上方(関西地方)のお寺で食されていた精進料理だったものが、江戸時代に北前船によって酒田に伝わったと言われています。明治初期、北国一の湊町として酒田が繁栄を極めた時代に、一流料亭で食膳に上げられました。北前船の往来によって富を成した豪商たちが足を運び、贅沢な料理とお座敷遊びを楽しんでいた料亭で提供されることにより、米や小麦の代用ではない、贅沢で上品な日本料理の一つとして確立したと言えるでしょう。 酒田では、素材を生かし、昆布出汁やシイタケ、鶏肉などで上品な味に仕上げた逸品として残り、今も会席料理の小鉢などで提供されています。 サラッと爽やかな味わいとプチプチとした食感は、疲れた身体にもやさしい料理です。 現在は、むきそばと出汁がセットになった缶詰やレトルトも、湊町酒田のお土産として販売されています。
山形県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

牟岐の押し寿司

牟岐の押し寿司はこの地域において遅くとも100年以上前から友人・親戚が集まる機会や祭り、正月などのめでたい席で提供され、母から子へ姑から嫁へ受け継がれてきた地域の郷土料理である。この地域では米酢は使用せず、「ゆうのす」と呼ばれるゆず酢のみを使用している。 牟岐の押し寿司は魚を焼いてゆうのす(ゆず酢)につけ酢にごしを作り、にんじんやごぼう、切り干し大根、しいたけ、ちくわなどを醤油や酒、みりんなどで味付けした具材と砂糖やみりんで甘く煮た金時豆などの具材を用意しておき、押し枠に酢にごしを混ぜた酢飯を敷き、その上に具材を乗せ、さらにその上に酢飯をかぶせて軽く押す。飾りとしてゆずの皮や卵、紅しょうがなどを乗せ、彩よく仕上げる。飾りは季節や家庭によって異なる。見た目には白いごはんのみで作られているように見えるが、割ったときに刻んだ具材が出てくるのが特徴である。
徳島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

妻沼のいなり寿司

熊谷市妻沼地域の名物「いなり寿司」は、しょうゆと砂糖で煮込んだ油揚げに酢飯を詰めた細長い俵の形で、他の地域より長いという特徴がある。通常、いなりずし3本に巻きずしを加え、一人前として売り出している。江戸時代、利根川の水運により、江戸で流行した「稲荷寿司(いなりずし)」が妻沼へ伝わり、河岸で働く人々や、妻沼聖天山の参拝者などに喜びと満腹感を与えた。現代の妻沼には「いなり寿司」の名店が並ぶ。江戸時代中期、国宝「歓喜院聖天堂」建立と同時期に創業した茶屋「毛里川(もりかわ)」が前身の「森川寿司」、明治時代の門前茶屋を発祥とする「小林寿司」、戦後、聖天山四脚門近くに店を構えた「聖天寿し」などが郷土の味を作り続けている。戦後、全国のいなり寿司の大きさが縮小される中で、妻沼地域では製法を変えず、江戸時代に流行した長い形状が引き継がれたと考えられる。現在では国宝建造物を前にした名物として人気を集めている。
妻沼のいなり寿司
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

矢島凍み豆腐

矢島凍み豆腐は、信州佐久の矢島地域の厳寒期特有の風土で生み出され、古来より冬の食卓を彩ってきた伝統食です。 その由来は、むかし、武田信玄が上杉謙信を攻めるために、はるばる甲州から兵を率いてやって来て、現在の佐久市矢島地域の西方にある虚空蔵山の頂で宿営をしました。この虚空蔵山は信州から甲州に戦況を知らせるために、信玄がのろしを上げる場所としていました。ここに信玄が宿営したとき、矢島城主の矢島某氏が、大将の食膳豆腐をだしたところ、ちょうど寒中であったので、豆腐はすっかり凍ってしまいました。信玄はこの凍った豆腐が美味であると誉めて、これを薄く切って凍らしたら良いだろうと農民たちに奨励したことが始まりといわれています。 矢島の凍み豆腐は、柔らかな舌触りで大豆のうま味があり、今では県内外から注文が寄せられ、期間と地域が限られるファンの多い逸品です。
矢島凍み豆腐
長野県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定
有識者特別賞

山形芋煮

山形といえば「芋煮」!江戸時代から続く山形を代表する郷土料理です。江戸時代に河川舟運に携わる人々が河原で鍋をしたのが始まりとされます。そんな由来があることからか、「河原」で行うのが「山形風」。職場、家族、友人などの仲間たちが河川敷に集い、一緒に調理した芋煮を食する「芋煮会」は秋の山形の風物詩です。 同じ山形県内でも地域によって味付けや具材が異なり、自分の土地に対する思い入れが詰まっています。山形市など山形県内陸地方では、「さといも」、「牛肉」、「こんにゃく」、「ネギ」を基本とした「醤油味」ですが、日本海側の庄内地方では、「豚肉」を使用し、「味噌味」になります。時には、味や具材の違いにより、「芋煮論争」に発展することもありますが、郷土愛ならでは。 例年9月の第3日曜日には、「日本一の芋煮会フェスティバル」が開催されます。直径6.5mの日本一の大鍋と重機で、約30,000食分を超える食材を一気に調理する光景は、まさに「日本一」を名乗るにふさわしい芋煮会です。
山形芋煮
山形県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

山都そば

飯豊連峰の南の裾野に広がる喜多方市山都地区の「山都そば」は、古くから米の代替食として、そして、冠婚葬祭時のもてなしのご馳走として客人に振舞われています。特に結婚式の披露宴等の祝いの席では、客に蕎麦を振る舞う「後段の蕎麦」という習慣があり、その際、客人をもてなす側の人が「そば口上」という、蕎麦をほめる言葉におもしろおかしく節を付けて唄う習慣があります。 「山都そば」は、製粉歩留りを7割以内のそば粉で、つなぎを一切使わずに手打ちするため、白っぽく透き通った色合いで、しこしことした独特の歯ごたえがあるのが特徴です。 山都地区では、新そば以外でもそばをおいしく食べていただくために様々な工夫をしており、冬に積もった高密度の雪を利用した雪室(雪を使った低温貯蔵施設)で貯蔵したそばの実を挽いて打った「雪室そば」や、江戸時代に将軍家へ献上されたと言われる「寒晒しそば」など、様々な味を楽しむことができます。
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

ゆうれい寿司

「ゆうれい寿司」は、宇部市(旧楠町)内の吉部地区に伝わる真っ白い外見が特徴の押し寿司です。 良質な山水に恵まれ、お米と水がおいしいと評判だったこの地区では、柚子酢で風味をつけたご飯で押し寿司を作り、特別な日の御馳走として食べていました。その寿司は具が一切なく、真っ白い見た目と、具が消えたという表現から「ゆうれい寿司」と呼ばれ、吉部地区の伝統料理として伝承されてきました。 現代版では、酢飯にエソのミンチ(白色)を混ぜ込み魚介のうま味と風味を加えたものを使用、また押し寿司を2層とし、上段に白い酢飯、下層に吉部地区の季節の山菜等を混ぜた酢飯とすることで、外観は白いまま、山海の風味溢れる「おいしいゆうれい」へ。 郷土の食材を用い、味も自慢の料理として進化を遂げたゆうれい寿司は、地域を代表する伝統料理として、今に受け継がれています。
山口県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

雪国の越冬料理 ~ゼンマイ料理、だいこん料理、栃もち、煮菜(にいな)~

日本有数の豪雪地である上信越国境沿いの地域では、5か月も雪に閉ざされた暮らしを続けてきてますが、冬期間でもおいしい食事をするための保存技術と越冬料理が、雪国文化として続いています。 雪消え直後から次の冬に向けて準備する「ゼンマイ」、乾燥や凍結を嫌い「大根つぐら」という雪中保存される「だいこん」など食材に合わせた保存技術と、それらの食材で作る「煮菜」や「なます」、「とち餅」などの冬の「ごっつぉ(料理)」は7000年続く雪国文化の真髄ともいえます。
新潟県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定

よごし

「よごし」は、野菜をゆでて細かく切り、味噌で味付けをして炒りつけたもの。主に富山県の砺波平野を中心に食されます。簡単な調理方法ということもあり、いつから食されているかは不明ですが、昭和初期のころ、朝食にご飯一膳、それにたっぷりのよごしを乗せて食べたと記録され、お米が足りない時代にかさ増しするために作られていたそうです。また年中行事として浄土真宗の家々で催される報恩講において、ほうき草の実を使った「ほうきんのよごし」が精進料理として並びます。 夜に作り置きして翌朝に食べることから「夜越し」の意味で「よごし」と呼ばれるようになりました。材料や味付けに決まりはなく、無限の可能性を感じさせる砺波のソウルフードの代表格です。昔の人たちは、朝食には必ず「よごし」をいただいていたようです。 近年では野菜不足の現代人を救うヘルシーフードとしても注目される砺波市の100年フードです。
富山県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

横手やきそば

戦後間もなくから市民に親しまれてきた「横手やきそば」はツルツル、モチモチの茹で麺が最大の特徴です。鉄板での調理に適したこの麺は1軒の屋台の店主と製麺業者が試行錯誤を重ね生み出しました。安価でおいしいと子どもたちのおやつとして大人気となり、次第に多くの市民に好まれる郷土食として浸透していきました。今ではこの味目当てに横手を訪れる観光客も多く、伝統行事「かまくら」とならぶ横手の代名詞となっています。特徴的な茹で麺に絡むソースは出汁やスープを加えたマイルドな味わい。具材はシンプルにキャベツと豚ひき肉。半熟の目玉焼きの黄身を麺に絡めて食べるのが「横手流」。縁に添えられた福神漬けは、子どものおやつとして親しまれてきた名残りといわれています。食堂や専門店のみならず一般家庭でも食卓に上る「横手やきそば」は、これからも横手の郷土食として市民と共に歩み続けます。
秋田県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和4年度認定

四日市とんてき

四日市とんてきは単なる豚のステーキではなく、分厚い豚肉をにんにくと一緒に濃いめのたれでソテーしたっぷりのキャベツをそえた料理です。 ビタミンB1をたっぷり含んだ豚肉と疲労回復効果が高いにんにくを一緒に食べることにより、働く人を元気づける料理です。 市街地では戦後まもなくからお店で提供されていたといわれています。 中華料理店や肉料理店から広がり、工場も多く働く街のスタミナ料理として定着、現在では洋食、レストランラーメン店、居酒屋など四日市市内のいたるところで食べられます。
四日市とんてき
三重県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和4年度認定

ラジウム玉子

ラジウム玉子は、日本で初めてラジウムが確認された飯坂温泉発祥の温泉玉子。 共同源泉を使用して作る店が多いが、それぞれ卵の仕入先や、源泉につける時間が異なることから、味や食感に個性が宿る。黄身はトロトロ、白身はふわふわの食感で、栄養価も高く、滋養効果満点!お土産としても人気。 また、飯坂温泉の旅館では昔から必ず朝食で出すことや地元のスーパーでも売られ、福島市の食卓文化の1品として長年愛され続けられている。そのため、福島市民は『温泉玉子』とは呼ばず『ラジウム玉子』として呼ぶほど親しまれている。食べ方は、熱々のご飯とともに、だし汁や醤油をかけていただくのが最もポピュラー。 他にも、サラダやパスタにのせる食べ方や、ソフトクリームにトッピングし、グラノーラと混ぜて食べるアレンジ(ラジグラソフト)まで、様々な食べ方を楽しめる。
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

明石焼(玉子焼)

明石焼(玉子焼)は、小麦粉とじん粉、卵、だし汁を混ぜ合わせて作った生地の中にタコを入れて焼き、だし汁につけて食べる明石を代表する食文化の一つであり郷土料理です。明石焼を商売として始めたのは、大正8年頃からと言われています。たこ焼きのルーツともいわれ、見た目は似ていますが、卵の分量がたこ焼きに比べて多く、じん粉は加熱しても硬くならないため、小麦粉だけで作るたこ焼よりも、柔らかでふんわりと仕上げられます。たこ焼きはソースをかけて食べるのに対し、明石焼は、鰹や昆布のだし汁につけて食べる点が大きな違いとなります。また、明石焼を焼く鍋は、たこ焼などに使われる鉄板鍋ではなく、銅鍋を使用します。銅鍋は、熱伝導がよく、生地のふんわり感をより引き出し、絶妙な焼き加減を生み出します。あげ板の上に並んだ卵色の丸い明石焼を一口食べると、ふわふわ、トロトロの生地の中に、コリコリのタコの歯ごたえが広がります。
明石焼(玉子焼)
兵庫県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

秋田かやき

「かやき」は、日本海側東北地方で食べられるひとり鍋料理の一種で、浜の漁師たちが大きなホタテの貝殻を鍋代わりに使用した「貝焼き」が訛ったものと言われています。古くは、江戸料理集にあり、徳川将軍が関わる重要な饗応食にアワビの貝殻を鍋にした「貝焼き」が登場しています。秋田県で昔から家庭で親しまれてきたものとして、味噌、醤油味、秋田名物ハタハタから作られた魚醤のしょっつる味が定番の味付けで、クジラの脂身を食べる「クジラかやき」、夏は「ナスかやき」、豚肉の「肉かやき」がポピュラーです。「秋田かやき」は、郷土の歴史に育まれてきた「かやき」を進化させ現代に合わせて創造されました。各飲食店の特徴を生かし、和・洋・中の様々な味付けで、旬の魚介や野菜、山菜などを煮込み、各店自慢の一人鍋として提供しています。また、「鳥海なめこ汁」は、「ニッポン全国鍋グランプリ2020」でも準グランプリを獲得しました。
秋田かやき
秋田県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

あくまき

鹿児島が誇る、端午の節句(5月5日)の定番の餅菓子です。とろけるような舌触りと独特の風味が魅力であり、鹿児島のソウルフードとして親しまれています。一説では、薩摩藩が1600年の関ヶ原の戦いの際、または1592年の朝鮮出兵の際に日持ちする兵糧として作ったと伝承されています。灰汁(あくじる:木などを燃やしてできる灰に熱湯をかけ濾したもの)に浸したもち米を、竹の皮に包み、たっぷりのお湯で煮て作られます。灰汁の持つ、でんぷんの糊化促進作用や糊化したでんぷんが固くならない働きにより、モチモチとした食感を長く保つことができます。また長時間煮ることやアルカリ性の灰汁による細菌増殖抑制効果によって優れた保存食になります。灰汁は、樫(かし)、椎、くぬぎ、ミカンの木などの木灰、竹灰、大豆・そば・ゴマのさやなどの灰が使用され、出来上がりの色・風味に違いがあるが一般的には木灰が好まれ使用されます。
あくまき
鹿児島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

あけぼの大豆納豆

あけぼの大豆は主に身延町曙地区で生産されている甘みと深みがある在来種の大豆です。普通の大豆の2倍の大きさで甘みと深みがあり大変栄養価の高い大豆です。このあけぼの大豆を通年で多くの方々に提供したいと考え、20年前から作り始めたのが「あけぼの大豆納豆」で、精進料理をお寺で気楽に食べてもらいたいと「おてらんち」という気さくなネーミングで始めたランチの一品に加えました。国内はもとより海外からの特にビーガン・ハラール等の観光客にも安心して食べられる和食・精進料理体験として人気となりました。このように昔は修行僧に、そして今は身延町の特産として世界へ継承していきたいと考えています。
あけぼの大豆納豆
山梨県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

あごだし

あご(トビウオ)は、その美味しさだけではなく、海面上を長距離に渡って飛ぶという特異な生態や、生息地域ごとに異なる多様な食文化が注目されてきました。脂肪分が少なく、青臭さがあまりないことから、刺身、すり身、塩焼き、唐揚げなどさまざまな調理方法で食されますが、中でも「あごだし」は、深いうま味がありながら、すっきりとした上品な口当たりが特徴で、古来より九州では祝いの席やお正月、祭事など大切な場面で縁起のよい高級食材として振舞われ、愛され続けています。九州あご文化推進委員会は2018年10月、あごの日本有数の漁獲地である長崎県平戸市、同県新上五島町、鹿児島県屋久島町と、あごだし商品を多く手掛ける久原本家グループ(福岡県久山町)の4団体が立ち上げました。「九州のあごだし」に関わる人々や、各地域に根付いた色濃い食文化などを紹介する活動を推し進めています。
あごだし
福岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

