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全国各地の100年フード

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奈良県

伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定
有識者特別賞

柿の葉寿司

「柿の葉寿司」は、江戸時代中頃から吉野川流域の家々で夏祭りのごちそうとして作られてきた奈良の郷土料理です。当時は行商人が和歌山方面で水揚げされ塩で締めた鯖を吉野まで売りに来ていました。海の幸が手に入りにくい奈良県では大変喜ばれました。しかし、塩締めした鯖はそのまま食べるには塩辛いため、薄くスライスした鯖をご飯にのせ、身近にあった柿の葉で包み、木桶や木箱に入れて重石で押しをかけるという手法でつくられてきました。 現代では、製造・保存技術や輸送技術の発展のおかげで、季節を問わず、種類も豊富な柿の葉寿司を楽しむことができるようになりました。1個単位で買えるお店もありますので、食べ比べも楽しんでいただけます。また製造者も、県内30社を超え、奈良を代表するおみやげにもなっています。
柿の葉寿司
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和6年度認定

吉野本葛

葛粉が菓子や料理に使われるようになったのは室町時代以降で、葛湯、葛きり、葛もち、葛落雁など様々な菓子が生み出されました。葛粉の最盛期は江戸時代で、農学者である大倉永常が「製葛録」の中で葛粉が食用としてだけでなく化粧品としても広く利用されていたことを示しています。奈良県での葛粉作りは「吉野晒」と呼ばれる精製方法で行います。冬に山で掘り出した葛の根を叩き潰し、桶の中で澱粉をもみだして得た澱粉乳から粗葛を作り、攪拌と沈殿、水の入れ替えを繰り返しながら精製していきます。精製した葛粉は室内で乾かし春過ぎにようやく吉野本葛が出来上がります。今は一部作業に機械も取り入れて作業がしやすい工夫がされていますが、江戸時代から続く吉野晒の技術はそのままに、伝統の製法と味を守りながら製造しています。今は吉野本葛を次世代に食べ繋いでいくための食育活動や、若い世代にも魅力を伝えるための商品開発にも力を入れています。
吉野本葛
奈良県
未来の100年フード部門〜目指せ、100年!〜
令和5年度認定

飛鳥鍋

一般的に、飛鳥鍋は飛鳥時代に唐から来た僧侶が、寒さをしのぐためにヤギの乳で鍋料理を作ったのがルーツとされていますが、「飛鳥鍋」として地域に広く浸透したのは昭和後期ごろのことです。昭和初期に、旧飛鳥村の村長であった故 薮内増次郎が「地域産業の発展」を願って、古くからこの地方で食されていた「鶏肉の牛乳煮」をもとに考案し、橿原観光ホテルが看板メニューとして提供したのが始まりと言われています。飛鳥時代から続く鍋料理の遺伝子が宿る「飛鳥鍋」。明日香村の各家庭では来客をもてなす料理として地域で親しまれています。村内には飛鳥鍋を提供する「めんどや」や「ひもろぎ」、「夢市茶屋」などの飲食店だけでなく、各民宿などでも提供されています。
奈良県
伝統の100年フード部門 〜江戸時代から続く郷土の料理〜
令和4年度認定
有識者特別賞

三輪そうめん

いまから約1300余年を遡る昔のこと。日本最古の神社である三輪の大神神社で、飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ神の啓示を賜り、小麦を撒き、実りを水車の石臼で粉に挽き、湧き水でこね延ばして糸状にしたものが、そうめんの起源と伝えられています。後に、三輪そうめんはお伊勢参りの途中で訪れた人々を魅了し、手延べの製法も播州(兵庫県)、小豆島、島原へと伝わり、日本を代表する伝統食となりました。江戸時代には“大和の三輪そうめんは日本一”と「日本山海名物図鑑」で絶賛されています。素麺づくりは厳寒の冬、三輪の自然と風土を生かして製造されます。原材料は小麦粉、塩、綿実油といたってシンプル。受け継がれてきた伝統の技と、聖なる山から盆地に吹く北風がコシと深い味わいを引き出します。茹でのびしにくく、コシが保てる三輪そうめんは、冷やしても、温めても、炒めても美味しく、食べ方も自由自在です。
奈良県