頭料理

大分県南西部に位置し海から遠く新鮮な海魚を食べる機会が少ない竹田市で、貴重な魚を余すところなく食べるための工夫として「頭料理」が生み出されました。「頭料理」にはニベ、アラ、クエ、ハタなどの大型の白身魚が使用され、普段なら捨ててしまうようなえら、あご、内臓、皮なども材料とされています。それぞれ湯引きし、大皿に盛り付け、紅葉おろしや刻みネギと、カボスの三杯酢でいただきます。江戸時代初期の藩主中川久清の頃から作られるようになったといわれ、幕末期の記録(元治2年(1865年)、慶応2年(1866年)「恵比寿講帳」)にも、城下町で正月に開催された恵比寿講の献立に「頭料理」が記されています。祝い事などハレの場で家族や客人と楽しむとともに、年末にまな板を縁側に持ち出し、大きな魚をさばく風景が風物詩になっていました。現代でも竹田市内の取り扱い店舗への予約により「頭料理」を食べることができます。
大分県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

阿波ういろ

阿波・徳島の「ういろう」とは意外に思うかもしれませんが、その歴史は古く、江戸時代、徳島藩にサトウキビが伝わり、和三盆糖が作られたことを祝って、旧暦3月3日の節句に藩主や領民がういろうを食べたことが始まりと言われています。その後、徳島では節句にういろうを食べる風習が継承され、庶民のおやつとして、多くの家庭で作られてきました。「阿波ういろ」は、もち粉が織り成すもっちりとした食感と、和三盆糖の風味が醸し出す上品な味わいが特徴のヘルシーなスイーツです。また、阿波ういろは、もう一つの徳島の特徴的な節句の風習とも深く関わっています。徳島の子ども達の多くは、三段重ねのお弁当箱「遊山箱」を下げて、節句に野山や海岸へと出かけましたが、中に詰めたごちそうの代表格がういろうでした。徳島の様々な文化を継承している「阿波ういろ」は、現在、多くの菓子店で様々な種類が作られており、県を代表する銘菓となっています。
阿波ういろ
徳島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

あんこうのどぶ汁

「あんこうのどぶ汁」は、福島県いわき市に伝わる郷土料理です。漁師が船の上で貴重な真水を使わずに調理して食べたことが始まりと言われており、あんこうの肝を炒った鍋に味噌を加え、あんこうの身と野菜から出る水分のみで調理します。こってりとしたコクと濃厚な汁で淡泊な白身の上品な旨みが絶品です。名前の由来は諸説あり、「全て」という意味の「どぶ」との説や、あん肝から出る汁でスープが濁り、酒のどぶろくに見えることが由来との説があります。
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

あんこ寿司

あんこ寿司は、山口県岩国市山代地域で伝わる郷土料理です。西暦1400年頃、領主が土地神の祟りを鎮めるために、農民が奉納した角寿司がこの地域の由来となっています。江戸時代には、年貢の負担が大きい農民が祭りや婚礼等にお寿司で、もてなしたいという思いで作り続けられ、伝わってきました。昔は、角寿司といわれていましたが具が餅のアンコのように入っているため、当時の岩国市錦生活改善実行グループ連絡協議会(以下「錦生改連」という)の会員が、あんこ寿司と名付けました。あんこ寿司は、みじん切りにした切り干し大根やごぼう、にんじん、椎茸を甘辛く煮含めた具を入れた寿司飯を軽く握って木型にいれ、その上に薄焼き卵と椎茸をのせて作ります。錦生改連や岩国市本郷生活改善実行グループ連絡協議会では、食育活動や体験交流等で継承活動に努めています。特に、本郷では、企業組合山代の里と連携して山代地域の特産品として販売しています。
山口県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

いかにんじん

【味付けも材料もシンプルな元祖スローフード】福島県北部に江戸時代末期※1から伝わる「いかにんじん」は、するめいかと人参の千切りを酒・醤油・みりん等で味付けしただけのシンプルな和え物です。大量に作れて保存がきくため、正月料理の箸休めとして、祝祭時の酒のつまみとして地域で長く愛されてきました。最低限の調味料でつくる郷土料理で、水分が抜けてするめいかの旨みが染みたパリパリした人参の食味食感は癖になる味です。現在では福島県全域で一年中食べられており、各家庭でこだわりや工夫のある「おふくろの味」の象徴として親から子へ引き継がれています。近年ではポテトチップスなどの加工食品や、レシピサイトでのアレンジ料理、特に炊飯器に入れて炊くだけの「いかにんじん炊き込みご飯」はSNSで口コミが広まるなど、汎用性の高い味付き食材としても注目を集めています。※1「食」ふくしま新ふーど記(福島民友新聞社発行)を参照
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

いぎす豆腐

愛媛県今治市沿岸部に広く分布する「いぎす」という海藻を使って、古くから庶民に親しまれている「いぎす豆腐」です。生大豆粉と一緒に煮溶かすことにより、冷やしたら固まる性質を持ち、豆腐のような食感になります。地元で取れたエビや野菜を一緒に入れて固め、酢味噌を添えて食べるのが一般的です。昔は一般家庭でも親しまれていましたが、近年ではいぎすの収穫量の減少や、下処理に手間がかかる等の理由で、家庭ではあまり作られなくなりました。現在では郷土料理を提供するお店や、惣菜店などで購入する事ができます。
いぎす豆腐
愛媛県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

壱岐の麦焼酎

壱岐島は歴史や自然に恵まれた島で麦焼酎発祥の地です。最古の記述は、1791年の『町方仕置帳』ですが、『朝鮮王朝(李朝)実録』によると1477年に琉球に蒸留酒があった旨の記述があり、朝鮮半島と琉球の交易路の拠点であった壱岐島でも蒸留酒があったと考えられています。壱岐の麦焼酎の特徴は、大麦(3分の2)と米麹(3分の1)を原料とし、壱岐のミネラル豊かな水を使って蒸留し、瓶詰まで一貫して島内生産を行っていることです。麦の香ばしさとほのかな甘みを味わうことができ、口当たりも良いため、焼酎初心者にもおすすめで、日本を代表する焼酎ブランドとして愛飲されています。現在壱岐島で焼酎を製造している蔵元は7つあり、どの蔵元も伝統を守りながら独自の味わいを追求しております。平成7年に熊本県の球磨焼酎、沖縄県の琉球泡盛と並び、日本初国税庁による地理的表示の産地指定を受けた世界的ブランドとして発信を続けてまいります。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

石榑茶(いしぐれちゃ)

江戸時代から続く「石榑茶(いしぐれちゃ)」は、鈴鹿山麓の恵まれた自然環境を活かして育てる地域のお茶です。二重棚の玉露やかぶせ茶など良質茶作りに専念しています。専業のお茶農家だけではなく、各家庭の垣根にある茶の木の風景と各家庭に引き継がれるお茶の味。決して大きな産地ではありませんが、古くから地域に根差し、親しまれるお茶。地元石榑小学校の校舎は茶畑をイメージしたデザインになるほど地元住民の誇りです。近年では、急須で飲むお茶以外にも、美味しいスイーツやお菓子に変身して市内外の人にも親しまれています。石榑茶を通して人とのつながりが広がることを期待します。これまでの100年から、また新たな100年となるよう当「大安町茶生産組合」も地元の方のご協力を得ながら邁進していきます。是非一度、石榑茶をご堪能ください。
三重県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

出雲そば

「出雲そば」は、日本三大そばの一つとして、島根県東部の出雲地方で古くから親しまれている郷土料理の一つです。寛永15年に、信濃国松本藩から出雲国松江藩主として松平直政公が着任し、信濃のそば職人を出雲へ連れてきたことが、出雲にそばが広まった始まりとも言われています。他所とは違い、出雲そばはそばの実を皮ごと挽くため、色は黒っぽく香りも強いものとなります。食べ方も「割子そば」や「釜揚げそば」という珍しい食べ方をします。また、そばをそばつゆに「つけて」食べるのではなく上から「かけて」食べ、薬味ももみじおろしが一般的であるなど、ほかとはちょっと違った食べ方をします。年末の仕事納めの日には、多くの会社や事業所が地元のそば店からお昼の出前をとり、年越しそばを食べる風景が見られます。各地域には、そば打ちの愛好会や同好会も数多く存在し、そば打ちの文化を現在に引き継いでいます。
出雲そば
島根県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

いただき

明治中期頃、地元の人たちが油あげに米や野菜を詰めて炊いたのが始まりだと言われており、刻んだゴボウや人参、干ししいたけなどを生米と混ぜ油揚げに詰め、醤油などをベースにしただし汁で煮込んで作りますが、境港市では塩辛、米子市では甘辛といった特徴がみられるように、地域や家庭によって味付けや具財が少しずつ異なっており、地域特有の味、家庭の味を生み出し、それぞれに受け継がれています。未来の100年に向けて県外、国外にさらなる認知度の向上を図ろうという狙いで、米子市を中心とした弓ヶ浜地域の伝統食である「いただき」を後世に継承していこうという取組や、米子城にまつわるイベントなどで「城山の頂でいただきをいただきます」といったキャッチコピーを掲げながら地域の自治体とも連携した取組を進めています。
いただき
鳥取県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

一関・平泉の伝統的なもち食文化

一関・平泉には、全国的にも特徴あるもち食文化が今なお受け継がれています。今から約400年前の江戸時代に、当時この地方を治めていた伊達藩の慶弔儀礼式が庶民へと普及したといわれ、冠婚葬祭などの改まった席では最高のおもてなし料理として「もち本膳」が振る舞われます。年中行事や人生の節目などには餅をついて食べる習わしがあり、かつては一年に60日以上も餅をつく日があったとされています。多彩なもち料理の数々も魅力です。農産物や山菜、沿岸地域から運ばれる海産物など豊かな食材を活かしたもち料理が伝わっています。また、戦中、戦後にはくず米に雑穀を混ぜた「しいなもち」を美味しく食べるため、生活の知恵で味の工夫を加えてきました。食べ方のバリエーションは300種類以上とも言われています。
一関・平泉の伝統的なもち食文化
岩手県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

いもずいも

「いもずいも」とは、里芋の吸物のことで芋吸物(いもすいもの)がなまった言葉です。相馬ふるさと行事のひとつである「涼ヶ岡八幡神社例大祭」で、2日間にわたり振る舞われます。江戸時代の終わりのころ、「いもこじ会」という常会で、村人が意見を出し合って議論をしました。「いもこじ」とは、水桶に芋を入れて「×形」に縛った2本の棒でこじまわして芋の皮を取ることをいい、芋と同じように意見を出し合ってこじ回されるうちに、良い知恵が出ることからそう呼ばれました。そのため、「いもずいも」を食べると一皮むけて良い知恵が出る、つまり野暮が抜けて頭が良くなる、と言い伝えられています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

岩国寿司

岩国寿司は、祭りやお祝い事に作られるお寿司です。一度に4~5升のご飯を炊き上げ、大きな木枠に、寿司飯・具を交互に何層にも重ね、上から均等な力で押して、つけ込んだ彩り鮮やかなお寿司です。具材に使うれんこんの断面が吉川家の九曜紋に似ていることから、岩国藩初代藩主の吉川広家公が、登城する際の保存食として用いられたそうで、当時は、殿様寿司と呼ばれていました。また、岩国市は江戸時代かられんこんが栽培される県内一の産地です。昭和63年から、岩国市岩国生活改善実行グループ連絡協議会が、岩国を代表する郷土料理に育てるために「岩国寿司」と名付けて継承するとともに、岩国寿司の味付け統一や、イベントでのPR、学校での食育活動等で普及に努めています。近年、家庭でも作りやすい岩国寿司として、牛乳パックを使って作る方法を考案し、食育活動等で活用しています。
山口県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

宇都宮餃子

「宇都宮餃子」は、戦後、満州から帰還した陸軍第14師団の将兵たちが本場中国の餃子の製法を持ち帰ったと言われており、学校帰りや仕事帰りなど食事以外の時間にもこよなく愛されてきたソウルフードです。焼餃子が基本ですが、揚餃子や水餃子も人気です。特に水餃子はお湯の中に調味料を直接入れてスープのように食べるのも宇都宮流です。注文方法も独特で焼餃子一人前を「シングル」、二人前を「ダブル」、三人前を「トリプル」と呼び、焼餃子二人前とライスを注文する時は「ダブル・ライス」と言います。「宇都宮餃子」はメニュー名ではなく、宇都宮餃子会に正組合員として加盟しない限り掲げることが出来ないご当地ブランド名です。宇都宮市に本社・本店があり、栃木県内で製造していることなどが主な加盟条件です。味や作り方、原材料などについて縛りをつけてはおりません。店主の数だけ味があり、食べ比べていただく楽しみがあります。
宇都宮餃子
栃木県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

うなぎのせいろ蒸し

柳川の名物郷土料理「うなぎのせいろ蒸し」です。水郷・柳川は、古くから天然うなぎの名産地として広く知られ、1681年に名物「うなぎのせいろ蒸し」が誕生しました。うなぎ料理といえばうな重やうな丼が一般的ですが、柳川ではせいろ蒸しという調理方法でタレを絡めて味付けしたご飯の上に、蒲焼きにしたうなぎ、錦糸玉子を乗せ、せいろで蒸したものを提供します。『せいろ蒸し』にすることで、うなぎは、外はパリッと香ばしく、中はふわっと仕上がり、そのうま味がご飯にも染み、最後まであつあつのままお召し上がりいただけます。市民はもちろんのこと、川下りで観光地となった柳川のグルメとして大人気となり、年間150万匹ものうなぎが食べられています。現在は柳川でうなぎが獲れなくなり、鹿児島・宮崎産の養殖ウナギを使用し提供。市内には約30店舗のうなぎ屋が点在し、各店舗で焼き具合、受け継がれたタレでそれぞれの味を提供しています。
うなぎのせいろ蒸し
福岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

宇和島鯛めし

宇和島鯛めしは、宇和海の日振島(ひぶりじま)を根拠地にしていた伊予水軍が仲間たちと舟の上で魚の刺身と茶碗酒で酒盛りをした後、その酒の残った茶碗にご飯をつぎ、たっぷり醤油を含ませた刺身をのせ混ぜ合わせて食べたのが始まりとされ、その食べ方が、漁師たちに脈々と受け継がれてきました。新鮮な真鯛の身を三枚におろしうすくそぎ切りしたものと、醤油、みりん、生卵、ごま、だし汁等で調味したタレと混ぜ合わせ、そのタレごとそのまま熱いご飯にかけて食べる愛媛県宇和島市の郷土料理です。生の鯛を使った、全国でも宇和島にしかない独持な食べ方の鯛めしです。
宇和島鯛めし
愛媛県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

えご

「えご」は紅藻のエゴノリを煮溶かし、よく練ってから寒天のように固めて作る海藻料理です。独特のモチモチとした食感があり、一口サイズに切って皿に盛り、からし酢味噌やわさび醤油で食べます。新潟県では「えご」や「いご」と呼ばれ、お盆の時期や冠婚葬祭などのハレの日に欠かせない料理として親しまれてきました。佐渡島ではこれを「いごねり」と呼び、板状に薄く延ばしたものをくるくると巻いて細切りにし、薬味をのせて醤油をかけていただきます。梅雨が明けて7月の土用を過ぎると、日本海の夏の味覚であるえご漁が解禁され、お盆前までが漁期です。乾物にしたえご草は、海から遠く離れた山間の村々へ運ばれ、貴重な海産物として食されてきました。江戸時代から海と山を結ぶ食文化として育まれてきた「えご」は、次世代に伝えたい新潟県民の大切な食文化です。
新潟県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

越前北前料理

越前北前料理は、福井県内で独自に発展・発達した食文化であり、代表的なものとしては「舟盛り」が挙げられます。その歴史は古く、誕生は江戸時代後期から明治初期まで遡ります。1859年に起きた安政の大獄で隠居を命ぜられた越前福井藩16代藩主松平春嶽。跡取りが居なかった為、新潟県の糸魚川藩からの茂昭公を養子で招き入れ、その初の越前の国入りの際に、村人総出のおもてなしの中で、メインの料理として振舞われたと伝わっています。華やかな見た目が話題を生み、北前船の船頭から近江商人に伝わり全国に広まったとされています。現在地元では、北前船で運ばれた食材や地元の海の幸を味わえる料理を祭りや祝いの席、沿岸部の宿泊施設などで現代風にオマージュし提供されています。このような北前船で運ばれた物資や歴史、地域の食材、郷土料理などの文化の継承に努めています。
福井県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

円盤餃子

戦後、満州で学んだこだわりの餃子を屋台で出したのが始まりの「円盤餃子」です。市内には50~60年の歴史を持つ餃子店も多く、行列ができる店もあります。昔から、サラリーマンが仕事帰りに利用していたため、現在もランチタイムは営業せず、夕方から営業している店が多いです。一皿20~30個と数が多いため、たくさん食べられるように野菜をたっぷり使用しており、ボリューム満点なのに軽い食感です。味は、あっさりしたものからニンニクたっぷりのものまで多種多様で、ビールとの相性も抜群です!「ふくしま餃子の会」に加盟する各店舗では、バラエティーに富んだ様々な餃子を味わえます。
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

大井川のお茶請け食文化

お茶の名産地である川根と牧之原台地を擁する大井川地域には、古くから東海道を旅する人々に愛されてきた「大井川のお茶請け食」があります。朝比奈ちまき、ほととぎす漬、瀬戸の染飯(そめいい)、らっか煮がその代表です。椿の灰汁(あく)に浸したもち米で作る「朝比奈ちまき」は食べれば気力体力を充実させ、戦国時代から必勝の縁起物でした。紫蘇の香りと白瓜の歯触りの後にツンと効く和辛子に思わず涙こぼるる「ほととぎす漬」です。くちなしの実で染めた黄色いおこわ「瀬戸の染飯」は、旅人の足腰の疲れを取るとされ、東海道中膝栗毛でも紹介された旅の名物です。生落花生をにんじん・ごぼう・れんこん・こんにゃく・しいたけと煮含めた甘じょっぱい「らっか煮」は、お茶にぴったりの川根路のおかあさんの味です。皆さんもぜひ、美しい茶畑風景が広がる大井川地域を訪れて、お茶と共に味わってください。
大井川のお茶請け食文化
静岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

大門素麺

大門素麺は、江戸時代後期の嘉永元年(1848年)に砺波郡大門村の売薬商人が、能登・蛸島より加賀前田藩の御用素麺を村人に伝えたのが始まりです。全国的にも珍しい丸髷の形が特徴で、一年で最も寒くなる10月~3月を中心に作られており厳選した小麦粉を清流庄川の伏流水で捏ね合わせ、一晩寝かせてから「太より」「中より」「細より」と何度もよりをかけながら、細く長く伸ばしていくのでコシが強く歯触りの良い素麺に仕上がります。また、丸髷状にするため半生時に形を整え、約10日前後かけて本乾燥を行うため、素麺本来の深い味わいとなります。
富山県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定
有識者特別賞

大阪の鉄板粉モン文化(お好み焼・たこ焼)

【昭和初期~戦後にかけて定着した大阪の鉄板粉モン文化(お好み焼・たこ焼)の特徴】(1)お好み焼:小麦粉をだしで溶いた生地に短い千切りや粗みじんのキャベツを混ぜ、豚バラ肉をのせて焼く「豚玉」が代表格ですが、生地をひいて具材を重ねて焼く「洋食焼」も健在です。濃厚ソース、青のり、削り節などをトッピングし、鉄板からテコで食べる人も多いです。(2)たこ焼:小麦粉をだしや卵で溶いたゆるい生地を鋳物や銅の鍋に流し込み、ゆで蛸を入れて丸く焼きあげます。濃厚ソース、青のり、削り粉など、トッピングもいろいろありますが、何もつけず、独特の食感とだしを味わう人も多いです。さまざまな調査によると、関西人の8割り近くが家庭用のたこ焼き器を所持し、「タコパ」として自家製たこ焼を楽しむ文化が昭和30年代から続いています。
大阪府
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

大阪ワイン

大阪では1580年頃から葡萄栽培が行われていたとされ、大正時代中頃から昭和初期には全国一位の栽培面積を誇っていた時期があります。この葡萄と共に100年以上にわたって醸造技術を研鑽し、世界に誇れるワインを醸造しながら大阪の葡萄畑とワイン醸造のある暮らしと文化をつないでいます。大阪は100年以上前からデラウェア葡萄の産地であり、現在も全国第三位の生産量を背景に個性的なワインが多く造られています。2019年G20大阪サミットではたくさんの大阪のワインやブランデーが採用され、好評を博しました。世界各所で行われているワインコンテストでの受賞歴も多く、日本のワインとして有名になりつつあります。2021年には国税庁のGI指定も受け、「GI大阪」の認知度向上に勤しんでいます。最近はシンガポールと上海でワイン会も開催しました。過去から続く大阪のワインを大阪の食と世界をつなぐ架け橋へと育てて行きます。
大阪ワイン
大阪府
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

大田の箱ずし

箱ずしは、島根県の中心部に位置する大田市の代表的な郷土料理です。はっきりとした記録は残っていませんが、江戸時代からお祝い事やお祭りなどの行事には欠くことのできない料理でした。具材は、ごぼう・人参・しいたけ・切り干し大根(昔は、かんぴょうを使っていた)・油揚げなどを細かく刻んだもの。それを煮込み、味が馴染むまで一晩おく。大きな木枠の中に酢飯・具・酢飯・錦糸卵・板の順に何段も重ね、十分に押しをしてから切り分けます。箱ずしは、最後に重石をのせて作ることから「作る」ではなく「漬ける」といいます。具材やすし酢はその家々の味がありますが、作り方は姑から嫁に、また母から子に、子から孫にと継承されてきた郷土料理です。木枠の中に、何段も重ねて作られた箱ずしの断面はとても美しく、木枠を外した時は感動ものです。
大田の箱ずし
島根県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

小郡の鴨を取り巻く食文化

江戸時代から知られた狩場である小郡の鴨は、くず米をたっぷり食べたことでずっしりと重みを増し、「其味の美なること、諸州の産に優れり」と記されるほど旨みをその赤身いっぱいに溜めこんでいます。現在人々の口に入る天然鴨は、そのほとんどが猟銃によって捕らえられていますが、伝統的な猟法である「無双網」を使って捕らえられた鴨は、また一段と美味しいといわれています。今や高級食材の一つである鴨ですが、地元の古老によると、力武をはじめとした市北西部では冬になるとよく食べられており、子どもですら食べていたそうです。市内の鴨料理屋「さとう別荘」では、鴨猟が解禁される秋の彼岸(11月中旬)を迎えると、鴨鍋、鴨ご飯、鴨の刺身、御狩場焼をいただくことができます。毎年、鴨を楽しむために都市部から訪れるファンも多いようです。ぜひ一度、小郡市の鴨料理をご堪能ください。
福岡県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

小樽あんかけ焼そば

戦後の復興期に誕生した「小樽あんかけ焼そば」は、昭和30年代に普及し、デパートでの買い物の帰りにあんかけ焼そばを食べるというのが市民の楽しみの一つでした。「小樽あんかけ焼そば」は、よく焼いた麺と多めの“あん”を特徴とするものの、明確な定義はありません。ないからこそ、約70年の歴史の中で各店の創意工夫により、独自の進化を遂げてきたと言えます。近年は、B-1グランプリをはじめとするイベント等への出展や、食品製造メーカーとのタイアップによる商品化などにより、全国的にも知名度も上がり、現在も、市内100店舗以上で提供される市民のソウルフードとして幅広い世代に愛されています。そして、その“小樽の味”を求めて、市民はもとより、観光都市となった本市には多くの観光客が訪れています。地域に根差し、これからも発展し続ける「小樽あんかけ焼そば」は、この先も受け継がれていくべき、小樽市民の味なのです。
小樽あんかけ焼そば
北海道
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

小田原蒲鉾

小田原と言えば蒲鉾、蒲鉾と言えば小田原です。日本伝統の食文化である蒲鉾の中で、高品質なものとして今もなお称賛されています。相模湾で獲れる豊富な魚、箱根丹沢山系の豊かな水から創られる蒲鉾は口伝えに全国に知られるようになりました。現在は、漁獲量も減り、他地域からの原料調達に依存をしていますが、高品質な蒲鉾作りの為に、伝統・技術の継承、普及に努めています。200年続く「小田原蒲鉾」の歴史をさらなる100年に向け邁進していきます。
小田原蒲鉾
神奈川県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

お平(おひら)

「年とり膳」の中の一品、「お平」は北設楽郡豊根村をはじめ山里に伝わる具沢山の汁物です。糸昆布、椎茸、油揚げ、豆腐、*はんぺん、と冬の野菜である里芋、大根、人参、ごぼうなどの具材を沢山、また出来るだけ大きく切り出し、煮干しと醤油、少しの砂糖で大きな鍋でゆっくり煮たものです。この汁物は正月中に食べます。日に日に野菜のだしが出て美味しい汁物となり、寒い山里の暮れから正月を代表する食べ物と言えます。この汁物を作るために里芋、ごぼう、大根、人参、椎茸や豆腐を作ります。これからもずっと守り続けたい料理です。*はんぺん(ちくわなど練り物)
愛知県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

海軍ゆかりの食文化 ~海軍カレー・ビーフシチュー・肉じゃが~

明治期の日本は、天然の良港を持つ横須賀、呉、佐世保、舞鶴に軍港を築き、海軍の拠点である鎮守府を置きました。それまでは静かな農漁村であった地域に、最先端技術を集積し、海軍諸機関と共にインフラが急速に整備され、日本の近代化を推し進めました。海軍が地域にもたらしたものは、「食」にも見ることができます。海軍が栄養不足解消のために、西洋式の食事を取り入れたことが、日本における洋食の始まりと言われています。明治41年に海軍が発行した料理教科書『海軍割烹術参考書』には、100種類を超える西洋料理やお菓子のメニューが載っています。4市では、記されたレシピを元にした「海軍カレー」や「海軍さんのビーフシチュ―」、「海軍発祥と伝わる肉じゃが」などがご当地グルメとして愛され、世代や市の垣根を超えた継承と情報発信が行われています。海軍ゆかりの食文化は、4市特有の食文化として受け継がれ、人々に愛され続けています。
海軍ゆかりの食文化 ~海軍カレー・ビーフシチュー・肉じゃが~
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

鹿児島の壺造り黒酢

江戸時代から鹿児島県霧島市福山町において、米を原料にした食酢が屋外で壺を使用して醸造されています。この食酢は熟成期間を経るにつれ、琥珀色に色が付いてくるので、「鹿児島の壺造り黒酢」と呼ばれています。黒酢は、一説では江戸時代の文化2年(1805年)、もう一説では文政3年(1820年)福山の地で初めて造られ、現在に至るまでその生産が継続されており、約200年の歴史があります。第二次世界大戦前後に原料米が統制経済で途絶えましたが、頑固な業者が原料を米の代わりにさつまいもを使い、細々ながらその技術を守り続けてきました。1965年頃から自然食品希求の声の高まりとともに黒酢が見直されてきて、徐々に業者の数も増え、今日では日本全国で親しまれるような存在になりました。
鹿児島県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

笠間の栗菓子文化

日本一の栗の産地である茨城県。その中でも有数の産地である笠間市は、寒暖差や火山灰土壌など栗の栽培に適した環境を背景に、お茶うけやおやつなど、日常的な当たり前の生活の中に「栗菓子」があります。栗畑や栗剥き、お裾分けなどの生活に溶け込む風景と栗ごはんや渋皮煮など、家庭や地域でそれぞれの味の栗菓子があります。そして、店舗のジャンルを超えた「笠間の栗」を使ったモンブラン、栗羊羹、焼き栗、ソフトクリーム、栗おこわ、クッキー、栗甘納豆などの栗菓子があり、市内には住んでいる方、訪れる方の双方が楽しむ「笠間の栗菓子」があふれています。この笠間市の日常生活から生まれてきた多様な「笠間の栗菓子文化」を、未来100年続く食文化として継承していきます。
茨城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

カツオのたたき

江戸っ子たちは初カツオに熱狂し、競って高値で入手していました。好んで川柳の題材としていました。江戸後期の土佐(現高知県)でも、人々は新鮮なカツオを求め、高知城下から約20km離れた宇佐の港で、水揚げ直後のカツオを男たちがにない、休まず走り続けて城下へ届けていました。冷蔵手段がない時代、顧客の要望に応え鮮度を保つための「人力高速輸送システム」です。このこだわりは100年を優に超えて今に継承されています。「高知県の魚はカツオ」と、昭和63年(1988年)に定められました。一世帯当たり消費量は群を抜いて日本一です。同じ高知県内であっても、地域・家庭によって食べ方のバリエーションは豊富です。一口に「たたき」といっても「たれはしょうゆベース」、「たれを使わず塩を振る」、「切る時は思い切り厚めに」、「ニンニクはたっぷり」など、まさに多様性の宝庫です。カツオが高知県民の「ソウルフード」たるゆえんです。
高知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

川内かまぼこ

川内かまぼこは、幕末の頃、平戸で貿易のあったオランダ人の食材である挽肉にヒントを得た地元の漁民が、近海で獲れる魚を握り潰し丸めて水茹でにしてハンペンを作ったのが始まりと言われ、麦藁のスボで包み蒸籠で蒸すようになったのは大正初期からです。以来、百有余年に渡り川内かまぼこは先祖代々引き継がれ、かまぼこ作りが脈々と息づいています。川内かまぼこは、長崎県内はもとより広く認知され、川内町沿岸沿いに立ち並ぶかまぼこの直売店では個性ある味が楽しめます。川内かまぼこの特徴は、ストロー型のスボにかまぼこを巻いているところで、以前は麦藁のスボを使用していたが、手に入りにくくなり、今ではほとんどプラスチック製に替わっています。川内かまぼこは、近海で獲れたエソ、アジやトビ等の生の原料をスボで包み蒸しあげる、昔ながらの独自の製法で新鮮な風味とほど好い歯触りの良さが特徴です。
川内かまぼこ
長崎県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

かんころ餅

約200年前大村藩から五島列島へ開拓農民の移住がありました。移住したのは当時禁教令で信仰を禁止されていたキリスト教を信仰するキリシタンと呼ばれた人たちが中心でした。五島に移住したキリシタンたちは元から島に住んでいた人たちから少しはなれた土地に集落を作りました。その集落は急な山の斜面や不便な入り江の奥などがほとんどでした。やせた段々畑ではさつまいもが良くできて、さつまいもが主食になりました。さつまいもは水分が多いので暑くても寒くてもすぐに腐ってしまいます。そこで、いもを一年中食べるために乾燥させました。さつまいもを薄切りにして、茹で、干しだなで乾燥させます。これを「(ゆで)かんころ」といいます。かんころと餅をあわせてついたもちが「かんころ餅」になります。もともとは貴重品であった餅の「かさ増し」に考えられたようです。【出典】長崎県2018年3月かんころ餅冊子
かんころ餅
長崎県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

きしめん

きしめんは江戸時代より様々な書物にも登場する平打ちのうどんです。平打ちなので茹で上がりが早く、温かいままでも冷たくしてもおいしく召し上がっていただけます。消化もよく夜食をはじめ軽食にぴったりです。うどんが喉ごしならきしめんは口先で平らな感触を楽しめます。愛知県内の麺類飲食店ではおよそどこでもうどんと並びきしめんがあります。どんな調理法でも合うのでサラダと一緒に召し上がってもソースで和えてパスタ風にしても良く、和洋中どんなアレンジも楽しめます。
愛知県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

喜多方ラーメン

喜多方ラーメンは、大正末期に中国から渡ってきた一青年がチャルメラを吹きながら屋台を引いてラーメン(支那そば)を売り歩いていたのが発祥と言われており、その手作り支那そばこそが九十余年の歴史を持つ喜多方ラーメンの元祖と言われています。喜多方ラーメンの麺は、一般的には麺の幅が約4mmの太麺で、水分を多く含ませじっくり寝かせて作る「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、コシと独特の縮れがあるのが特徴です。また、喜多方ラーメンを構成するスープは、醤油味がベースですが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別で、様々な味を楽しむことができます。これらの喜多方ラーメンを構成するスープと麺には、飯豊連峰からの豊富な伏流水や「平成の名水百選」にも選ばれている「栂峰渓流水」を多く含んでいるため、美味しい水を使用して作られる良質な醤油・味噌と共に味の決め手となっています。
喜多方ラーメン
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

北九州の糠の食文化

糠炊きは江戸時代から旧豊前国に伝わる郷土料理です。糠床を調味料として炊き込む料理は珍しく、小倉城下に伝わる独自の食文化と言えます。糠炊きを作るには、熟成糠床が必要です。毎日かき混ぜ野菜を漬けることで発酵熟成が進みます。小倉の糠床は唐辛子や山椒が入っているのが特徴です。糠漬けは季節の野菜を糠床に漬けたもので、米糠に含まれるビタミンB1も摂取出来ます。糠炊きは青魚の煮付けに糠床を入れて炊き込んだもので、魚の生臭みもなく、ごはんのおかずや酒の肴にぴったりです。砂糖、醤油、みりんなどの調味料を使用した「現代式」と、糠床のみを調味料とする「伝統式」があります。糠床の植物性乳酸菌が腸まで届き免疫力向上や、食物繊維による便秘改善作用もあります。最近では青魚以外にも、鶏肉、卵、こんにゃくなど、様々な食材を活用した糠炊きが販売されています。また炒飯やコロッケといった、様々なアレンジレシピも考案されています。
福岡県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

「木頭ゆず」を使った郷土料理「かきまぜ」

【歴史・風土・特徴】徳島県那賀町では、古くから料理の風味付けに「ゆず」が使われてきました。「木頭ゆず」の特徴は、果実が大きく玉揃いがよく、外観が綺麗なこと、そして類をみない香りの高さと酸味が強いことです。この「木頭ゆず」の特徴を活かし、ゆずを中心とした独自の食文化が形成されてきました。我が子や孫に伝えたい食文化ゆずを栽培する農家の母たちが、「かきまぜ」「にぎり寿司」「ゆずみそ」などの地域に伝わる料理を作っています。それらは、我が子や孫に「木頭ゆず」を通して故郷を思い出してもらえる心温まる郷土色溢れた料理です。100年先まで届けたい郷土料理「かきまぜ」:那賀町では、五目寿司のことを「かきまぜ」と呼びます。このお寿司は、通常の米酢などの醸造酢は使わず、ゆず酢100%の果汁を贅沢に使用するのが大きな魅力です。地域では、お祭りや帰省等人々が集う際の定番メニューとされています。
「木頭ゆず」を使った郷土料理「かきまぜ」
徳島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

岐阜の鵜匠家に伝わる鮎鮨

古くから美濃の名物として知られていた“鮎鮨(あゆずし)”です。伝承では、元和元年(1615年)、大坂夏の陣に勝利した徳川家康・秀忠父子は、岐阜に招かれ鵜飼でもてなされたといわれています。その時に食した鮎鮨を気に入ったのか、同年に鮎鮨を将軍家に献上する制度が始まりました。ぎふ長良川の鵜飼の鵜匠家に伝わる鮎鮨は、江戸時代の献上鮎鮨の伝統を引き継ぐもので、飯と塩で鮎を発酵させた、酢を使用しない「なれずし」の一種です。毎年冬になると、年末年始の贈答品として鮎鮨がつくられています。①塩漬け、②塩抜き、③鮨漬け、④口開けを経て完成した鮎鮨は、独特の風味がして何度でも食べたくなります。岐阜市内の旅館では、鵜匠家に伝わる鮎鮨を参考に独自に開発した鮎鮨を提供しています。新たな鮎鮨の商品開発に向けた企画検討も進められています。「家康公ご賞玩の味」として守り継がれてきた岐阜の誇る伝統の味をぜひご堪能あれ!
岐阜県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

魚飯

現在の竹原市街地は、江戸時代に入ると干拓がすすめられ、これを塩田としたところ良質の塩を産出しました。竹原は1650年から300年以上もの間「塩の町」として大いに栄え、塩田の持ち主は「浜旦那(はまだんな)」と呼ばれ、塩田が生み出す富を背景に豊かな商人文化を竹原に根付かせました。「魚飯」はその「浜旦那」が来客時のおもてなしや祭事の料理として提供していたものといわれています。魚飯の定義は、白身魚を焼き、その身を取りほぐしたものと、彩りを美しくする旬の具材をご飯の上に盛り付けます。最後に白身魚からとっただし汁をかけて食べる料理です。魚飯は新鮮な材料と旬の食材を使い、料理人が竹原の歴史に思いを馳せ、心を込め、手間をかけてつくる料理です。魚飯の具材は、錦糸卵、三つ葉、しいたけ、えび、海苔やたけのこ、白身魚(鯛、ひらめ等)です。
魚飯
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

清水羊羹

清水羊羹は安来市清水町にある名刹・瑞光山清水寺周辺で提供される代表的な和菓子です。起源は古く、平安時代に天台第三祖慈覚大師円仁が遣唐の帰路に清水寺に立ち寄られた際に、羊の肝料理を食べた話をされましたが、瑞光山清水寺は天台宗のため肉食を禁じられていました。そこで、肉や魚などを使わない精進料理として羊の肝を使った料理を再現したのが清水羊羹の始まりとされています(諸説あり)。その後、鎌倉時代末期に瑞光山清水寺より清水羊羹の製造方法が人々に伝授され、現在は清水寺周辺で4つの製造所が日々研究改善を重ねながら生産されており、清水寺に訪れる参拝客や地域の人々に愛されています。小豆・砂糖・寒天等(製造所によっては、左記の3つのみ)を主な原料として、「無添加」「手作り」の伝統的製法を今日まで伝承しており、製造所によって微妙に違う配分・製造過程により、独自の味や食感を表現しています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

きりたんぽ

「きりたんぽ」は、江戸時代からあり、日本三大美味鶏として有名な大館産比内地鶏のガラで出汁をとり、比内地鶏の肉や地元の具材を入れて作る鍋料理として、大館ではごく普通の家庭料理です。各家庭で、母から子へと代々受け継がれてきたいわば「おふくろの味」です。また、客をもてなすために欠かせない料理でもあり、冠婚葬祭の際は、必ずといっていいほどだされるごちそうでもあります。秋も深まり新米の出回る時期になると、新米のきりたんぽと脂の乗った比内地鶏を味わう「たんぽ会」が市内の至るところで頻繁に催され、街はたんぽ一色になります。大館の人々にとってきりたんぽは生活から切り離せないものなのです。このような大館の風土が、昔のままのきりたんぽを現在に至るまで守り続けてきました。
秋田県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

桐生うどん

1300年もの昔より桐生織の伝統を紡いできた織都桐生。明治から昭和初期の最盛期には、日夜問わず織機が動き、職人や女工は食事をとる時間さえ惜しまれるなか、手早く食べることができたうどんが重宝されたといいます。桐生うどんは織物産業とともに育まれ、地域の日常食として今日まで定着しています。元々桐生は浅間・榛名・赤城の火山灰を含む肥沃な土壌をベースに、日照時間の長さ、乾燥したからっ風、そして桐生川の名水と、良質な小麦が育つ環境に恵まれています。そんな小麦粉から、舌触りが良く、強いコシ、表面の光沢が特徴の桐生うどんは生まれます。通常のうどんに加え、幅広の「ひもかわ」も秋から冬にかけて、昔からこの地域で食されてきた郷土食で、最近では10cm以上の超幅広ひもかわが度々メディアで紹介されるなど注目が集まっています。織物の技術と共にこの地に伝わり産業と共に歩んできた日常食は、この土地独自の地域資源です。
群馬県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

金山寺味噌・径山寺味噌

鎌倉時代建長元年(1249年)に宋(中国)に渡った法燈国師(覚心)が、径(金)山寺で修行の際、習得した製法を日本に持ち帰り伝えました。そして、西方寺(現興国寺)の開山となり、お寺では、保存食(常備菜)として造られていましたが、美味で滋養があることから周辺にその醸造方法が伝えられました。また熟成の際、にじみ出る上澄み液が、美味なことから醤油へと発展しました。江戸時代になり徳川御三家紀州藩主、家康の子である、頼宣の産業奨励以来、工業的に広く和歌山県内で醸造されるようになり民衆に広がりました。調味料としての味噌とは違い、米・麦・大豆を全て糀にし、瓜・茄子・生姜・紫蘇などの野菜をふんだんに入れ醸造した味噌で、そのまま召し上がる“おかず味噌”です。現在も尚、その醸造方法が、受け継がれ和歌山県を代表する発酵食品であり郷土食として温かいご飯やお粥、焼き魚や生野菜の付け合わせとして親しまれています。
金山寺味噌・径山寺味噌
和歌山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

球磨焼酎

人吉球磨地方では、約500年前から米焼酎造りが行なわれています。米のみを原料とし、人吉球磨の水で仕込んだもろみを人吉球磨で蒸留し、人吉球磨で瓶詰めした「球磨焼酎」は、地名を冠することのできる世界的に認められたブランドです。人吉球磨の豊かな大地、良質な米と水へのこだわり、500年近く続く伝統と製法を守りながら丹精込めて造り続ける蔵人です。「球磨焼酎」は、地域と密接に結び付いた文化そのものであり、どこにもまねできない特別な米焼酎です。
球磨焼酎
熊本県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

クリームボックス

クリームボックスは、手のひらサイズのパンに白いミルク風味のクリームをたっぷり塗った郡山市発祥の菓子パンで、郡山市民のだれもが知っているご当地パンです。1974年(昭和49年)に誕生し、その後、市内のパン屋に広がり、子どもから大人までみんなに愛されるソウルフードに成長しました。高校の売店でも売られていた為、いわゆる団塊ジュニア世代の多くの人たちにとって、青春時代にたくさん食べた甘い思い出となっています。誕生から40年以上経過し、今では市内20店舗以上のパン屋で定番商品として販売されています。お店によって味や形に違いがあり、地元産品や季節のフルーツなどとコラボするなど、時代と共に様々なバリエーションが生まれ進化してきました。多くの人々に愛され続けてきたクリームボックスは、これからもふるさとの味として未来に受け継がれていきます。
クリームボックス
福島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

群馬のソースカツ丼

トンカツ、豚丼、焼肉など、様々な豚肉料理が堪能できる前橋市です。そんなグルメなまち前橋で知る人ぞ知る名物グルメが「ソースカツ丼」です。昔ながらの食堂はもちろん、洋食屋、そば屋など様々なジャンルのお店で、「ソースカツ丼」を提供しています。「ソースカツ丼」の歴史は大正にまでさかのぼります。特徴は、他のカツ丼のように卵でとじるのではなく、自慢のたれを絡めたスタイルにあります。とある店舗では創業時からの教えとして、「ソースカツ丼はソースが要である。だから、ソースをよく味わってもらえるよう、カツをできるだけ薄く揚げなさい」とのこだわりもあります。お店によって個性の違うソースカツの味を食べ歩いてみるのもおすすめです。
群馬のソースカツ丼
群馬県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

鯨肉郷土料理

山口県の北浦(山口県の日本海沿岸)地区では原始時代から鯨を食用に供していました。江戸初期には仙崎、通、川尻地区で「鯨組」という組織ができましたが、幕末から明治にかけて鯨組は衰退し、明治32年、全国初のノルウェー式砲殺捕鯨会社が長門市仙崎に設立され、近代捕鯨が始まりました。以上の捕鯨状況から、原始時代から鯨肉が食されていました。長門市では、昔から「南蛮煮」「くじらなます」「くじら汁」等が大晦日や節分に食されていた風習がありました。「南蛮煮」は、鯨肉(赤肉、皮、畝須)と季節の野菜(ごぼう、大根、人参等)を煮込んで味噌で味付けをしたもので、保存食としてよく作られたものです。「くじらなます」は、鯨の皮を薄切りにしてゆでてなますに入れたものです。「くじら汁」は、薄切りにした鯨の皮と季節の野菜をたっぷり入れた味噌味の汁ものです。いずれも伝統料理です。
鯨肉郷土料理
山口県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

けの汁

「けの汁」は豊里町の二ツ屋地区に伝わる郷土料理です。毎年1月中旬になると、大根やジャガイモ、タケノコ、焼き豆腐、油揚げ、ワラビ、ささげ(豊里特産のインゲン豆のような赤い豆)など十数種類の材料を使い、みそやしょうゆなどで味付けをした「けの汁」が家庭の食卓に上がります。江戸時代後期に、二ツ屋地区に移り住んだ盛岡藩の領民が始めたとされる固有の食習慣で、小正月の習慣として今も受け継がれています。似た材料を使う同名の汁物が青森県の郷土料理として知られていますが、二ツ屋地区では「カユの汁」とも呼ばれ、昔あった飢餓を思い出し、当時の辛苦を忘れないよう米飯をやめ、正月16日だけカユと汁を食べ昔の苦を偲ぶ習慣が今に残ったことが語源ともいわれています。野菜の旨みと調味料で出る味わい深い美味しさ、豊里町のしかも二ツ屋地区だけで作られている幻の郷土料理「けの汁」を今後も世代を越えて受け継いでいきたいです。
宮城県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

謙信ずし(笹ずし)

飯山市富倉地域の里人が上杉謙信に献上したと伝えられる謙信ずし(笹ずし)は、雪国の古人の知恵とロマンをかきたてる郷土食です。ぜんまいやこごみ、わらびといった山菜やくるみなど、山の幸を具材とするところは、海のない信州ならではであり、特有の食文化が発達してきたことが窺えます。飯山市では、祝い事や祭りなどの行事があると、笹ずしを「晴れの食」としてもてなす習慣があり、喜ばれています。また、酢をきかせた飯を抗菌作用のある笹の葉にのせるため、高い防腐作用があり、直接笹の葉から食べるのが本来の食べ方とされるなど、保存食、携帯食に適しています。1553年から12年間にわたって争われた川中島の合戦に向う謙信の兵が食べたとされる言い伝えも納得です。平成12年に「長野県選択無形民俗文化財」、平成19年に「飯山市選択無形民俗文化財」に指定されており、地域の誇りとして今後も継承していきたい大切な食文化のひとつです。
謙信ずし(笹ずし)
長野県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

五家宝

江戸時代後期から熊谷の地で作り続けられてきた五家宝は、伝統的な食文化として現代の熊谷人に愛され続けています。もち米を一旦もちについてから薄くのばし、細かく砕いて煎り、あられ状にしたものを円筒状にして、その外側に黄な粉をまぶします。より板(のし板)で長くのばしてから適当な長さに切ります。今もなお昔から継承されてきた独特の手作り技法によって、熟練した職人の腕や勘に頼りながら、家内工業的に作られており日持ちも良いことから、熊谷名物として人気を集め全国に知られるようになりました。五家宝の発祥には諸説ありますが、中山道の宿場町として栄え市も開かれていた熊谷では、荒川の恵みを受け、五家宝の原料となる良質の米がとれました。そして、大豆が豊富に作られており、水飴の原料となる大麦も多く収穫され、生産に適していたことから、「五穀は家の宝である」という祈りを込めて現在の「五家宝」が確立されたと考えられています。
五家宝
埼玉県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

五箇山かぶら甘酢漬

五箇山かぶらは古くから伝わる在来種で、連作を嫌うためなぎ畑(山の斜面での焼畑農法)で作る赤かぶらです。五箇山での一部地域でのみ栽培を続けています。10月から11月にかけて収穫し、甘酢漬は日常的にはもちろん浄土真宗の行事の各家庭の報恩講料理にも出てきます。今でも少しですがしっかりと受け継がれている伝統作物であり伝統料理です。
五箇山かぶら甘酢漬
富山県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

小倉焼うどん

北九州・小倉で誕生した焼うどんです。その歴史は終戦直後の昭和20年に遡ります。焼そばを作ろうにも、時代は食糧難のピークであり、当時の小倉では肝心のそば玉が手に入りにくい状態でした。やむなく干しうどんを代用して試作されたのが焼うどんであり、小倉発祥の起源となっています。現在は、小倉焼うどん研究所にて運営されているその店こそが小倉北区魚町にある「だるま堂」とされています。現在ではごく一般的な家内食となっている焼うどんですが、“元祖の味”が一線を画す所以は干しうどん、つまり乾麺を使用する点にあります。茹で置きが出来ない分、調理に手間暇がかかってしまうものの、焼き目がしっかりと付いた、もっちりとした食感を通常の茹で麺で実現することは不可能なのです。その秘められた“素材力”に着目し、様々なイベントを手掛けているのが「小倉焼うどん研究所」であり、小倉発祥説が一般レベルで認知される礎を築いてきました。
福岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

こづゆ

こづゆは、主に江戸期に北前船がもたらした海産物と会津古来の地場産品の組合せによりできあがった料理です。当時貴重な海産物を保存加工し独自につくりあげた、いわば会津を代表する郷土料理といえるもので、まさに会津の先人が風土に根差した当地固有の料理として創作したものです。その歴史は、江戸後期会津藩八代藩主松平容敬公の参勤交代の折、食べられた『重』という料理がルーツとされます。元々冬期間のお祝い膳に出されていましたが、現在は冠婚葬祭やお正月など特別な日に欠かせないおもてなし料理となっています。伝統工芸会津塗の「大平」という椀に盛られ、「手塩皿」という朱塗りの小皿に分けて食べます。
こづゆ
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

佐伯ごまだし

佐伯ごまだしは漁師の家庭で生まれ、長年家庭で愛され食べられてきた万能調味料です。市内の食堂でも食べられるようになったのは100年以上前のことで、お土産用の瓶詰めが販売され始めたのは昭和42年頃です。主に白身魚を焼きほぐし、ゴマや醤油等を加えて、よく混ぜ合わせ、ペースト状にして作ります。茹でたうどんにのせてお湯を注ぐだけで食べられ、まさに先人達が残してくれた優れもので、作る時は”スローフード”、食べる時は”ファストフードです。平成19年に農林水産省「農山漁村の郷土料理百選」に選定されました。味の伝承のため、地元の小中学生には授業の研究材料として、高校生には卒業間近の3年生に地元から離れても郷土の味を思い出してもらおうと校内で振る舞いを行っています。日本記念日協会から「佐伯ごまだしの日(11月10日)」を制定し、毎月10日を販売促進日として地元スーパーや道の駅等でご協力をいただいています。
佐伯ごまだし
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

皿鉢料理

「皿鉢料理」は、江戸時代より続く土佐伝統の宴会料理です。皿鉢料理は、「刺身」「鰹のタタキ」「寿司」、そして煮物や焼き物、揚げ物や果物等を盛りつけた「組みもの」などがあります。基本的には山川海の季節の旬を盛り込んだ料理になりますが、最近では洋風の料理を取り入れることもあります。また毎年3月には「食の祭典南国土佐皿鉢祭」が高知市内で開催され、県内で活躍する料理人たちが熟練した匠の技で作り上げた豪快かつ新感覚な皿鉢料理を展示しています。高知県では客を招いて宴会することを「おきゃく」と呼んでおり、その「おきゃく」で振る舞われる料理の一つが「皿鉢料理」です。皿鉢料理を大勢で囲み、食べたいものを好きなだけ、自分の小皿にとって食べる、堅苦しいルールに縛られない、何よりも自由を尊重する土佐ならではの料理です。
皿鉢料理
高知県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

サンマーメン

サンマーメンと言うと「サンマが乗っているラーメン?」と思っている人もいますが、サンマーメンは漢字で「生馬麺」と書きます。「生(サン)」「馬(マー)」は広東語の読み方で、調理法もやや甘めの広東料理に属しております。生(サン)は”新鮮でシャキシャキした”と言う意味。馬(マー)は”上に乗せる”という意味があります。つまり新鮮な野菜や肉をサッと炒めてシャキシャキ感のある具を麺の上に乗せることから名付けられたと伝われているのです。中区には中華街があり、サンマーメンは中国人と日本人の交流から生まれたものです。今では中区にだけでなく、神奈川全域はもちろん関東地区でもサンマーメンを提供するお店が増えております。この地より巣立った料理人により広がったのです。港町らしくマーの字が、馬ではなく嗎と書くお店もありますが埠頭で働く人がいたからこの字が使われていると言う説もありますが、交流から生まれた証拠です。
サンマーメン
神奈川県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

サンマのポーポー焼き・サンマのみりん干し

「サンマのポーポー焼き」は、新鮮なサンマのすり身に味噌、ネギ、生姜などをまぜてハンバーグ状にして焼いたいわき発祥の郷土料理です。太平洋戦争前、漁師が船上で料理をする際に、サンマの脂が炭火に落ちてポーポーと炎が立ったことに由来するという説もあります。いわき市では作り方を教える料理教室を開催しているほか、小学校の給食の献立としても提供するなど、継承の取り組みを積極的に行っています。お子様にもおいしいと評判です。「サンマのみりん干し」も、いわき発祥の郷土料理です。イワシのみりん干し製造が盛んでしたが、昭和23年に小名浜在住の安川市郎氏が、みりん干しに不適とされてきたサンマを使い始めたのが起源です。その製法を公開すると、「小名浜のみりん干し」の名が一躍高まるとともに、いわきの水産業に最大の活力を与えました。地元では「みりん干し」と言えば、サンマのみりん干しをイメージするほどに認識されています。
サンマのポーポー焼き・サンマのみりん干し
福島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定
有識者特別賞

静岡おでん(しぞーかおでん)

静岡おでんは大正時代から静岡県中部地域で提供される独特の食文化です。現静岡市の周辺には焼津や由比など新鮮な水産物を水揚げする漁港があり、「黒はんぺん」に代表される練り製品の製造が盛んだったことから静岡おでんが独自の発展をとげました。静岡おでん(しぞーかおでん)は、戦後の混乱期、牛スジや豚モツなどの安価な材料を煮込んだことで広まり、真っ黒なスープが特徴で、醤油ベースのスープは見た目と違って優しい味です。おでんの具材はお店により様々ですが、黒はんぺん、牛スジやモツ、コンニャクや大根、卵などが定番です。お好みで青海苔と魚のだし粉をかけるのが一般的な食べ方です。黒はんぺんはイワシやサバなどの青魚を丸ごとすり身にして茹で上げた静岡の郷土料理です。具材を串に刺すのも静岡おでんの特徴で、子供の頃に駄菓子屋さんで串の本数でお会計した経験は多くの市民にとって懐かしい思い出です。
静岡おでん(しぞーかおでん)
静岡県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

島そうめん

徳島県南部に位置する牟岐町出羽島は、漁業を生業の柱として栄えた伝統的な漁家の主屋が建ち並ぶ歴史的な漁村集落として、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。島そうめんはこの出羽島において戦前の頃から日常的・婚礼や船下ろしなどの祝いの席で提供される、地域の郷土料理です。そうめんを皿に盛り付け、長ネギ、かまぼこ、錦糸卵を添えて飾り付ける。甘辛く煮付けた魚の煮汁を使用したつゆを入れた容器をそうめんの皿の中心に置きます。魚は延縄漁などで獲られたレンコダイ(キダイ)を使用するのが主であり、そうめん、煮汁、煮魚が別容器で提供されます。水揚げされた魚を無駄にせず地域の限りある資源をとりこぼさず利用し、いただくという島民の姿勢から工夫された、米不足によりそうめんが配給された戦後の食糧難の時代を乗り越えてきた素朴ですが味わいのある料理です。島民のたくましさを表象するものとして次世代へ伝え残したいです。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

島原名物かんざらし

島原市は街中のいたるところで湧水が出る水の都です。島原名物かんざらしは、「島原の湧水」を使って練り上げた弾力のあるしっとりとした食感の小さなしらたま団子に、蜂蜜や砂糖等で作った特製のシロップをかけた上品な甘さのスイーツです。原料となるもち米を、大寒の日に水にさらすことから「寒(かん)ざらし」と呼ばれています。その歴史は古く、かつて江戸時代に庶民が年貢として納めることができないくず米を使って客人に振舞ったのが始まりと言われています。島原市内には現在30軒ほどのかんざらし提供店があり、それぞれのお店のオリジナルの味が楽しめます。
島原名物かんざらし
長崎県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

清水森ナンバ一升漬

津軽地方の在来種のトウガラシで風味豊かな「清水森ナンバ」を米麹と醤油で漬け込んでつくる伝承料理です。約400年前に、津軽の藩祖津軽為信が京都から持ち帰って広めたと伝えられています。清水森ナンバを一升と米麹一升、醤油一升を混ぜ合わせて作ります。すべての材料を一升ずつ使って仕込んだことからこの名前になりました。炊きたてのご飯のおかずや酒のさかなとして食されます。また、刺身、豆腐、納豆、卵かけご飯などに醤油代わりにも使われます。清水森ナンバはよく洗い小口切りにし、きれいに洗った樽に材料を全部入れて、まんべんなく混ぜ合わせ、そのまま樽に蓋をして3ヶ月以上おくと味がなじみ、美味しく食べられます。
清水森ナンバ一升漬
青森県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

しもつかれ

「しもつかれ」は、大根、人参を「鬼おろし」で粗めにすりおろし、鮭の頭、大豆、油揚げなどと柔らかくなるまで煮て、酒粕を入れてさらに煮込む滋味深い郷土料理です。諸説ありますが、平安、鎌倉時代に都で食べられていた炒った大豆に酢をかけただけの「酢むつかり」という料理が起源で、江戸時代中期、天明の飢饉の頃(1781-1789)、稲荷神社に供えた時に今の形になったとも言われています。主に親から子へ継承され、お正月で残った鮭の頭と節分で残った大豆を有効活用した料理であり、初午の日に無病息災、疫病退散などを祈願し、赤飯と共に稲荷神社に供える行事食です。お正月で残った鮭の頭と節分で残った大豆など食材を余すことなく活用する「MOTTAINAI」精神、ご近所七軒にお裾分けする「シェアする文化」、互いの家の味を認め合う「ダイバーシティ」など現代のSDGsにつながる精神性も継承してきた料理とも言えます。
しもつかれ
栃木県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

ジャンボうさぎ料理

ジャンボうさぎは、明治時代に端を発し現在まで100年以上にわたり飼育されてきた秋田県仙北地域の伝統的な家畜であり、大仙市中仙地域では「全国ジャンボうさぎフェスティバル」が開催され品評会や試食会が行われるなど、貴重な地域資源であるとともに代表的な特産品のひとつです。兎肉は、他と比べ高タンパク、低カロリーと言われており健康指向の方にお勧めで、独特の食感や旨味を味わうことができます。地元では一般的に鍋料理の具材として利用されることが多いですが、煮込み料理や、素材を活かした串焼きも非常に美味です。現在は飼育される方が少なくなり、一般の家庭ではなかなか手に入れることができない稀少な食材ですが、地域の飲食店では地元食材の特徴を引き出す料理人が腕を振るい、お店ならではの味を楽しむことができます。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

じゅうね餅

エゴマの中には健康長寿の源となる成分が沢山含まれています。この地方では古くからえごまを食べると健康で元気になると体験的に語られ、寿命が十年長生きできるということから「じゅうねん、またはじゅうね」と呼ばれました。貧しかった農村で農家の副食として食べられていたエゴマは、今や胆沢地域にある温泉保養施設ひめかゆ温泉の「じゅうね餅」としてでしか食べることができなくなりました。ほろ苦い中に甘みが溶け出すえごま独特の味わいで親しまれ十年長生きすると伝えられた健康長寿の「じゅうね餅」。江戸時代以後は稲作も進みこの地域が伊達藩の領内であったことからこの「じゅうね」を餅に絡めて食べるじゅうね餅が定着していました。今こそ地域の伝統食として100年先へ伝えたい食文化です。
じゅうね餅
岩手県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

松花堂弁当

松花堂弁当の始まりは、料亭「𠮷兆」の創業者の湯木貞一氏が京都府八幡市を訪れた際、部屋の隅に積み上げられた四つ切箱を見て「料理の器に使えないか」と思いついたことが始まりです。十字に仕切りがあるその器を見て、異なる料理を入れるという利点に着目し、年月を掛け創意工夫を重ね、食材同士の味や香りが移らず、舌で味わっても、目で味わっても美味しい、機能と美しさを併せ持つ松花堂弁当を生み出しました。湯木氏は、昭乗へ敬意を払って松花堂弁当と名付け、日本料理を代表する弁当スタイルとして、全国に広めました。平成の世になり、京都𠮷兆松花堂店が松花堂美術館に隣接して開業し、ゆかりの地で「松花堂弁当」を味わうことができるようになりました。松花堂弁当の誕生から88年、創業者の𠮷兆によりその伝統と技術を守りながらも創意工夫と進化を積み重ねる松花堂弁当は、100年を越えて継承していくべき食文化となっています。
松花堂弁当
京都府
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

小豆島そうめん

小豆島の歴史と文化に育まれた小豆島そうめん。瀬戸内・小豆島に手延素麺づくりの技が伝えられたのは、約400年前、お伊勢参りの際、三輪そうめんの作り方を学んで帰ったことが始まりと言われており、以来、小豆島の職人は頑(かたく)ななまでに、素材と製法を守り続けています。手延べで作られた麵は、コシがあり、味も一品!ごま油の香りも高く、風味豊かな一品です。昔から瀬戸内海沿岸の産業であった製塩業から得られた瀬戸内の良質な塩を使っています。ぜひ、小豆島の風を感じながらご賞味ください。
香川県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

白餅

秋田県にかほ市釜ヶ台地区に伝わる餅菓子で江戸時代に発祥しました。毎年12月12日の山神社の祭りの際に食べ、法要膳に藁を敷き、焼く前のこの餅を十二支に見立て箸でちぎりお供えしました。餅米とうるち米を混ぜ浸水させたものを、臼に入れ、杵で叩いて砕き、篩にかけながら細かくし、水、砂糖と少量の塩を加え練ったのち形成、両面をこんがりと焼きます。米本来の甘味に香ばしい焼き目がアクセントとなった、非常に素朴なお菓子です。
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

ジンギスカン

大正時代から綿羊の飼育が盛んになり、羊肉の様々な活用方策が研究され、このころから羊肉が食べられるようになったものと考えられています。第二次世界大戦後、北海道では綿羊飼育から羊肉用の飼育へと変わり、ジンギスカンが北海道内の一般家庭に普及したと考えられています。ジンギスカンは、中央が山のように盛り上がった専用の鍋で、羊肉と野菜と一緒に焼いて味わう北海道の郷土料理です。北海道民は専門店で味わうだけでなく、自宅用にジンギスカン鍋を持っている家庭もあります。外で大勢が集まるバーベキューなどの食事としても定着しています。ジンギスカンには、味付け肉と後から味を付ける食べ方があり、地域によって食べ方が異なるのも特徴です。例えば、道央の内陸部にあたる滝川では、味を漬け込んでから食べる「味付けジンギスカン」、道央でも沿岸部や都市部にあたる札幌や月寒では、味を後付けする「後付けジンギスカン」が主流です。
ジンギスカン
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

新子焼き

新子焼きは、若鶏の手羽を含む半身を焼いて味付けをした北海道旭川市のご当地焼き鳥で、戦後に誕生しました。当時肉は高価な食材で、頻繁に食べられるものではありませんでしたが新子焼きに元気をもらい旭川は復興へと力強く歩き続けました。旭川市では30店舗以上の焼き鳥屋、居酒屋等で食べる事が出来ます。提供している各店、使う鶏肉も違えば焼き方、味付けも様々です。今でも新子焼きは庶民のごちそうとして愛され続けている世代を超えた旭川のソウルフードです。ラーメンの様に、自分の好みの新子焼きを見つけていただけると幸いです。
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

背脂ラーメン

燕の背脂ラーメンは、極太麺を使用しており、スープは煮干しなどの魚介類の出汁が効いた、やや濃い醤油味となっています。そして、丼から湯気が上がらないほどにかけられている大量の豚の背脂が特徴です。これは、産業文化が育んだ食文化の一つで、当時の金属産業の発展にあわせ、その形を変えてきました。昭和初期、輸出用の金属洋食器の製造が盛んで、夜遅くまで残業が続いた職工たちの要望から、細麺・薄味で提供されていたラーメンを腹もちがよく、伸びにくい極太麺に変更し、汗をかく職工たちのため、しょっぱめのやや濃い醤油味に改良されました。さらに、スープを背脂で覆うことでスープが冷めにくくなり、忙しさのあまり出前直後に食べられない職工たちを喜ばせました。燕の背脂ラーメンは、金属産業が盛んなまち「燕」だからこそ生まれた食文化の一つです。現在は新潟五大ラーメンの一つに位置づけられ、地元燕だけでなく、全国各地で愛されています。
新潟県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

草加せんべい

草加宿で生まれたから、草加せんべい。地元で収穫した米で作る米せんべいは、日光街道(奥州街道も宇都宮まで重なる)の宿場町として栄えた草加宿(草加市)で名物となり「草加せんべい」と呼ばれたことが名称の起こりでした。日本各地にはいろいろなせんべいがありますが、草加せんべいは米と醤油を使った堅焼きせんべいの代表。小麦と砂糖を原料にした甘口のものとは風味が全く異なります。草加せんべいが作られるのは、平地と水に恵まれ、江戸時代からの水田地帯であった草加を含む中川流域。現在の「草加せんべい」は、せんべいに最適のうるち米を厳選使用して、熟練の技をもつ職人として認められた草加伝統産業技士によって、ていねいに焼き上げられる(または管理される)ため、品質とおいしさが確保されています。バリバリっと砕ける食感と共に、醤油の香りが広がる素朴で懐かしいおいしさが魅力です。
草加せんべい
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

大山おこわ

大山おこわは大山山麓地域の伝統食の一つとして親しまれています。醤油をベースに砂糖の甘さをほんのりと加えた優しい味は、お祝い事などのハレの日に食べられています。具材は干しシイタケや人参・ごぼうに加え大山山麓で採れるキノコや栗、山菜、鶏肉、ちくわなど、季節や地域によっても様々です。起源については諸説ありますが、中世動乱の時期に大山寺の参拝者の方々に振舞われ、また携帯食として利用されるようになり、周辺地域に広まっていったと考えられています。現在「大山おこわ」は大山寺周辺の宿坊や旅館、主要駅、道の駅で食べることができ、イベントなどでも振舞われます。地域の団体が「大山おこわ」継承のための活動を行い、中学生向けの地域教読本にレシピが掲載されるなど、次世代にこの食文化を伝える活動を行っています。
鳥取県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

高浜とりめし

今から約110年前、明治37年の日露戦争の時に従軍した加藤弥七さんが、にわとりの孵化技術を持帰りました。その後、高浜市の地場産業として、卵の生産が盛んになり、同時に、卵を産まなくなった廃鶏(成鶏)を食べる文化が始まりました。その代表的なものが「とりめし」です。廃鶏は硬い肉なので、薄くスライスすること、たまりと砂糖で水を使わないで具を炊くこと、炊き込みではなく混ぜご飯にする、具材をとり脂で炒めることなどの特徴を持っています。養鶏業が盛んであった高浜市の吉浜地域。「上地区」では、米と鶏肉を中心としたシンプルな内容に対して、「下地区」では、これに椎茸や人参、油揚げなどを入れる内容となっています。このように「とりめし」は、それぞれに地域特性があり、歴史を感じさせる食文化となっています。高浜とりめしをご家庭で作りたい方は、高浜とりめし学会ホームページでレシピ動画をご覧になれます。
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

茶汁

「日本緑茶発祥の地」宇治田原町の郷土料理である「茶汁」です。緑茶を生み出した永谷宗円が生まれ育ち、緑茶を生み出した地である湯屋谷(やんたん)にて、その食文化は生まれました。インスタント味噌汁の先駆けとも言われる茶汁の歴史は古く、江戸時代にまで遡るのではないかと地元で言われています。昔から農作業の時の昼食として家庭からみそ玉を入れたお椀を持っていき、焚き火でなすやニシンを焼き、自生しているみつばやセリを加え、番茶を注いで食してきたもので、湯屋谷の方々に長く愛される素朴な料理です。そんな茶汁を今風にアレンジしたのが、湯屋谷にある交流拠点施設、宗円交遊庵やんたんの「彩りの茶汁」です。地元のお母さん方で形成された、あばんずキッチン(“あばん”は方言でおばちゃんという意味)が提供する茶汁はまさに湯屋谷の家庭の味です。そんな温かみと味わい溢れる茶汁を、ぜひ味わいにやんたんまでお越しください!
茶汁
京都府
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

中日そば

香南市で約70年前から簡易食として愛されているのが「中日そば」です。中日そばの概要は、うどんの出汁に中華麺といった意外性があり独特の風味が楽しめる麺食で、あっさりとしたうどんだしに中華麺が入っている、和と中のコラボレーションです。昔から親しまれてきたローカルフードは、香南市内の飲食店などで味わうことができます。各お店の味もさまざまなので、ぜひぐるりと食べ歩いてみてください。顧客の大半は香南市外或いは県外、まれには国外の方々も含まれ、地域観光の重要なファクターである飲食の一翼を担っています。
高知県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

津島の六宝

「六宝(ろっぽう)」は愛媛県南部にある津島町で食べられている伝統ある郷土料理で明治時代から食べられています。また「宇和島鯛めしの元祖」とも言われております。六宝の特徴は旬の魚を使用して六種の宝(①酒②醤油③みりん④砂糖⑤ごま⑥生卵)に漬け込むことです。魚の種類は決まっておらず、「赤身、白身、青魚」など各々好きな魚で食べることができます。六種の宝に漬けられた魚を、タレと一緒に炊き立ての白ご飯にかけると、見た目と香りで食欲がそそられ、口に運ぶと魚、タレ、ご飯の豊潤な香り、うま味、魚の触感が感じることができ、お箸が止まりません。この美味しい郷土料理を後世に残すとともに、より多くの人々に食べていただければ幸いです。
津島の六宝
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

対馬ろくべえ

対馬の郷土料理「ろくべえ」の原料である甘藷は、1715年、島の郷士「原田三郎右衛門」が薩摩より種芋を持ち帰り、島の飢餓を救いました。山が険しく平地の少ない対馬では、昔からやせた土地でも育つさつまいもやそばがたくさん作られていました。食べ物がないときは、さつまいもを食べて命をつないだことから、今でも孝行いもと呼ばれています。春の田植え、秋の稲刈り、いもほり、麦植えと農家の人は厳しい仕事に体力が必要でした。そういう時に力をつけようと考えられたのがさつまいもから作られるせん団子を使ったろくべえでした。せん団子は出来上がるのに千回も手がかかるところから「せん」という名前がついたと言われています。
対馬ろくべえ
長崎県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

津和野の芋煮

日本三大芋煮の一つ、津和野町の芋煮は笹山地区の豊かな火山灰土質で育った他にない粘りときめの細かさをもつ里芋を使います。小鯛をあぶって手で一つ一つ身をほぐし、昆布とともに取った出汁で里芋をじっくりと煮つけ、味付けは塩と薄口しょうゆを少し、刻んだ柚子の皮を添えて上品な味を楽しみます。見た目は至極シンプルですが、上品な奥行きのある味に魅了されること間違いありません。津和野百景図第71図に描かれる松林山天満宮には嘉永2年(1849年)に芋煮を囲み、酒を酌み交わす様子が描かれた額が奉納されており、既に芋煮が身近であったことがわかります。現在では毎年10月に「芋煮と地酒の会」として受け継がれ、地元料理人が大鍋を前に腕を振るいます。来る人来る人に芋煮や地酒をふるまい、訪れた人は存分に秋の味覚を堪能します。
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

とまこまいカレーラーメン

「カレーラーメン」は麺に絡みつく濃厚なスープとカレースパイスの香りが脳を刺激!北海道の寒さの中で、記憶に焼き付くような味わいです。製紙工場や自動車製造工場、製油所など世界企業を有するわが街において、多くの働く人々が、日常のご褒美に食べたくなるラーメンと言えます。子どもたちは郷土食として、学校給食でも味わいます。昭和に生まれた「カレーラーメン」は、土地と人が生活の中で育てた故郷の味。その時代の舌に対応するよう変化も受け入れ、大事に育て、次の世代にも引き継ぐことが願いです。この先の未来にも残る、私たちの郷土食として100年フードに名を連ねます。
北海道
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

なすのたたき

高知県安芸市では古くから冬から春にかけて栽培される「冬春ナス」の生産が盛んな地域で、一時は日本一を誇っていたほど、日本有数の産地です。そんな地域でナスを消費するために家庭料理として生まれたのが「なすのたたき」です。素揚げしたナスの上に細かくほぐした焼きアジの身を乗せ、さらにその上からショウガ、ミョウガ、大葉などの薬味を散らし、ゆずポン酢をかけて食べます。油との相性が非常に良いナスに魚の旨味や薬味の爽快感も合わさってお箸が止まりません。
なすのたたき
高知県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

なよろ煮込みジンギスカン

北海道を代表する食文化「ジンギスカン」のうち羊肉をタレに漬け込んで食する地域のなかでも、名寄地方で販売されているジンギスカンは肉とタレの割合が6:4で、道内他地域の7:3と比較してタレの割合が多くなっています。戦前は焼肉としての食べ方が普及しておらず、鍋料理として食べられていたため、汁(タレ)が多く必要であり、その名残りとしてタレの多い文化が現在まで受け継がれたと考えられています。智恵文地区では北海道の中での昭和の初期段階から羊肉が生産者を中心に食べられていたことがわかりました。名寄では、この味付きジンギスカンをタレごと鍋に入れて、お好みの野菜やうどん等の具材とともに豪快に煮込みます。北海道ではお花見に七輪でジンギスカンを食する文化もあり、春から秋にかけての消費が圧倒的に多い料理ですが、名寄では鍋料理としても位置付けられており、冬の消費量が多いのも特徴のひとつです。
北海道
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

鳴門わかめ料理

徳島県のわかめは、古くは奈良・平安時代から特産品として全国的に有名であったようです(927年「延喜式」に阿波の貢物としての記録)。1960年代から鳴門海峡を中心に養殖業が本格化し、徳島県は全国3位の養殖わかめ生産量を誇り、2010年代では年間6千トン前後を生産しています。産地ならではの料理として、新鮮な生わかめを湯通しすると美しい緑色になり、ポン酢で「しゃぶしゃぶ」が楽しめます。湯通し塩蔵わかめは、水戻しして汁物や酢の物、刺身の添えなどに使い、乾燥糸わかめやカットわかめは、そのまま温かい汁物などに入れるだけで歯ごたえの良い食感が楽しめます。また、乾燥糸わかめは「わかめ針」で葉を一本ずつ糸状に割いて乾燥させたもので、昔ながらの手間暇かけて作る伝統の技が受け継がれており、贈答品や土産物などとして活用されます。このような「鳴門わかめ」料理を郷土の伝統として、未来にしっかりと伝えていきたいです。
徳島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

寝寿司(ねずし)

寝寿司は馴れ寿司の一種で、岐阜県の飛騨地方を中心に冬の保存食品として作られ、飛騨地方では正月の御馳走として大切に伝えられてきました。起源は明治以降と考えられ、100年以上の歴史があると推定されています。作り方は人参、大根を短冊に切り、少し塩を振り、塩鱒は水で塩抜きをし細かく刻みます。これらに米麹をまぶして冷やした白ご飯に混ぜ樽などに入れ、重しをして約20日間ほど熟成するため寝寿司といわれています。寒さが厳しくなる12月中旬頃から漬け込み、20日ほど熟成して正月に間に合わせます。作り方にマニュアルは無く、昔から各家庭に代々伝わってきた郷土料理です。冬の気温変化などにより味が変わりやすく熟成まで手間がかかります。発酵食品特有の滋味に地方ごとの冬の気候の微妙な差、材料による味の差なども加わって生まれる味はとても奥深い味です。地域の重要な食文化として家庭や地域が連携して後世に残したい食べ物です。
岐阜県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

はまなみそ

「はまなみそ」は、秋・冬限定の福井独自のおかず味噌です。由来は、諸説ありますが、江戸時代に徳川家康が好んでいた「浜なっとう」を、家康の次男である結城秀康が越前(福井県北部)に赴任した際に、静岡県の浜名湖周辺で作られていた「浜なっとう」を持ち帰り、家臣や村人などにも広め、福井県の風土に合った越冬食へ変化したものと言われています。「はまなみそ」は県内のいろんな醤油屋・味噌屋で製造しており、甘めな味付けのものからやや辛口のものなど、メーカーによって味違いがあります。食べ方としては、温かいご飯と一緒に食べるのが一般的で、酒の肴や大根やきゅうりなどともよく合います。時期は10月から3月頃で、福井県内ではお土産物屋さんだけでなく、スーパーなどでも販売されています。
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

はらこめし

宮城県を代表する秋の味覚「はらこめし」は、炊き込まれたご飯の上に脂ののった鮭の身と大粒のはらこ(卵)を贅沢にのせた亘理町発祥の郷土料理です。主な調理法として、まず醤油や酒、砂糖などを合わせ、一口大の鮭の切り身を煮て、次に煮汁にはらこを軽く通し、その煮汁を使ってご飯を炊き、身とはらこをのせて完成となります。古くは、荒浜の漁民が、貞山堀の工事臨検で訪れた初代仙台藩主伊達政宗公(安土桃山時代から江戸時代前期)に、鮭のはらこをご飯に炊き献上したところ大変喜ばれ、側近に吹聴したことが世に珍重された始まりと伝えられています。また、阿武隈川河口にある川口神社の秋祭りにおいて、五穀豊穣と豊漁を感謝するため新米と遡上した鮭を合わせ調理し、神饌として捧げ食べられたものが始まりであるとも言われています。近年では町内のいたるところで「はらこめし」ののぼりが立ち、多くの観光客がその味を求めて訪れています。
はらこめし
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

半夏生さばの食文化

夏至から数えて11日目、春の農繁期が終わり、夏を迎える半夏生の日に、串刺しの丸焼きさばを食べる風習があります。夏バテ防止策として、藩主が焼さばを食べることを奨励した、あるいは、焼さばを配ったことにより始まったと言われています。風習の始まりは定かでないですが、江戸時代後期には定着していたことが古文書からわかります。内陸に位置する大野ですが、江戸時代には、越前海岸に接する飛び地「西方領」(現在の丹生郡越前町の一部)を持っており、このことが風習の成立に繋がったと思われます。冷蔵できない時代は行商が運んでくる半夏生さばは御馳走でした。近年においては、市内の鮮魚店やスーパーで販売されており、店頭で焼き上げる鮮魚店には、煙と香ばしい匂いが立ち込め、半夏生さばを買い求める多くの人で賑わいます。その様子は、季節を感じさせる一つの風景となっています。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

東出雲の畑ほし柿

さかのぼること約450年前、毛利軍によってもたらされたと言われる自然を利用した天日(自然)乾燥による加工技術を今に伝え守り続けています。原材料は、全て生産者が育てた柿(西条柿)だけを使用し、一つ一つ丁寧に皮むきを行い、風通しの良い木造三階建てのガラス張りの専用小屋(柿小屋)で、約1ヶ月かけて干し上げて完成です。加工に伴う添加物などは、一切使わず、常に安心・安全な「ほし柿づくり」に努めています。平成19年からは、生産者全ての農家が「エコファーマー」認定を受け、土づくりから栽培を行っています。「人と風土と伝統」をお届け致します。是非一度ご賞味してみて下さい。
東出雲の畑ほし柿
島根県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

ひきずり(名古屋コーチンのすき焼き)

「ひきずり」は、尾張地方で古くから食べられている鶏肉のすき焼きのことです。岩倉は戦前より名古屋コーチンの産地として知られており、昭和30年頃までは、一般家庭でも、鶏小屋を設けるくらいの広さの土地さえあれば、名古屋コーチンを飼っていました。その頃には、日常的にその卵が食べられ、祭りや大切なお客様を迎える日には、ひきずりを楽しんだそうです。ひきずりは特別な日を彩るちょっと贅沢な郷土料理として親しまれてきました。現在は、岩倉市名古屋コーチン振興組合加盟の2店で提供されており、いつでも新鮮な名古屋コーチンを使用した郷土の味を楽しんでいただくことができます。岩倉産の名古屋コーチンは、歯ごたえと噛みしめたときの口中に広がる肉汁のコクや香りが、他の鶏肉とひと味もふた味も違うと評判です。ひきずりの語源は、色々な説がありますが、鶏肉を食べるときに鍋の底を引きずることからその名が付いたなどと言われています。
ひきずり(名古屋コーチンのすき焼き)
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

氷見のぶり食文化

氷見の象徴といえば、「氷見の寒ブリ」です。冬になると、ブリは産卵前に丸々と脂肪を蓄えて北海道沿岸から日本海沿いに南下し、ちょうどよい脂がのった状態で富山湾にやってきます。地理、定置網漁法、漁業者の技術などが積み重なって、氷見のブリは格上の存在感です。ブリは頭からしっぽまで余すことなく食べられ、脂ののり、極上の旨味を堪能できる「刺身」はもちろん、ブリカマや切身を塩焼きとして、近年では大きく切った刺身をさっと湯にくぐらせてポン酢などにつけて味わう「ぶりしゃぶ」が県外の方々に好まれています。ほかにも胃(氷見ではフトという)をきれい洗って細かく刻んで「なます」や「味噌あえ」に、そして「ぶり大根」は、大根とともに頭や骨などのアラをじっくり煮込み、ブリのエキスを染みこませた代表格で冬の定番です。しょうゆ味が基本ですが、氷見では味噌味で作る場合もあります。
氷見のぶり食文化
富山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

平戸寿司(押し寿司)

江戸時代から継承されている、「平戸寿司(押し寿司)」は地域のお祝い事や催し事でつくられてきたお料理です。その時代からの調理法を忠実に守り、今に至ります。砂糖文化が花開いた長崎平戸ならではの、甘目の酢飯と具材が地域の方々に愛されています。作り方は、もろぶたの底に酢飯を広げ、その上から寿司具をのせ、更に酢飯を広げ蓋をして上から押さえます。酢飯は、もろぶた一箱につき米2升を使います。寿司具は、煮付けた牛蒡や椎茸、かんぴょうなど使います。
平戸寿司(押し寿司)
長崎県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

備後府中焼き

戦後の高度経済成長期、共働きの家庭が増えた頃、おやつやごはん代わりに食べられていた備後府中焼きは、子どもの頃から親しまれている府中市民のソウルフードです。備後府中焼きの特徴は、牛や豚のミンチ肉を使ったそば入りのお好み焼きで、モヤシは入れず、ミンチの旨みとキャベツが一緒になることで、中はフワッと、外はミンチの脂でカリッとした焼き上がりになります。市内には備後府中焼きの店が点在し、B-1グランプリ出場やミシュランガイドに掲載されたこともあり、市民だけでなく観光客からも人気のご当地グルメです。より多くの方に備後府中焼きを知っていただくため、東京の神田小川町に府中市アンテナショップ「NEKI」でのPRや、備後府中焼きのマスコットキャラクター「ミンチュー」のイベント等での出演、府中市出身の元広島東洋カープの選手、片岡光宏氏を「備後府中焼き広報大使」として任命し、幅広い広報活動を行っています。
広島県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

福井のソースカツ丼

福井県は「カツ丼」と言うと、まずソースカツ丼が頭に浮かびます。これは大正2年に高畠増太郎さんがドイツで料理の修行から帰ってきて、当時日本にはなかった“ソース”を使ってカツ丼にしたのが始まりでした。大正6年頃には東京に店を構えていたそうですが、関東大震災で実家の福井に疎開し、福井でソースカツ丼を提供し始めます。福井県ではそば屋も多く、その多くが丼ものも提供しており、越前おろしそばとソースカツ丼という組み合わせは、福井の外食における鉄板メニューでもあります。玉子とじカツ丼との決定的な違いは肉の厚さです。ソースカツ丼のカツは薄く、カリカリに揚がったカツを2~4枚、ソースにくぐらせて丼の上に乗せるだけです。ごはんとカツの間にはキャベツも敷きません。いたってシンプルなソウルフードです。ソースカツ丼のソース、という商品も登場しているほど、福井の食文化として根付いています。
福井県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

富士宮やきそば

戦後、アメリカからの支援物資である小麦粉を活用して製法や焼き方が考案され、富士宮市民にとって当たり前の日常食であった「やきそば」が「富士宮やきそば」として一躍日本を代表する「ご当地グルメ」となったのは、「富士宮やきそば学会」が設立された2000年の秋でした。その「富士宮やきそば」の特徴をご紹介いたします。①製造工程で蒸したのちに麺を急速に冷やし表面を油でコーティングして極力水分のないコシのある蒸し麺の使用。②地元産キャベツの使用。③麺になじみ易く、少し辛めで薄味のウスターソースの使用。④豚肉の背脂を溶かしてラードを作るときに残った副産物「肉かす」を使用。⑤「だし粉」の使用。イワシの削り節を作る工程でできる粉末のことです。風味が醸し出されます。⑥紅しょうがを使用、「ミカチャン」の名称で親しまれています。
富士宮やきそば
静岡県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

府中味噌

江戸時代、山陰や中国山地の産物が石州街道を使って全国に運ばれ、その集散地として賑わった広島県府中市。米や大豆、塩など良質な原料がそろう環境に恵まれ、みそ醸造が盛んでした。かつては備後国の国府が置かれ諸国人の出入りが多く、福山藩主水野公が参勤交代道中の諸大名に白みそを贈呈したことがきっかけで、府中味噌の名は全国に知られるようになったと言われています。府中の白味噌はきめ細かで、透き通るような白色、風味豊かな低塩の甘口が特徴で、料理調味料として高級品扱いされてきました。昨今の料理離れ・和食離れの流れを受け、府中味噌も消費量が大きく落ち込み、蔵の廃業も進み、現在は3社を残すのみとなりました。400年以上の歴史をもつ「府中味噌」を継承していくため、海外への販路拡大や味噌を使った加工品を開発するなど、味噌の可能性を広げる新しい取り組みを行っているほか、味噌づくり体験の受け入れなども行っています。
広島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

太巻き祭りずし

太巻きずしは切り口に花や動物や文字など様々な文様が表れることが特徴で、上総地方を中心に米を作っている農民たちにより、巻かれていた太い海苔巻きです。東京湾で豊富に採れる「海苔」、保存のきく「干瓢」、手近に売られている「赤でんぶ」の三品が基本となって、冠婚葬祭の主役として、様々な文様が生まれました。まさに農民の手から生まれた農民の芸術作品が、千葉県の太巻きずしです。素材が簡単に得られ、工夫次第で数々の切り口の造形が作れることが特徴です。すき海苔を農家が買えるようになった時代が検証できていないため、いつごろから作られてきたかは分かっておりませんが、戦前の昭和の時代に作られていたことは確実です。江戸時代の終わりごろから作られてきたという説もあります。
太巻き祭りずし
千葉県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

フライ・ゼリーフライ

「フライ」と言えば一般的に揚げ物というイメージですが、行田市の位置する北埼玉地方は古くから小麦の産地であり、「フライ」は揚げ物ではなく小麦を使った焼き物を意味します。小麦粉を水で溶き、鉄板の上で薄く焼き、ねぎ、肉、卵などを入れ、ソースまたは醤油だれをつけて食べるふわりとしたお好み焼きのようなものです。安くて持ち運びが便利なうえに腹持ちがよく、昭和初期には足袋工場で働く女工さんに大ヒットし、販売する店が増えて定着したと言われています。一方、「ゼリーフライ」は、モチモチとした食感が大人にも子どもにも大人気で、ジャガイモにねぎやにんじん、おからが入った、衣のついていないコロッケのようなものです。そのルーツは明治時代の日露戦争の時に中国から伝わった「野菜まんじゅう」と言われ、名前の由来は、小判形であることから「銭フライ」といわれていたものの「銭」がなまって「ゼリーフライ」となったと言われています。
埼玉県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

へきなん焼きそば

へきなん焼きそばとは、味付けに「白しょうゆ」を使用し、碧南市の特産物である人参、玉ねぎをふんだんに使用したご当地グルメです。江戸時代後期に碧南新川が発祥とされる白しょうゆは、通常の醤油とは異なり主原料は小麦を使用しています。碧南市が誇る人参「へきなん美人」は、味が良いため評価がとても高く、地元の人も手に入りにくい人気の野菜です。玉ねぎは、海沿いの砂地で栽培され、みずみずしく辛みも少なく、ドロドロ血液・中性脂肪・コレステロールの解消にも最適です。また、イベント出店時では、環境保護に少しでも貢献できるよう食べれる器を開発し、SDGsへの取り組みも行っています。イベントだけではなく、市内の飲食店に協力をしていただき、その店独自のへきなん焼きそばを楽しむことができます。100年先も碧南のご当地グルメとして愛される事を目指し、活動を続けています。
へきなん焼きそば
愛知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

へしこ

へしこは魚のぬか漬けのことで、若狭地方の伝統料理です。歴史は古く、江戸時代の中頃にはすでにつくられはじめていたといわれています。春にさばがとれた時につくり、秋の終わり頃に取り出して食べます。この地域は、魚を食べないとご飯を食べた気のしない人が多いので、冬で漁がない時などに焼いて食べます。焼くとぬかの焦げるにおいが香ばしく、ご飯がすすみます。田烏、矢代などの浜のひとたちが、魚のとれた時に大八車等に積んで持ってきて漬込んでくれます。
へしこ
福井県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

へらずし

大堂海岸に定置網を敷く古満目は、江戸時代後期から続くブリの産地です。特に明治40年代前半までは豊漁で、新鮮なブリを刺身や塩焼きなどいろいろな料理で楽しむなかで生まれたのが『へらずし』であり、今も地域食として地元で愛されています。名前の由来は、エビの建網の目合いの幅を測る竹のへらや、曳網漁の疑似餌へらに形が似ていることだと言われています。一番脂ののった部位を酢みかんを混ぜた酢で締めて風味豊かに仕上げ、ゴマの香りとともに上品に味わうことができる一品です。
へらずし
高知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

ベンケイ

「ベンケイ」は福島県南相馬市原町区の沿岸部に位置する萱浜地区に伝わる郷土料理です。江戸時代後期、天明の飢饉で荒廃した中村藩の農村復興政策のひとつとして実施された移民政策により、おもに北陸地方から入植した浄土真宗移民が持ち込んだと伝わります。大根や芋がら、赤唐辛子を酢、醤油、砂糖で炒め煮した料理で、かつては正月用の保存食や浄土真宗のお講など、ハレの日の食べ物とされました。現代では、晩秋から冬の“季節の味”として受け継がれています。その名称は、移民の出身地のひとつである富山県砺波地方の方言の「ベンケ=大根おろし」「ベンケオロシ=唐辛子を入れた大根おろし」が由来であると考えられます。萱浜地区は、東日本大震災による甚大な津波被害のため地区のほとんどが災害危険区域となり、居住が制限されました。今後どのように「ベンケイ」を継承していくか検討を進めています。
福島県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

北条鯛めし

古くから北条地域で親しまれてきた「北条鯛めし」は、鯛一匹を丸ごと、ご飯と一緒に炊き込む北条地域が誇る郷土料理です。「北条鯛めし」の特徴は、ごぼうや人参などの野菜や揚げなどが入っておらず、鯛とだしコブで作られています。「北条鯛めし」の起源は古く、高縄半島の西、風早(かざはや)平野の沖合に浮かぶ小さな島「北条鹿島」名物「鯛めし」は、「神功皇后が、朝鮮出陣の道すがら、北条鹿島に船を寄せ、鹿島明神に勝ち戦を祈願されたおり、風早(かざはや)浦の漁師たちは、近海で漁獲した新鮮な鯛を献上した。皇后は吉兆として快く受け入れられ、その時さらに鯛をのせて飯を炊き差し上げたところ、大いによろこばれ、その美味を賞された。」と言い伝えられています。
北条鯛めし
愛媛県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

朴葉寿司

初夏、朴の葉が若葉色になると、各家庭で作り始め、昔は田植えの忙しい時期の手軽な弁当として親しまれてきました。朴葉には殺菌効果があるといわれており、持ち運びしやすく日持ちもすることから古くより田植えなど共同作業の時の携帯食に用いられてきました。 朴葉寿司の具材や調理方法は各地域、各家庭で異なっています。すし飯の上に鮭や鯖、鱒、キャラブキ、椎茸などの具をのせて朴葉で包んだタイプと、鮭や鯖、鱒をほぐしてすし飯に混ぜ、その上に具をのせ朴葉で包むタイプがあります。具はヘボ(蜂の子)など、地域特有の食材が入ることもあります。 各地域や家庭における具材、包み方はそれぞれです。葉の包みを開いて頬張ると朴の葉の香りがふんわりと漂い懐かしい味に癒されます。
岐阜県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

朴葉の食文化

朴葉を使った料理は、民俗学者柳田國男氏の著書「木曽から五箇山への旅秋風帖」に朴葉すしを食した文章があることから、明治42年(1909年)以前より伝えられてきました。朴葉に包まれ食事の際に手が汚れにくく、朴葉の殺菌効果により日持ちが良いのが特徴です。携行食として持ち歩き、農作業や木こり仕事の合間などにも食され重宝されています。朴葉すしは、各家庭の味があり、当会では、春に地元で採れたフキを煮たキャラブキや煮シイタケ、卵、塩鮭、シソの実、紅ショウガが入ります。朴葉もちは、米粉を蒸して丸くのばし、つぶ餡を挟んで朴葉で包み、二度蒸しします。田植えの時期が、旧暦の端午の節句頃から、半夏生頃であり、朴葉を使うにはちょうど良い季節で、端午の節句のお祝いや田植えのねぎらいに、「ハレの日」のごちそうとして、朴葉寿司、朴葉もちが作られてきました。この土地ならではの食文化として、郷土の味を、守り続けていきます。
朴葉の食文化
岐阜県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

ほしいも

明治時代後半に茨城県に伝わり、老若男女に親しまれているのがほしいもです。茨城県は全国のほしいも生産量トップを誇り、その大部分を生産しているのが、ひたちなか市、東海村、那珂市です。ほしいも作りに適した、水はけの良い砂地を含んだ土壌、ミネラルを含んだ潮風により、ほしいもの製造が発展していきました。当地域では、伝統的な品種のたまゆたか、いずみ、強い甘みが特徴の紅はるか等100年続く産地ならではの多くの品種が製造されています。生産者等から構成されるひたちなか・東海・那珂ほしいも協議会では、日本一の産地の維持・発展を目指し、ほしいも三ツ星生産運動とほしいも品評会の事業を展開しています。ほしいも三ツ星運動は、衛生加工の実施などにより、安全で安心なほしいもの生産を推進する取り組みです。ほしいも品評会は、生産者の技術を高めることや、ほしいもを多くの方に味わっていただくことを目的として、毎年開催しています。
茨城県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

ボルガライス

福井県越前市の武生地区を中心に40年以上前からあるボルガライスです。ライスとたまごとトンカツ、そしてお店のオリジナルソースが重なり合ったグルメでボリューム満点です。越前市の三大グルメの一つにも数えられ、市内20店舗以上あるボルガライス提供店では、それぞれまったく異なる味のボルガライスが食べられます。ぜひともお腹を空かせてボリュームあるボルガライスを食べ歩き、あなた好みのボルガライスを見つけてください。
ボルガライス
福井県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定
有識者特別賞

ぼたん鍋

丹波篠山の猪は、丹波栗、丹波松茸、丹波篠山黒豆、山の芋、コシヒカリなどをたらふく食べる美食家です。猪肉には木の実の香りと味が染み込み、クセや臭みは全くありません。丹波篠山市は猪肉の本場で、その代表的な料理が「ぼたん鍋」です。ぼたん鍋は丹波篠山が発祥で、明治時代からおもてなし料理として食されています。猪肉を薄切りにして牡丹の花のように盛り付けた姿は、宴会の卓上をぐっと華やかにしてくれます。白菜、人参、ネギ、ごぼう、キノコなどたくさんの地野菜と一緒に煮込む猪肉は、煮込めば煮込むほど柔らかくなり、栄養的にも優れています。ぼたん鍋の旬は12月~3月ですが、現在は冷凍技術も発達し、年中美味しい猪肉が食べられます。丹波篠山市内では、約40店舗の飲食店でぼたん鍋が提供されており、各お店こだわりの出汁や味噌を味わっていただけます。
ぼたん鍋
兵庫県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

ます寿し

ます寿しの歴史は古く、平安初期の「延喜式」に越中からます寿しを朝廷に献上した記録があります。春祭りや婚礼など目でたいときに作られ、一般家庭でも「おふくろの味」として伝承されてきましたが、現在は家庭で作られることはありません。各家庭におふくろの味があるように、ます寿しにも各家庭でひいきの味があります。甘味、酢の感じ、塩と押しの加減、また味付けだけでなくますの厚みや並べ方、ご飯の炊き方にご飯とますの置き方など、各店素材と伝統の味付けに最も合う方法で一つ一つ職人が作り上げ、誇りをもって秘伝の味を今に伝えております。
ます寿し
富山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

松江の茶の湯文化

松江は、京都、金沢と並んで茶処、菓子処として有名です。その要因に、江戸時代の松江藩松平家七代藩主・松平治郷公の存在があります。松平治郷公は不昧と称し茶の湯文化を極めた大名茶人です。松江には不昧公が育んだ茶の湯文化が今も生活の中に息づいています。まちでは多くの茶舗や和菓子の老舗が暖簾を守り続けています。不昧公が目指した茶道は不昧流として伝えられ、茶会で使われた「若草」「山川」「菜種の里」の松江三大銘菓をはじめとした和菓子の数々は、現在にも受け継がれています。また、松江の茶の湯文化は、松江の歴史、風土等を反映しながら継承され、日常的な生活の中で培われてきた特有の文化です。市民のみならず松江を訪れる観光客もこの茶の湯や菓子を目当てに訪れ、お土産としても喜ばれております。
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

まめぶ

「まめぶ」は江戸時代から伝わる郷土食です。岩手県久慈市山形町(旧山形村)にて受け継がれ、ここまで伝承範囲が限られた郷土食も珍しいといわれています。 地域の冠婚葬祭などに欠かせない行事食で、特に年末に行われる煤掃いや大晦日で食べられ、「まめぶを食べないと年が越せない」と言われるほど人々が心待ちにしている行事食です。「まめぶ」を家族皆で、役割分担して作ることも地域の伝統です。「まめぶ」は昆布と煮干しで取った出汁に、醤油で味を調え、クルミと黒砂糖を包み親指大に丸めた小麦団子と地元で取れたゴボウやニンジン、焼きどうふ、油あげ、かんぴょう、しめじなどを入れて煮た具だくさんの料理で、汁はしょっぱく、団子は甘い、癖になる不思議な汁物です。「まめぶ」は地域の宝として、地域ぐるみで保存継承活動を進めています。山形町内の小中学校では「まめぶ」給食があり、保存継承の教育のため未来継承講座が行われています。
岩手県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

美川のふぐの子糠漬

「美川のふぐの子糠漬」は、白山市美川地区で古くから作られてきた発酵食品です。北前船で栄えた港町に伝わる「美川のふぐの子糠漬」は、危険な食材であるふぐの卵巣を、発酵の力により無毒化し、珍味に昇華させた食品です。源は定かではありませんが、幕末には他国から「ふぐの子」を多く輸入している記録があることから、この頃には製法が確立していたものと考えられます。糠の風味とともに、濃い塩味の奥から来るチーズにも似た芳醇なうまみは、ひと口食べれば病みつきになること請け合いです。ご飯のおかずやおにぎりの具、お茶漬けにして食されるほか、日本酒のアテとしても愛されてきました。先人の知恵と創意工夫で生まれた「奇跡の発酵食品」をぜひご賞味ください。
美川のふぐの子糠漬
石川県
近代の100年フード部門〜明治・大正に生み出された食文化〜
令和3年度認定

三津浜焼き

歴史は大正時代の一銭洋食までさかのぼり、常に三津浜の人々の生活と共にあったお好み焼きです。紅白のちくわなど独特の具材を用い半月型という独特な形で提供する三津浜のソウルフードです。薄力粉ベースに味を付けた生地を薄くクレープ状に伸ばし、ソース味をしっかり付けた麺(うどんかそば)をのせ、さらに千切りのキャベツ、天かす、ねぎ、紅白のちくわ、豚肉をのせ、目玉焼きをつぶした状態のものに挟み、ソース、削り節、青のりをのせたら出来上がりです。
三津浜焼き
愛媛県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

武蔵野地域のうどん文化(小平糧うどん)

小麦は地元で採れた小麦粉(地粉)を使用し、塩水で捏ねて、三度足で踏んで固めて玉にしたものを、寝かせます。寝かせた玉は、表面が艶やかになり、生地の中の空気を抜くために菊揉みをします。最後にもう一度足で踏んで丸生地にしたものを、麺棒で伸ばし、麺にします。地粉で打った武蔵野うどんはやや黄みがかかってます。切り落とした生地の端(うどんの耳)を載せるのが手打ちの証。小皿は「糧」と呼ばれる添えの野菜。大根や小松菜などの旬の野菜を茹でたものを糧と呼び、貴重なうどんを多く食べないように、小皿で添えられ出されたのが「糧うどん」の名の由来です。栄養価と満腹感を補う役割を担っています。 冷たい盛りうどんは、温かい汁で食べます。昔は煮干しなどで出汁をとっていましたが、現在は昆布とかつお節の出汁に、キノコや油揚げを入れます。
東京都
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

武蔵野地域のうどん文化(武蔵野肉汁うどん)

水と栄養に乏しい大地の武蔵野では、江戸から明治時代にかけて開拓とともに落葉樹を植えて平地林を作り、冬に落葉を集め堆肥にしました。この落ち葉堆肥農法で育てた麦とさつまいもが畑作の中心であり、小麦食文化が発達。今では日常的に食べられるうどんですが、近代以前の農家では正月や盆の振る舞いとして、手打ちうどんが親しまれてきました。コシとキレのある食感の讃岐うどんと違い、武蔵野うどんはごわごわとした噛み応えある食感とコシの強さが特徴です。温かいつゆにつけて食べる「つけうどん」の食べ方が一般的で、つゆはかつお出汁や醤油を主とした濃い味で、糧(かて)と呼ばれる季節の茹で野菜がたっぷり入っています。かつては栄養のためだけでなく、貴重な小麦を節約するために糧を入れてかさを増やしたと言われています。近年は地域名を付したうどんも多く、食べ方や調理法は同じ武蔵野でも多様性があります。昔の糧は野菜中心でしたが、現在、所沢では肉を使った肉汁うどんが進化し定着しつつあり、「肉汁うどん」マップも発行されています。
武蔵野地域のうどん文化(武蔵野肉汁うどん)
埼玉県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

武蔵野地域のうどん文化(村山かてうどん)

武蔵村山市の名物「村山かてうどん」は古くは農家の日常食でしたが、近年はうどん店が増え、武蔵村山を訪れた人たちが地元の郷土料理として楽しむこともできます。赤小麦の表皮が入った茶色または灰色の麺で、温かい醤油味のつけ汁に冷水で締めたうどんを浸け、茹でた地野菜(かて)とともに食べます。近年ではこのつけ汁に豚バラ肉を加えた「肉汁うどん」が定番となっています。村山かてうどんの「かて」とは、主にうどんに添える地元の野菜を茹でたもののことで、「糧(かて)」という言葉から来ています。都内でも生産量の高い小松菜をはじめ、季節に応じてほうれん草やナスなども使われます。最近ではうどんと相性のよい揚げ物が添えられることもあります。村山かてうどんを提供するお店は、それぞれ麺やつけ汁に工夫が凝らされており、村山かてうどんのファンは武蔵村山市内のすべての店をコンプリートし、味の違いを楽しんでいます。
武蔵野地域のうどん文化(村山かてうどん)
東京都
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

村上の鮭の食文化

村上市内を流れる三面川には毎年多くの鮭が遡上します。鮭は古くから流域の人々の貴重な恵みとなり、鮭漁がもたらす収益は江戸時代の村上藩や城下町の財政を支え、明治時代以降も町の発展に大きな役割を果たしてきました。鮭を大切にする住民の思いは強く、鮭は「魚の中の魚」という意味の方言で「イヨボヤ」と呼ばれ親しまれています。鮭は「捨てるところが無い」と言われるほど殆どの部位が使用され、百種類以上の多様な鮭料理があります。また伝統漁法の「居繰り網漁(いぐりあみりょう)」など江戸時代から受け継がれてきた技術が今も残り、地域の貴重な文化遺産となっています。三面川と鮭に関わる文化は、自然の恵みに感謝し限られた資源を大切にしてきた日本人の精神を現在に伝えるものであり、城下町の歴史的な環境とともに未来に残すべき文化です。村上にとって大切な鮭の食文化をこれからも広く紹介し、未来へと受け継いでいきます。
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

メヒカリの唐揚げ

メヒカリは古くから食べられていましたが、昭和30年ごろまでは、水揚げされても市場では相手にされず、山積みにされたままで、やっと買い手がつくという状態でありました。しかし、その味が広く知れ渡るようになると、誰もが好んで食べるほどの人気となりました。食べ方としては、他の魚より脂肪分が多く柔らかい身で刺身や干物も好まれていますが、手軽に火が通せて食感も良い唐揚げで食べることが定番です。平成13年10月に市の魚に制定されると、メヒカリの唐揚げが全国的に広まるようになりましたが、福島県産のメヒカリは他地域産のメヒカリと比べ皮が薄く、脂がのっていると好まれ、地元産ならではの自慢の料理です。いわき市では、小・中学校の給食の献立としても提供されており、お子様にもおいしいと評判です。
メヒカリの唐揚げ
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

盛岡三大麵(わんこそば、盛岡じゃじゃ麺、盛岡冷麺)

盛岡市は、総務省統計局が実施した家計調査報告(平成21年~23年平均)において、中華麺の購入が全国の県庁所在地で第一位となるなど、麺が市民にとても好まれている町です。特に、「わんこそば」「盛岡じゃじゃ麺」「盛岡冷麺」は盛岡三大麺として様々なメディアに取り上げられる機会が多く全国的にも有名な地域ブランドに成長しました。盛岡にいらした思い出にぜひ盛岡三大麺をお召し上がりいただき地域が育んだ独特の食文化をご堪能いただければ幸いです。
盛岡三大麵(わんこそば、盛岡じゃじゃ麺、盛岡冷麺)
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

焼きまんじゅう

小麦を麴菌で発酵させた「饅頭」に味噌をつけ、火であぶって仕上げた「焼きまんじゅう」は群馬のソウルフードです。「饅頭」といっても、餡が入っていないのがスタンダード。店により「小豆餡」や「黒ごま餡」が入っているものもあり、味も様々です。伝承によれば、江戸時代末期、原嶋屋総本家初代の原嶋類蔵が、試行錯誤して現在の「焼きまんじゅう」を生み、生糸や繭の取引でにぎわっていた前橋の市に売りに出したことが始まりと言われています。今で言う移動販売のように各地で販売したことから、群馬県全土にその味が広まり、庶民の味として親しまれるようになりました。現在では、焼きまんじゅうから派生したスナックや、マフィン、ジェラート、せんべいなど、味噌の香ばしい味わいを再現した土産品なども登場しています。群馬に来たら是非味わってほしい前橋の100年フードです。
群馬県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

湯浅の醤油

醤油の起源は、はるか中世の時代、中国に渡り修行を積んだ禅僧が伝えた特別な味噌から始まります。この味噌を作る過程で桶に溜まって捨てていた汁に紀州湯浅の人々が価値を見出し、工夫を重ね、生まれたのが現在の醤油であると言われています。醤油は、日本人の味覚に深く根差し、もはや欠かすことが出来ない調味料です。湯浅の醤油は伝統的な製法に基づいて作っているため、早く大量に醸造できませんが、醤油の真髄、本来の醤油のすばらしさを味わっていただけるように古くから伝えられている方法を受け継ぎ、作られています。
湯浅の醤油
和歌山県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

ゆず料理

高知県東部の中芸5町村(奈半利町・田野町・安田町・北川村・馬路村)は、「森林鉄道から日本一のゆずロードへ―ゆずが香り彩る南国土佐中芸地域の景観と食文化―」が日本遺産に認定されている地域です。現在も300年を超えると言われる古木があり、江戸末期の庄屋であった志士中岡慎太郎が、農家の副業として栽培を奨励したという伝承も残っています。「ゆず果汁」は柚酢(ゆのす)と呼ばれ、酸度の高さから酢の代用として使われてきました。防腐効果や食欲増進の効能があり、一升瓶で流通している程です。その柚酢を使い酢飯にした「ゆず寿司」、酢の物、刺身やにんにく葉をつかったヌタにしてかけたり、ゆず味噌、ゆず胡椒、佃煮、漬物、またお酒にも柚酒があります。各家庭や地区で伝承されるだけでなく、現在は、中芸の代表的食文化として、商品化もされ受け継がれています。
高知県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

ゆのすの恵み料理

私たちの地域では、あらゆる料理に柚子が使われています。メイン料理はもちろん、箸休めや、最近よく聞く「味変(あじへん・味をかえる)」にも。「何にでも合う」のです。そのため、果汁を絞って保存しつつ、「ゆのす(柚子酢)」と呼び、大切に使います。料理の中でも特に同じ物部(ものべ)の里山で収穫された野菜や山菜はもちろん、鹿や猪、あめご(アマゴ・サツキマス)など、里山の恵みであるジビエや川魚と合わせると絶品です。田舎寿司のすし飯に、お鍋の出汁に、デザートに、様々な使い方をします。何十年も昔から地域の味として親しまれている田舎寿司は酢の物はもちろん、今年開催した「ゆのすレシピコンテスト」で最優秀賞を獲得した「鹿ハムのゆのすジュレ」は絶品。新たなゆのすの活用法が生まれました。「100年フード」として伝えてゆくものにふさわしい、地域の食となると考えています。
高知県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

よびしの食

「よびし」とは、冠婚葬祭などに、親戚や近所の人を招き(よび)おもてなしをする寄り合いのことで、多賀町近隣地区の方言です。町の中心にある多賀大社の古例大祭は鎌倉時代より続き、どんな食を準備したか江戸の文書にも記録されています。また、各集落に神社、寺院があり年中行事が受け継がれています。その際にふるまわれる「よびしの食(寄り合い時のおもてなし料理)」には、「うどんぬた・イタドリ煮・ゼンマイの白和え・くるみごんぼ・ぼんがら餅」などが各集落に伝わっています。「正月よび」「おんなよび」など行事や人によって呼び名も少しずつ異なります。食の準備をする人やレシピは、各集落で少しずつ異なり、リーダーの味が継承されて独自の文化が形成されています。また、食品や調理にまつわる動作、道具の名称も、多賀町を流れる2本の川、3つの谷筋で少し異なる方言があるのも特徴です。
滋賀県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

ラフテー

沖縄料理には、豚肉が欠かせません。数ある豚料理の中で、「ラフテー」を100年フードとして紹介します。シンプルでありながら、手間暇かけて作られる一品です。沖縄の慶事・弔事で出される重箱料理(三枚肉として)にも入っていますが、近年では市販品が主流となり、元々は保存食として各家庭で作られていた味が途絶えつつあります。明治生まれの祖母(おばぁー)より受け継いだ味を、琉球王朝時代の宮廷料理から一般家庭へと広がっていった沖縄料理の歴史と共に継承していきたいと考えています。
ラフテー
沖縄県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和3年度認定

若狭おばま醤油干し

福井県南西部の若狭地方は、栄養分豊富なリアス式海岸に抱かれ、かつ暖流と寒流の合間にある地理的特性から、多種多様な美味しい魚を生み出す地域です。若狭の魚が集まる小浜市では、古くから魚を醤油干しとして加工する技術が受け継がれています。全国で一般的な塩干しやみりん干しではなく、しょうゆベースの調味液に漬け、一晩干したシンプルな加工品ですが、魚の風味や素材のうまみを損なうことなく、ふっくらと仕上げます。京都で珍重されるサバや小鯛の他、ハタハタやアジ、アナゴなど、さまざまな魚種で加工され、地域でもっとも愛されています。大量に漁獲された魚を、自分たちで食するために短期保存と旨み醸成を両立させたもので、一説では江戸時代から続くといわれています。醤油が一般普及した戦後からは、地域の魚屋の主な加工食品となりました。御食国の歴史を引継ぎ、魚の加工技術の到達点として、歴史の積み重ねが感じ取れる一品です。
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定
有識者特別賞

若狭地方のニシンのすし

江戸時代中期から、北海道と大坂をつなぐ日本海航路で活躍した北前船により、北海道から出汁の素となる昆布とともに、大量に漁獲されたニシンが伝わりました。敦賀・小浜という北前船の一大寄港地を抱える若狭地域は、古くは御食国(みけつくに)として、各種海産物を「なれずし」として都に供給してきた地域であり、その文化と加工技術がニシンと融合することにより、「ニシンのすし」が生み出されました。北前船が活躍した江戸時代以来、大根と身欠きニシンを麹漬にした伝統的な保存食として、特にお正月などの冬場のハレの食として珍重されています。現在も各家庭でつくられる他、地域団体が保存継承に取り組む若狭で愛されるソウルフードです。伝統的な発酵食文化と北前船による流通往来によりもたらされた食材が融合した、海の国「若狭」の100年フードです。
若狭地方のニシンのすし
福井県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和3年度認定

わんこそば

わんこそばとは、お椀に一杯ずつ給仕された一口分のそばを次々に食べ、何杯食べられたか競い合うものです。花巻のわんこそばの歴史は400年程昔にさかのぼり、南部家第27世利直公が江戸に上られる途中、花巻にお立ち寄りになられたおり、旅のつれづれをなぐさめようと郷土名産のそばを差し上げたところ、利直公はその風味をたいへんお気に召され何度もおかわりをされたと伝えられ、その際、そばを上品に椀に盛って差し上げたところから「わんこそば」と称されるようになったといわれています。わんこそばというと、大食いのイメージがありますが、元々はお客様にたくさん召し上がっていただきたいという、おもてなしの食文化です。現在では花巻市内の複数の店舗で提供されており、毎年全国から5,000人以上来場する今年で64年目となる「わんこそば全日本大会」も行われています。
わんこそば